O養護施設レポートへ戻るレポート7 第11回目の訪問 11月10.11日
1.
11月10日は、11時頃にO養護施設についた。
保育室の前を通ると、「シャン・トン・シャン・トン」と、きれいにそろった鈴とタンバリンの音が響いていた。この音がすがすがしく私の胸に響いてきた。事務所に行くと栄養士のAさんがいたので、「荒れる子供たちに対する給食からのアプローチ」を渡した。さらに、私が持ってきた自然塩「シママース」と現在使っている精製塩を、Aさんの体でOリングテストした。すると、精製塩を左手の平に置いたときは、右手のリングが少し力が抜ける程度であったのが、「シママース」を左手の平に置いたときは、右手のリングに大きな力が入り、「あら、私ほとんど力を入れていないのに、すごい!!」「ね、あなたがこの塩を触ってこれだけ力がみなぎるのだから、子供たち一人一人がどれだけ効果があるか……、とにかく実験してみな。……」2.
外にでると、子供たちは落ち葉を集めてたき火をし、焼き芋を作っていた。
昼食は、はじめて3才児のNとOのわきで食べた。昼食は、山菜そばであったが、Nはなかなか食が進まなかった。私が山菜を取り除いて「残りを全部食べよう」というとNは全部食べてしまった。
Nには、山菜に対するアレルギーがあるのである。Nが食事をしている間、私は彼の脊椎と頭のオステオバシィを行った。脊椎を触っているときは体をゆだねてくれるが、頭を触ろうとすると嫌がる。視床に鬱病系の微細障害があるのではないかと思う。3.
午後は、明日の報告会の準備のために、絵を描くのはお休みにしてリズム遊びをすることにした。
はじめ、子供たちは自由遊びをはじめた。
大きい積み木遊び、ブロック遊び、お人形遊び。左中央の写真の後ろ側には、お人形がお布団に寝かせてあるのだが、Gのやったこの仕事の外側に、きれいに大きい三角と四角の積み木が並べられてある。
これは、Eのやった仕事なのである。Gのお人形達がもっと眠れるように、Eはお部屋を作ってあげていたのだ。このとき、Gの気持ちをEは深く聴いていたのだ。その後、子供たちが私にじゃれついてきたので、一人一人の子どもへ仙骨と腸骨のオステオパシィをはじめた。そして、側に保母の高木さんが居たので、自然に彼女に腰のオステオパシィを教えることができた。右の仙骨と腸骨を治すには、
先生は、左手の掌を仙骨に当て、右手で右足の関節の少し上を持ち、右足を外に開いたり内に閉じたりする。左の仙骨と腸骨を治すには、
先生は、右手の掌を仙骨に当て、左手で左足の関節の少し上を持ち、足を外に開いたり内に閉じたりする。G、B、Eの気持ちよさそうな顔を見ていただきたい。この、仙骨と腸骨のオステオパシィによる治療は、神経系の仙骨と腸骨での詰まりを解決し、成長痛や、行為障害や、痛風を治すための大切な方法の一つなのである。
おやつを食べてから、こどもたちは鈴を足につけ、タンバリンを持った。こどもたちが毎日歌っている歌を最初に歌った。これがの左の写真である。次に、「そらをみてたら」を歌った。右の写真である。特に、左の写真を見ると感ぜられると思うが、子供たちの足腰がしっかりしてきている。心臓の鼓動をしっかり感じることは、しっかり歩くことから始まる。足を踏みしめて歩けない子どもは、転びやすかったり、手足が冷たかったりしている。
また、しっかり歩けない子は、リズムが取れなく、分数が苦手になるのである。リズムは数学的認識と深く関係している。2拍子は1/2を3拍子は1/3を、4拍子は1/4を、5拍子は1/5を、6拍子は1/6を、7拍子は1/7を、9拍子、1/9を、12拍子は1/12を、体の感覚として現しているからである。したがって、リズムを取れる子どもは、分数に出会ったときに、それを思考で苦しむのではなく、直感で理解してしまえるのである。日本の現在の教育の現状を見ていると、手遊びや手のリズム遊びはしているが、足の意味を重視していない。足が基本拍をしっかり打っていることを感覚し意識しながら、手の自由なリズムが楽しめるようになる必要があるのである。基本拍が感覚し意識されていないと、各拍子の持つ意味が重なったり失われたりしてしまい、算数障害から、国語障害を起こしてしまうのである。私は、この日、コロイ社の5角形の木製太鼓を子供たちといっしょに使いはじめた。この太鼓は、写真のように、ひざのうえにのせ、手のスナップを利かせてトンと打つとすばらしい響きが帰ってくるのである。手の平で押さえつけてしまうといい響きが起こらなく、力任せに叩いてもいい響きは起こらない。私が見本を見せ、子供たちに貸すと、すぐいい音がでるようになった。子供たちの広義の脳性麻痺と広義の自閉症が相当癒され解決してきたからである。広義の脳性麻痺と広義の自閉症が解決されていないと、手の平で押さえつけたり、力任せに叩いたりしてしまい、音楽が起こらないのである。
4.
11日、朝食を子供たちといっしょに取った。
Lがお当番でフォークをみんなの席に配っていた。楽しそうで元気だった。Eの兄が手招きしたので、彼の側に座って食事をした。Jがその後やってきて私の隣に座ったので、「ああ、ここに座ってよかった」と思った。私は、朝食を食べ終わると、Jの足の関節に触り、「まだ、足は痛くなるのかい?」と聞いた。Jはこくっとうなずいた。「食べ終わったら、治してあげようね。」こくっとうなずいたように見えたのだが、彼は食事を終えると部屋の戻ってしまい、もうこの日は彼に触れなかった。中学3年の男の子がいっしょの席で食事をしていたので、私は、彼の後ろへ回り、脊椎のオステオパシィをはじめた。彼は、私のされるがままになっていた。私は、咳がでるのをじっとこらえていたが、だんだん激しく咳がでるようになった。すると、周囲の子供たちが笑いはじめた。子供たちが笑いはじめたことは、私のオステオバシィと咳に対して、恐怖心を抱いていないことを現している。私はほっとした。彼の腰椎をオステオパシィしたり、額と後頭部を私の両手でサンドイッチのように押さえると、私から多量の咳がでる。これは、彼に深い鬱病があるからなのである。深い鬱のために、彼は、常に頭の中がぼーっとしてしまい。学習の効率は非常に低下してしまっていると思われる。中学3年の男の子がもう一人いるが、彼もまた、深い鬱病を持っているように思われる。養護施設の子供たちで、学校の授業に付いていけない子供たちが多いことの原因の一つが、この鬱病にあると考えられる。養護施設にいる子供たちは、深く他者の気持ちを聴こうとする優れた感受性の持ち主が多い。しかし、他者の気持ちを支えようとしても、なかなか自分と他者を取り巻く環境が動かないという現実の前に、焦り、絶望し、また、思考意識で「焦りと絶望」の感情を繰り返し、鬱病を進行させてしまうのである。その後、幼児達のところに行った。幼児達が私に抱っこされにやってくると、担当の先生から「Oを見てやってください。アトピーがひどくて」といわれた。Oをオステオパシィしていると、女の子達が寄ってきた。そこで一人の女の子の足を見て、「足の先いたくない?」と聞くと、「いたい」という。 左足の小指が内側に変形している。足の指を一本一本オステオパシィし、足指を私の手でサンドイッチにして「暖かい、暖かい」と声をかけながら暖めた。手足が冷たい場合には、神経症、リューマチ、痛風、アレルギー、のどれかを持っていると考えてよいのである。この子の場合、すでに小指にリューマチ性の変形が起こっている。リューマチを持っている子は、同情しやすく、ひとの代わりに自分がやってしまうことが多い。他者の代わりに自分が悲しんだり苦しんだりしてしまうことも多いのである。その後、Lが「ジージーやって」といってきた。食堂でLのオステオパシィをした後、彼は私をテレビの部屋へ連れていった。 そこでもう一人男の子をオステォパシィした。終わった後、その子は「ありがとうございました」といった。「ありがとう」の言葉を子供たちから聞いたのは、これがはじめてではなかったろうか?5.
11日朝の保育は、午後の報告会の準備のために、3才児と4才児を合同で保育した。 室内での自由あそびをさせて置いたが、N、O、P、の3才の3人が入ることによって、HとEと3才児達にトラブルが起きた。
観察していると、先に叩くのは3才児の方で、HとEは叩き返す、すると、3才児が泣くのである。泣いている3才児を抱き上げ、少しずつオステオパシィして行くと、側頭骨と頭頂骨と前頭骨に激しい気の集積がある。3才児の方がHとEの感情を広義の分裂病で誤解し、行為障害を持っているために手を出してしまうのである。HとEは、4才児の他の子どもと比べてまだ行為障害の分量が多いために、3才児を叩き返してしまうのである。Iが新聞紙で「紙鉄砲」を作り遊んでいた。すると、他の子供たちも「作って」と寄ってきた。Nもまた「作って」と寄ってきたので、「紙鉄砲」を作ってやり、しばらく遊ぶと端が壊れた、すると、「もういらない」という。今度は、「飛行機を作って」という、飛行機を作ってやると、「それは違う」といい、それから10分ほど私に向かって、「ちばせんせいのばか」と言い続けていた。3才児、特にNは、まだ、自分の外の世界を自分の意志で動かそうとし続けている、4才児の本年6月の段階にいるのである。6.
11日午後は、「O養護施設報告会」が行われた。
4才児達は、2時に会場に入り、「もりのくりすます」と「そらをみてたら」を歌い、「うちのせんだんのき」を歌いながら退場した。元気に、にこにこしながら歌うことができて、とてもよかったと思う。