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レポート15 第16回目の訪問 11月6日7日

針仕事している側で子どもが粘土をしているなんて、普通の家庭ではあたりまえだよね。

1.
 6日11時にO養護施設についた。
 こどもたちは粘土を楽しんでいた。
 おだんごを作ったり、お皿を作ったり。
 ボランティアの方が雑巾を作っているそばで、つくっては壊し、つくっては壊し……
 私は、こどもたちから、お団子をたくさんもらって食べた。
 「わたしは、職員に、自分たちが仕事をしている側でこどもたちをあそばせておけばいいのよ、といっているのよ。
 それが自然だもの、家庭の中はいつもそうだものね……」
 「ほんとにそうだわ……」
 三瀬さんとボランティアの方が会話をしていた。
2.
 子ども達が午睡している間に、実習生の反省会があった。
 「こどもたちは泣いたり、すぐ元気になったりくるくる変わるんですね。
でも、いっしょにいるとなついてきて。」
「うんうん、私たちお母さんの役割だから、肌のふれあいって言うかな、いっしょにいることが大事なのよ。」
「ここ(O養護施設の幼児部)ではね、Aちゃん(アレルギーが深く心臓に奇形があった。言葉の発語が遅い)のためにおんぶに取り組んだんだ。
おんぶすれば両手が開くから、おんぶしながら他の仕事もできるしね……
すると、他のこどもたちもおんぶをしたがってね……
すると、全部のこどもたちの体がやわらかくなったんだな。
7ヶ月前には抱っこしても体がそっくり返っていた子ども達が、職員に身を預けられるようになった。抱っこしていても、おんぶしていても、子ども達が僕らの気持ちを味わって聴いているんだなあって、感じるようになったよ。」
「千葉先生にもいっしょにいてもらえましたから。」
「ここ(O養護施設)の職員はえらいよ。
先日の報告会で園長先生がおっしゃっていたけれど、『規則から自由へ』って去年の4月から方針が変わったでしょう、職員は大変だったでしょう。」
「ええ、それまでは規則や慣例で決まっていましたからね。全部自分で考えなければならないのは大変……全部責任が自分に来るし……
園長先生に相談に行っても、だいたいのことは、あなたのやりたいように自由におやりなさいといわれるし。……
でも、やりがいがあるよ……」
「考えてはだめなんだよね……
その子にはその子のリズムがあり、子ども達が集まれば、そのこどもたち全体のリズムが起こる。職員の役割とは、こどもたちのこのリズムを聴き、このリズムに乗ることなんだ。
保育は『晴耕雨読』でいい、晴れればこどもたちとお外でせいいぱい遊べばいいし、雨が降ったらお部屋でわらべうたや絵本やお絵かきや積み木遊びや集中して遊べばいい。
これは、どう考えてみたって自然のリズムだもんね。
朝ごはんもお昼ご飯も夕食も、おしっこうんちの排泄も、お昼寝も夜のお休みも、おはようも、お着替えも、その子自身のリズムと、こどもたち全体のリズムが複合して起こってくる。
僕らがこれらのリズムを聴き、これらのリズムに乗ると、こどもたちは自由に生きられるんだ。
こどもたちに起こる最初の変化は、こどもたち自身が自分を肯定することだね。
表情の動かなかった子がにこにことするようになる。
機械的な動作をしていた子どもがスムースな動作をするようになる。
自分の頭を床にぶつけるような自傷行為をしなくなる。
抱っこしても、そっくりかえらなくなる。
幼児部の7ヶ月の取り組みで、こどもたちのこの4つの変化ははっきりと自覚できるようになったと思うんだけれど。」
「AとEの自傷行為はなくなりました。
Bの表情が豊かになりました。」
「こどもたちの乱暴な言葉はなくならないんでしょうか。」
「これは、大変難しいことなんだね。
こどもたちは今、自分がうれしいことを意識できるところまできたね。
だけど、「他のこどもたちは自分と同じ事を考えるべきだ」とおもっているんだよ。
すると、自分の思いで他の子どもの思いを考えちゃっているね。
それぞれの子どもはそれぞれ違った役割を持っているから、(それが個性だから、)違ったことを考えていていいんだけど、相手の気持ちを聴くことができなければ、相手の思いと自分の思いを総合することができないよね。
今の幼児さんたちにはそれができていないんだ。
去年の4月以降の方針転換の後、O養護施設の職員は、ひとりひとりのこどもたちの気持ちを聴こうとしてきた。そして、ひとりひとりのこどもたちの気持ちが聴こえるようになり、ひとりひとりのこどもたちをフォローできるようになった。
だから、子ども達が自分自身を肯定できるようになった。表情が豊かになった。
幼児さんたちの次の目標は、『お友達の気持ちを聴きそれに乗れるようになること』、つまり、『私たち職員と同じレヴェルまで成長すること。』なんだね。
4月に僕は、『一緒に手をつないで、わらべうたの役割交代ができるようになるといいね』っていったね。当面、これが目標だね。
G、C、Eが、全員の輪に入って、わらべうたの役割交代を楽しめるようになったら、ずいぶん問題が解決してくると思うよ。」
3.
 おやつを食べてから、私は、4月に使った鈴を出してきた。
 A、B、F、D、は、鈴をつけて歩き回る。
 わたしは、「でんしゃになれー」と言って、「もりのくりすます」を歌いだした。
 Aと、Bと、D、が電車につながってきた。
 そのあと、「いちばちとまった」をA、B、D、とした。
 彼らは何回も「いちばちとまった」を繰り返した。
 今日もY(1年生)は幼児の部屋に遊びにきていた。
「きょうは絵を描かないの?クレヨンで絵を描きたい。」
「きみが描くと、他の幼児たちもみんな描きたいと思うからね……」
 幼児たちのお風呂の時間に、職員室でそっと教えた。
 画面分割
「どのいろえらぼかな」
と、子どもの手をとってクレヨンの各色の上を触っていく。すると、子どもは自分の描きたい色を選べる。
「たてかな、よこかな、ななめかな、まるかな、くるりんこかな、ぐるぐるかな」
と、子どもの手をとって図形を描いてみる。すると、子どもには自分の描きたい線が分かる。
 線での画面分割が終わったら、
 「どのいろぬろうかな」と、子どもの手をとってクレヨンの各色の上を触っていく。すると、子どもは自分のぬりたい色を選べる。
 「どこをぬろうかな」と、子どもの手をとって分割された面の一つ一つを触ってみる。すると、子どもは自分がどの面を塗りたいのかわかる。
 これを繰り返して上の絵を描いたのである。
 しっかりした分割の線。
 色のバランス、秩序が良く捕らえられている。
 Yの本当の心の中は、他者への思いであふれているのだ。
4.リューマチ
夕食後、幼児の部屋に子どもたちが集まってテレビを見ていた。
ふとみると、Yの足の親指が膨らんでいる。
私は、Yの足の親指に触りながら、「親指はいたくないのかい?」と聞いた。
「10月に痛かった」
「せんせいにはいったのかい?」
「うううう」首を振った。
「体のどこかが痛いときは必ず先生に言うんだよ。」
私は、音叉を取り出し440h・ラの音を出し、「ラー」と発声しながら脊椎の音程のフォルム治療を始めた。
足にリューマチが溜まっていると脊椎が歪み、正しい意識の状態が歪むのである。同情しやすくなったり、他の人のすべきことを自分が代わりにやってしまったり、行為障害が起こったり、思春期分裂病が起こりやすくなったり、知恵遅れを起こしたり……
少年期からこれほど曲がっている子がいる。……
 Yを治療していると、R(年長)が、「わたしもやって」とねだってきた。
 親指が膨れていて、人差し指、中指、小指の関節がすでに変形している。
 「いつ痛かったの?」
 「9がつに痛かった。」
「体のどこかが痛いときは必ず先生に言うんだよ。」
Rの脊椎の音程のフォルム治療をしていると、F(4才)が「私にもやって」とねだってきた。
よくみれば、Fもすでに親指の第1関節がまがっているのである。
幼児のお部屋のテレビを見ているこどもたちに中に、3K君(小3)がいた。
「僕も見て」と言うものだから、足に触ったら、全部の足指が熱を持っていた。
「今、足の指は痛いんじゃないの?」と聞いたら、「うん」という。足指の関節炎が進んでいる最中であったのだ。
足指だけでなく、すねが痛いことがあったという。
3M君の脊椎の治療はたいへんなものだった。
第2胸椎、第4胸椎、第7胸椎、第2仙骨、第6仙骨、第1頚椎、第4頚椎、第5頚椎、第10胸椎、第2頚椎、第2腰椎、第1仙骨、第3仙骨、第5仙骨、
1時間治療を続けた。
足指の火照りがだいぶ取れた。すねも温かくなった。
「どうだい、すこしはすっきりしたかい?」と聞くと、
「あたまがすっきりした。」と答えが返ってきた。
リューマチから、深い鬱病と神経症が起きていたようである。
翌日担当の職員と話をしたが、
「O養護施設ではとてもおとなしいのですが、学校で突然『わー』となることがあるんです。」
「そうか……、3Mは自分を押さえることが多いからね。そこが鬱病でもあるんだけども、いっぱい溜まってしまうと、『わー』といって出してしまった方が良くなるよね。
とにかく、こどもたちの足指には気をつけてね。
足が痛いことって子どもは大人に言わないんだよ。
だから、こっちからフォローしないとね、……」
2S君(小2)も、幼児のお部屋に遊びにきていた。
 「ぼく、平熱が高いの、ここに来たときはまいにち40度の熱があったんだよ。」
 足の写真をとると、足全体が激しくむくんでいた。
「きょうは3Mくんでいっぱいだから、こんどきみをみてあげようね。」
 「ぼくもやって」
 L(4才)がせがんできた。
 「きょうは、3Mくんでいっぱい、こんどね、……
足の写真だけとっておこう。」

 Lのあしもふしくれており、人差し指と中指の第1関節がすでに変形していた。

5.
 7日朝6時半に幼児のお部屋に行く。
 こどもたちの目覚めは……
 気持ちがよさそう。
 B、K、A、のあしをつかんで、
 せんぞうやまんぞう
 おふねはぎっちらこ
 ぎっちらぎっちらこげば
 みなとがみえる
 えびすかだいこくか
 こちゃふくのかみよ

足首をつかんで、「ぶるぶるぶるぶる ぶるぶるぶるぶる」

6.
 朝食の後、クレヨンで絵を描きたいという。
 それぞれのクレヨンを出して自由に描かせた。
A(3才)
黄色、灰色、ピンク、青、
丸がしっかり描けるようになってきた。
B(3才)
灰色と青とピンクでぴっかぴかになるまでぐるぐるを描いていた。
クレヨンで描くと、色は重ねれば重ねるほど力強くなる。
この絵は、Bの肉体の喜びを現しているのである。
C(3才)
茶色、緑、青、黒、黄色、
「ぐるぐるぐるぐる、おおきくなって、おひさまになれー」
が、できるようになってきた。
黒へのこだわりが早くなくなるといいね。
D(3才)
左、ぐるぐるおひさまが、力強い。
E(3才)
先生と一緒に描いたのだが、これだけ教わろうとすることができるEの姿は始めてである。
F(4才)
いろんな色を使って楽しく描いている。
自分の名前をいっぱい書いたのは、「たのしいから」なのである。
G(4才)
「千葉先生いっしょに描こう」
彼は私といっしょに描きたかった。虹が美しい。
9.
 わたしは、クリスマスの絵本として、ルーシー・カズンズの「ノアのはこぶね」を持参してきていた。
 こどもたちに読み聞かせてみる。
 ノアの箱舟に乗った一つ一つのどうぶつたちをゆびさしながら喜んだのは、CとEの二人だったのである。
 「あっ、ワニさんがいる。きりんさんがいる。はちがとんでる。ちょうちょうがいるよ。ばっただよ。へびがいる。おさるさんだ。……」
 Aを抱っこして歌っていると、Fが「わたしのばん」と言って割り込もうとしてきた。
 「まっててね。」と言って、ひとしきりAの相手をしていたら、
 「ずるい、千葉先生は、Aばっかりで、ずるい」
 といって私をたたいて、30分ほど泣き喚いた。
 わたしは、ずっとFのあいてをして、彼女を抱きしめていた。
 「なんでよう、……だめなんだからよう……、じごくにおちるんだからよう……、てめえなんかよう、」
 「あらあら、どこでそのことばを覚えてきたんだい……」
ふと脇を見ると、Gが、CとBのてをとって「あぶくたった」をやっていた。
 とにかく、ひとりひとりのこどもたちが、今、自分が生きていることを「うれしいな、すてきだな」と思えていること、は実現したのだ。

 お友達の気持ちが聴こえて、お友達に気持ちにあわせて自分が行動できるようになるのは、もうすぐだ。

 

2001年11月19日

千葉義行

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