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レポート4   9月27.28日

   

1.
 9月27日、食堂で4才児の子ども達と昼食を食べ終わったときに、5才児グループの(幼稚園組)Jが私のところにきて、「またやって」といった。
 私は喜んで、Jをそのまま食堂の床に腹這いにさせて腸骨と仙骨のオステオパシィを行い、あぐらをかいた膝の上にJを抱っこして脊椎と肋骨と頭のオステオパシィを行った。
 すると、Kが「ぼくも」とやってきたので、全身のオステオパシィを行った。
 Kの股関節を回しながら「おふねはぎっちらこ、ぎっちらこ、ぎっちらこ」とうたうと、Kは満面に笑みを浮かべていた。
 すると、Lが「ぼくにもやって」といってきた。Lにも全身のオステオパシィを行った。
 Mちゃんは側で見ていたが、私のところへはこなかった。
 
 前傾は、そのとき撮った写真である。
 ファイティングポーズを取るJは、深い他者の記憶に残りたいと思う他者への痛風をもっており、蹴る(恐怖)と叩く(怯え)と噛む(怒り)の行為障害を持っている。 オステオパシィ的には、仙骨と肩胛骨と手骨が大きく歪んでいる。
 鉄砲を撃とうとしているKには、自分が思ったとおりにいじめられてしまう、広義の精神分裂病と怯えがあり、蹴る・つねる(恐怖)の行為障害を持っており、意識障害があるために知恵遅れが起こっている。
 オステオパシィ的には、頭頂骨、前頭骨、後頭骨、側頭骨、腸骨、腰椎、胸椎、が大きく歪んでいる。
 かんむりをかぶっているLには、叩く(怯え)と蹴る・つねる(恐怖)の行為障害があるが、3人の中では一番普通に近い。
 
 9月28日朝は5才児はなしがり遠足ということで、職員2人と出発の準備をしていた。 私が幼児の部屋へ行こうとして通りかかると、Kが「またやって」と私の手を引っ張った。
 そこで、また、3人に全身のオステオパシィを行った。
 「おふねはぎっちらこ」をするときのKの喜びの表情はすばらしい。
 また、Lが私の肩をもんでくれたが、やさしくしなやかに肩に触れていた。
 Kも私の肩をもんでくれたが、私の喉頭部をつかんで握りつぶすような動作をした。Kの意識は私の肩をもんであげようと思っているのであろうが、Kの行為に憑依(Kの精神分裂病から起こるもの)がおこり、Kの意識とは逆の行為をしてしまうのだと思う。
 
 
2.
 27日10:30頃にO養護施設についたので、午前中の4才児の遊びを見ることができた。 4才児達は、3才児達と園庭で遊んでいた。
 自転車は最近乗り始めたもので、AとBはもう補助輪なしで走り回っていた。
 IとDは、3才児と一緒に台の上で遊んでいた。
 この写真では、Dちゃん(左から2番目)とGちゃん(右から2番目)の表情が自然でいい。
 I(左端)A(自転車の左端)B(右から4番目)の表情は、自分の意識で自分の体を動かそうとする広義の脳性麻痺の状態を現している。
 F(右端)の表情は、自分の意識で他者の体を動かそうとしている広義の脳性麻痺の状態を表している。
 E(右から3番目)の表情には、一緒に遊んでいる子ども達への恐怖の感情が現れている。
  Eの意識障害が他の子どもの気持ちをEの意識の中に造りだしてしまうために、Eはひとりかってに他の子ども達への恐怖の感情を造りだしてしまうのである。
  そのために、Eは突然ぐずったり、泣き出したりするのである。
 
 子ども達の園庭での遊びを見ていて、体がよく動くようになり、充実してきたことを感じた。
 欲を言えば、園庭に砂場が欲しい。
 子ども達が裸足で地面の力を感じながら遊ぶことができれば、もっと脊椎と筋肉の発達を促進でき、自己肯定の力を伸ばすことができるものと思う。
 これは、腰椎に問題があるDやEやAにとって重要であろう。
 
 子ども達の肺の発達の促進のために、シャボン玉遊びを次回にしようという提案を担当保母と園長先生にお願いした。

 言葉の発語が遅れているEや、他者との関係がとれないI、D、Fや、自分の肯定が遅れている(すぐ譲ってしまう)Gにとって、しゃぼんだまあそびは成長の促進となるであろう。

ここをクリックしますと、大きな絵を見ることができます。

3.

 9月27日午後は、水彩で折り鶴らんを描いた。
 はじめて、子どもたちに背景の描き方をおしえた。
 絵の具は、赤と、青と、黄色と、白、の4色を使っている。
 
 「始めに、折り鶴らんさんの後ろに薄く色を塗ってあげよう。どんな色にしようかな、お空の色がいいかな、夕焼けの色がいいかな、草の色がいいかな、おみかんのいろにしようかな、ぶどうの色でもいいし、土の色でもいいし……」
 「そう、お空の色にしようか、青をいっぱい入れて、赤をほんの少し入れて、黄色をもっと少し入れて、白をいっぱい入れて、お水をどぼどぼどぼっといれて、お空の色のできあがり」
 大筆の丸筆で、画面のお外からお外まで、左から右、右から左、に交互に水平に描きます。
 「次に鉢の色を作ろう、赤いっぱい、黄色を入れて、青少し、パレットでグルグルグル、茶色になったかな」
 大筆の丸筆で、鉢の上部の横線を水平に描いた後、真ん中に垂直の線を手前に降ろし、となり、となりと垂直の線を描きますと、鉢が描けます。
 「つぎに、葉っぱの緑の濃い方の色を作ろう、中筆で、黄色をいっぱい、青もいっぱい、赤はほんの少し、ばれつとでグルグルグルグル、緑の葉っぱの色ができたかな」
 「その筆の絵の具を絞って、絞って、白をいっぱいつけてパレットでグルグルグルグル、葉っぱのまんなかの白いところの色ができたかな」
「じゃあ、どの葉っぱを描きたい?」
 子どもたちに、描きたい葉っぱを聴きながら、その葉っぱを描いていきます。
 まず真ん中の白い部分を中筆で、その回りの緑の部分を小筆で、根本から葉先に向かって払うように描きます。
 
 始めて背景を描いたが、背景は、その子の折り鶴らん(他者の判断を表象している)への感情を表している。
 この、背景の色はどの作品もすてきである。
 みかんいろは、自分の現在の暖かさと安心を現している。(G、F、D) お空の色は、自分の体の気持ちよさを現している。(I、E、C)
 草の色は、自分の他者の判断への共感を表している(H)
 ぶどういろは、自分も他者のようにありたいと思う気持ちを表している。(B、A)
 Gと、Hと、Aのお花が、彼らの喜びを表していていい。
 
 コミュニケーション障害としての意識障害は、4才児の年齢で葉っぱの真ん中の色に濃い緑の色を添わせて描けないところに現れている。
 自分の体の感情に自分の意識を添わせることができない。(B、C、E)
 自分の判断に自分の意識を添わせることができない。(A、E)
 自分の感情が聴こえない。(I)
 他者の感情に自分の意識を添わせることができない。(I、B、E)
 他者の認識に自分の体を預けられない。(I、E)
 
 

4.

 9月28日、午前は、わらべうたあそびを行った。

 9時、保育の始まりの時に、みんなで「そらをみてたら」を歌ってくれた。
 さかな、うさぎ、りんご、みんなで振り付けを考え、すてきな表現である。(写真)
 子ども達の体が自然を聴き始め、それを体が意識に伝え始めていることが感じられ、私はとても嬉しかった。
 
 わらべうたあそびは、「いちばちとまった」、「たんぽぽ」「5つのメロンパン」を行ったが、B、F、Eが途中で脱落した。
 子ども達は、先生と自分、私(千葉)と自分の関係はとれるようになってきたのだが、わらべうたでみんなで輪になって遊ぶときには、お友達の気持ちを聴こうとする緊張が起こり、急速に疲れてしまうのである。
 
わらべうたは20分ほどで終了したので、残りの時間は、外の公園に虫取り散歩に出かけた。
 
 O養護施設の周囲には200m以内に3つの公園がある。
 2つは小さく、1つは大きな公園である。
 小さな公園をはしごしながらバッタを捕り、それから大きな公園へ行った。
 大きな公園でD−51のSLを見、木の実を拾い、芝生の上でかけっこをしたりでんぐりがえしをしたりして遊んだ。
 子ども達の表情はとても喜ばしかった。
 帰りに、Iがおんぶをせがみ私の背中から離れなくなった。
 また、Eが突然めそめそして動かなくなった。
 BとFは、みんながまとまって帰ろうとしているのに、一人だけでさっさと帰ろうとする。
 保母のTさんいわく、「BとFはいつも団体行動がとれないんです。」
 
 施設に着いたところでIを背中から降ろしたが、「おんぶ」と言ってIは泣き出した。
 Iは渡り廊下で泣いてぐずり、そのまま眠たくなった。私は、その間、ずっとIの背中をさすり、頭をオステオパシィし続けていた。
 Iはそのまま保育室で寝かせることとし、抱っこして運び寝せると、すぐ眠ってしまった。
 Iは、まだ他者の感覚に自分の意識を開くことができる時間が少ししか持てないのである。
  この意味での精神年齢は1才半であり、ゆっくり保母達がIとつき合って行く他は方法がないと思う。
 
 
5.
 前回の訪問の時に、朝の職員の打ち合わせで、職員は胸から声を出そうという話をした。 人間の発声には、頭声と胸声と、腹声があり、新劇やベルカント唱法は主に頭声を使い、狂言や詩吟や和歌の朗詠や長唄は、胸声を使い、謡曲は腹声を使う。
 保母が頭声を使うと、前後に声が響くために、威圧感があり、子どもたちにとって〜させられようとしているという感覚が意識の中に起こってしまう。
 保母が胸声を使うと、左右に声が広がり、子どもたちにとって〜させられようとしているという感覚が意識の中に起こらないために、自分の内界からの本当の思いを意識しやすくなる。
 保母が腹声を使うと、垂直に声が広がり、子どもたちにとって自分の感情が強調されて聞こえてしまうために、自分の内界からの本当の思いが聴きとりにくくなってしまう。
 だから、子どもと話す場合は、もちろん大人と話す場合でも、相手が自由に自分自身の本当の思いを意識できるように、胸から声を出そう、という提案だった。
 
 27日の昼ご飯の用意ができたことを告げにきた職員は、胸から声が出ていた。
 「あっ、私が言ったことが今ここでできている。」
 私はそのとき、大変幸せであった。
 
 2000年10月 5日
千葉義行

 

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