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レポート2  第3回目の訪問 5月8、9日

1.

 5月9日11時ころにO養護施設へついた。
 控え室に入り、
  まるまる、かささしてあげるね、どどどどど(五味太郎・偕成社)、がちゃがちゃどんどん(元永定正・福音館書店)、
  7色の絹の布、うさぎの手人形、鈴、
  を取り出し子供たちのところへ行った。

 私が黄色い絹の布で「タンポポ」を歌い始めると、子供たちは、それぞれに布を振りながら「たんぽぽ、たんぽぽ、むこうやまえとんでけ」と歌いだした。
 子どもたちは、日ごろ職員と7色の絹の布を使って「たんぽぽ」を歌っていたのである。
  私は、何度も歌い、子どもたち一人一人の額に何度も「ふう」と息を吹きかけた。
  やはり、F、D、B、が遊びの中心だが、Aが息を吹きかけられて初めて笑った。
  GとCもずいぶん遊べるようになった。
  Eはまだ遊べていない。

  「タンポポ」の遊びのあと、子供たちはばらばらになってしまった。
  FとDが絵本をひっぱりだしてきて「よんで」といったので、FとDを中心に絵本を読んだ。
  FもDも、自分で絵本を数冊抱え込んで、私に読ませたい絵本を供給してくる。
  それは、まだ、自分の本当に読みたい絵本とは一致していないように思われる。

  まるまる、かささしてあげるね、どどどどど(五味太郎・偕成社)、がちゃがちゃどんどん(元永定正・福音館書店)、を読む。
  「かささしてあげるね」、と「どどどどど」は、鼓動を取りながらメロディをつけて読んだ。

 お昼ごはんを食べに食堂に行くときになって、Eが「かたぐるまして」と私のところに来た。
  わたしは、Eをかたぐるまして食堂へ行った。

2.





 昼食が終わると、Eが「かたぐるまして」とせがんだ。
 私が肩車すると、「うさぎをみにいこう」と
いう。
 事務室からうさぎごやのカギを借り、食堂からやさいの切れはしをもらい、Gもつれて、うさぎさんにえさをあげに行った。
 だいこんの切れはしをうさぎはおいしそうに食べていた。
 10分くらいうさぎにえさをあげて、うさぎ小屋にカギをかけようとすると、Eは「じぶんがかぎをかける」といって泣き出した。
 「じやあ、じぶんでやってごらん、すこしたすけてあげるね。」といって彼にカギを触らせたが、なかなかうまくできない。
 しかし、少しでも私が助けようとすると、彼は泣き叫んだ。
 Eが「おしっこ」といったので、わたしは渡り廊下まで戻った。
 彼の体もむずむずしていて、おしっこがでたい状況にあることは外からも察せられた。
 しかし、渡り廊下に戻ると、「かたぐるまして」が再び始まった。
  「おしっこをしてからね」というと、今度はひっくり返って泣き始めた。
 それから1時間ほどEは泣き喚き続けた。
 私は、渡り廊下でEを抱き続け、脊椎(特に第11胸椎)と頭骨(特に頭頂骨)のフォルム治療を続けた。
  私から大量の咳が出た。
  1時間たってから私が「おしっこをしたらかたぐるましてあげよう」というと、やっと彼はこっくりとうなずいた。
 幼児室のトイレに連れて行くと、少量のおしっこが出た。しかし、彼のパンツは黄色くなっていた。
 それでも、「ままよっ」とEをかたぐるまして、私は園の庭を散歩した。
 園の庭にはたくさんの木々や草が生えている。
 葉っぱを見つけては、「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」「はっぱさん、こんにちは」と、声をかけて歩いた。
 すると、かたぐるまされているEが小さな声で「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」「はっぱさん、こんにちは」と唱え始めたのである。

3.

 幼児室に戻ると、幼児担当の刑部さんが「1時半から先生とのミーティングの予定でしたが、遅れてしまって」と声をかけてきた。
 私はそのように声をかけられてうれしかった。
  9日の午後は幼児の担当が2名しかいない状態で大変忙しい状況だったのである。
 わたしは、Eの状況を念頭に、LDとADHDの諸症状について刑部さんに話した。

4.

 しかし、この日は幼稚園児も帰ってきており、幼児たちも起きだしてしまったので長い話はできなかった。
 とくに、Lは、私にべったりの状態であった。
  彼の手と足を触ってみると前回ほどの冷たさはなかった。
  幼稚園も毎日行けているようである。
  私は、Lの脊椎、肋骨、頭骨、をたんねんにフォルム治療した。
  私から、大量の咳が出た。

 幼稚園児たちや小学生が幼児の部屋に顔を出してきた。
  わたしは、SとNを抱っこして「そらをみてたら」を踊った。彼らは、てれくさそうに、うれしそうにしていた。
 小学生のXが、Aを「かわいい、かわいい」していた。
 私のとなりに来て、「何で、ジージーやっているの」と聞く。
 「こうやって(骨を触って)Lの体をやわらかく、らくにしてあげているんだよ」
 「わたしのなまえ、わかる?」
 「Xだろ。いいなまえだね。」
 Xは、私の体に自分の体をぺったり寄せてきた。
  私は、右手でLの骨に触り、左手でXの腸骨と仙骨を暖めていた。
 となりでは、お昼寝をしそこねたEが、4時から6時まで熟睡していた。

5.

 この日の夕食は、GとCの間で食べた。
 すると、Fがごはんをおかわりし、「おにぎりつくって」といった。
 私は手に水をつけ、塩をかけ、おにぎりを握ってあげた。すると、Cも、Eも、Gも、Bも、みんなおにぎりを欲しがった。
 「いっぱいたべれてよかったね。おいしかったね。」
 子どもたちは、満腹になると、おにぎりで遊び始めた。
 「おにぎりであそばない。たべものであそばない。」あまったおにぎりを早々に片付けた。
 この日、GとAがほとんど食事をとっていないことに気がついた。

6.

 私は、男子職員寮で寝ながら、子どもたちの体と心の状態を職員全員が把握できるようになるための一覧表が欲しいなと思った。
 今回、その表を作ってO養護施設に置いていったほうがよいのかな?その行為がO養護施設の職員への干渉にはならないかな?
 でも、今日パソコンを持ってきたということは、この表を作ってO養護施設においていくということなのだろう。
 10日の朝、私は、療育記録を作り始めた。

7.

 9時50分ころに食堂へ行くと、職員の打ち合わせが行われていた。
 今日は食事がテーマだという。
 私は、栄養士の方が変わってから、O養護施設の食事がみっちりとして、おいしくなったことを感じていた。
 しばらくみんなの話を聴いてから、「昨日の夕食も今朝の朝食もおいしかったよ」と、声をかけた。
 話が、子どもたちがたくさん食べるようになるための工夫などに触れていたのはとてもよかったと思った。
 私は、子どもたちのアレルギーやいらいらを少なくしていくために、精製塩を自然塩に変えていこうという提案だけをした。
 明治以降、塩と砂糖が精製され真っ白になることにより、人間の心と体の微調整の働きをしていたにがりなどの成分が摂取されなくなり、仙骨が未発達となり、足の諸感覚がうまく脳に伝わらなくなり、アレルギーやいらいらが日本人の体に顕著になってきたのである。
 この意味で、自然塩や三温糖や黒糖をつかうことは、ほかの子に手を出したり怒ったりする子どもたちのイライラを取り除いていくために有効なのである。

8.

 朝の打ち合わせのあと、事務室で「療育記録」を印刷した。
 すると、副園長先生が「今年度もよろしくお願いいたします。」と声をかけてくださった。
 「ことしのO養護施設の職員は元気ですね。 昨年は保育の高木先生といっしょに、保育から子供たちにアプローチしたんですが、今年度は幼児担当の職員全員が、子どもたちに意識的にかかわり、子どもたちの変化を言葉で確認し合えるようにしたいと思っているんです。
  とりあえず、担当職員がすぐできることから少しずつ降ろしていこうと思っています。
  それから、子どもたちの毎月の体の変化が分かるように、この療育記録をつくってみたのです。」

9.

 昼食はそばとかぼちゃの煮つけだった。
 わたしは、GとSCの間に座った。
 そばもかぼちゃもおいしかった。
 「ああ、おいしい」といって食べると、子ども達もニコニコと返してくれる。
 「おいしくない」Fがはやす。「あらそうお」わたしが返す。
 「いっぱいたべて元気なFはかわいいよ」
 「ちばせんせいはかわいくない」「あらそうお」
 Gの前の食べ物はほとんど手をつけられていなかった。
 わたしは、Gにわたしの箸でそばを食べさしてみた。すこしたべる。
 今度は、SCに食べさせてみた。たべる。すると、Cは自分の前のおそばを全部食べてしまった。
 Gにかぼちゃを食べさせてみると、おいしそうに食べた。あっという間に、Gはかぼちゃを食べてしまった。
 「おかわり」……  えっ、Gがおかわりをするの?
 Gは、かぼちゃを2切れおかわりした。

10.

 昼食が終わると、KCが「かたぐまして……うさぎさんのところへいこう」(自分の行動の目的がはっきりしてきた!!)といってきた。
 わたしは、Eをかたぐるまし、うさぎごやのカギを借り、食堂からなっぱの切れはじをもらい、うさぎにえさをあげに行った。
 KCに少し手伝ってうさぎ小屋のカギを開けた。
 彼は、カギを置く場所を自分で指定した。
 うさぎ小屋に入ると、一匹ずつのうさぎにはくさいとにんじんの切れはしを与え始めた。
 順繰りに野菜を与えること4まわりした。
 わたし、「うさぎさん、おいしそうだね」
  E「うさぎさん、おいしいおいしいって」
 わたし、「よかったね」
 4まわりすると、「かえる!」「そうか、かえろうか」
 うさぎ小屋のカギを自分でしめる、手伝ってあげてもいやいやしなくなった。
 「かたぐるまして」
 再びかたぐるまし、「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱっ」「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱっ」
 すると、Eが、「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱっ」「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱっ」
 園庭を二周して幼児室へ戻った。
 今日のEはお昼寝ができた。

11.

 子どもたちがお昼寝をしている間に、木村さんと岸田さんと三人でミーティングをした。
 「だれが一番心配になる?」
 「E」
  「A」
  「G」
 「そうだね……   今回来て見てうれしいことがいっぱいあったよ。
 Aがわらってる。
  それから、Eをかたぐるましておさんぽして、「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」って唱えながら歩いたら、Eが上から「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」って唱えてるんだ。」  「E
付き合って分かることは、Eが自分の体の楽しさをまだ意識できていないことだね。
  FやBの反応と比べてみるとそこがはっきりわかるだろう。
 FやBに鼓動のリズムで働きかけると体をパタパタさせて喜ぶ。
 しかし、Eに鼓動のリズムを与えてもまだいやがるよね。
  まだまだEがぼくらの側にくるまでゆっくりと待っていなければならない状態だ。
 でも、Eがぼくらの側に来るまでの時間が早くなってきたね。
  少しずつ、彼にも体の喜びが伝わりはじめたんだよ。
  Eが上から「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」って唱えはじめたときは、僕は本当にうれしかったよ。」

 「Aが笑い始めてよかったね。Aもまた、自分の体の喜びが脳に届くまでの時間がかかっているんだ。
  やはり、鼓動とマッサージを続けることだね。
  Aの足と手がいつも冷たいのは、彼女の体を形成するための情報が歪んでしまっているからなんだ。
  心臓の手術を受けなければならなかったのもそのせいだね。
  彼女の皮膚の色が黒ずんでいるのも、標準の体重より小さいのもそのせいだとおもうよ。
  まだまだ深くアトピー・アレルギーが残っていると思うね。
  下垂体ホルモンと副腎皮質ホルモンの分泌が十分でないんだ。
  額と頭頂の中間を少し上のほうに押してあげると、下垂体ホルモンの分泌がよくなり、肋骨の下の部分を少し持ち上げてあげると副腎皮質ホルモンの分泌がよくなるよ」

  「Gが、いつもそばにいてみて欲しいと思うのはなぜでしょう。
  千葉先生の選んだ絵本をFやDやBが喜ぶのに、GとCがそっぽをむくのはなぜでしょう。」
  「GとCとAの自我という問題があるね。
  それが、彼らに深いアトピーとアレルギーが起こった原因だと思うんだが……
  GもCもAも、そしてEも、自分で何でもやろうとするよね。職員たちに身を任せられない部分を感じないかい?
  Aがてづかみでたべているのは、食べさしてもらっていなかったからなんじゃないかしら。
  でも、Aは僕らが食べさせてあげようとしても拒否をしているみたいにみえるよね。
  おそらく、Aのおばあちゃんにしてもおかあさんにしても、A自身の他人の世話を拒否するように見える部分で、彼女を世話してあげようという気持ちが萎えてしまっていたのじゃないかしら。
  Gが少ししか食べられないという理由も、食物アレルギーがあるために食べれないものがあるということだけではなく、初めてであった食べ物は怖くて食べられないとかそんなものもあるんじゃないだろうか。
  Aが少ししか食べられないのも、「初めてであった食べ物は怖くて食べられない」ということでずいぶん納得がいくよね。
  きょうGにかぼちゃをたべさしたら、たべることたべること……」
  「わたしも、先生がGにたべさせているのをみておもしろかったです。」
  「絵本のことも、「初めてであった絵本は怖くて見られない」ということなんじゃないかしら、自分で考えよう思考しようとする傾向がGもCもつよいよね。
  だから、彼らは頭がいいんだと思うけど、自分で考えよう思考しようとするために、自分の体がうれしい!と感じていることが脳に意識されなくなっているんじゃないかい……
  FやBは肉体派だからね。
  彼らは肉体が喜ぶと、すぐにこにこしてくれるんだ。
  GやCは、自分で思考しようとするから、自分を世間の考えに合わせようとするんだ。
  すると、テレビや世間で評価されていない初めての経験に出会うと怖くなり、それから顔を背けてしまうんだね。
  Gが、職員に見ていて欲しいと思うのは、彼が自分の自我で世間にあわせようという思考をしている状態と、逆に自我が折れてしまって職員に甘えている状態とがないまぜになっているのではないかしら。」

 「FとDが、Aをいじめているようにみえることがありますね。」
 「そうだね、AがFやDの思っているとおりの反応をしないと、FとDがAをたたくね。
 FとDには、それからBには、自分の体の喜びが脳の意識で感じられるようになったところがあるんだが、自分の思いと同じ思いを他者が持つべきだと思ってしまうところがあるんだよ。
 すると、自分の思いに同意しない他者に攻撃的になってしまうんだね。」

 「さて、今の時点で何を取り組んでいったらいいかというと、
 やはり、まず、鼓動をしっかり喜べるようになることだね。
 子どもたちの大好きな「たんぽぽ」、「じーじーばあ」、
  それから、「おでこさんをまいて」、「ここはてっくびてのひら」、「いちり、にり、さんり、しりしりしり」、
  絵本では、「もこもこもこ」、「ころころころ」、「がちゃがちゃどんどん」、」

 私は岸田さんの手をとって、「おでこさんをまいて」、「ここはてっくびてのひら」、「いちり、にり、さんり、しりしりしり」のやり方を教えた。

 「つぎに、FやDやBがほかの子に手を出すことがなくなるためには、ほかの子どもたちの気持ちをほかの子どもたちの気持ちが育つように脳の意識がまとめられるように育てなければならないのね。
 そのために、物語の絵本や、ごっこあそびや、絵画があるのさ。
 「かささしてあげるね」や「はっぱのおうち」や「まるまる」は、この「物語の絵本」にあたってくるね。
  すぐれた赤ちゃんのための絵本の中に、人間として成長するための要素が全部展開されているんだよ。
 それから、今日木村さんがやっていたように、お人形を使ったごっこあそびをふやしていこうよ。」

 「今朝この「療育記録」をパソコンで作ったんだけれど、一人一人の子供について、毎月一回この表を作らないかい?
 食事のこと、睡眠のこと、排泄のこと、手・足・体の火照りと冷え、体の大きさ、こだわりの行為と行動、これらは当たり前の日常生活のことなんだけど、子どもたちのからだと心の歪みがここから分かるんだ。
 この表を作るのは、子どもたちの障害を決め付けるために行うんじゃない、この表を作ることによって、僕らと子どもたちの歩みが分かるようになるからなんだ。
 子どもたちの状態がひとつひとつ改善されたことが意識でき、僕らがどのようにアプローチしたからだということが言葉で言えるようになると、次にO養護施設に入ってくる職員にその方法が伝わるわけだもんね。」

2001年5月13日

千葉義行