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レポート25 第26回目の訪問  3月19日20日

音楽は楽しい

1.

 19日10時半にO養護施設についた。
 三瀬さんがHちゃんとAとEといっしょにいた。

 他の子どもたちは、刑部さんとおさんぽにでかけていた。
 Eは刑部さんに叱られおさんぽぐみから外れてしまって、三瀬さんに体をこすりつけていた。
 すぐ、Hちゃん(2才)がわたしの膝に乗ってきた。『のんたんのいもうと』をもっている。
 A(3才)がわたしの膝に乗ってきた。『あんぱんまんのいないいないばあ』をもっている。
 左の膝にH、右の膝にAを乗せる。

 Aが『あんぱんまんのいないいないばあ』のページを開くたびに、私は「いないいない ばあ……」
  Aは、「ばあ」だけとなえる。

 すると、Hが笑い、AがHの笑いを見て笑い返す。
 Eは、わたしの肩に手をかけて『あんぱんまんのいないいないばあ』をのぞきこんでいた。
 この間、私は、AとHとEの腰を開いている手でマッサージし続けていた。

 他の子どもたちが帰ってきた。
 「ちばせんせいのもってきたごほんをよんで」こどものとも012の「あっちみて こっちみて」をよむ。去年の6月号だ。
 こどもたちは中辻さんの絵のまねをする。

 「かおみたい あしみたい ひとみたい
 あっちみて こっちみて あしあげて さかさのぞいて はしったら
 すってんころりん いたかった」

「こんどは、きょうもってきたごほんをよむね。」ちいさなかがくのともの創刊号を読む。

「からだのなかで ドゥン ドゥン ドゥン、
もりの はずれで トックン トックン トックン、……」

HやAやBや、こどもたちの心臓の上を軽く叩きながら、ドゥン ドゥン ドゥン、トックン トックン トックン、……

 『ごきげんのわるいこっくさん』のかみしばいをだした。
 わたしがよむと、こどもたちはコックさんの表情と一体になる。

 「おこってる」「ねえ、ごきげんなおして」「ぷんぷんぷんぷんぷん、むにゅむにゅむにゅ、かっちんかっちん」
  「あっ、わらってる、よかったね」「くんくんくん、いいにおい、おいしそう」「ペロペキャンディおいしいな」

 私が読み終えると、「こんどは、ぼくがよむ……」
 みんな交代でかみしばいをじぶんのひざにのせ、めくった。

 そのなかには、E(4才)も、C(3才)も、K(5才)も、M(5才)も、いたのである。

 Cが、「おなかのかわ」と「7ひきのこやぎ(ホフマン・瀬田貞二訳)」持ってきてわたしの膝にすわった。
 これは初めてのことだった。

 そして、この少し長めのお話をしっかりと聴いていたのである。
 わたしは、Cが甘えられるようになったことがとても嬉しかった。

 

絵本とかみしばいのあとで、ペンタトンライアーをだした。
Hちゃんもグリッサンドをたのしんでいた。

2.

 午後は、学童の子どもたちに絵を教えた。
 私は、食堂にかざってあったつばきの花を持ってきていた。

@     背景を描く
A    
花瓶を描く:横にまあるく、ごろん、ごろん、をくりかえして描く。

B     おはなを描く:中心部から外へ向かって花弁を渦巻状に描いていく。
C     葉っぱを描く:真ん中の葉脈を描いてから、外側と内側の葉肉を描く。
D     茎を描く:花瓶からのびろのびろと上方にむかって、はっぱをつないでゆく。

いい具合に子どもたちはひとりひとり、わたしのもとを訪れてきた。
 私と一対一のときは、子どもたちは自分自身に集中して描ける。
 食堂にだれかがさりげなくかざった花というのも、とてもよかった。
 子どもたちは、身近なものとして、自分を世話してくれているみんなの気持ちの一部として、つばきのはなを捉えることができたのだ。

 子どもたちの作品はすばらしいものだった

U(一年生)

雄大な絵である。

お花は、肯定の感情を現し、花瓶は他者を支える感情を現している。赤や緑に青が強く混じるのは、知恵遅れを表している。

U(一年生)

当日のおやつのみかんを描いた。

背景色が安定している。みかんは、U自身の母親としての感情を現している。力強い。

T(一年生)

Tが「自分で描く」といって投げ出さないで最後まで描いた最初の作品である。

お花に彼の喜びが集中している。

Z(一年生)

なんと美しい作品であることか。

お花は、自分が肯定されている感情を現し、花瓶は、環境への信頼をあらわしている。

V(一年生)

実に力強い。

お花は、自分への自信の感情を現し、葉は、自分が肯定されている感情を現し、花瓶は友達とのつながりを現している。

2S(2年生)

力強い。

お花は最初から描かなかった。

しかし、葉っぱと花瓶で実に力強い作品である。

知恵遅れがある。

3H(3年生)

やさしい。

背景の夕焼けが安定している。

彼は2回目の絵画指導であった。

知恵遅れがある。

T1H(中1)

限りなくやさしい。

自分の存在が中に浮いている。

鬱病から知恵遅れを起こしたケースである。

O(年長)

力強くなまめかしい。

葉っぱは愛されているという感情を現し、花瓶はお友達がいっしょにいる感情を現している。

P(年長)

平和である。

お花は、彼のやさしさを現し、花瓶は、彼のお友達への尊敬の感情を現す。

赤の色の強さに知恵遅れが現れている。

N(年長)

他者への不安が昏暝している絵である。

お花、葉、花瓶、みかん、ともにしっかりと描けており、彼女の潜在的実力を示している。

R(年長)

うつくしい。

お花は、お友達の意見がすてきだと思えることを現し、葉っぱは色々なお友達の意見を現し、花瓶は肯定の感情を現す。

3M(3年生)

しっかりとしている。

お花は、彼女の認識を現し、葉っぱは、彼女の判断を現している。

   

3.

 6時過ぎに食堂へ行く。
 Pが食堂の入り口に座り込んでいた。藤江さんがなだめていた。
 藤江さんが離れた後、私はPに近づいた。

 「どうした」私はPの背中に手を当て、軽くマッサージを始めた。

 しばらくして、「たべにいこう」というと、「ううう」と首を振る。
 「だっこしていくか」「うん」
 抱っこして彼の席までくると、降りようとしない。

 「いっしょにたべるか」「うん」やっと降りた。

 Pのそばに椅子を運んできていっしょにたべる。
 Pの箸はなかなか進まない。
 向かいにいたSが、「Pに『ゆうびんやさん』やって」といった。

 「ゆうびんやさん えっさっさ Pくんのおくちに えっさっさ」
 Pはそのあと、すっかり私に食べさせてもらっていた。

4.

 7時過ぎに男の子どもたちといっしょに風呂に入った。
 Uをおんぶして、「くりすますがやってくる」「そらをみてたら」

 「ちばせんせい、よっぱらいのやって」
 「ん……なんだ? あっ、くりすますのときにやったやつかい……『パレード』っていうんだぞ」
 わたしは、おもいっきり『パレード』をうたっておどった。

 だれだって こころに
 すばらしい ちからが
 
 ねむって いるんだ
 さあ めをさませ

 パパパパパレード どどどどどこまでも
 パパパパパレード あしたはつづいてる
……

5.

「かぜをひいてねている子がいるからそっとね。」
「ライヤーならいいよね」
「そうだね」

今夜も食堂にライヤーと木の太鼓(Vとのやくそくだった)を持ち込んだ。

Uが、「ぼくピアノひけるんだ」
「そう」
「持ってくる」

Uは、ピアニカを持ってきた。そして『きらきらぼし』を弾き始めた。

「うまいうまい。」
「ぼく、ほんもののピアノでも弾きたいな。」
「そっとだよ」
Uは、たどたどしくピアノで『きらきらぼし』をひいた。
そこで、わたしは、Uにドの音だけを鳴らさせて、私がそれに和声をつけて合奏した。

三善晃さんの『ひびきの森』の『5つのドa』『5つのドb』が響いた。
わたしは、この方法が聴く力を持った指導者によってなされたときに、脳性麻痺系の知恵遅れを持った子どもの治療法として有効であると考えている。
前回は5M君にためしていたのである。

子どもたちが集まり始めた。
一年生、U、V、T、Z、二年生、2Y、2S、五年生、5M。
一年生は全員ピアニカを持ってきた。
「みんなで『きらきらぼし』をひこう。」
子どもたちにピアニカを弾かせて、私がライヤーで合わせる。
子どもたちは なかなか音を合わせることができないが、いっしょに音を鳴らしているだけで嬉しいと思っているのが伝わってくる。
Vには木の太鼓を叩かせてみた。
やはり、上手である。
「ぼくは、『かさ』をやりたい」Vはわたしの楽譜集を開けた。
わたしは、Vの太鼓にあわせて、『かさ』をうたった。
5Mくんも、「たいこをやりたい」といった。
彼はリズムがほとんど取れなかった。
5Mくんが勉強をよく理解できないのは、リズムの問題が大きいものと思われる。

2拍子を取れることは、1/2を直感で理解できること。
3拍子を取れることは、1/3を、4拍子を取れることは、1/4を、6拍子を取れることは、1/6を、直感で理解できることをあらわしているのである。

2Y(2年生)と2S(2年生)もきた。
彼らにライアーをもたせてグリッサンドのしかたをおしえた。

指で引っ掛けて音を出すのではなく、指を伸ばし左隣の弦に滑らせて音を出すといい音が出るのであるが、2Yも2Sもいい音を出して楽しむことができた。

かれらは、私が手をとって教えることを嫌がらなくなっていたのである。

6.

 

 20日朝6時半すぎに幼児のお部屋へ行く。
 「きがえさせて」Fが甘えてくる。
 着替えたあとで、腰を回し、マーサージをする。

 「せんぞやまんぞう おふねはぎっちらこ
  ぎっちらぎっちらこげば みなとがみえる

  えびすかだいこくか こちゃふくのかみよ」

 F、A、G、M……。
 数日前にO養護施設に来たばかりの、Iくん(4才)の体に触ることができた。

 「えんやらもものき ももがなったらだれにやろう
  Iくんにあげよか せんせにあげよか

                   だれにあげよか」

 腰を回し、マッサージをする。
 Iくんには特に激しい障害があるようには感じなかった。

7.

 7時半過ぎに、朝食をとる。
 Aのそばにすわる。

 「うう」

 「ゆうびんやさんするの?」
 「うん」
 「ゆうびんやさん えっさっさ Aちゃんのおくちに えっさっさ」

 Aが嬉しそうな顔をすると、となりのIが「ぼくにも」といった。
 「ゆうびんやさん えっさっさ Iくんのおくちに えっさっさ」

 O養護施設に来て数日であったが、Iはすっかりリラックスした状態にいた。
 
 これだけの短期間にIの心を開いてしまった、幼児部の職員の力を改めて感じた。

8.

 朝食後、幼児たちとお絵かきをした。
 昨日の学童の子どもたちといっしょ、食堂から持ってきたつばきの花。
 あたたかな絵が描けた。

A(3才)

あたたかい。

自分が癒されているという感情を現している。

お花は、お友達の像を現している。

C(3才)

ゆたかである。

お花は、お友達の像をあらわし、葉っぱは、自分が肯定されているという感情を現している。

D(4才)

なんと美しいのだろうか。

他のお友達へのやさしい思いが表れている。

花瓶がしっかりしている。

E(4才)

美しい。

お花は、彼の生きているという思いを現し、葉っぱは、自分が肯定されているという感情を現している。

I(4才)

美しい。

初めて私といっしょに描いたが、素直に身を任せてくれた。

お花は、自分が肯定されているという感情を現している。

F(4才)

ゆたかである。

お花は、お友達の心を支持する感情を。

葉っぱは、自分が肯定されているという感情を現している。

G(4才)

ゆたかである。

お花は、自分が肯定されているという感情を現し、葉っぱは、自分が生きているという感情を現している。

M(5才)

ゆたかである。

お花は、自分が肯定されているという感情を現し、葉っぱは、自分が生きているという感情を現している。

K(5才)

うつくしい。

お花は、お友達の像をあらわし、葉っぱは、お友達の認識を現し、花瓶はこれでいいと思う気持ちを現している。

H(2才)

初めて彼女の手をとったが、花瓶の描き始めで集中力が途切れてしまった。

しかし、うつくしく、穏やかである。

9.

 O、P、R、N、3M、の絵を持って、女子学童の藤江さんに会いに行く。
 「きれいですね……」

 「きれいでしょ……。

 ぼくと一対一になるときにはこんなに素直に自分が出るんですよ……。
 Nの絵も、お空、花瓶、お花、葉っぱ、茎、まではすばらしい出来だったんですが、 なまえから少しおかしくなって、記号を書けば書くほど自分の前に描いたものを毀損しはじめたもんですから、『もうおしまい』といって、(絵を)取り上げてしまいました。」

10.

 U、T、Z、V、2S、3H、T1Hの絵を持って男子学童の職員室へ行く、職員の富岡君がいた。
 彼らの絵の説明をする。
 「背景を安定して左右に画面の外から外まで水平に塗れるということは、(U、2S、3H、T1Hのような)知恵遅れを持った子どもたちにとってはたいへんなことなんですよ。
 意識の基準がしっかり出来ていないから知恵遅れが起こるというということがあってね、 自分から見て、左右、前後、上下の空間をしっかりと意識出来るようになると学校の勉強も理解が深くなる。
 背景を安定して左右に画面の外から外まで水平に塗れるということは、水平の空間を意識できるようになったことを現すんですよ。 Uなんか、自分だけですっすっと背景を描けるようになったからね……。」
「ぼくは、子どもたちをどう指導してよいか分からなくなることがあるんですよ。」

「だれだって、どんな(立派な)子どもに対してだって、分からなくなることがあるのは当然さ。
具体的にだれのケースかい?」
「1Dのことが分かりませんでした。」
「ADHDがあって前頭葉に傷があったからね……、
小脳で『〜が在ったらいいのになあ』とおもうと、ADHDがある子はそれを前頭葉でぐるぐる繰り返してしまうんだよ。
他の子が〜をすべきだと思ってその思いを繰り返すだろう。
すると、その子がそれをやらないと、甲高い声を出して地団太をふんだり、行為障害があれば手を出してしまったり。

スーパーに行って、もの欲しいというほかの人の気持ちが聞こえて来ると、そのような思いはなくなるべきだという思いを小脳が起こし、前頭葉でその思いを繰り返すために、万引きを起こすんだな。

1Dの中では、神聖な感情が発端になっているんだよ。
ただ、ADHDがあるために、1Dの中では現実の一部しか意識できていない状況にあるんだ。
そのために、どんどん思い込みが起こるな。
こういうことはね、僕らが子どもたちの真正面にたって、子どもたちの心の真実を聴き、受け入れられないと、分からないんだ。」
「子どもたちの手足を毎日触っているとさ……、しょんぼりしているときは手足が冷たくなっているだろう。
すると、学校で何かあったなとか、誰かとけんかしたなとわかるじゃない。」

「そうです。」

「そのときはね、何も聞かないで、その子を寝せて、手と足を触って『あったかくなれ、あったかくなれ、』って唱えるんだよ。
すると、その子の意識の力で手足が温まってくるんだな。
これを繰り返しているとね、手足が冷たくなることが減って来るんだ。
この方法を自律訓練法というんだけれども知っているかい?」
「知りませんでした。」

「保健室の先生の一部は知っているよ。大学でも教えているしね。
もうひとつ、動作法というものがある。
〜が在って欲しいと小脳で繰り返して思う子どもたちの胸は前に曲がってきてね、姿勢が悪くなる。
そういうタイプの子に正しい姿勢を教えてあげると、元気になり意識がすっきりするんだ。

名人になると、椅子にすわらせて肩にちょっと手をかけたり、すうっと背骨を触ったりするだけで、正しい姿勢を教えることが出来るね。
動作法という言葉はしっているよね。」
「しっています。」

「ここ(O養護施設)ではね、手足が冷たくなる子や、背中が曲がってくる子が多い。……」

「どうして、一般の家庭の子は、青春時代に苦しいことがあっても世間に出て行けるのに、ここの子達の中には乗り越えることが出来ないものがいるんですかね。」
「手足が冷たくなる:神経症や、背中が曲がる:鬱病の問題だけならば、自分と周囲の人との関係で乗り切っていけるんだけれどね。 ……
さらに、それをぐるぐると繰り返し考える:僕の言葉では広義の分裂病、を合わせて深く持っているからなんだ。

骨盤と脊椎と肋骨の発達遅滞があるとね、思考がぐるぐる回ってしまうんだ。
友達に『あんたなんか嫌い』といわれて、相手の苦しみや怒りと自分の悲しみを繰り返し考え続けたら、絶望して立てなくなってしまうだろう。
この広義の分裂病を治していくには、…… 
僕からフォルム治療を学ばないとね。

脊椎、骨盤、頭骨、ここらへんを治さんとね……。」
わたしは、富岡君と話ができてほんとうに嬉しかった。

11.

Hちゃんは、着実に回復していた。
 私が抱っこして係わると、最初はにこにこして私を味わうのだが、数分過ぎると気分が変わり、他の事をしようとする。

 私が治療を続けようとすると、頭を打ちつけようとする自傷行為が起こった。
 しかし、幼児部の職員の前では自傷行為が起きなくなっていた。

 脳梁に起こった傷のために腸骨と仙骨が大変悪い状態なのだが、気長に治療を続けたい。

この一年の、EのLD視床の微細障害と意識障害と知恵遅れ、Aのアレルギーから起こる神経症と意識障害と知恵遅れ、の回復はすばらしいものがあった。
 障害児の治療記録としても、画期的な記録となったものと思う。

 DとKにおけるリューマチからおこる意識障害と知恵遅れの問題、
 BとFにおける痛風から起こる行為障害と意識障害の問題、
 Gのアレルギー、アトピーからおこる意識障害の問題、
 Cの神経症から起こる意識障害の問題。

 これらの意識障害が少なくなってきたために、子どもたちは職員の気持ちを聴きながらお話ができるようになって来た。
 子どもたち同士のけんかも少なくなってきた。
 昨年4月と本年3月の子どもたちの表情を比べてみよう。子どもたちの表情はいきいきと豊かになってきたではないか。
 このことは、幼児部の職員の負担を非常に楽にしてきたのである。

 同時に、幼児部の職員のおおきな成長があった。
 自分が子どもたちの正面に立って、子どもたちの心と体を聴けば、その子どもがどのような状態にあっても、その子の心と体に起こった出来事を理解することが出来るのである。

 すると、自分の体が自然と動いてくる、するとその子の緊張が解けるのである。

 20日1時過ぎにO養護施設を出た。

 小学校の桜が3分咲きになっていた。

2002年3月30日

千葉義行

音楽

バルトーク
子どものために11

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