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レポート4 第5回目の訪問 6月5.6日

1.
 5日10時30分にO養護施設についた。
 MとKがごろごろしていた。
 かぜでここ一週間ほどお休みしているとのこと、Mのひたいに手を当ててみると微熱を感じる。
 「みんな、たんぽぽをしたくてまっていたんですよ。」
 三瀬さんの言葉に促されるように、絹の布と鈴を取り出し子どもたちと遊び始めた。
 MとKがのってこない、
 「まあるくなあれ、まあるくなあれ、いちにのさん」
「まあるくなあれ、まあるくなあれ、いちにのさん、ちいさくなれ……」
「まあるくなあれ、まあるくなあれ、いちにのさん、おおきくなれ……」
「いちばちとまった、にばちとまった、〜〜〜、」
F、D、B、A、Cが喜んで走り回った。
絵本は、「どどどどど」「まどからおくりもの」「まるまる」「もこもこもこ」
「さんびきのやぎのガラガラドン」を読もうとしたら、2/3のぺーじが破りとられていた。そこで、私は、思い出しながらお話をした。
B(2才)がカタログを持ち出して「アンパンマンよんで」を繰り返した。
けしごむ、したじき、ノート、遊具などに刷り込まれているアンパンマンのキャラクターを繰り返し見る。この繰り返しに終わりがない。「満足」が起こらなく、飢餓の状態が続くのである。
S(5さい)がBのアンパンマン好きをみて、SのアンパンマンのティーシャツをBにくれた。このとき、BはSに「ありがとう」とはいわなかった。
Bはこのティーシャツを着ていたが、水にぬれてしまったとき、
「ぬれたー」といって泣き、「じゃあとりかえようね」といってティーシャツを脱がせると、「アンパンマン」といって泣き、「アンパンマン、アンパンマン」と泣き喚いた。
Bの思考意識にとって「アンパンマン」は彼の「正義」「戦い」の象徴なのであるが、「アンパンマン」を手に入れても彼の肉体の飢餓感はいっこうに満たされない。

「アンパンマン」にこだわって泣き叫ぶBは、「いちばちとまった」で走り回ったときの肉体の喜びを忘却してしまっているのである。

2.
 おひるねのときに、Cがわたしのそばにきた、今回はCが私との関係を深めようとしているようだ。
これまで、Gとともに遠巻きに私を見ていた感があったが、今回は私に抱っこを求め、私の手遊びを受け入れてくれた。
 「ここはてっくびてのひら、ありゃりゃにこりゃりゃ、せいたかぼうずに、いしゃぼうず、おさけわかしのかんたろうさん」
 「おでこさんをまいて、めぐろさんをまいて、はなのはしわたって、こいしをひろって、すっかりきれいになりました」
 Cは、彼の意志に私がしたがわないと、私をつねってきた。」

 Eがなかなか寝ないのでおんぶをした。
 Eは、体をそらせなくなり、ぺたんと私に体重を預けるようになってきた。

3.
 三瀬さん、刑部さん、岸田さん、野本君とミーティングをした。
 「6月分のわらべうたの資料です。これで1ヶ月やってみよう。
4.5月は、子どもたちが自分の喜びを意識できるようになり、僕らのそばに甘えてこれるようになることが目標だったのね。

それで、「たんぽぽ」「いちばちとまった」「ととけっこう」で、鼓動を感じ、色へのこだわりをとってきたのね。
Eが職員に甘えられるようになり、他の子との関係ができてきたことがこの成果だったと思うよ。
6月は、他の子に自分のものを分けることができるようになろうね。
今日のDがね、僕の顔を見ながら「まどからおくりもの」の絵本をやぶろうとするんだよ。
Dの中ではわだかまりから起こることで、D自身としてもなぜ自分がそうしたいのかわけがわからないと思うんだが、自分のものを毀損したいという衝動なのだと思う。
Dの思考意識の中では、Dとみんなが使うもの(O養護施設のもの)の区別がついていないんだな。
それで、D自身を肯定できなくなって、さらに僕へのわだかまりがおこると、みんながつかうものを壊そうとするのね。
Dは「まどからおくりもの」を楽しいと心から思っているんだ。だけど、自分に自信がなくなると自分自身を否定してしまうのね。
このDの突破口は、自分の好きなものをみんなに分けてあげることの喜びだろうと思うんだ。」

 ずくぼんじょ、        垂直の意識をそだてるために
 えんやらもものき       自分の大切なものをあげることの喜びを育てるために
 このこどこのこ        左右の意識が育つために
 だるまさんがころんだ     後ろの意識が育つために
 おやゆびねむれさしゆびも   指の巧緻性を育て、手の脳性麻痺を治療するために
 どのこがよいこ        どのこもよいこであることが理解されるために
 ももやももや         お片づけをこの歌でしましょう。お片づけがたのしくなるよ
 なかなかほい         子どもたちの手や足を持って動かしてあげるといいかな、中と外の関係を肉体が楽しむために
 年長児と小学生のために

 石蹴り、お手玉、まりつきうた。

 「ここには広い庭があるけどさ…、おにごっこ、いしけり、などをやっている姿がぜんぜん見られないよね。
 今は、僕らが教える番じゃないかって思うんだ。
 だるまさんがころんだをやると、鬼は自分の後ろのほうに意識が向くよね、他のみんなは前に意識が向く。
 鬼ごっこでは、じぐざくに逃げるから、ななめや円形の動きを体の軸がしている。
 石蹴りでは、「けんけんぱ、けんけんぱ、けんぱ、けんぱ、けんけんぱ」とリズムを体が楽しんでいる。
 日本の伝統の遊びの中に、人間の意識を育ててゆくための基本の要素が展開されていたんだ。
 地域の子どもたちが群れて遊ぶためには、年長の子どもたちは小さな子どもたちや障害を持った子どもたちのためにハンデイを考えなければならなかったしね。
 「どのこも、それでいい」という肯定と、役割交代が、群れて遊ぶことによってつちかわれていたんだ。」

 さらに、脊椎骨のフォルム治療の実習を行った。

4.
 おやつをたべたあと、LとMをつれて園庭にでた。
 まずうさぎごやにウサギを見に行った。
 地面に丸とびの図を書いて、
「けん、ぱ、けん、ぱ、けん、ぱ、けん、」
 Mは何度かやってみようとする。
 ふたりは自転車をこぎ出した。
「こうえんにいこう」Lがいいだした。
「ちばせんせいがいっしょならいいか、じてんしゃはおいていくんだよ」

 一週間寝込んで力の余っていたMのために、LとMの手をひいて近くの公園に出かけた。
 児童公園のモニュメントを登ったり降りたり、ブランコをしたり、すべりだいですべったり。
 Lは、すべりだいから滑り降りることを怖がった。
 突然、「だれがうさぎをこやからだしたんだ。」とM5の声、
 「ちばせんせいが、うさぎごやのとびらをあけて、MとLに触らせたんだよ。
 最初からいっぴきだけそとにでていたね、だからそのままにしておいたんだよ。」
 「くびがしろいうさぎは他のウサギをかむから、絶対にうさぎごやにはいるなっていってるんだ。おまえらかってにはいったらぶっころすから……」
 「そうか……、ちばせんせいがいっしょだったからLもMもはいったんだよ。
 M5はうさぎのことたいせつにせわしているんだなあ。
 きょうもいっしょにおふろにはいるか?」

 「うん」

 こどもたちをはだかにしておふろにおくりだしたあと、野本君が話し始めた。
 「千葉さんが、自閉症とか脳性麻痺という言葉を使うと最初の僕には抵抗があったんですが、相当広い意味で使われているんですね。
 何回かお会いして、レポートを読んでだんだんわかってきました。」
 「そうなんだよ、医者が使う自閉症とか脳性麻痺という概念は、標準から形として区別しているものだからね、でも、自閉症も、脳性麻痺も、脳に傷がついてしまう前の段階があるんだ。
 そして、「私たち自身が歪んでいるんだ、コミュニケーション障害を持っているんだ」という自覚を僕らが持っていないとね、子どもたちのことを自分のこととして考え理解することができなくなるのさ。」

 夜、M5が迎えにきてくれたので、いっしょにおふろにはいった。
 風呂から戻って幼児の寝室に行くとまだほとんどの子が起きていた。

 最後まで目をあけていたEをおんぶして寝かしつけたのは10時だった。

5.
 6時半に起床し幼児の控え室へ行く、すぐに立川さんが起きてきた。

 「時計を持っていないものだからねえ。適当に起きてきたらずいぶんはやかった。」

 朝食後、「たんぽぽ」「いちばちとまった」
をしたあと、D、F、Cの三人がそばにいたので、おてだまをとりだし、
「えんやらもものき、ももがなったらだれにやろう、Dちゃんにあげよか、せんせにあげよか、だあれにあげよか」とうたって、一人一人に一個ずつ渡した。
 この遊びは、三人によろこばれた。

 そのあと、「おさらい」で左手に一個ずつお手玉を乗せることを教えようとしたが、これはまだのれなかった。


6.
10時から初めて赤と青と黄色と青の水彩で色造りを教えてみた。
赤をちょっとだけ筆につけて、パレットでクルクルッとしてから、(画用紙に)どーこにかこうかな。

G(4さい)
力強い絵である。
色の秩序がしっかりしているが、形のバランスが崩れている(あか、あお、きいろ、しろ、ぴんく、みずいろ、みどり、むらさき、が右下隅に集中している。)
でも、Gの本来の実力を垣間見させる作品である。
F(3さい)
やさしさと心の広がりを感じさせる。
形のバランス感覚と秩序感がある。
暖色系がたくさん出ていて、現在の心の安定をしめしている。
E(3さい)
美しい絵である。
形のバランス感覚と秩序感覚がある。
左が三瀬さんがそばにいて介助していた一枚目で、上が一人で描いた二枚目である。
 二枚目は赤紫で塗りつぶしがあり、その上に青系の線で塗りつぶしがある。これは、Eの意識障害と知恵遅れを現している。
D(3さい)
色が美しい。
最初に描いた色を次の色が塗りつぶしているのが見られる。(自分の中に複数の感情を意識してしまい、どの感情が自分のものであるか分からなくなっているのであろう:広義の脳性麻痺)
ひょろひょろとした線が見られる。(D自身の意識ではない意識に惑わされる:意識障害)
C(2さい)
美しい絵である。
自分の描いた色の上を塗りつぶしているのは、2才という年齢における意識の状態として普通であろう。
しかし、若干の広義の脳性麻痺を感じる。
B(2さい)
形のバランスがいい。
塗りつぶしがあるのは、2歳という年齢もあるが、広義の脳性麻痺を示すものである。

 子どもたちが描き終わった後、三瀬さんが、
 「うつくしいですね。
 Eは、私がそこにいたから描けたんでしょうか。」
 「そうさ、子どもがね、僕らに身を任せてくれる状態になったときに、その子の本当の姿が表に現れるんだ。
 これが、動作法の真髄なんだよ。

 Eは、このごろおんぶが楽になってきたものね。脱力できるようになったからなんだ。
 
どの子の絵も美しいね。どの子の本質も美しいんだ。」

2001610

千葉義行

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