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レポート1    6月30日、7月10日 、7月25.26日 

この写真は、私がO養護施設の4才児の子ども達と3回目に遊んだ時の、子ども達の積み木遊びの様子である。

 積み木遊びは私がこれまで教えたものではない、これまで担当の保母と家造りなどの遊びをしていたようであり、その成果であったと思われる。
 私はこの積み木遊びの秩序感とバランス感覚がとてもすばらしいものだと思える。
 しかしはたして、1ヶ月半前私がこの子達と遊び始めたときには、このような作品を作れていたかどうかは、私の記憶では判然としない。
 
 私は、これまでに、6月30日、7月10日、7月25.26日、の3回、O養護施設を訪れ、この4才児達と遊んできた。
 

1.6月30日

 私は、うさぎとロバの手人形とピンクの綿の薄い布を持って、4才児の子ども達9人を訪れた。
 私は、うさぎとロバの手人形で、子ども達に「ととけっこう」のわらべうたを歌い、挨拶をしようと思っていたのだ。
 しかし、子ども達の最初の反応は、「おにんぎょうかして」と、私の手から手人形をむしり取り、自分の手にはめてブロックをつかんだりすることだった。
 つまり、手人形に人格を持たせて遊ぶことができなかったのである。
 
 ピンクの綿の薄い布を持って子ども達の前でひらひらさせ、「ピンクの風が吹くよ、ヒューひらひらひらひら…………ジージーバー」と布を落とす遊びは子ども達は喜んだが、すぐ布も、マントになったり、ものをつつんだりするものとして使われてしまった。
 
 そこで私は、子ども達一人一人を抱っこして「ねこのおいしゃさん」と「3びきのくま」のうたを歌いオィリュトミーをすることとした。
 O養護施設の4才児は、「抱っこして」と抱かれに来る。自閉症を持っている子ども達は、なかなか自分を他者に接触させようとしないので、体を触ることによる治療を開始するまでに時間がかかってしまうのであるが、O養護施設の4才児は、「抱っこして」と抱かれに来るために、抱っこしたオィリュトミーによる治療を早く始めることができたのである。
 
 このとき、最後まで抱っこされにこなかったのは、Dちゃんと、Hくんであった。  
Hくんには、広義の行為障害(たたく)と自閉症と神経症があり、私が他の子ども達と遊んでいて、他の子ども達が喜んでいてもなかなか私の顔を見れない、また私が近づこうとすると逃げてしまう状態があった。
Dちゃんには、強度の鬱病のために、腰椎の発達が遅れ、食事の時に背骨をまっすぐに維持できない、感情が高ぶると排泄をコントロールできなくなる、また、自分の体を自分の意識で無理矢理動かそうとするために意識障害が起こっておりいつもぼーとしている、という状態にあった。
Dちゃんは、ひとりで窓に向かって絵本を見続けており、私は彼女に触れる機会をなかなか見つけられなかったのである。
 
 私は、抱っこのオイリュトミーを続けながら、子ども達の背骨を触り、オステオパシィーを行っていた。
脊椎のひとつひとつの骨を、左右に動かしてみるか、ななめににねじりのちからをあたえてみると、どちらかにずれやすい場合がある。
そのときに、ずれの大きい方に少し力を加えてあげ数分間静止すると、左右に同じ力で動けるようになるのである。
脊椎骨の骨が左右の回転又は、ねじりを起こす原因は、広義のコミュニケーション障害によって骨の情報が歪み、体を形成する情報が歪んで伝達されるようになるからなのである。
私がこのとき、オステオパシィ及びオィリュトミーで治療していたのは、
広義の、神経症、鬱病、精神分裂病、行為障害、リューマチ、痛風、であった。
 
 私は、6月30日の子ども達との接触で、現在のこの子ども達の課題は、3人称を確立すること(環境と自分を分離すること)だと思った。
 一般的に、1歳半頃になると、いやだいやだとダダをこねるようになる。「お月さまを取って」などと、物理的に不可能なことを要求したりする。
 そして、この時期を通り越えることにより、自分の意識では動かせない物質や環境があることを、意識できるように成長するのである。
 しかし、O養護施設の4才児との接触においては、「抱っこして」と近寄ってくるが、「他の子が順番を待っているから、待っててね」というと、悲しげに去っていくのである。
 順番を「わくわくして待つ 」という感情がこの子達には育っていなかったのではないか。
 また、私の「どの子も抱っこしてあげたい、抱っこして喜ぶ子どもを感じるのが嬉しくてたまらない」という感情が、この子達には聞こえにくかったのではないだろうか。
 この子達は、自分以外を環境として意識してしまい、その環境を自分の意識で動かそうとし、それが動かないことに絶望してしまっているように思われるのである。
 
 環境そのものが嬉しく思えるように働きかけることのために、私は、言葉の絵本を園でそろえて欲しいと園長先生にお願いした。
 
 
2.7月10日
 私は、
 まるまる       中辻悦子          福音館書店
 もけらもけら     山下洋輔・元永定正     福音館書店
 もこもこもこ     谷川俊太郎・元永定正    文研出版
 ころころころ     元永定正          福音館書店
 がちゃがちゃどんどん 元永定正          福音館書店
 きゃべつくん     長新太           文研出版
 ははははは      五味太郎          偕成社
の絵本を持って、再びO養護施設の4才児を訪ねた。
 
 抱っこしての「ねこのおいしゃさん」「3びきのくま」「すてきなぼうしやさん」のオィリュトミーをひとしきりやった後、「まあるくなれ、まあるくなれ、いちにのさん」で円形を造り、「ととけっこう」「いちばちとまった」「たんぽぽ」で、わらべうた・オィリュトミーをおこなった。
 「ととけっこう」では、やっと手人形による子ども達との会話ができた。
 「いちばちとまった」では、縦の律動で子ども達が喜び、「もういちどやろう!」という言葉がでてきた。
 「たんぽぽ」では、「たんぽぽたんぽぽむこうやまへとんでけ」の歌に合わせ子ども達の頭をじゅんぐりになで最後の子どもに「フッ」と息を吹きかけ、その子がたんぽぽの綿毛になって飛んで行く。子ども達が順番を待つことができるようになった。
 
 そのあと、持ってきた絵本を子ども達に読み聴かせた。
 何度も、繰り返し「読んで」といわれ、とてもうれしかった。
 この絵本の読み聴かせに大きく反応したのは、Eくん、Aくん、Bちゃんだった。
 
 
3.7月25.26日
 25日は、子ども達に麻疹がはやった後で、年少の子ども達が数人で保育されていた。
 
 私がびっくりして喜んだのは、まずHくんがお当番を嬉しそうにやっていいたことだった。
「年長の子ども達が麻疹で寝ている内に小さい子ども達がたくましくなってきて……」
Hくん、Iちゃんの成長がたくましかった。
 
 大きな子ども達は午睡していたので、午睡している子ども達に 寝たままでオステオパシィを行った。Dちゃん、Eくんが気になった。
 
 26日は、大きな子も保育に戻ってきていた。
 積み木で大きなおうちを造り、交互に中に入って遊んでいたが、BちゃんとAくんが同時におうちに入ろうとしてにらみ合いになった。
 互いにお腹をつねり合い、Aくんの方がさきに泣いた。保母の先生がA君を慰めているときにBちゃんは保母のすぐ後ろで仏頂面をしていた。
 同じような場面はお片づけの時にも繰り返された。
 お片づけはどの子も喜んでやっていた。最後のダンボールを片づけようとAくんとFくんが同時にダンボールに手をかけた後にらみあってどちらも譲らない。
私は二人のマッサージをしたがどちらも譲らず、とうとうFくんが根負けし 、わたしは、Fくんを抱っこしてオステォパシィをした。とても素直になったFくんであった。
その後、私はAくんにもオステォパシィをした。
 
 子ども達の積み木遊びは、秩序感とバランス感に溢れていて優れたものであると思った。

 
保母の先生が先頭になって、「3びきのこぶたあそび」をしていたが、
一人ひとりの子どもが役割を感じながら、全体で遊び始めていることがとてもよいことであると感じた。
子ども達が、手人形を他の人形とともにダンボールの箱に入れてお風呂やさんごっこをしていたのも、よいことであると感じた。
 やっと、人形に感情を持たせて遊ぶことが始まったのだなと感じた。
 
 25.26日で強く感じたのは、子ども達の2人称(自分とあなた)が未成熟なことであった。
 一般に、3才になれば、一人遊びからお友達との遊びができるようになる。
 それは、お友達の気持ちが聴こえてくると、お友達の気持ちに乗っかって遊んで「ああ楽しかった」ということなのだが、……
7月下旬の4才児クラスは、先生の顔を見上げて遊ぶことは楽しいが、お友達同士でいると、相手の感情が歪んで自分に意識されてしまって誤解してしまうという状況にあるのだ。 
私は、園長先生に物語の絵本を若干購入していただくようにお願いした。
 
 
2000年8月2日

千葉義行

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