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  レポート12  第16回目の訪問  1月28.29日

 
1.
 1月28日11時半にO養護施設についた。
 
 幼児の部屋に行くと、Hの弟のUとNがかいだんで遊んでいた。
 私の顔を見ると、Nが「だっこして」といってきた。そして、「うたって」といったのである。
 「そらをみてたら」を歌って踊ってあげると、ぺたっと私の体に身を預けてきた。
 そして、「ようじさんのへやへいこう」という。 
 昨年の6月以来、初めてのNの変化だった。
 
 Nといっしょに幼児の部屋へ行くと、Oと、Pと、Yが、Nと一緒にかわりばんこに、歌と踊りを求めてきた。
 この幼児たちの体は、とてもやわらかく、私に身を預けるようになっていた。
 抱いて踊ると、とても嬉しそうによろこんだ。
 「私、あたらしく幼児担当になったMです。よろしくおねがいします。」
 新しく幼児担当となったMさんが、私に、元気に挨拶してくださった。
 
 昼食を食べに食堂へ行くと、幼児たちが二つのテーブルに分かれて食事を始めていた。 私が遠慮して他のテーブルに食事を運んで座ると、Nが「ぼくのそばにすわって」と私の手を引っ張りにきた。
 わたしは、NとYの間に座った。
 Nは食事をしながらうれしそうにいろいろしゃべっていた。
 Yは、たのしそうにおしゃべりするが、すぐ機嫌が変わり私の手をつねったりたたいたりした。Yには、Bのように「他者に〜在って欲しいと思う」つよい鬱病がある。それを、他者に強制的にあらせようとするから、叩いたり、つねったりが起きてくるのである。
 Nにも、「他者に〜在って欲しいと思う」つよい鬱病があった。しかし、Nのばあいにはそれが内向し、自分が〜して欲しいと願ってもそれが実現しない環境の中にいてしまい、頭痛やいらいらを起こしていたものと思われる。
 すると、多動がおこり、LDに似た症状を起こしていたのである。
 Nのばあいは、鬱病性の多動により、私が彼に触ろうとしても逃げてしまい、なかなか接触しての治療ができなかったのである。
 Nが私に身を任せてくれるまでには6ヶ月の日数が必要だった。そして、それは、O養護施設の幼児担当の職員の、日頃のNの生活の世話の積み重ねで起こったことなのである。
 
 昼食の終盤に、Hの弟のUが、ジュースをおかわりしたいといった、すると、「お代わりするジュースはもうなくなったのよ」と職員が言った。
 すると、となりにいたHが、すうっと自分のジュースを弟にさしだしたのである。
 UがO養護施設にきて間もないが、Hのおにいちゃんとしての自覚と「他者を維持する愛」の成長に目を見張るものがある。
 

2.

ここをクリックすると大きな写真で見られます。

 28日の午後は、1月15日に作ったかもさんに水彩で色を付けた。

 
 「あかいっぱい、きいろいっぱい、あおちょっと、しろちょっと」におみずを足して、おなかを先に塗ってから、あたまとはねを塗る。
 もう一回、「あかいっぱい、きいろいっぱい、あおちょっと、しろちょっと」を作って、どろんどろんのえのぐで、はねだけもういちど塗る。
 こんどは、細筆で、「あいいろをいれて、おんなじくらいのあかをいれて、おんなじくらいのきいろをいれて、まっくろくろすけでておいで、……」
 くろをつくって、くちばしと目を描く。
 
 色を塗ってみると、Aの作品に、大きな力を観ずる。
 はねとめだまをいれずに「おしまい」っといって飛んでいってしまったJの作品に、おおきな喜びを感じる。
 障害を背負っているEとKの作品に、大きな「他者を支える愛」を感じるのである。
 
 みんなでかもさんに色づけした後、幼稚園組のKとLが私に「だっこして、パッパッパッパやって」と求めてきた。
 私は、KとJをだいて、歌い、踊った。
 すると、Mが6月の出会い以来初めて、私を求めてきたのである。
 私の抱かれているMは、とても嬉しそうで、とても美人だった。
 Mの普段の声はかんだかくいらいらさせられる発声である。そして、表情がいつもくぐもっているのである。このことは、彼女の普段の意識が彼女本来の意識ではないことを現している。Mは、常に憑依された意識の状態におり、憑依した意識が彼女としてしゃべっている。
 しかし、本来のMは、美人でやさしく素直なのである。
 
 午後保育室に来るときに渡り廊下でAにあった。
 Aはぶるぶるふるえていた。
 保育室にきても今日のAはよく泣いた。
 ないて、HやFをたたきにいく。すると、ZがAをつねるのである。
 わたしは、AをつねろうとするZを抱いて引き離して、Zに、「なあ、Z、きみのきもちはわかるんだれど、Aをつねっちゃいけないよ。」といいながら、彼の体をマッサージした。
 これは、2.3.回繰り返された。
 
 今日の子どもたちは、「クリスマスがやってくる」を何度も求めてきた。12月25日のクリスマス会で一度だけ歌って踊ったのだが、こどもたちはよくおぼえていて、だっこされて歌ってもらいたがった。
 子どもたちの体の喜びが爆発してきているのだと私は感じた。
 
3.
 その夜、高木さんとミーティングをしていると、幼児担当のMさんが参加してきた。
 高木、
 「わたし、Aの気持ちだけはなんとかわかるようになったと思うんです。すると、他の子の気持ちも少しづつ分かるようになるのかなあと思って。……
 このごろ、Aがめそめそすることが多いんです。そして、ごねるもんですから
、……、わたし、Aはおしばいしているんじゃないかと思うんです。
 それで、ごねるAに、『A、おしばいでないているだろう』っていったら、Aから『そう』ってかえってきたんですよね。……」
 「千葉先生、先生は、他のみんなが『A、ごめんね』っていえるようになったけど、Aはまだ自分から『ごめんね』っていえていない。Aが自分から『ごめんね』っていえるようになると彼が大きく成長するっていっていましたね。……
 ないてごねた日、Aが彼のお姉ちゃんといっしょに、わたしに手紙を持ってきたんですよ。見てもらえますか……」
 その手紙には、「たかぎせんせい、きょう、ないて、ごめんなさい」と書いてあった。
 
 「今日昼保育室に来るときにAにあったら、ぶるぶるふるえているんだよね。
 さっき泣いていたときもふるえていたみたいだし。……
 Aはいま、神経症を起こしているね。今日ずっとAのこころを聴いていたんだけれど、他の子どもたちや職員の苦しみや怒りに神経症を起こしている様子はなかったよ。A自身の気持ちに神経症を起こしているんだね。自分がごねちゃったり泣いたりすることが許せないんだけど、どうしようもないんだな。
 Aは、大切な成長過程にあるんだね。だから、暖めてよく寝かせる。これがいちばんだよ。
 O養護施設のスタッフはとてもよい状態にあるから、じきにたくましくなると思うよ。」
 「Aが泣いていると、ZがAをつねろうとするんだ。……
 Zは、Aのめめしさがゆるせないんだね。
 Zは、『おれのここをたたいてごらん、だいじょうぶたよ』といって他の子に自分を叩かせようとしたり、他の子が叩かないでいると自分がその子を叩いてしまったりしているけど、彼には、『自分を鍛えなけりゃあ』という努力・痛風があるね。
 これがあるために、Aの態度はめめしくってしょうがないさねえ、……
 僕は、今日はZの方を抱いてマッサージしていたのだよ。……」
 
 Mさんとは、幼児のひとりひとりについて気づいていることを細かに話し合った。
 
4.
 29日朝、私は、そおっと女子学童の部屋のそばの図書室へ入って、バルトーク作曲「10のやさしいピアノ曲」と三枝成彰作曲「ブルドックのブルース」をピアノで弾いてみた。 すると、「ブルドックのブルース」になったら、年中児たちが一人、二人と入ってきて、私の演奏を聴き始めたのである。
 そして、楽譜をめくって「これ弾いて……」を始めた。
 子どもたちは、「ブルドックのブルース」を聴くことができるようになった!。
 私はとても嬉しかった。
 
 保育では、わらべうたをやってみた。
@クリスマスがやってくる
こどもたちとわになって手をつなぎ、歌を歌いながら、左右と前後の動きだけで 動いた。
子どもたちから2回もリクエストがきた。
 
Aたんぽぽ
子どもたちの頭をなでながら拍を取り、最後に「ふっ」といきをふきかける。子どもを抱き上げてタンポポ綿毛に見立ててとばしてあげる。
 
B絵本
 まどからおくりもの
 まるまる
 もこもこもこ
 がちゃがちゃどんどん
 
C私の歌と詩と踊り
 パレード      新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲
 パワフルパワー   新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲
 だっぴ へびいちのすけ     工藤直子  のはらうたWより
 ともだちだい こうしたろう   工藤直子  のはらうたWより
 どっこいしょ きりかぶさくぞう 工藤直子  のはらうたWより
 ソング        新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲
 ともだちになるために 新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲
 
 Dひらいたひらいた
 こどもたちとわになって手をつなぎ、歌を歌いながら、左右と前後の動きだけで 動いた。
 
  私の歌と詩と踊りを、こどもたちは、一部そわそわしたりしながらも、「もういちど」「まだあるでしょう、ぜんぶ……」といいながら、聴いていた。
 そわそわしてしまうのは、その子の神経症が歌や詩の中の「苦しみ」や「悲しみ」や「努力」を強調して聴いてしまうために起こるのである。
 しかし、6ヶ月の間に、この子たちは、自分自身の「苦しみ」や「悲しみ」や「努力」の感情から目を背けることはしなくなったのである。

 最後まで、私の歌と詩と踊りを聴き続けることができたということは、すごいことなのだ。

 自由遊びの時間に彼らが作っていたのが左記の写真の積み木遊びである。
 美しい、そして、静かである。
 このなかにGとAがはいっている。
 「なんのあそびをしているの……」と聞いたら、「おはかあそび……」と答えが返ってきた。

 Eのうちまたが急にひどくなった。
 ものわすれもおおくなり、知能が後退しているようにもみえる。
 Eの脊椎を触ってみると、第4腰椎と第2仙骨第4仙骨の歪みが激しく、股関節に激しい内転障害が起こっていた。
 Eの意識的努力を起こさせていたものがなくなったために、一時的な現象として起こったものと思われるが、経過をよく見ていきたい。
 
 自由遊びの時間に指編みが始まった。
 Cは、「さいごまでやる」といってねばり、初めて完成させた。
 
 
5.
 昼食を終え、事務室に戻ると、副園長先生が、
 「千葉先生、高木さんから聞いたのですが、子どもたちに歌と踊りのコンサートをなさるって言うのは本当ですか?。準備をしなければならないもので……」と話しかけてこられた。
 「ええ、昨日の夜、園長先生と相談してその方向で……となったものですから。……
 クリスマス会で歌って踊った曲がこどもたちがきにいってくれたものですからね。
 先々週、KとJとLを抱いて踊っていたら、もちろん三人はとても喜んでいたのですが、それを部屋の隅でゲームをしていたQとSがちらっちらっとみていましてね、にやらっとしているのですよ。
 そして、Qが近づいてきたものですから、彼を抱っこして『パレード』を踊ったんですよ。すると、Qがとても喜んだんです。
 それで、『私の歌と詩と踊りが学童の子どもたちに受け入れられる状態になってきたのかな』と思ったわけです。」
 そのあと、副園長先生と、私がこれまで年中児たちとやってきたことについて、1時間ほど話をした。
 
 O養護施設をでて隣の幼稚園の前まで来ると、「千葉先生さようなら」という声がした。
 見れば、Mが手を振っていた。
 「千葉先生またきてね……」
 「またくるよ……」
 
 

千葉義行 

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