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レポート11 第11回目の訪問 2月21日22日


主……ともに在ること

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音楽

バルトーク

こどものためにT より 4枕のダンス

1.
21日10時半にO養護施設へ着いた。
新しい園舎を建設するために、古い園舎の取り壊しが始まっていた。
事務所は敷地の隅のプレハブの二階に移っていた。

打ち合わせ中であったので、挨拶はそこそこにして幼児たちの部屋に向かった。

旧女子職員寮と園長寮を改造して、一階は幼児二階は女子学童の仮園舎になっている。
幼児の部屋に着いたら、三瀬さんがHと二人だけでいた。
「Aは、今度幼稚園に入る子どもたちといっしょに幼稚園におよばれしているんですよ。」
「そうですか……Hはいいね、みせせんせいとふたりで……」
「電気ピアノがあるんだね、おうたをうたおうか……」
わたしは、新沢としひこ・中川ひろたかの「パレード」をピアノを弾きながら歌った。
「パレードをうたいながら足を踏みしめて行進するのはこどもたちの鼓動を引き出すのにとてもいいね。
そういえば、木の太鼓があったよね、どこにしまってあるかな……」
三瀬さんに木の太鼓でリズムを取ってもらいながら、また、「パレード」を歌った。
Hも横からトントンと太鼓を打っていた。
「H、じょうず、じょうず」
まもなく、刑部君がAをつれて戻ってきた。
「Aがあきてしまって、じっとしていられなくなったので、とちゅうでかえってきてしまいました。

Eちゃんはときどきこちらをふりかえっていたけれど、ちゃんとすわっていられましたよ。」

Aは、ソファのうえにのぼって、無表情でぴょんぴょんはねていた。
「ピョンピョンピョーン、ピョンピョンピョーン、……」
私は、Aのそばで声をかけ始めた。
だんだんAの表情が緩んできた。

「なれないこがおおぜいいて、きんちょうしちゃったんだよね。」

2.
ちゃぶ台を二つならべて昼食が始まった。
「かたよせあって、おすわりしてたべるのはいいなあ……

食堂でいすでたべている場合だと、ひとりひとりがはなれているもんね……」

学童の子どもたちに公文を教えておられる川上さんが、のっそり幼児の部屋に入ってこられた。

「ここにいるとほっとするものだからね……」

3.

幼稚園に行っていた子どもたちが帰ってきた。

子どもたちを抱っこしてオィリュトミーを行う。

「いつもなんどでも」「おおきなふるどけい」「あめふりくまのこ」「まめっちょ」「さんびきのくま」「すてきなぼうしやさん」「ぱれーど」……

抱っこしておどると、FとDは、ほとんど毎回眠ってしまう。

自分の経験が主から肯定されていることを体と意識が納得する時に、安心し深い眠りが訪れる。

おやすみ

            おけらりょうた

すなつぶ まくらに めをつぶって
ちっちゃなこえで いったんだ

  おやすみなさい ちきゅう

そしたら おなかのしたから
しずかなこえが きこえたんだ

  あさまで だいていてあげよう

わあい こんやは よくねむれるぞ

工藤直子さんの「のはらうた」のなかの詩である。

治療とは、肯定し続けることなのだ。

治療とは、ともに在ることなのだ。

4.
「おえかきしたい」とこどもたちがいう。
今回は、くまのぬいぐるみをえがくこととした。
子どもたちと同じくらいおおきなくまと、だいてあるけるくらいのくまと、おなじデザインのくまが2体、幼児のへやにあった。
こどもたちはいつもこのくまであそんでいたのである。
くまのけなみの方向をこどもたちにつたえること。
くまのけの質感をこどもたちにつたえること。

この2点が今回の絵画の目的である。

A(4才)

あたたかい。

もくもくもくと、てんてんの集合で描いたことがぬいぐるみの質感が良くとらえられた原因である。

B(年少)

あたたかく、たのしい。

幼児のお部屋の暖かさ気持ちよさを現わしている。

D(年中)

ちからづよい。

ぬいぐるみの毛の方向で描いたために、人間の体の構造を感じている絵になっている。

E(年中)

あたたかい。

幼児のお部屋のみんなも、幼稚園のお友達も、彼にとって気持ちよいと感じていることを現わしているように思われる。

F(年中)

ちからづよく、たのしい。

人間の体の構造を感じる絵になっている。

G(年中)

ちからづよい。

G自身を肯定する絵になっている。

M(年長)

あたたかい。

背景はO養護施設のおともだちの気持ちを現わし、くまは職員の気持ちを現わしている。

K(年長)

ちからづよい。

くまは職員の感情を現わし、彼女がそれを力強く思っていることを現わしている。

I(年長)

ロボットを描きたがったので彼だけ特別メニューとなった。

人間の構造を伝えることを目的に指導した。

   

5.

夕食は、幼児の部屋に運んで行われた。

男子学童の子どもたちもお手伝いをしていて、うれしそうだった。

私が少し遅れて部屋に入ると、Aが私の手をにぎって自分のちゃわんのあるところに連れて行った。
そこにはBがすでに座っていた。AとBのちゃわんがおなじデザインのものであったからだ。
AはBを押しのけてすわった。
わたしは、BをひざにだきあげてBのちゃわんをさがした。
Bのちゃわんをみつけてそこにうつると、Aは、じぶんのちゃわんを持ってわたしの隣にわりこんできた。
Bはわたしにだっこされたままじっとしていたが、とうとうAをはしでつついた。
Aはなきだす。
「B、どうしてAをつついたの」
「ははは、さいしょBのすわっていた席にAがわりこんだんだよ。
それでぼくがBをだっこして今の席にすわったんだけれどもね。Aがまたわりこんできてね。
Bはおこっちゃったのさ。

でもね、Bはずいぶんがまんしていたんだよ。よくこれまでがまんできたとおもってね。」

「ゆうびんやさん えっさっさ、Bくんのおくちにえっさっさ」
わたしがBの口にごはんをはこんであげると、「ぼくにも」「わたしにも」とまわりのこどもたち全員から声がかかった。
A、D、F、C、I、……
食べさせてもらうことによって、食事がおいしくなる。そして、食べさせてもらうことによって、自分自身で食べるようになるのである。

甘えることは、自立することなのだ。

食べさせてもらうときのIの表情がとてもうれしそうだった。
O養護施設にきてもうすぐ2年になるが、はじめの目が細くて表情のない顔が(左)、60%くらいの時間は目がパッチリするようになり、喜びの感情の表出がはっきりしてきた(右)。

視床のLDと脳梁性のアルツハイマーが大きく改善されてきて、わたしや職員の意識と同じ宇宙での意識を持てるようになったことを現わしている。

人間の意識は必ずしも同じ宇宙で営まれているのではないのだ。大脳の意識が空転している時には、現実の世界から離れた意識(宇宙)が大脳の意識を占拠してしまう。
わたしたち人間が現実のしっかりした宇宙を意識するためには、自分の体の鼓動をしっかりし感じ、それが喜びであることを意識し、他者の感情を耳を澄まして聴かねばならない。
悲しみや苦しみや絶望や恐怖や怯えは、常に、自分の意識や体や、他者の意識や体から聞こえてくる。
これらの「迷い」が自分の大脳の意識に響くと、自分の体の鼓動と喜びを簡単に忘れてしまう。

すると、現実の宇宙から離れた、べつの宇宙の意識が大脳を占拠してしまうのだ。

これまで、情緒障害と呼んできたもの、精神障害と呼んできたもの、すべては、この「迷い」から起こっているのである。そして、この「迷い」はすべての人間がもっているのである。

6.

夕食が終わると、TMくん(中1)がわたしを呼びにきた。
「いっしょにおふろにはいろう」
長い渡り廊下を通って男子学童の風呂に案内される。
「ちばせんせいをよんできたよう。」
TH、TM、6M、TR、4H、V、いつものメンバーがそこにいた。
「おふろ、あたらしくてさ、きもちがいいよ。」

体をあたためたあとに、Vをおんぶしてオィリュトミーをした。

ぼくらのまちに ラッパがなったら
さあくりだそう きょうはパレード
ドラムをならせ シンバルたたけ

みんなうたおう おおきなこえで

パパパパパレード どどどどどこまでも
パパパパパレード あしたはつづいてる

風呂から上がった後、信の部屋に行き、Vにえほんをよんであげた。

男子学童の21名は3部屋に分かれて仮住まいをしていた。
信の部屋にはテレビが置かれ、大勢の子どもたちがいっしょに「ドラエモン」を見ていた。

7.

食堂をのぞいてみたら、川上さんがTHくん(中3)の数学をみていた。
「やあ」と挨拶し、THくんの隣に座る。
三角形の角度を勉強している。
ゆっくり順序だてて問題を解こうとしている。
「やあ、ずいぶんできるじゃないか。そうやって順序だてて解いていくんだね。えらいえらい。」
わたしは彼の背中をさすり、フォルム治療をはじめた。彼は、真っ青になり深い努力を続けていたからである。
THくんはわたしに触られることを嫌がらなかった。
わたしは、胸椎、腰椎、仙骨、頭頂骨、側頭骨、前頭骨、後頭骨を順次触っていった。

「頭が痛くなったら、千葉先生に言うんだぞ。勉強もあんまりむりしないで少しずつ繰り返してやれば理解できるようになるからな。」

TMくん(中1)が算数のワークシートを行っていた。
「どーれどれ」TMくんのフォルム治療を行う。
彼はすばらしい速度で公文のワークシートを解いていた。
「わっはっは、千葉先生がこうしていると、もんだいがどんどんとけるだろ。
川上さん、わたしがここにきている時には、この時間帯は川上さんとわたしとこのように組んで公文を教えないかい……」

「ありがとうございます。」

8.

荷物を取りに幼児の部屋に帰ると、三瀬さんがいた。
「ようちえんでEがじっとしていたってことは、すごいことだね。」
「そうですよね。
このごろ、子どもたちがようちえんのほかのこどものいえにしょうたいされることがおきてきて、Cちゃんなんか、なんかいもいっているんですよ。」

「それはいいことだね……、O養護施設の生活が外の家庭から見ても普通に見えるということだね。」

三瀬さんからこどもたちの写真を見せられた。
「先生がおっしゃるように、園としての記録をしっかり残しておこうと思いましてね。」
そこには、こどもたちの、自然な、すばらしい表情が並んでいた。
「このEの写真はいいなあ。ぼくのとったものの中には、まだこの表情は取れていないよ。
なあ、人間には、表面に現れているものの底に、深く尊いものがほとんど沈んでいるんだ。

障害を持つとそれがますます表に表現されなくなってしまう。」

宿舎に帰った後、川上さんと3時まで飲んでしゃべった。

9.
22日、朝7時半に飛び起きて幼児の部屋へ行く。
Aをだっこして朝食をとる。
子どもたちがかわるがわるわたしの膝に乗ってくる。
そこには、めったにわたしの膝に乗ったことのない、CやIの姿があった。
そして、昼食の時には、Hがわたしの膝の上にいた。
Hはこれまで職員の膝でしか食事を取ったことがなかったのである。
「ゆうびんやさん えっさっさ Hちゃんのおくちにえっさっさ……ごはんおいしいね」
「おいしいね」
「ちばせんせい、えっさっさやって」
A、F、D、I、同じちゃぶ台にいる子どもたちにひとまわり「えっさっさ」とたべさせる。
甘えることが食事をおいしくする。甘えると、こどもたちの感覚の緊張の一部が解けるからなのだ。

自立させようとすることは自立とは結びつかない。
自我を確立させようとすることは孤独と絶望と恐怖をもたらし、誤った自我意識をもたらすのだ。

10.

このひ、男子学童の子どもたちがたくさん遊びにきていた。

TR、TH、TM、6M、V、みんな自然に幼児たちと遊んでいた。

さよなら
あんころもち
またきなこ

2003年3月3日

千葉義行

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