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  レポート10  第14回目の訪問  12月25.26日

 

  もりのクリスマス   クリスマス会のリハーサルより
1.
 25日、私は長男を連れてO養護施設を訪ねた。
 3年前に初めてA園長先生と治療教育研究会でお会いした後、私は先生の深いご経験に感動し、先生の九州や長野の養護施設での経験を長男に話した。
 そのとき、長男は是非先生にお会いしたい、養護施設を見学したいといっていたので、大学から帰省した長男を誘ったのである。
 
2.

ここをクリックすると大きな絵が見られます。

 25日の午後は、クレヨンで花瓶を描いた。
 花瓶を真ん中に置き、花瓶をみながら描く。
 「好きな色を一つとって、
  まず花瓶の一番上の線を引っ張る。
  次に、その線の真ん中から真下に向かって縦の線を画用紙の外にでるまで引っ張る。
  花瓶の左の縦の線を描き、右の縦の線を描き、
  その下の右のまあるい線を描き、左のまあるい線を描く。
  そして、線の中を全部塗っちゃえ!
  ゴーシゴシゴシ、ゴーシゴシゴシ、」
 全部塗ったら、
「次の色をとって、花瓶の上に全部塗っちゃえ!
ゴーシゴシゴシ、ゴーシゴシゴシ、」
 子供が満足するまで、「次の色!、花瓶の上に全部塗っちゃえ!
ゴーシゴシゴシ、ゴーシゴシゴシ、」
の繰り返し……。
最後に白をピッカピカに塗る。
 
「最後に、一番好きな色をとって……、
 クレヨンを横に持って、薄うくすてきな色をかけてあげよう」
 
 クレヨンで描く「花瓶」の課題には、次の効果がある。
 1.クレヨンでたくさんの色を塗り重ねることにより、色・意味へのこだわりが取れてくる。
 2.クレヨンを縦に持ち、力を込めてゴシゴシ塗ることによって、意志が育ち、自分の経験を肯定できるようになる。
 
 どの絵も、すてきに描けている。
 Iの絵からは、「自分で描く!」という自我が相当取れ、柔軟な認識が育っていることが読みとれる。
 Hの絵には、力強さがみなぎっている。一週間前に彼の弟が乳児院から移ってきて、Hは自分がお兄ちゃんであることを自覚したのだ。
 Gの絵は、いつもの通り一番深い。
 Fの絵には、喜びがみなぎっている。
 Eの絵からは、花瓶から紫の色がはみ出しているのがみられるが、そのほかの色は花瓶からはみ出していない。これは、年中の子どもとしては意識がしっかりしてきたことを示している。さらに、8月24日の時点では、たくさんの色づくりでひょろひょろした線が出ており、意識障害と言語障害を持っていたのだが、それが相当程度治癒してきたことを表しているのである。
 Bの絵の、朱色の背景からはみきの暖かい感情が響いてくる。
 Aの絵からは、彼の意志が大きく育っていることが読みとれる。
 
 
 「お絵かき」が終わり、自由に遊んでいるときに、Fが私の後ろから負ぶさってきて、両手でげんこつを作り私の頭を何度もぐりぐりした。
 「F、いたいぞ!
 君もげんこつでぐりぐりされたら痛いだろう?
 じぶんがやられて痛いことを、どうして人にするんだい?」
 Fはなにも答えず、また、私の頭をぐりぐりした。
 「一週間前に、IとHを残して、4才児たちがみんな学童の女の子の部屋に移ってしまったんです。すると、夜寝るのも遅くなったし、学童のお兄ちゃんたちと遊ぶことが多くなって、FとEが乱暴になってしまったんですよ。」
 高木さんのこの説明で私は状況がのみ込めた。
 「そうか、これから3才児以下の子どもたちをたくさん受け入れなければならないからね。
 そして、今の年中さんが学童の子どもたちと一緒に生活するようになると、学童の子どもたちが変化してくるからね。
 方針としては正しいと思うよ。
 でも、一時的には、学童の子どもたちのいらいらや、行為障害を吸い込んでしまって、乱暴になったり、行為障害が表にでてきたりしてしまうんだ。子どもたちを無菌状態で純粋培養するわけにはいかんからね。
 でも、学童の子どもたちにもまれて、彼らは力強くなるよ。
 Fのような性格の子は、周囲の環境の影響をどうしてももろに受けてしまうね。」 
 
3.
 25日18時から隣の保育園を借りてクリスマス会が行われた。
 4才児たちは、「もりのクリスマス」をうたって演じた。
 @こどもたちがそれぞれの動物になって「もりのクリスマス」をうたいながら出てくる。
 Aサンタクロースが出てきて、それぞれの動物を呼びおくりものを渡す。
 Bおくりものを受け取った動物はサンタクロースのわきにすわり、次の動物を呼ぶ。
 単純にこれだけの内容だったが、こどもたちは、自分の好きな動物を選び、その動物へのおくりものを考え、また、ほかの動物たちがおくりものをもらえることを喜んだのである。
 「もりのクリスマス」は、10月13日からずっとうたってきた歌である。
 3ヶ月の長い時間をかけた感情の醸成のサイクルの頂点が12月25日のクリスマス会であったのだ。
 
 私は、甥にピアノで伴奏してもらい、「クリスマスがやってくる」と「パレード」(2つとも新沢としひこ作詞、中川ひろたか作曲)をうたい、オィリュトミーした。
 「おじさん、これは、うれしいだけの曲でいいんですか?」
 「うん、うれしさを爆発させればいいんだ。それが、クリスマスということの本質だよ。
 自分が他者にプレゼントをあげ、他者がそれを喜ぶこと以上の喜びが人間にあるかい?
 だから、クリスマスで一番うれしいのは、子どもたちより親の方なんだ。」
 
 O養護施設のクリスマス会は、子どもたちだけでなく、O養護施設を支える地域の人々が参加する暖かい集まりであった。
 
 
4.
 26日朝、甥のピアノ演奏が聴きたいとの園長先生の希望で、女の子の学童の部屋の図書室で演奏会が開かれた。
 私が遅れて図書室へ行ってみると、職員と子どもたちがビアノを聴いていた。
 私は、PとX(ともに2才児)を抱いて、ピアノに合わせてオィリュトミーをした。
 そのあと、K(5才児)がやってきたので、彼を抱っこしてオィリュトミーした。
 
 図書室の下では、新しく入ったばかりのXとU(ともに2才児)が職員と一緒に遊んでいた。
 Hの弟のUは、すぐに抱っこを求めてくるXと違って、それまでなかなか私に抱かれようとしていなかった。
 しかし、彼が「パズルを一緒にやって」と私を求めてきたので、パズルをやりながら彼の腰椎を中心にオステオパシィを行った。私から大量の咳が出てきた。兄のHとともに、他者と出会うと自分の心を閉ざしてしまう広義の自閉症を深く持っているものと思われる。
 
 幼児室を出ると、Kが私を求めてきた。
 それで、私はKを連れて、保育室に向かった。
 
 
5.
 Kを連れて保育室へはいると、Aが「ここは保育の部屋だからKは)きちゃいけないんだよ」といった。
 私は、「千葉先生が連れてきたからいいんだ」といった。
 私は、Kを腹這いにさせて、オステオパシィをした。大量に咳が出てきた。
 すると、Bが「わたしのばんだよ」といって、Kを治療している私のそばにきた。 Kは遠慮して「もういい」といって離れていった。
 すると、Bは、私に「たってだっこして」とせがんできた。
 私は、Bをだきながら「今日はね、ちいさいようじさんたちを抱っこして踊ったから、疲れているんだよ、あとでね」というと、彼女は「だっこして…だっこして…だっこして…」とせがみつづけた。
 私は、彼女を抱きながら脊椎のオステオバシィを続けた。大量に咳が出た。

 
 10時のおやつを食べた後、わらべうたあそびをした。
 
@うさぎとろばの人形を使った、「ととけっこう」
 「ととけっこう よがあけた かっちゃんも(こどものなまえ) おきてきな おはよう…… あくしゅ」
 こどもたちはみな、「おはよう」を返してくれて、あくしゅしてくれた。
 「このひとにもやって」……
 子どもたちのリクエストに応えて、お兄ちゃんたちにもうたってあくしゅした。
 
Aみんな、電車になって、「もりのクリスマス」と「パレード」を足を踏みしめながら8の字を描き、歌った。
 
Bわたしの「そらをみてたら」のオィリュトミーとうた
 
C絵本の読み聴かせ
 ころころころ
 まるまる
 しろくまちゃんのホットケーキ
 かささしてあげるね
 まどからおくりもの
 
Dみんな横に手をつないで、先頭の二人が門を作り、「うちのせんだんのき」をうたいながら門くぐりをした。
 
Eわになって、「ひいらいたひらいた」
 
 30分のプログラムであったが、全員が関わり合うわらべうたのプログラムを全員が集中して通せたのは、6月30日以来はじめてのできごとであった。
 そして、幼稚園児であるKはわらべうたは初体験であったのだが、嬉々として集中していた。
 J、L、M、K、と5才児に行為障害や広義の分裂病を持つ子が多いのだが、今後は、私が来る日にはできる限り5才児を含めて保育を行うこととしたい。
 
 わらべうたあそびの後は、自由遊びとした。
 お兄ちゃんたちにかたぐるましてもらったり、おんぶしてもらったり、だっこしてもらったり、こどもたちは肉体で爆発的に喜んでいた。
 上は、その記念写真である。
 
6.
 子どもたちと一緒に昼食をとった後、ひとりひとりの手をなでながら、「さよならあんころもち またきなこ」をうたった。
 Xが抱っこを求めてきた。「ぞうさん」「さんびきのくま」「ねこのおいしゃさん」「そらをみてたら」「あかいとりことり」「しゃぼんだま」をオィリュトミーした。
 彼女はうれしそうに「もう一回」を続けていた。
 
 突然、甥の前にいたGが泣き出した。
 「「私が一番先にやりたかった」といって泣いているんだけど……」
 いつもは一番後まで我慢している子なのだが、分かれるのが寂しくなって感情を爆発させたのであろう。
 
 こうして、私は、甥と息子を連れてO養護施設を出た。
 
7.
 帰りの電車の中で甥は私に尋ねた。
 「おじさん、僕みたいなものが(O養護施設の子どもたちを)かきみだしていいんですかね?」
 「きみらの態度でよかったと思うよ。こどもたちは喜んでいたじゃないか。
 ただね、Fが乱暴したときに君は彼にいいきかせていただろう?
 今日のFは分かっていてやっていたから、君の言葉は少し通じていたように思うが、ふつうの幼稚園や保育所や施設で子どもが他の子どもを叩いたときには、絶対に叱っても言い聞かせてもだめなんだよ。
 叩く子には自分なりの理由があるからね、「絶対に自分は正しい」と思考意識では繰り返しているんだ。そこで、叱られたり言い聞かされたりしたら、自分のことを分かってくれないとしか思わない。
 そのような場合は、叩いたりかんだり蹴ったりした子を無視して、泣いてしまった子を慰める。すると、叩く子の方は急に寂しくなって保母に体をこすりつけてくるから、そのとき、徹底してマッサージを行うんだ。
 行為障害は、こうして、待つこととマッサージの繰り返し以外治せないんだ。
 言って聞かせたり叱ったりすると、子どもは神経症を起こし、自分の思考意識で自分の意識を在らせようとし、痛風を起こす。
 すると、今度は、他者に自分の努力をさせようとする。
  「子どもにスキンシップをしなさい」とか「暴力をふるってはいけません」とか、教育学者やマスコミの評論家たちは言うが、その言葉の中に自分の痛風が在ることを全く意識できていないのはそのせいなんだ。」
 長男は、
 「なぜ、おれはここにいるんだろう」と繰り返し、
 「ただ、俺に抱っこされて、子どもはよろこんだし、子どもがよろこんでいるのを喜んでいる俺がいた。」と繰り返していた。
 
 
 2日後に甥からメールが届いた。
 ……本当に充実した時間でした。またぜひご一緒させていただきたいと
   おもっています。
   いろんなこと感じましたよ。勉強になりました。音楽に関してだけでなく。
 
   またどんな機会でもいいのでよろしければ声をかけてください。
   おねがいします。                          ……
 
 
 
 
  2000年12月29日
 

  千葉義行

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