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レポート19 第20回目の訪問 12月25日26日

おててはパー、人差し指でするするするっと手前に引っ張ってごらん……じょうず!いいおとでしょう……

1.
 25日10時半にO養護施設についた。
幼児のお部屋について扉を開けようとすると開かない。
「すみません、学童のこどもたちが休みなものですから、朝からべったりと幼児の部屋で遊んでいて……、私もできるだけ受け入れてやりたいんですが、幼児たちのリズムが壊れちゃうんで、おやつの時間だけ学童の出入りを禁止したんです。」
「そうですか……、学童の子ども達は、まだ幼児たちのリズムを感じて自分が何をすべきか判断できるようにはなっていませんものね……。」
私も、おやつのフルーツをいただき、その後で、三瀬先生にPペーパーに描いた人形を動かしてもらいながら、「もりのくりすます」を、ライヤーを弾きながら歌った。
幼児たちは、まだPペーパーの人形を自分で動かしたくて、なかなか歌とお話が進まなかった。
去年の年中児たちは座ってじっと絵本やパネルシアターを見ていることができたのだが、今年の子ども達はそれができない。
去年の年中児たちには、自分の体を保育者の意識によって動かそうとする「痛風」があった。だから、相当まとまった行動もできていたのである。
今年の保育では、『こどもたちの自由な意志が育つまで待とう』という方針を貫いてきた。すると、ひとりひとりの子どもの『自我の問題』が相当深く解決できるまでは、『バラバラの行動を取るこどもたち』の現象は無くならないのであろう。
昨日の夜、子どもたちのまくらもとにはクリスマスプレゼントが配られた。
 今朝、子ども達はプレゼントを見つけ開けて遊び始めたところであった。
 大量のプレゼントの中で子ども達は緊張の状態にあった。
 「わたしもこんなにたくさんのプレゼントの中でこどもたちのリズムが崩れてしまうことがどうかと思うんですけど……。」
 「そうだね……、われわれの家庭ではこんな豪華なプレゼントをすることはないものね……。
 でも、みんなの善意だからね……。
 このプレゼントをもらって、こどもたちの体は確実にあたたかくなっているんじゃないかな……。」
 こどもたちがプレゼントに夢中になっているすみで、私はライヤー(シュタイナー系の楽器製作者たちが20世紀になってから作り出した小型のハープ)を弾き始めた。
 すると、DとGとAとBとFとLがひとりずつ、私のそばに来た。
 「かして」
 楽器を持っていこうとする。
 「だあめ」
 子どもをひざの上にだっこして、子どものひざにライヤーをのせ、
 「おててはパー、人差し指でするするするっと手前に引っ張ってごらん……じょうず!いいおとでしよう……」
 子どもたちはじつに素敵な音でグリッサンドを鳴らした。指と手首の力が見事に抜けていたからである。

2.

 午後、食堂でS、N、R、Oの年長児たちにライヤーを触らせてみた。
「おててはパー、人差し指でするするするっと手前に引っ張ってごらん……じょうず!いいおとでしよう……」
彼らも最初からすてきな音を響かせることができた。
グリッサンドの練習から、
「ひとさしゆびをのばして……」
いちおんいちおん確かめるように、「もりのくりすます」のメロディを彼らの指から流れ出させた。
「もうわかった、じぶんでできる!」
RとOはすぐに人差し指を折り、弦を指の力ではじこうとした。
「ゆびはのばしてひくんだよ。」
「うそ!……千葉先生はこうやってひいていたじゃない!……」

ライヤーを触った後に、わたしはピアノを弾いて歌い始めた。
「クリスマスがやってくる」
「かさ」
「ソング」
「きみとぼく」
「ひとつの歌から」
「あしたがすき」        すべて新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲

年長児たちは、幼稚園でうたっている「かさ」が大好きで何回も一緒に歌った。

 あめのひ きみは げんき
 はなうた なんか うたう
 はやくおでかけしよう と
 げんかんさきで まっている
   かさ かさ きょうは あさから
   きみの すきな どしゃぶり
ぬれると きみは げんき
かってに くるくる まわる
まいにち かさたてのなか
ねてばかり だったからね
   かさ かさ きょうは あさから
   きみの すきな どしゃぶり
あめあがりの べらんだに
ひらかれて ひなたぼっこ
たまには おてんとさまと
おはなし するのも たのしいね
   かさ かさ きょうは あさから
   きみの すきな どしゃぶり
      そらには にじのリボン
      あめふりのひも いいもんだ

そして、教会の日曜学校で何度も歌った「もろびとこぞりて」を10回も繰り返しうたった。

  もろびと こぞりて
  うたい まつれ
  ひさしく まちにし
  主はきませり
  主はきませり

  主は 主は きませり

 悪魔の 人牢を
 打ち砕きて

 〜

3.

4時過ぎに、今日のクリスマス会のためにピアノ演奏を頼んだ照井君がO養護施設に到着した。
 彼は幼児の部屋につくなり、こどもたちと遊び始めた。
 Fは、クリスマスプレゼントにもらった「くつやのマルチン」の絵本を、なんども、なんども、彼に読んでもらっていた。
 そのあと、彼は学童のこどもたちと2階の彼らの部屋に遊びにいった。
 照井君は、昨年の12月と1月にO養護施設をたずねていた。

 こんどは3回目の訪問であったのである。

4.

 クリスマス会のために早めの夕食をとっていると、小学5年生のA5が私のそばに来た。
 「千葉先生、ごほごほってどうしてやっているの?」
 「ん……、体の骨を触っているとさ……、
 その子のだるいところとか、くるしいところとかが、千葉先生の咳になって出て行くんだよ。
 きみにもやってあげようか?」
 彼女は素直に私に触らせてくれた。
 胸椎、腰椎、仙骨、頭骨、頚椎、肩甲骨、鎖骨、肋骨、30分ほどの間に大量のコミュニケーション障害が彼女の体から抜けていった。
 彼女の体と心はとてもしっかりとしたものだった。
 「ありがとうございました。」
 「やあ、そういわれると嬉しいな。
 記念撮影をしようか。」
 A5は、友達と3人でポーズをとった。
 A5との接触は、これが2回目であった。
 1回目は、10月のO養護施設報告会のときに、会場の小学校の校庭でA5と彼女の仲間のダンスを私がほめたときであったのである。
 「 このまえのモーニング娘はとてもよかったなあ、かんげきしちゃったよ。」

5.

 6時からクリスマス会が始まった。
 園長先生の「はじめの言葉」のあとに、「もろびとこぞりて」が歌われた。
 Rを中心とする年長児たちの歌声が強く私の耳に飛び込んできた。
    ……主はきませり……
    ……悪魔の人牢を打ち砕きて……
第2部はO養護施設を支える外部の方々の出し物や、園児の出し物だった。
 琴の演奏に続いて、ライヤー友の会によるライヤーの演奏があった。
 私が始めてO養護施設にライヤーを持ち込んだ日に、ライヤー友の会によるライヤーの演奏があったのである。
 ライヤーは胸に抱えて音を出すために、共鳴板の振動が胸に伝わり、胸を開く力がある。
 また、一音一音自分の息づかいとともに胸の中心で音楽を聴きながら演奏するために、頭・思考ではなく、腹・感情でもなく、胸・(肉体と精神が一致した認識)で聴くことができるようになるのである。
 ライヤー友の会の演奏は、かそやかではあるが、演奏者たちの人間としての真の姿を伝えるものであった。
 会場には、「千と千尋の神隠し」の音楽も流れた。
 宮崎駿監督のこの映画のなかで、ライヤーが使われたのは、ひとつの大きな意味のある偶然だったのだ。
 学童と職員による「ゴスペル」、男子学童による「かさじぞう」、もよかった。
 なによりも、こどもたちが「クリスマス会」をたのしんでいるのがよかったのである。
 大きな声をだす子も、はしゃいでしまう子もいたが、自分だけの世界にいる子や、そっぽを向いている子がいなかったのである。
 「私は、前の園長先生のときのクリスマス会を知っていますけどねえ……。
 そのときは、子どもたちがみんなピシッとしていて、微動だにしなかったんですよ……。」
 OBの職員の方が話しておられた。
幼児たちの「おおきなかぶ」は、彼らの体の「力」を感じさせるものであった。
 一人ずつ舞台に上がり、おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみ、が、カブを引っ張るということだけで、彼らの体の喜びを会場のみんなに伝えることができたからである。
 照井君は、ラフマニノフの前奏曲ニ長調を弾き、私は即興でオィリュトミーをした。
 内界の人間の思いが、ゆっくりと現象界に実現していく。
     ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、………
         まつこと、まつこと、まつこと、まつこと………
 そのあと、「クリスマスがやってくる」を照井君の伴奏で歌って踊った。
 こどもたちの体が大きく動いていた。
 A5を中心とした女子学童のモーニング娘の踊りはすばらしかった。
 体の緊張が無くなり、体そのものが剥き出しになって踊っていたからである。
 「モーニング娘そのものよりずっといいですねえ。」
 照井君が脇でつぶやいた。

 「クリスマス会」には、昨年O養護施設を出て行った先輩たちが来ていた。
 「クリスマス会」のあとで、O養護施設の食堂で懇親会があったが、先輩たちは懇親会にも出席していた。
 「先輩たちがここにこれるってことは、すごいことなんですよ。」
 「ここ(O養護施設)が、楽な雰囲気になりましたからね。………
 職員の成長がいちじるしいですよ。
 『こどもたちの真正面にいて、彼らを尊敬しつづけていれば、彼らの力で真っ直ぐに育ってくるんだ。』ということが、職員の経験となってきたことがおおきいですね。
 ここに暴力の事件が起こったのは、『子どもを正しく育てなければならない』と思ったからで……、『なぜ、お前は、曲がったことをするのか!』と怒ったからで……、暴力を振るった本人はいまだに自分は間違ったことをしていないと思っているでしょう。」

6.

 宿泊所で照井君と日本酒を飲みながら話をした。
 「ライヤーの音はどうだい?」
 「胸に振動が伝わるんですね。」
 「今日こどもたちに指導してみてね、グリッサンドを楽しませることがこどもたちの胸を開け、脊椎骨のフォルム治療を効果的に進める力になることに気付いたよ。
 それとね、胸椎と肋骨がフォルム治療的に治ることが精神分裂病を治す重大な鍵だと思っていたんだけど、ライヤーがその大きな武器になるね。」
 「おじさんが言うとおり、Pくんは気分が変わりやすいですね。」
 「そうだろう、よく観察していても原因がはっきりわからないときに彼の気分が変わってしまう事が多い。だんだん減ってきてはいるんだがね。
 彼の相手をしていて、彼がしっかりと僕らとの接触を楽しんでいると感じられるときと、彼の気分が変わってしまい僕らが彼の意識にコンタクトできなくなるときがある。
彼の気分が変わってしまい僕らが彼の意識にコンタクトできなくなるときの割合が多いと、彼の意識の経験の部分が蓄積されないために知恵遅れが起こってしまうんだ。
 日常の保育では、脊椎と背中の筋肉をよくマッサージしたり、水遊び、どろあそび、をたくさんさせたり、足を踏みしめて行進したり踊ったり、言葉の絵本を繰り返し読んだりすることによって、意識の中心に彼の本当の意識を固定し育てる作業をするんだ。
 Pはここ(O養護施設)にいることによって、分裂病と知恵遅れが大変改善されているんだよ。」
 「僕は、ピアノを弾くときに胸の中心で聴くのかなあと思い始めたんですが、ライヤーの演奏が胸で聴きながら、音が胸に響きながら、というのはそれと関係するんですか?」
 「音楽を演奏するときに自分の意識の中心をどこに置くかということは重大なことでねえ。
 頭に置こうとすると、思考的な演奏になり、自我が肥大する。
 丹田に置こうとすると、深い感情的な演奏になる。
 胸の中心に心臓の経絡の中心とされるだん中というつぼがあるけど、そこに意識の中心をおくと、自分の内外のすべての感覚を統合して意識できるようになる。
 君の演奏が急激に安定してきたのは、意識の中心をどこに置くかということを悟ったからだよ。
 ピアノの場合、意識界のさまざまな音が全部響いてくるから、意識界の音だけでなく、自分に聴こえる内界と意識の内界の音を、すべて総合して意識することは大変な作業になるけれど、ライヤーの場合は内界の音を中心に響かせてくれるから、自分の本当の思いである内界を聴き取る訓練には最適になるんだね。
 『クリスマス会でのライヤー友の会の音楽にかすかに響いているもの』と、僕が表現したのはそういうことなんだ。」
 「僕は、今年の夏から急に足が温かくなって、他の演奏家のCDがきけるようになったんですよ。」
 「はっはっはっ、自分の真の意識から来る自分の演奏に自信がなけりゃ、他の人のCDの演奏を聞いてもその演奏のかってな思考が強調されて聞こえてきてむかついてたまらなくなるものなあ……。」

7.

26日朝7時過ぎに幼児の部屋にいった。

 平和な朝食であった。

 Eの意識が急速に安定してきていた。
 25.26.の両日でEが他の子とけんかをしているのを私は見ていない。

 FとMは、照井君にべったり抱きついていた。

 10時半におやつをいただく、Cのおばさんの差し入れのペロペロキャンディ。

 「ペロペロキャンディを食べると、どうして、みんなニコニコ笑顔になってしまうの?」

 昼食後、私と照井君はO養護施設を後にした。

2002年1月5日

千葉義行

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