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O養護施設レポートV

レポート1 4月19日20日
レポート2 5月17日18日

レポート3 6月14日15日
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レポート12 3月21日22日
あとがき

このレポートは3年目を迎えることとなった。
わたしにとってたいへんな喜びである。
石の上にも3年、
1年目は、幼児たちが自分の体の鼓動を感じ始めるまでの1年間であった。
2年目は、幼児たちが自分の体を保育者(お母さん)に預けるようになるまでの一年間であった。
3年目は、幼児たちが他のおともだちの鼓動を聴き共有するまでの一年間になるものと思う。
O養護施設の職員と私との関係も、
1年目は幼児との係わり合いは保育室の中だけに限定されていて、生活の面倒をみている職員の目から隔てられていたが、
2年目は幼児部のすべての職員との共同作業が実現した。3年目は、O養護施設の全職員との関係ができ、O養護施設としての認識が確立されるようになるものと思われる。

コミュニケーション障害は、すべての人間が持っている。
自分が出会った他者の思いを正確に自分は聴き取っているのだろうか?
他者の思いの一部を強調して聞いてしまえば、まちがった他者の像を自分の意識は描くこととなる。
他者の思いの一部が自分の肉体と意識を傷つけると無意識が判断すれば、自分の体と意識の一部を他者に対して閉ざしてしまう。
自分に認識が起きれば、他者の意識にその認識を持って欲しいと思う。すると、他者に自分の認識を強要する。他者が自分の認識を受け入れないと絶望し他者と社会を否定する。
LD、ADHD、神経症、鬱病、精神分裂病、てんかん、アレルギー、アトピー、すべての心と体の障害は、コミュニケーション障害から起こってくるのである。

コミュニケーション障害がなくなるときは、自分の心と体の緊張が取れるときである。
自分の体が嬉しいとき、自分の外の世界の音や色やさまざまな感覚が嬉しいと感じるとき、自分の経験がそれでよかったのだと認識したとき、自分を肯定したときに、自分の心と体の緊張が解ける。
自分を肯定できて始めて、他者を肯定できるのである。

「行きて、帰りし、ものがたり」
瀬田貞二は、ものがたりの原型を、このように呼んだ。
すべての物語は、「おかあさん」「おうち」「じぶん」から始まるのだ。
「おかあさん」「おうち」「じぶん」から始まり、おともだちや外界との出会いがあり、再び、 「おかあさん」「おうち」「じぶん」にもどって、「よかったね」という認識が起こり、自分の成長が起こるのだ。
この「ものがたり」を、自分の意志、自分の自我で起こそうとしたらたいへんな恐怖の中で生きぬかなけれはならなくなるだろう。
お母さんや保育者に甘えられるということは、「自分がひとりじゃないよ」ということを思い出すことができるということである。
そして、人間が出会いの経験をするということは、他者につながろうとする意志を持っているからである。他者を愛しているからなのである。
他者を愛する
ということは、他者の鼓動を聴き、共有することから始まるのだ。

日本の伝統的なあそびである、まりつき、なわとび、おてだまは、 他者の鼓動を聴き、共有することそのものであった。
今年度には、ぜひ、O養護施設の庭で、歌いながら、まりつき、なわとびなどで遊ぶ子どもたちがみられるようになりたいと思っている。

2002年4月30日

千葉義行

音楽

バッハ
クラヴィーアの初歩者のための6つの小前奏曲から BWV933ハ長調

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