レポート10 第10回目の訪問 1月17日18日
1.
1月17日10時半にO養護施設へ着く。
Hがわたしのところへとんできた。Hが、わたしのうたやおどりを味わっている時間が増えてきた。彼女が自分の思いで世話をする人たちを動かそうとすることが少なくなると同時に、彼女は美人になり、まえかがみで不器用な歩行や動作がスムースになり、言語の遅れが回復してきた。言語意識におけるADHDと脳性まひの回復がこれをもたらしたと考えられる。
2.Hがうたいだした。「おおきなのっぽのふるどけいおじいさんのとけい……」「Hはおうたがうたえるんだ。じょうずだね。」だきあげてわらべうたでおどる。「まーめっちょ まめっちょ……」すると、Hもうたう。「まーめっちょ まめっちょ……」Aも「よんでいる……やって」と近づいてきた。「よんでいるゆめのどこかおくで……」
わたしが、Aをだいてオイリュトミーをすると、Aがいっしょにうたっている。「よんでいるゆめのどこかおくで……」「三瀬先生、こどもたちがこえをだしてうたうようになったね。」「ええ、みんなうたいますよ。とくにDはじょうずですよ。ようちえんでおそわったうたを、いつもたくさんきかせてくれます。」夕食の最中にDがうたいだした。自分の気持ちを歌えるということはとてもいいことだ。自分の感情への自信が大脳の意識に上ってきたことを表しているのだ。
3.幼児たちに添い寝をしていると、TMくんが私を迎えにきた。男子学童の子どもたちといっしょに風呂に入る。風呂場の中でU(2年生)をおんぶして、「ねこのおいしゃさん」「クリスマスがやってくる」「そらをみてたら」をうたう。そこには、TH(中3)、TM(中1)、6M(6年)、の兄弟がおり、V(2年生)がいた。彼らは私と風呂に入ることを楽しみにしている。私といっしょに風呂に入り、私がオィリュトミーしうたうことが彼らにとって大切な治療になっているのだ。
楽しいのは、彼らの思いが肯定されていることを、彼らの大脳が意識しはじめているからである。風呂から上がるとU(2年生)が、
「ちばせんせい、公文をやるからいっしょにやろう。」
といった。わたしははじめて彼の国語をみてあげることとなった。裏表に印刷されたワークシートを5枚ひろげ、彼はやみくもに答えを書き始めた。
「はい、U、さいしょにね、もんだいをしっかりこえにだしてよんでみよう。」あせった早口で読む。「ゆっくりよもう、点と丸では、ゆっくりくぎってよむんだよ。」文章をゆっくり読み、問題もゆっくり読むと、正確な答えがすぐ書けるのである。5枚のワークシートのすべてを、文章をゆっくり読み、問題もゆっくり読む、のかたちでさせていくと、彼は、おどろくほどのはやさで問題を解いていった。「やあ、Uはえらいなあ。ぜんぶもんだいがとけちゃったじゃないかえらいえらい。」
Vが「ほんをよんで」といってきた。
ほんをよんでいると、T(2年生)がぶつかってきてVをふんづけた。
Vは長い間すすりないていた。
「いたいいたい、いたいいたい」
私は声をかけながら、Tの手と足をマッサージし続けた。おやゆびねむれ さしゆびも
なかゆび べにゆび こゆびみな
ねんねしな ねんねしな ねんねしな「おやすみ、T……」
4.18日朝食の後、クレヨンで桜の枝を描いた。さくらのえだをみせ、「えだをみてごらん、どのいろがあるのかな、くれよんのうえをさわりながらすきないろをとってごらん。」8色ほど選ばせる。そのとき、赤系、青系、緑系、黄色系、白、がかならずえらばれているようにする。選んだ色の順番にごしごしごしとクレヨンを塗り重ねる。必ず根元から枝の先に向かって進むように指導する。枝の分かれ目をきちんと描くように指導する。描く線が斜めにぎざぎざになったり、えだのわかれめをとばしてクレヨンを塗ることは意識障害や言語障害がおきていることを現わしている。また、このクレヨンでさくらの枝を描くことは、意識障害や言語障害の治療となるのである。
H(3才)
たのしい、黄緑、赤、オレンジ色、茶色、が暖かく重ねられている。
ごしごしごしとここまで線らしきものを描けたことは大きな前進である。
A(4才)
たのしい、しっかりしている。
自分の脊椎を感じている。
斜めの線がたくさん出でいるが、直りきれていない意識障害を現わしている。
B(年少)
たのしい、ちからづよい。
筋肉を感じている。
D(年中)
たのしい、
生命を感じている。
赤と青が斜めの線で描かれている。
赤はさくらの枝の生命を現わし、青はさくらの枝の他者につながろうとする感情を表している。
Dの肉体は、さくらの枝と、その命と、その感情を分けて感覚しているのだが、Dの大脳の意識はそれらをぼんやりと意識している状態にあるのである。
F(年中)
うつくしい、ちからづよい。
実にしっかりとさくらの枝が描けている。
Fは自分の脊椎と筋肉をしっかりと感じている。
背景の紫色もじつにきれいである。
背景は、お友達のFへの感情を表している。
さくらの枝は、F自身をあらわしているのである。
K(年長)
うれしい、うつくしい、ちからづよい。
枝がすっきりと描かれている。
お花が咲いた。
さくらの枝の下にも草花が咲いている。
さくらの枝も、草花も、Kのうれしい感情を現わしている。
M(年長)
たのしい、うつくしい。
枝がすっきり描かれている。
芽がで、葉っぱがで……、
彼は自分の脊椎と肉体をしっかりと感じている。
背景が枝の輪郭に惑わされてしまっている。
背景は、お友達の彼への感情を現わすが、Mは自分の自我意識でお友達の気持ちを推し量ってしまうところが抜け切れていないのだ。
5.18日のEの顔(左)これほど表情のあるEを見たことはない。視床のLDと幼児性アルツハイマーが相当治ってきていることを現わしている。
F(右)のおだやかな顔。
体と脳の意識がF自身を肯定している瞬間を表している。
C(左)のうれしそうな顔、職員からご飯を食べさせてもらおうとする瞬間の顔である。彼の自我が消えた瞬間である。
B(右)のうれしそうな顔、体の自然な感覚がBの大脳にまで届いているから、ここまで自然な喜びが表情に表出しているのだ。
これらの表情は一瞬のものである。一瞬の後には、また、緊張した表情に戻ってしまう。しかし、この一瞬の積み重ねが、このこどもたちの人間としての成長の糧となっていくのだ。
こどもをせわすることはたのしい……愛が返ってくるからだ
さよならあんころもちまたきなこ