塩原渓谷やしおコースを通って塩釜温泉へ 2013年4月22日 入院中のOくんの様子を、また見に行ってくることにした。一ヶ月ほど前にも行ったのだが、あのときは日帰りで少々慌ただしかったので、今回は近くの温泉に一泊してくることにした。ついでに近くの山をちょっと歩いてこようという計画。 東京駅9時16分発の、やまびこ207号に乗る。 10時27分、那須塩原駅到着。駅を出ると目の前に、塩原温泉行きのバスが停まっていた。外はもう4月も下旬だというのに寒い。10時40分発のバスは、まだ扉が開いていない。駅の方に戻って風をよけながら待つ。 10時35分になってパスの扉が開いたので歩いて行って、整理券を取ってバスに乗り込む。運転手さんが、外で仕事仲間と国訛りで会話している声が聞こえる。東京ではこの週末雨だったが、こちらの方はどうやら雪だったようだ。何cmか積もったらしい。今年の春は桜は早くに咲いてしまったが、そのあとが冬に逆戻りしたように寒い。爆弾低気圧などといわれる、おかしな天気もあった。まったくどうしてしまったのだろう。 定刻が来てバスは発車した。それまで国訛りだった運転手さんが突然標準語で出発のアナウンスをするので可笑しくなってしまった。 バスは西那須野駅に寄り、市街地を抜けて、やがて山の中へ入って行った。 塩原大網で下車する。ここから塩原渓谷遊歩道やしおコースを歩いて、塩釜温泉まで行くのが今日の行程。 大きな標識から、渓谷へ降りて行く。降り切ったところに網で囲った橋のようなものが見えてきた。これはダムの上を通る歩道。歩いていると檻の中を歩いているような感覚。どこかで見たような気がするなと思ったら、これは『ジェラシック・パーク』。空には翼竜が飛び、今にもTレックスが襲ってきそうな錯覚を覚える。 それにしても寒い。今朝がた家を出るときに寒いと感じ、東京でこれだけ寒いということは現地ではもっと寒いだろうと思い、もう仕舞い込んでしまった冬用のジャケットを出してきて、さらに下にセーターを着込んできて正解だった。手袋もしていないと手が冷たくなる。 道は右に川を眺めながら進んで行く。これぞ遊歩道。気持ちがいい道だ。 遊歩道と言いながら、やたらと狭くて、足元はゴツゴツしていて歩きにくく、アップダウンがキツイ道を遊歩道と称する所がある。“遊ぶ”ではなく“働く”感じに近かったりする。「これは遊歩道ではなく、労歩道、あるいは働歩道だろうとツッコミを入れたくなってしまう。 それに較べて、ここはまさに遊歩道だ、と思った途端に上り坂になった。労働歩道じゃん! と、また今度は川を見下ろす感じの高度差のある道が続いていく。 やがて道はまた下りはじめ川沿いの道に。大きなキャンプ場が見えてきた。バンガローなども見える。ああいうところで一泊するのもいいのだろうが、私の場合、他人が作ってくれたおいしい料理を食べる方がいい。とはいえ、飯盒で炊いて野外で食べるメシの旨さも知ってしまっているから、やがて飽きたらまた野外で自炊するのが好きになるのかも。 しばらくすると今度は道沿いに露天風呂があった。地図によると、これは不動の湯という温泉。道のすぐ脇にあって、通行する人からは丸見え。入るにはちょっと度胸がいるが、ここまで歩いてくるのに誰ともすれ違わなかった。入っちゃっても、どうということはない感じだがタオルを持って来なかった。どうせ今日は温泉に泊まるんだからと歩き出すと、反対方向から歩いてくる人とすれ違う。どうやら地元の人らしく、不動の湯に入る目的で来たらしい。 不動吊り橋を渡って、福渡温泉地区へ入る。今度は川を左に見る川沿いの道を歩く。桜がまだ咲いている。やっぱり東京よりも北だけあって開花も遅いかったのだろうし、この寒さで長持ちしているようだ。 大きな福渡橋へ上がると、一ケ月前にクルマで来た時に見た記憶がある風景が見えた。まっすぐ国道404号線を進めば塩原温泉街。左に福渡橋を渡って進めばビジターセンターだ。 時刻が14時を回っていたので、まずOくんの入院している病院に行くことにする。 Oくんの病室は先月来た時から移っていた。ナースステーションの近くで、ベッドの隣がすぐに大きな窓。窓からは外を走る道路が下に見える、景色のいい病室だ。看護師さんの話では、元はこの部屋だったのだったのだが、私が先月来た時には院内感染の恐れがある患者さんがいて、一時的に部屋を移っていたとのこと。 「やぁ、また来たよ」と声をかけると、口元が動いて、なんだか笑ったような表情になった。とてもうれしい気分になる。 左目を精一杯開けようとする。充血した目が覗く。ご両親の話では最近眼球が動いたことがあるという。やはり見えているらしいし、言葉にも反応するようなので、少しずつではあるが回復してきているのだろう。 最近散髪してもらったそうで頭がサッパリしていた。入院後三回目の散髪。首がしっかりしてきたとのことで散髪してもらうにも楽だったようだ。これも多少なりとも回復してきた証拠かもしれない。 右半身より左半身の方が動きが利くらしいので、左手を握ってあげると、握り返してくるような反応がある。これも大きな進展。 意識を取り戻すために、お医者さんも一生懸命いろいろと考えてくださっているようで、先日は刺激のある飴を口に入れてみたそうだ。今日はこのあと梅干しを入れてみるとの事。梅干しは嫌いじゃなかったらしいから、どう反応したか後日訊いてみたい気がする。 看護師さんが鼻から入れている管から水を胃に送り込むのが終了したのでチューブを外しに来る。私も一年半前、手術後しばらくは、この鼻チューブからの水と栄養剤の補給のお世話になった。 さらに喉のところの気管切開したところから痰の吸引。これをさらに口の中、鼻の中と続ける。これも私は経験した。痰の吸引は苦しいのだが、吸引しないともっと苦しいことになる。吸引してもらうと今度は楽になる。思いだすなぁ。 15時に日課のリハビリの時間となり、男性介護士3人と看護師さんでOくんを車椅子に移動させる。元気だったときは100kgを超える体重があったOくんも30kgくらい痩せたらしくて、当初はベッドから移動させるのも大騒ぎだったらしいが、今は大分容易になったとのこと。 ご両親に、「今日は塩原で一泊します」と伝えると、クルマで送って下さるとおっしゃる。お言葉に甘えて、後部座席に座って、今回の宿[彩つむぎ]へ。ご両親にお礼を言ってお別れ。 ロビーでお抹茶のサービスを受けて宿帳に記入。部屋へ案内される。12畳の和室。部屋の風呂は露天形式で川が眺められる。七つ岩吊り橋から通行人に覗かれるのではないかと思ったが木戸を閉めれば、まず見えることはあるまい。それよりも絶景を眺めながらの風呂は気持ちよさそう。 私はまずは大浴場と露天風呂に行くことにした。露天風呂には庭を歩いて、露天風呂専用の小屋へ。外からは覗かれない岩風呂。ゆっくりと堪能。風呂から上がると今日の陽気ではいささか寒いが、熱めの湯は芯から身体があったまっているから震え上がるようなことはない。ついでに大浴場にも回る。こちらでは石鹸を付けて身体中の垢を落とす。 風呂から戻るとすっかりいい気持ちになってしまったが、夕食にはまだ間がある。もう少し近くを散歩することにした。川沿いを散歩。七つ岩、野立て岩などを見て、宿へ戻る。 18時、食堂で川を眺めながらの夕食。 栃木だけあって湯波を使った料理が盛り込んである。南瓜、椎茸、干瓢、湯波、鶏そぼろを饅頭にしたものの餡かけがおいしかった。 また金目鯛のバター焼やフォアグラに湯波豆乳ソースをかけたものが絶品で、私はあまり湯波というものが苦手だったのだが、こういう使い方もあるのだと感心してしまった。 蛍烏賊と春野菜の酢味噌ドレッシングも中に苺こんにゃくというものが入っていて、これがまた楽しい味わい。 とちぎ和牛の陶板焼きをいただいた頃にはもうお腹いっぱいだったが、大根めしと団子汁、デザートまでしっかりいただく。 おいしかったぁ〜。 食後は『ガリレオ』を観て、もう一風呂浴びて就寝。 夜中の1時に一度目が覚めて、部屋の露天風呂へ入る。川のせせらぎの音に包まれた真夜中の風呂は、まことにいい気分。 その後、朝までぐっすり。 4月24日記 |