レポート24 第25回目の訪問 3月5日6日
わがままのあと
1.
5日10時半に恩寵園についた。
ボランティアの太田君と実習生のもとに、お店やさんごっこが続いていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい……、
くまさんはいかがですか……、
はい、100えんです。」
B(3才)は、私に100えんをくれた。
Bのわきに、D(4才)がおみせをだしていた。
Dが席をはずすと、Bが、「ちばせんせい、ここにすわって」と、Dの席にすわらせようとした。
Dはすぐもどってきて、「ここ、Dなの」といって私を席からおしだした。
そのあと、BがDのまえにいったときに、DはBにことばをなげかけ、そのことばがきっかけになって、BはDにむかってものを投げつけた。
ないているBを、刑部さんはだまってすみに連れて行き、だっこしていた。Hちゃん(2才)は、Bのわきにいき、Bの背中をなでていた。
「このごろ、Bがつみきをなげるものですから、つみきをひなんさせてしまいました。」
「Bが怒ったら、だまって抱っこしているほかないよね……、
そして、抱っことマッサージを繰り返すこと以外には、Bのはげしい痛風を治していく方法はない。
みんな(幼児部の職員は)よくやっているよ。」
「いま、Bが怒った原因は、Dが(Bにとって)いじわるなことばをなげつけたからなんだ。
でも、Dは自分はまちがっていないと思っている。
Dのおめめがつり上がっているときは(右の写真)、Dは本当の彼女の心で意識できていない。
ぼくはね……、Dのはれやかな表情がなかなか出ないことを心配していたんだ。
Dは、ぼくのやるわらべうたやオィリュトミーや絵画が好きだ。いちばんまねてくれる。
でも、まねているのは彼女の本当の意識ではなく、彼女の意識を乗っ取った彼女の意識の歪みなんだ。
彼女の意識が乗っ取られているのは、彼女のリューマチと分裂病が原因だ。
だから、みんなに(幼児部の職員に)Dの足指を特にマッサージすること、脊椎と脊椎の両脇の筋肉を良くマッサージすること、股関節を良く回転させること、をお願いしていたんだよ。
このごろのDは、目じりが下がっているすなおな表情を(左の写真)見せるようになった。よかったね……。
Bは、抱っこされて気持ちが落ち着くと、お話がわかるこどもにもどるものね……。
Bのほうが、早く、すなおな自分自身の気持ちが意識になるときを持てるようになっていたのだよ。
この意味で、しっかりした意識をもつ瞬間が起こっているのは、年少では、F、B、A、D、G、E、C、年中では、L、M、K、……、そう、幼児さん全員がしっかりした意識をもつ瞬間が起こるようになったね……。
しっかりした意識をもつ瞬間が起こってくれば、しっかりした意識を育てていくことができる。
でも、怒りや寂しさや悲しみや苦しみや侘しさが繰り返されると、痛風やリューマチや神経症や鬱病や分裂病などまだ解決されていないコミュニケーション障害をたくさん持っているから、歪んだ意識がすぐこどもたちの意識を占拠してしまうね。
だから、たたいたり、ものをなげたり、ぬすんだり、といった行為が子どもたちに起こっても、あわてないで、その子に合った対処の仕方をする必要があるんだ。」前回の訪問のときから、G(4才)にカメラを向けると、わざわざカメラを睨む。(右の写真)
「かわいいかおを撮りたいな。」といっても、わざわざ睨んだ顔を変えない。
Gには、しっかりした彼自身の意識が起こっている。(左の写真)
しかし、Gは、わざわざ彼の歪んだ意識の中に参入する遊びを今の時期に繰り返しているのである。Hちゃんの、ライヤーによる治療とフォルム治療を行った。
「まめっちょ」「いちばち」はだいすきで、体をよく動かす。
頭骨に触ってみると、視床が安定してきている。
自傷行為が前回よりも少なくなってきている。2.
午後、学童の子供たちを中心にさくらの枝をクレヨンで描いた。
16色ブロッククレヨンを使っている。
「すきないろをひとつとって、……」 モデルの桜の枝を見ながら、幹から枝の先に向かってシュッーとクレヨンで描く。
次に、枝から小さい枝を描く。
「つぎのいろ、……」
始め描いたクレヨンの上に、幹から枝の先に向かって「ゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシ」と力強くクレヨンを塗り重ねる。
「つぎのいろ、……」 「つぎのいろ、……」 ……
16色のクレヨンを塗り重ねると力強い枝ができあがる。
つぎに、赤系、緑系、青系、黄色系、から各1色くらいを選んで塗り重ねて芽を描く。
前回かもを作った子どもたちには、色づけをさせた。
L(年中) 力強い。
K(年中) 芽の色が暖かい。
O(年長) 彼の他者への感情を現す。しっかりしている。
U(1年生) 力強い。
同じ線をなぞれないのは、知恵遅れがあるからである。
V(1年生) 私への信頼を表している。
T(1年生) 桜の枝は私へのゆだねる感情を現し、背景は、彼の自我を現す。
Z(1年生) 力強い。
2J(2年生)
枝は、彼の友達への神経症を現し、背景は、
鬱病を表す。
3M(3年生) 自我と自我がぶつかり合っている。
5M(5年生) やさしい、平和な絵である。
N(年長) 他者の行動を肯定しようとする努力:アトピーを現す。
R(年長) 胴体は楽しさの感情を、羽は苦しみの感情を現す。
S(年長) 人目を気にする、神経症を現す。
N、R、Sの3人は、一緒に水彩での色付けを行ったが、3人がいっしょにいることで彼らの意識が混濁し、彼らの実力が出なかった。
3人とも私と一対一で係わり合っているときには、素直なしっかりした意識を持つことができるのだが、他の子どもたちと(特に女子学童の子供たち)と一緒のときに、「〜在って欲しい」という思いがつのり、ごねごねにごねてしまうのである。
Nは、本体と接するときには実に深く理解力があり行動力があるのであるが(写真右)、他の子どもたちとの関係で「〜在って欲しい」という思いがつのると、体がぐにゃぐにゃになり、意識も混濁してしまう。(写真左) このひ、ぐじゃぐじゃ絵の具をいじりだだをこねる3人に、私ひとりでは対応しきれなくなり、部屋の外に締め出してしまった。
前回のOとYの件といい、今回のSとRとNの件といい、自分の力のなさを痛感するものであったが、男子と女子の学童の担当職員と私とのもっと密接な関係を作っていきたいと強く思った。
生活の中でこそ、こどもたちの意識は育つのである。3.
夕食後、男子学童の子供たちと風呂に入った。
5M、2J、V、T、Z、たちが「クリスマス」うたって、とせがんだ。
「お風呂から上がったら、また食堂でうたうたう?」
「ん……、かぜをひいているこどもたちがいるからね、……、」
「ライヤーだったらおとがちいさいからやれるよね、……、」
「ん……、ライヤーで少し歌おう。」
Vはわたしについて幼児の職員室まできた。
ペンタトンのライヤーと35弦ライヤーを持ってVとわたしは食堂に行った。
T、2J、5Mくんが、かわるがわるライヤーに触れた。
Vは、部屋からインコの止まり棒を持ち出してきて、椅子をたたき出した。
すてきなリズムだった。
布団をしきにへやにもどったVが、うかれたようすで事務室に向かっていった。
「〜やってもいいんだって」
「えっ……、」こどもたちはぞろぞろVの後をついていった。
しばらくして、「コピーがこわれちゃった」という声がして、長浜さんが飛んできた。
なかなか子供たちは戻ってこなかった。
事務室に行ってみると、Vが長浜さんに叱られて泣いていた。
男子学童の担当が様子を見ていた私に事情を聞くこととはなかった。
Vの様子を見ていた私には、おそらく、Vは男子学童の事務室内で行われていた「コピーをしたら」というような会話の断片を聞いて、自分が「コピー機に触っても良い」と許されたと、思い込んだのであろうと思われる。
この話を作り出す思い込みは、コピー機に触りたいという願望(鬱病)が彼の思考意識で繰り返されているときに(分裂病)、「コピーをしたら」いうような会話の断片が思考意識の中に飛び込んでくると、自分が「コピー機に触っても良い」と許されたというストーリーを彼の思考意識の中に遡って作り出してしまう(遡行)から起こるのである。
この思い込みの仕組みは、コミュニケーション障害であって、Vのいわゆる責任から起こっているわけではない。
叱って努力させて直そうとしても、コミュニケーション障害を治すことはできないのだ。
むしろ、黙って抱いていて、彼が自然と「ごめんなさい」というまで待っていたほうが、コミュニケーション障害を治すことに近づくのだ。4.
6日朝6時半すぎに幼児のお部屋へ行く。
こどもたちは元気である。
Lとは今日でお別れである。
両親の近くの児童相談所に移ることとなった。
わたしは、Lを抱っこして、「いつも何度でも」を歌って踊った。
去年のLと比べると、手足がとても暖かくなった。
体もしっかりしてきた。
ただ、完全には神経症を治すことができなかったことだけが残念であった。Dの治療をする。
「まめっちょ」「いつも何度でも」を歌ってオィリュトミーすると、すぐにDは深い眠りに入ってしまった。
「千葉先生、Dは眠っています。隣で寝せてきましょう」
刑部さんに抱き取られたDは、左の写真の状態であった。
30分もするとDはまた、抱っこを求めてきた。
「まめっちょ」「いつも何度でも」を歌ってオィリュトミーすると、再び、Dは深い眠りに入ってしまった。5.
昨日描いた学童の子どもたちの作品を女子学童担当の藤江さんに見せに、女子学童の職員室を訪れた。
「わたし、(一番問題のあった)3Hとの一対一の時間をできるだけつくったんです。
どの子も、『私を見て』といっているんですが、まず、一番大変な子から正面から付き合ったら、彼女が落ち着いてきて、…… そうしたら、他の子も落ち着いてきました。」
「3Hのかもさんですよ……、ふくよかでしょう。
本来の3Hは、とてもしっかりしたお母さんなんです。
でも、脊椎と腸骨の発達遅滞があって、他の人のさみしさとか、悲しみとか、苦しみとか、怒りとか、わびしさとか、気分が意識に入ってくると、それを脊椎と腸骨でぐるぐる反復してしまうのですね。
すると、彼女の気分がくるくる変わり、周囲を振り回してしまう……。
女子の学童の子供たちには、このコミュニケーション障害を持った子供たちがとても多いですね。
そのようなこどもたちは、一対一でじっくりと付き合って、本人の本当の気持ちでの行動や行為が起こったときに、とてもほめることが必要なんですよ。
藤江さんは正解の道を歩まれているんですよね……。」
話はわらべうたやまりつきなわとびなどに及んだ。
「1月に、幼児の部屋で、YとRがてをつないで『なべなべそこぬけ』をやっていたんですよ。
あれを教えたのは、藤江さんですか?」
「そうです」
「YとRが実にうれしそうに、いきいきと歌って踊っていましたよ。」
藤江さんとの話は、私にじつにうれしい展望を与えてくれるものだった。
昼食後、わたしは恩寵園を後にした。2002年3月18日
千葉義行
音楽
三善晃 ひびきの森2より
3小節ごとに−1、 3小節ごとに−2、