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レポート20 第21回目の訪問  1月8日9日

なべなべ そこぬけ そこがぬけたら かえりましょう……

1.
 8日10時半ごろ、O養護施設についた。
 幼児の部屋に行くと、Aが抱っこを求めてきた。
 Aは、私の体にペタッと抱きついてきた。
 Aを抱っこして、私は歌いながら踊り始めた。
 『たんぽぽ たんぽぽ むこうやまへとんでけ』
 『ずくぼんじょ ずくぼんじょ ずっきんかぶって でてこらさい』
 『まめっちょ まめっちょ いったまめぽりぽり いんねまめなまぐせ すずめらがまわっから おれらもまわりましょ』
 『もりのくりすます』
 『あめふりくまのこ』
 途中から、Bがそばにいた。
 「じゅんばんこね」
 「なんでー」Bがひっくりかえる。
 Aをおろして、Bを抱き上げる。
 Bも、私の体にペタッと抱きついてきた。
 「なんのおうたをうたおうか?」
 「やさしいうた」
 『もりのくりすます』『さんびきのくま』『ねこのおいしゃさん』『すてきな帽子屋さん』
 めずらしいことに、Cが「ぼくも」といってきた。
 私は、Cの大好きな歌を歌って踊った。
 『おおきなたいこ どんどん ちいさなたいこ とんとんとん おおきなたいこ ちいさなたいこ どんどん とんとんとん』
 『ぞうさん ぞうさん おはながながいのね そうよ かあさんもながいのよ』
 『ことりはとってもうたがすき かあさんよぶのもうたでよぶ ちちちちち ぴぴぴぴぴ ぴちくりぴ』
 『しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた かぜかぜふくな しゃぼんだまとばそ』
 「Gにもやって」
 Gは抱っこすると、ペタッと体を預けてきた。
 『そらをみてたら』『さんびきのくま』『すてきなぼうしやさん』
 「Fにもやって」
 Fも、ペタッと体を預けてきた。
 『まめっちょ まめっちょ いったまめぽりぽり いんねまめなまぐせ すずめらがまわっから おれらもまわりましょ』
 Fには何回も何回も……、まめっちょを繰り返した。
 そして、「かさ」「このゆびとまれ」……。
 ペタッと体を預けてきた子どもたちは、深く深く……、私の心と体を聴いていた。
 そして……、この日、始めて……、
『このこどもたちが、ここに居る!』
このこどもたちの体と表の意識が私の体と表の意識と同じ宇宙に立っている・存在していることを実感したのである。

2.

 「おひるごはん、いっしょにたべよう。」Lにこういわれて約束した後に、
 「いっしょにたべよう。」Bにいわれた。
 「Lとおやくそくしたからね……、ゆうごはんはBといっしょにたべよう。」
 Bは「いっしょにたべよう。」を繰り返す。
 Lは、わたしのあしにのって、「あしあしあひるやって……。」
 Bは、「おんぶ」
 Bを左手でおんぶし、Lを足の上にのせ右の手でLの手をにぎり、食堂へ移動した。
 結局、Bの椅子をLと私の間に移動して、昼食を食べた。
 Lは昼食を食べ終わると、するするっと私のひざに乗ってきた。
 自然に、Lにフォルム治療をする状況になった。
 フォルム治療の後、Lをおんぶして幼児の部屋に戻った。
 Lはすぐお昼寝をしてしまった。

3.

 子どもたちが寝るのを待って、職員室で刑部君と鈴木君にライヤーの話をした。
 鈴木君に大きな半音階付きのライヤーと、7弦・ペンタトンの音階の幼児用のマイリトルライヤーを持ってグリッサンドを鳴らしてもらう。
 「いいおとですねえ……」
 「振動が胸に広がるでしょう。
 これがとても大切なことだってこのごろ発見してね。
 ライヤーを触らせながらフォルム治療をすると、フォルム治療の効率が非常に良くなるんだよ。」
 Mがドアから顔をだした。
 「ねれないの?からだをやすめるためにも、ごろんしていな……。」
 しばらくしてまた、Mがドアから顔をだした。
 「まあいいや、Mにこれを触らせてあげよう。」
 Mにマイリトルライヤーを持たせ、
 「おててはパー、人差し指でするするするって弦の上をひっばってごらん。」
 「やあ、きれいなおとだね……、Mはじょうずだね。」
 Mの出した音はとても美しかった。
 Uがドアからかをを出した。
 「千葉先生、お絵かきしたい……。
(Mとライヤーを見て)おおきなほうかして」
「これはね、千葉先生のだいじだから、ていねいにあつかってね。」
Uにライヤーをもたせると、すばらしいグリッサンドが響いた。

4.

 午後は学童の子供たちと水彩でポリアンサスを描いた。
 「お花のうしろにうすく色を描いてあげよう。おそらのいろ、ゆうやけのいろ、くさのいろ、おみかんいろ、かきのいろ、ぶどうのいろ、つちのいろ……どんないろがいい?」
 「おそら」「あおをいれて、あかをすこしだけいれて、きいろをほんのすこしいれて、しろをいっーぱいいれて、おみずをどぼどぼどぼといれて……、
 おそとからおそとまでひっぱれ、(画面の左外から右外まで大筆を引っ張る)
 こんどは右から左までおそとからおそとまでひっぱれ。」
 赤と黄色と青で茶色を作って、
 「鉢の上の横の線を描こう、ドーン右へ右へ……、
 こんどは、真ん中からたてにおそとまでひっぱれ、
 となり、となり、って描くんだよ。」
 赤と黄色を混ぜて、筆の先にさらにきいろをつけて、
 「お花は真ん中から外に向かって描くんだよ、
 うえ、みぎ、した、ひだり、斜め右上、斜め右下、斜め左下、斜め左上……、
 こんどのおはなは、どーこに描こうかな……、」
 黄色いっぱいに青を混ぜて赤をほんの少し、白を少しまぜて、
 「葉っぱは、真ん中の葉脈を描いてから、みぎとひだりをまあるく描くと描けるよ。」

R 年長

力強くやさしい絵である。

お花は、Rの周囲のみんなに対する畏敬の感情を現している。

S 年長

美しい絵である。

この絵では、Sの自我の問題が十分解決されていない。

「自分で描ける。自分で描きたい。」と思うと、体が硬くなり、すてきな線が描けなくなる。

U 一年生

お花のオレンジ色は、彼の他者を支持した記憶を現している。

安定したお空の色、すっきりした鉢の立ての線、彼の意識が相当回復してきている。

T 一年生

安定したお空の色、すっきりした鉢の立ての線、お花が放射状に描くことができている。

葉っぱが力強い

Z 一年生

お花の黄色は、彼の美しい感情を現している。

お花の赤は他者への愛慕を、葉っぱの黄緑は自分の思考の繰り返しを表している。

J2 2年生

美しいお花は彼の他者への尊敬の記憶を現している。

夕焼けは深く美しい。

安定したお空の色、すっきりした鉢の立ての線、彼の意識がしっかりと安定してきた。

Y2 2年生

私のそばにきて、「おれはお花の描き方が分からない」と言った。

始めて彼の手を取って教えた。彼の体は柔らかだった。

深い知恵遅れを持っている。

H3 3年生

はじめて彼を教えた。彼の体は柔らかだった。

安定したお空の色、すっきりした鉢の立ての線、お花が放射状に描くことができている。

身を委ねる者は、すべてを認識するのである。

M5  5年生
花は、彼の運動感覚を現し、
鉢は、彼の他者を支え維持する超視覚を現し、
背景の草の色は、彼の現象界における肉体である存在体を現している。
葉っぱの描き方がもっと大きく堂々としてくれば、彼自身の認識力で彼自身の意識を清めることができるようになるだろう。
 
5.
 夕食後、幼児の部屋に小学生が遊びに来ていた。
 B(3才)が、「いちばちしよう」といって私のところに来た。
 BとA(3才)の手をつないで、
 「いちばちとまった にばちとまった
  さんばちとまった よんばちとまった
  ごばちとまった  ろくばちとまった
  しちばちとまった
  はちがきてくまんばちがとまって ぶんぶんぶんぶんぶん」
 すると、すぐに、
 「いれて」といって、 V(一年生)H3(3年生)R(年長)Y(一年生)が参加してきた。
 F(4才)G(4才)も入り、みんなで「いちばち」を楽しんだ。


その後、RとYが手をつないで「なべなべそこぬけ」を始めた。
 なべ なべ そこぬけ
 そこがぬけたら かえりましょ
『なべなべそこぬけ』で、両手を左右に振り、
『そこがぬけたらかえりましよ』で、くるくると回転していた。
 RとYをみていたKは、「Kも」といってRと交代した。
 誰に教わったのだろう。
 O養護施設の職員か?幼稚園の先生か?小学校の先生か?

 いずれにしても、私以外の人が子どもたちにわらべうたとその遊び方を教え、子どもたちがそれを生き生きと楽しんでいるということが起こってきたのだ。

 

6.
 男の子たちと一緒にお風呂に入った。
 また、Uをおんぶして、「そらをみてたら」「くりすますがやってくる」「さんびきのくま」「ねこのおいしゃさん」を歌って踊った。

7.

 9日朝、7時頃に幼児の部屋へ行く。
 Aが抱っこを求めてくる。
 抱っこして、「まめっちょ」を歌いながらくるくる踊る。
 朝食後、Aがひざに乗ってきた。
 「ぎったん ばっこん」と始めると、FがAをだっこするように乗ってきた。
 「ぎったん ばっこん」
 「おふねはぎっちらこ ぎっちらこ ぎっちらこ せんぞうぞ まんぞうぞ」
 「せんぞうやまんぞう おふねはぎっちらこ ぎっちらぎっちらこげば みなとがみえる えびすかだいこくか こちゃふくのかみよ」
 「まめっちょまめっちょ いったまめ ぽりぽり いんねえまめ なまぐせ すずめらがまわっから おれらもまわりましょ」
 「まめっちょ」がよほどすきになったのだろう。
 Fはすぐ歌詞を覚え歌い始めた。
 そして、Aが回らぬ舌で、でもしっかりと、歌っていたのである。
 A、F、G、B、に、ペンタトン(レ、ミ、ソ、ラ、シ、レ、ミ、)の音階の7弦の幼児用のライヤーを触らせてみた。
「ひだりのおててでライヤーをもつんだよ。
みぎのおててはパー、ひとさしゆびでするするするっとてまえにひいてごらん……
じょうず、いい音がするでしょう。」
人差し指、中指、薬指、小指、で、グリッサンドすることを教えてから、子どもの人差し指を持って、「たんぽぽ」「ずくぼんじょ」など、これまで遊んできたわらべうたのメロディを鳴らしてあげた。
 ポツ、ポツと一人で鳴らしている音も自然に響いてくる。
 A、F、G、M、L、の5人の、ライヤーに対する集中は大きかった。

 彼らの意識の中心を育てる上でライヤーは大きな力となってくるであろう。

8.

 幼児たちにもポリアンサスのおはなを描かせた。

A (3才)

お花は、Aの感覚した職員の感情を現している。

鉢は、彼女の自我の思い込みを現している。

B (3才)

鉢がしっかり描けている。鉢は、彼の環境がこれでいいと思う感情を現しているからである。

葉っぱは彼の家族の絆への思い込みを現している。

C (3才)

お花と葉っぱが美しい。

彼の自我が葉っぱの線を歪めている。

E (3才)

お花は、Eの感覚したおともだちの感情を表している。

葉っぱは、彼の感覚したおともだちの思考意識を現すために乱れている。

F (4才)

じつにしっかりとしていて美しく力強い絵である。

お花は、F自身のお友達への感情を現し、

葉っぱは、彼女のお友達の意識への支持の感情を現し、

鉢は、彼女の環境への感覚を現している。

G (4才)

お花は、Gの職員の意識に対する感覚を現している。

鉢は、彼の立派に生きようとする努力を表している。

K (年中)

お花は、K自身の美しさを現している。

鉢は、「Kがそれでいいよ」といっている主の肯定の感情を現している。

L (年中)

お花は、「Lがそれでいいよ」といっている主の肯定の感情を現している。

お空は、お友達の肯定の判断を現している。

M (年中)

じつに美しく雄弁な絵である。

お花は、主の認識に対するMの感情を現している。

夕焼けは、主の感情に対する彼の感覚を現している。

鉢は、彼の感情を彼がしっかりと意識していることを現している。

葉っぱは、お友達の言葉を現している。

9.
描いた絵を整理していると、幼児担当の野本君が、
 「こんどの絵はどうですか」と聞いてきた。
 「君は、どう感じる?」
 「いいですね……」
 「いいだろう……、じつに美しい!
 みんな、体の力が抜けてきたからなあ……、抱っこするとみんなくにゃくにゃになって体をペッタリ寄せてくるもんね。」
 「教えていて、やはり、Cの体が固いですね、自分で筆を引っ張ろうとしてしまう。」
 「そうだね……、4月にスタートしたときには、Cが一番手のかからない子だと思えていたよね。話せば理解して行動するからね。」
 「でも今になると、他の子どもたちは一時的に感情を爆発させていても、抱っこしていると収まってきますものね……
 Cは、普段は聞き分けがよさそうに思えるんですが、いったんこうと思ったら、ぜんぜん僕らの話を聞かなくなってしまいます。」
 「そうだろう!!
 Cの場合は問題が深いところにあるんだ。彼は、全部のことを自分の思考だけで処理しようとしてしまうんだね。すると、誰にも頼れない。」
 「Cのような子どもは少ないんじゃないですか?僕が保育所で実習したときにはあまり見かけなかったと思うんですが……。」
 「いや、とても多いんだ……。
 君が実習したときには、君には見えなかったんだよ。
 またね、一般の保育所や幼稚園では問題を抱えているとは思っていないからね、話題にならないんだ。先生方にとって見ればいい子に見えるものね。
 でもね、不登校を起こす子ども達の中にはCのようなタイプの子は多いよ。
 全部のことを自分の思考だけで処理しようとしてしまうんだね。すると、自分は恐怖と不安のただなかに居るんだが、誰にも頼れない。
 すると、自分に起こった経験を全部他の人や、学校、国家、のせいにしてしまう。 自分は間違っていない、病気ではない、といいつづける。」
 「Cが怒ったらどうしたらいいんですか?いいきかせていいんでしょうか?」
 「まあ、君のそばに甘えてくるまではほったらかしにするんだね。なんせ、聞く耳をもっていないんだから……。
 君のそばに甘えてくれば体をマッサージする。
 マッサージしながらいいきかせると、そのときにはCは聴こえる状態になっているから、おはなしをよく理解してくれるよ。」
 「Aの自傷行為はほとんどなくなりました。
 Eのけんかも急速に無くなっています。
 問題は、浅いところから解決していくんですか?」
 「そのとうり!!
 またね、スタッフの方は経験を積まないと深いところで起こっていることを分かるようにならないんだよ。」
 「彼らの親をかえていくことはできるんですか?」
 「保育園や幼稚園や学校でもいっしょのことなんだけど、僕らは子ども達の親が僕らに頼ってきて聞いてきたことにしか触れない、答えられない。
 だから、僕らの目の前にいる子どもたちに全力でかかわっていくほかない。
 でも、子どもたちが僕らに甘えられるようになって、僕らの心と体を味わえるようになってくると、子どもたちが親元に帰ったときに親に甘えられるよね。
 甘えられたときには親はとてもうれしいんじゃないかい……。
 この子たちがなぜ親元を離れざるを得なかったかを、静かに深く思ってみよう。
 両親はひとりひとりせいいっぱいいきてきたにちがいない……。
 しかし、それぞれが自分の経験で相手の気持ちを決め付けて考え、その考えを繰り返したために、お互いの関係を維持できなくなったんだ。
 おたがいに身を任せることができなかったうえに、自分の周囲の人にも身を任せることができなかったんだ。
 僕らの目の前にいる子どもたちとほぼ同じ問題を親も抱えているんだ。
 子どもたちが、自分たちの体がうれしいことを意識でき、自分の周りの人々に身を任せることがうれしいことを意識できるようになり、自分と両親やお友達の気持ちを区別して意識できるようになれば、子どもたちが親元に帰ったときに、親は子どもに支えられている自分を感じることができるんだよ。」
 「はあ……、それで……、これまで子どもたちが親元に帰省すると、帰ってくると荒れていたものなんですが、今回の帰省では元気にニコニコしているんですね。」
 「ほお……、そういうことさ。

10.

 Eが後ろから抱き付いてきた。
 これまでのように、むりやり肩車をしようとするような仕方ではない。甘えて体重をかけてくる。
 「Eのしゃしんをとってあげよう。」といったら、戦いのポーズを取った(写真右)。
 しかし、彼の表情はこれまでの彼(写真左昨年の11月)と違っていた。
 また、体の重心がどっしりと落ち着いている。武道の型としてもしっかりしたものになっている。
 帰り際に、三瀬さんがいった。
 「ありがとうございます。
 スタッフが大きく成長してきました。」

 

2001年1月12日

千葉義行

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