レポート12 第12回目の訪問 3月21日22日
1.
21日11時にO養護施設についた。
幼児たち10名のうち6名がおなかの風邪でぐったりしていた。職員の刑部さんもおなかの風邪でしんどそうだった。Bはお父さんといっしょに外出していた。昼食をいっしょに食べる。H、A、D、E、F、G、は、おかゆだ。当番のAがおはしをくばる。ちゃぶだいにすわっている子どもの一人一人にそのこのおはしを順番に渡せば、はやくおはしくばりがおわるのだが、Aは、自分の頭の中で順番を決めて渡そうとするために、なかなかはしをわたさない。「すずきせんせいのはしがない」といいだすと、Aはぜんぜん動かなくなった。「もくとう」Aがみんなに声をかける。みんながめをつぶるまで、Aは一人一人の顔を見て回る。なかなか、「いただきます」のことばがでてこない。みんな、「まだあ」と首をながくしてまっている。
2.
12時過ぎに三瀬さんが出勤してきた。「ちょっとおはなししたいことがあるんで……」二人で職員の部屋へ行った。「知っていらっしゃいますか。私には2日前に園長先生からメールで通知がきましてね。」「一週間前くらいに職員会議で園長先生から言われました。先生は去年からO養護施設の職員にO養護施設での治療教育のまとめの話をしたいとおっしゃっておられましたから……、園長先生と話し合われてここをおやめになることを決められたのかと思っていました。」「昨年末に副園長先生に職員にまとめの話をしたいと話したんだが、そのあと何の話もなくてね。……とにかくね、幼児部の職員にまとめの話をしたい。なんとかとりはからってくれませんか。」「今日は、刑部さんと鈴木さんしかいません。明日は、木村さんと野本君しかいません。」「そうか……。今日、刑部君と鈴木君と三瀬さんのメンバーに話すしかないね……。自分の経験から僕に本気で質問してきたのは、この三人しかいなかったものな……。」
3.
刑部さん、鈴木さん、三瀬さん、私、でまとめの話をした。「この二年間で一人一人の幼児がどのように変化したか、なぜそれが起こったのか、を整理しておこう。
人間には外部から感覚がはいってくるとね、まず、体を通って、視床を通って、大脳で整理されて、それが視床に報告されて視床に意識が起こる。
このときにね、脳梁に微細な障害があると、体にフィルターがおこり、一部の感覚を通さなくなるんだ。すると、大脳の意識にとってその感覚は最初からなかったものとされてしまう。何度注意されても同じ行為を繰り返す子がいるよね、食事中にきゅうにとなりのこをひっかくこがいるよね、そのようなこは、まぶしそうなほそい目をしていて表情が動かないことが多いね。また、霊感が強く、霊媒体質であるこがいるね。
視床に微細な障害があると、二種類の症状が起こる。
まず、体から上ってくる一定の感覚に一定の感情を添えて大脳に送るケース。恐怖や怯え絶望、支配、自我、などの感情が一定の感覚に添えて大脳に送られると、大脳の意識はその感情によって一定方向に整理されてしまう、恐怖、怯え、絶望の感情が添えられた場合には大脳がパニックを起こし、大脳を保護するために視床から送り込まれる一定の感覚が止められてしまう。
このケースがあると自傷行為や高いところや周辺部へのこだわり、逆に中心へのこだわり、一定の秩序へのこだわり、「なぜなの」などの感情へのこだわりが起こる。いわゆる自閉症がこのケースから起こってくる。このケースの子どもたちは交感神経系が昂進するために目が外側に引っ張られ、細くなり、表情が動かなくなることが多いね。知恵遅れが起こるケースと逆に頭がよくなるケースと両方がある。
もう一つのケースは、視床自体がフィルターとなって一定の感覚を止めてしまう場合。自分の思いを唐突に語りかけてくる子どもたちが増えているね、自分と他者と環境が大脳の意識の中で区別できていない。そして、他者の感情の一部が大脳で意識できていないためにそれが起こるんだ。
目はぼんやりと見開いていて、虚空を見ていたり、目を開いていても後ろを見ているような印象が起こる。知恵遅れが起こるケースがある。このケースは、医者は自閉症と呼んだり、アスペルガー症候群と呼んだりしている。
前頭葉に微細な障害があると、前頭葉が小脳から響いてくる体に記憶された断片的な記憶と認識で大脳の意識を整理しようとする。すると、大脳にまで響いている感覚であっても前頭葉の価値意識に合わない感覚は無視されたり拒否されたりしてしまう。また、これにより大脳に深い絶望が起こると、大脳を保護するために視床が大脳に送り込む感覚の一部を停止する。すると、自閉症に似た症状が起こり知恵遅れが起こる。医者の言う注意欠陥症候群(ADHD)は、このようにしておこるんだ。この子たちは、頭のてっぺんから突き刺すような声を出すことが多い。目は見開き、前を見据えるような感じがある。前頭葉が肥大し額が飛び出てくる感じがある。そうして、いっしょにいる人にとってはいつもこの子から命令を受けているような感覚が起こる。他者と第三者(環境)と自分の区別がつきにくく、自分の思いを他者や環境に命令してしまうからだ。片付けられないとか物忘れをするという現象も、前頭葉が小脳から響いてくる体に記憶された断片的な記憶と認識で大脳の意識を整理しようとすることからおこる。意識の視野がこだわりの思考の繰り返しによって狭められてしまうからだ。
ここまでが、感覚が大脳に伝達されるまでに起こる情報の欠落だ。つぎに、大脳から視床をとおり体をとおり他者に向けて発せられる情報に欠落が起こる。
大脳基底核に微細障害が起こると、二種類の症状が起こる。
まず、手の意識や足の意識や口の意識や内臓の意識や、アストラル意識や内宇宙、外宇宙、平行宇宙の意識が直接体を動かしてしまう。したがって、本人の意識が他者に正確に伝わらなくなる。意識とは別に、体が叩いたり、蹴ったり、噛んだり、怒ったりする。他者の嫌がることを行う。汚い言葉を使う。体が絶望する。行為障害だ。肋骨が歪み、肩が後ろに下がり胸を張ったようになったり、逆に猫背になったり、いかり肩になったりする。子どもにさとすときにぼくらもこういうことをいうよね、『おててがわるかったんだよね』とか『あしがわるかったんだ』とか『おくちがわるいんだ』とか…。
次に、脊椎の意識が他者の感覚の一部を増幅して自分の体を動かし、他者の感覚に投げ返えしてしまう。脊椎の形成が不十分である感じが起こる。たとえば、他者の気持ちを逆なですることをする。いつも服を汚してしまったり、うんちやおしっこを教えなかったり。他者の嫌がることをしたり。私はこれを、感覚障害と呼んでいる。
または、 脊椎の意識が他者の感覚の一部を増幅して自分の体を動かし、自分の感覚に投げ返えしてしまう。脊椎の形成が不十分である感じが起こる。
たとえば、他者の思いでくよくよ考える。神経症や鬱病で起こった思いを繰り返す。すると、神経症や鬱病が重くなり、分裂病を起こす。
大頭で骨盤の小さな子どもや、水頭症も、この問題から起こる。
これが原因で知恵遅れを起こす子どもたちがいる。
脳幹に微細障害が起こると、脳幹がフィルターとなってしまい、体の一部が自分の意識のイメージどおりに動かなくなる。不器用になったり、運動能力が低下する。すると、自分の思いを自分の口や体で十分表現することができにくくなる。すると、自分の思いが他者や世間に届かないという思いがつのる。
小脳に微細障害が起こると、体がフィルターになってしまい、自分が意識したことの一部が他者に伝えられなくなる。自分が一生懸命に他者に自分の認識を伝えようとしても、他者にはちんぷんかんぷんになる。どもったり、内臓疾患が起こったり、ガン、糖尿病などの成人病がここからおこる。」
「さて、人間にはだれにでも今語った障害が多少なりともある。それを情緒障害と呼んだり、コミュニケーション障害と呼んだりしているね。こどもたちの世話をし、育てる職業についているもの(保育者、教育者)は、自分にあるコミュニケーション障害についての認識がまず必要だ。自分自身がしっかりとは意識をもてていないことへの自覚だ。自分に障害がある、だから、いろんな誤解をしてしまったり、怖くなったり、怯えたり、いかったり、悲しんだり、苦しんだりしてしまう自分がいるんだ。また、一人一人の子どもたちは、どんなこどもでも、やはり、しっかりとした意識は持てていない。だから、いろんな誤解をしてしまったり、怖くなったり、怯えたり、いかったり、悲しんだり、苦しんだりしてしまうんだ。しっかりとした意識をもてていない人が、しっかりとした意識を持てていない子どもの面倒を見ている。これが現実なんだ。ここにいる4人ともに、前頭葉、大脳基底核、小脳、脳幹に深い緊張を抱えているよ。自分自身のコミュニケーション障害に自覚のない人はね、僕に、『なぜ、子どもたちに障害を決め付けるんですか?障害という言葉を使わないで説明はできないんですか?あなたは権威もないのにそんな言葉をつかっていいのですか?』と聞いてくる。自分の障害を否定しているから、こどもたちの障害を否定するんだ。それで、自分とこどもたちの現実が見えなくなるんだ。」
「一人一人の子どもたちについて語ろう。Hだ。去年の2月にここに来たときには、前かがみに歩いていて運動能力も落ちているのではないかと思え、また、自分の思い通りに職員を動かそうとして大変だったね。写真を見ると、一年の間に表情がぜんぜん変わったのが分かるだろう。顔に表情が表出するようになり、半開きだった目がパッチリと開くようになった。まだ少しドタドタ観はあるけれど、しっかり歩き走れるようになった。まず刑部ママに甘えるようになり、幼児の全職員に甘えるようになり、1月からはすうっと僕に抱っこされにくるようになった。ボランティアの方々にもすうっと甘えられるようになった。本当にかわいくなった。彼女の場合は、前頭葉に問題があり、さらに脳挫傷が起こったために運動に問題が起こったんだが、腸骨と肩甲骨・鎖骨がとても改善されてきた。最初の写真ではいかり肩であったのが、最後の写真ではなで肩になっているのが分かりますね。この子の場合は、腰と肩を回してあげること、(えんやらもものき)、体に律動を与えてあげること、(まめっちょ、いちばちとまった)、が大切だ。Hが甘えてきた時など機会あるごとに、足と胴のマッサージを行ってあげてください。それから、ときどき、Hのいやがらないときに、額と後頭部を先生方の両手のひらではさんであげてください。
Aだ、二年前に出会ったときには、体中にむくみがあり、肌が浅黒く、自分の思い通りに職員を動かそうとし、手づかみで食べ物を食べ、衣服を汚し、無表情だった。職員で取り組んだのは、おんぶにおうただった。僕はこの子に最大のフォルム治療と治療オィリュトミーをほどこした。前頭部に緊張があり、大脳基底核に緊張があり、胸椎にたよりなさがある。前頭葉に緊張があるために、自我意識で自分の体と他者の意志と体を支配しようとする。それで、食べさせてもらわない。自分で食べようとするから手づかみになる。おんぶされると、子どもの意識の軸と保育者の意識の軸が同じ方向を向く。すると、子どもは自分の意識の軸を保育者の意識に添わせることができるようになる。すると、保育者が安定した意識でいれば、子どもの意識の緊張が緩められる。子どもは自我意識を保育者に預けるようになる。それでおんぶされると眠ってしまうんだ。自我意識で自分の体と意識を動かそうとする緊張を持つ子どもたちはなかなか眠れない。眠りも浅い。一昨年の12月には色白になってかわいくなっているね。しかし、昨年の4.5月はずいぶん緊張した状態が続いた。他の幼児がみんな幼稚園に行くようになり、他の幼児が外から持ち込む緊張を吸い取ってしまったのだろうね。このこはね、みんなの気持ちを支えようとする意志が強い子なんだ。いいこなんだよ。3才を過ぎてやっと単語を話すようになり、昨年の6月に二語文をしゃべるようになった。知恵遅れがおきることを心配していたけれども、知恵遅れは起こっていない。言語の発達の遅れも、小学校の入学までには標準に近いものになると思う。4月から幼稚園の年中に入園するのだけれども、非常に緊張しやすいので、慣らし保育を認めてもらって繊細に対応することが重要だ。最後の写真には、暖かい感情の表出がある。Hと同じように、腰と肩を回してあげること、(えんやらもものき)、体に律動を与えてあげること、(まめっちょ、いちばちとまった)、が大切だ。彼女が甘えてきた時など機会あるごとに、足と胴のマッサージを行ってあげてください。特に胸椎と頚椎と仙骨のマッサージが重要です。螺旋を描くように首からお尻に向かって何度もマッサージしてください。それから、ときどき、Aのいやがらないときに、額と後頭部を先生方の両手のひらではさんであげてください。
Bだ。二年前に出会ったときには無表情で、自分の思い通りにならないと噛んだ。前頭葉と大脳基底核と小脳に大きな緊張があった。僕はこの子に最大のフォルム治療と治療オィリュトミーをほどこした。おととしの5月だったとおもうけど、Bがどろだんごをつくっていた。そのとき、僕は「どーろだんご、どろだんご、きゅっきゅっきゅっ」とこえをかけてやった。すると、それまで無表情だったBの顔が、ケタケタケタと笑ってね。AとBをだっこしてオィリュトミーをしている写真があるけど、BはAのうれしさを感じて笑っている。
この写真では、Aの意識はまだ恐怖の状態にあって自分の体の喜びを意識していないんだが……、Bには他者の体の喜びを感じる能力がある。そして、自分の体を喜ぶ能力がある。Bには、特に、体を動かす喜びを伝えていくことだ。鼓動・拍を伝えてあげること、足を踏みしめて歩く…、歌に合わせて行進するといいね。サッカーや水泳もいいと思うね。腰と肩を回してあげること、(えんやらもものき)、体に律動を与えてあげること、(まめっちょ、いちばちとまった)、が大切だ。それから、ときどき、彼のいやがらないときに、額と後頭部を先生方の両手のひらではさんであげてください。
Cだ。頭がよく一見問題のない子であるが、論理で考えようとするために、外から響いてくる常識で考えている時はいい子に見えるのだが、感情にわだかまりが起こるといこじになり、職員の思いが届かなくなる。前頭葉と大脳基底核・肋骨に緊張が深い。前頭葉で論理を繰り返すことが多く、肋骨で思考を行為障害することが多いということだ。思考と論理の繰り返しが起こる子どもは、頭がよくなる。しかし、その論理と思考の視野は狭められ、一方的になりがちだ。今年に入ってから、すうっとわたしの膝に乗ってくるようになった。職員にも甘える時間が増えてきていると思う。この子にとって一番大切なことは、甘えられるようになることだ。甘えるということは他者を信頼するということだ。Cにとって、この2年間は他の子どもたちが職員やボランティアに甘え、喜ぶ気持ちを聴いて、だんだん職員のそばまで近寄ってくる過程だった。現在は、やっと、職員と彼との一対一のふれあいが始まったという時点であろうと思う。
職員は彼が甘えてきた時に思い切り甘えさせてあげて欲しい。そして、甘えてきた時に体のマッサージを続けて欲しい。
マッサージをすると体を意識できるようになる。
「Cは頭がよいために、自分の体をうまく意識できていない。」ということを職員には理解してもらいたいのだ。そして、年中、年長、の間に、役割交代の遊びをたくさんさせて欲しい。わらべうた遊びの中でオニの役割を自分の番がくるまで待って楽しめるように育てて欲しい。幼稚園でもO養護施設の中でもわらべうた遊びを取り組めるようになればいいなあと、僕は思い続けていたのだけれどね……。最後の写真は、彼のおだやかなやさしさが表情にあらわれていて、大変いいなと思っている。
Dだ。脳梁と大脳基底核と脳幹に深い緊張があり、足指にリューマチ系の緊張があった。3才の頃には、おしっこが自立しきれていなく、食欲が止まらずふとっていた。彼女の場合は、思い・感情が大脳、視床から体をとおり他者に伝えられる過程に主な問題があったんだ。彼女は出会った他者を支えたり愛したりする豊かな感情を持っている。しかし、脳幹に緊張があるために、それがうまく体に伝えられない。
Dには不器用な面があるよね、そして、おしっこがなかなか自立できなかったのは脳幹の緊張に原因があったからだと思う。Dは私におんぶやだっこしてオィリュトミーされるのが大好きだったけれど、最近はオィリュトミーの最中に寝込むことが多くてね。おぶさって、「いつも何度でも」を歌っておどってもらえば、自分の過去の苦しみや怒りや悲しみが『それでいいんだよ』と肯定されているのを、彼女の体の無意識が感覚するんだね。すると、大脳基底核、脳幹、小脳の緊張が緩み眠たくなるんだ。これからは、特に、彼女の巧緻性と運動能力を伸ばすことに取り組んで欲しい。
お料理、編物、織物、絵画、手先で物を作ることの楽しさを伝え、巧緻性を伸ばすんだね。
同時にわらべうた遊び、役割交代、おにごっこ、まりつき、縄跳び、お手玉、で運動能力を伸ばすんだね。
後ろへ進む、前へ進む、左右に進む、立ち上がる、うずくまる。空間認識を育てることも大事だよ。
これらのことが、大脳基底核、脳幹、小脳の緊張を緩めることにつながってくるんだ。
Eだ。視床と脳幹と大脳基底核に深い緊張があった。彼には、高いところに上りたがり、「だめだ」と絶望すると自分の頭をところかまわず打ち付ける自傷行為があった。写真の記録を広げてみると、おととしの10月を境に、それまでの長細い目が多かったのが、パッチリと開いた目がおおくなっている。と同時に自傷行為の回数がへってきている。昨年の4月は、幼稚園に登園し始めた頃で、非常に不安な表情をしている。今年の2.3月の写真には内面の美しさと深さが表出している写真がある。おととしの10月からは、自閉症的症状から視床がフィルターとなって知恵遅れを起こす状態が主症状となったものと思われる。Eには、外部から入ってくる他者や環境の感覚に対する激しい恐怖と怯えがあった。
視床から大脳に恐怖や怯えを伴った感覚が送り込まれると、大脳では自我意識でその感覚を支配しようとする。すると、他者や環境に対して命令する行為が起こる。そして、その命令が実現できないと絶望して自傷行為を起こすんだね。担当の三瀬さんを先頭にしてみんなで取り組んだのは、おんぶにだっこ、鼓動を送り込むこと、マッサージ、彼を真正面から受け止めること、だった。おんぶは非常に効果があったね。
おんぶされると、子どもの意識の軸と保育者の意識の軸が同じ方向を向く。すると、子どもは自分の意識の軸を保育者の意識に添わせることができるようになる。すると、保育者が安定した意識でいれば、子どもの意識の緊張が緩められる。おととしの9月の写真では、私が彼をおんぶして、歩いたり、オィリュトミーしたり、わらべうたを歌ったりしている。彼をおんぶし、「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」と唱えながら園の庭を散歩していた時に、背中のEが「はっぱ、はっぱ、はっぱっぱ」と口ずさんでいるのを聞いたときはうれしかったねえ。視床がフィルターとなって知恵遅れを起こす状態を解決していくための方法は、彼の体に感覚を送り続けることと、彼の体に起こった感情を彼の大脳に届けてあげることだ。まずは、鼓動を送り込むこと。おうたを歌いながら行進したり、夜寝る時には、手足の指のマッサージを欠かさず行い、体をリズムを取って叩く。朝起きたら、全身のマッサージを行い、「えんやらもものき」で腰を回転させる。そして、幼稚園やO養護施設で彼が戸惑っていたりしているときには、彼の本当にやろうとしていること・感情を言葉で明快にこえかけてあげる。
自閉症の訓練施設の一部でいいことを聞きました。「黒子になりましょう」ということばだ。Eの黒子になって、彼が本当にやろうとしていることを言葉でこえかけてあげる。すると、彼の大脳の意識が、彼の体の感情を意識するようになるのですね。
Fだ。Fは、幼児たちの中で一番母親としての力をもっていると思う。昨年の1月や今日の写真は、おともだちの世話をし支えることの喜びを彼女の大脳がしっかりと意識しているいい写真だ。しかし、自分の思いでわだかまると、ごねごねにごねてしまう。前頭葉と小脳に緊張が深く、足にリューマチ系が深いからだね。自分が『こうあって欲しい』と思ってもそれがなかなか実現しないと、わだかまり、欝の状態になるんだ。一昨年の6月や去年の4月など、私に抱かれたり膝枕で泣いている写真がいっぱいある。Dと同じく、私におんぶやだっこしてオィリュトミーされるのが大好きだったけれど、オィリュトミーの最中に寝込むことが多くてね。おぶさって、「いつも何度でも」を歌っておどってもらえば、自分の過去の苦しみや怒りや悲しみが『それでいいんだよ』と肯定されているのを、彼女の体の無意識が感覚するんだね。すると、前頭葉と、小脳の緊張が緩み眠たくなるんだ。とにかく、わだかまってごねごねしても、いつも彼女のそばにいてあげ、体のマッサージをしてあげること。すると、自分で起き上がり自分のことをするようになる。そして、わらべうた遊び、役割交代、おにごっこ、まりつき、縄跳び、お手玉、で空間認識力を伸ばすんだね。
後ろへ進む、前へ進む、左右に進む、立ち上がる、うずくまる。この空間認識力が伸びると、他者の意識とみんなの意識、そして自分の意識が分かれて意識され、それをまとめることができるようになる。これらのことが、彼女の前頭葉と、小脳の緊張を緩めることにつながり、鬱病体質を軽減することにつながってくるんだ。
Gだ。一昨年には、アトピーが激しく、手足が異常に冷たかった。
しかし、おなかが常に火照っていたために布団をかけてあげてもすぐにはねのけていた。左右の目がアンバランスだ。頭がよく、自分がリーダーで他の子どもの面倒を見ようとするが、自分の自我と判断で動こうとし、職員の気持ちが聞こえなくなる。そのために、職員から見るとこそこそ隠れて何かをしているように見える。脳幹及び視床に深い緊張があった。左右の目がアンバランスであったのは視床に緊張があったためだ。私は、フォルム治療では、側頭骨、頭頂骨、顎、足指、手指、足首、手首、を念入りに触ってきた。
彼のアトピーの主な原因は足首と顎の緊張にあった。GやCのように自我の強さのために職員の気持ちを聞けなくなるタイプの子どもには、他者から触られたり支えられたりすることの気持ちよさうれしさが伝わるまでじっと待つ姿勢が必要だね。職員に甘えてくるまでじっと待たなきゃね……それがいちばんむずかしいんだけどね。手首手指のマッサージ(ここはてっくび てのひら)足首足指のマッサージ、腰の回転(せんぞうやまんぞう、えんやらもものき)、足首を引っ張ってブルブルブル、体に鼓動を与えること、おうたをうたいながらの行進、とにかく自分の体がうれしいという思いが大脳に上らないとね、役割交代遊びがたのしくできること。
Gは自分の役割だけで大脳がいっぱいになってしまって、他の子や先生の立場からくる思いが聞こえなくなってしまい、それでわだかまるところがあるのです。去年の1月の写真が、Gの一番すばらしい、素直な実像を現わしていると思うね。
Iだ。去年の3月にO養護施設に来たときには、まぶしそうな細い目をして、表情も感情もあまり動かなかった。先生に何か言われてもへらへらしていて、私たちの思いが彼には届いていないところがあった。去年の6月から急に目がパッチリ開いているようになり、先生方にだっこされ身を預けるようになった。6月と今日の写真を比べると、どちらも目がパッチリしているけれど、今日のほうに深い感情の表出があるね。脳梁と大脳基底核に深い緊張があった。昨年5月の写真で私が彼の頭の天辺に手を当てているのは、頭頂骨の緊張を解くことによって脳梁の緊張を緩めているところだ。一年という短期間でこれだけ意識がはっきりしてきたことは大きく評価されることだと思うがね。Iの体に鼓動を入れていくと、Iは自分の体の感情を深く意識するようになる。体の感情といっても、まだ彼には悲しみや苦しみや恐怖が体から取り去られてはいないから、先生方に甘える時には悲しみや苦しみや恐怖やわだかまりをぶつけてくることとなる。去年の8月の写真がそのようなIを表しているね。だから、Fに対する対処法とおなじに、わだかまってごねごねしても、いつも彼のそばにいてあげ、体のマッサージをしてあげること。すると、自分で起き上がり自分のことをするようになる。そして、わらべうた遊び、役割交代、おにごっこ、まりつき、縄跳び、お手玉、で空間認識力を伸ばすんだね。
後ろへ進む、前へ進む、左右に進む、立ち上がる、うずくまる。この空間認識力が伸びると、他者の意識とみんなの意識、そして自分の意識が分かれて意識され、それをまとめることができるようになる。
Mだ。3年前彼に出会ったときには、高いところが好きで体を触られるのを嫌がって一人で遊んでいることが多かった。視床、大脳基底核、小脳に深い緊張があった。Mは大変思いやりの深い子だ。弟のEがO養護施設にやってきた時にはたいへんよろこんで、何くれと面倒を見ていた。ただ、彼のやさしさがなかなか他の子どもに届かない、実らない面を持っている。小脳に緊張があるために、彼の想いがうまく体から表現しきれない。想いが実らないと、わだかまりが激しくなり、鬱病体質が起こる可能性がある。何でも自分でやろうとする面、人に頼らない面、は、視床及び大脳基底核の緊張からきている。わたしは、『Mを尊敬すること』をいつも念頭において接してきた。彼の行為をよく観察していると、その行為に理由が明確にあることが分かる。先生の指示に反している時も、その行為には彼の肉体の認識が現れている。ただ、自分の肉体の認識で考えてしまうので、全体の状況が分からなくなるのだ。彼を静かに尊敬していると、Mはわたしを尊敬し見上げてくれるようになった。今年に入ってから、Mにお絵かきしようとせがまれることが多かった。絵を教える段になると、彼は自分で描きたいもの(ポケットモンスターやロボット)を主張するんだが、私は、『千葉先生は今日しかこられないんだから』といって、基本となる絵の描き方だけを教えてきた。彼は、私の選んだ素材を描き、自由画を描いている時にも、私の教えたことをその中に応用していた。
Kだ。3年前に出会ったときは、無表情でお手手が異常に冷たかった。視床、脳梁、大脳基底核に、深い緊張があった。現在でも写真をとると、5枚に1枚くらい、一昨年4月、昨年3月のような、焦点の合わない顔が写っている。
これは、大脳基底核の緊張から起こる意識の混濁であるとおもう。腸骨、肩甲骨、肋骨が大脳基底核とつながっているので、腰や肩をよく回すことが治療につながるとおもう。腰と肩を回してあげること、(えんやらもものき)、体に律動を与えてあげること、(まめっちょ、いちばちとまった)、が大切だ。これから小学生になるので、お手玉、縄跳び、まりつき、で遊べるようになると、この問題は解決してくるんだがね……」
「もう一度まとめよう。人間は、他者の感覚を自分の感覚に伝え、他者を支え、現生での一生を送る。
他者を支えることは、自分の言葉を他者に伝えることでそれが行われる。人間の意識の営みの中では、体、視床、大脳、の3つの部分でフィルター作用が起こり、情報の欠落や増幅が起こる。
体→視床→大脳、の過程でフィルター作用が起これば、自分の意識が歪み、他者や自分自身への誤解が起こる。自閉症、アスペルガー症候群、ADHD、脳梁性意識障害、神経症、痛風、は、この過程で起こっている。大脳・視床→脳幹→体、の過程でフィルター作用が起これば、自分の言葉が他者に十分に伝えられなかったり、逆に伝わったりする。行為障害、分裂病、鬱病、リューマチ、どもり、不器用、は、この過程で起こっている。
体→視床→大脳、の過程でのフィルター作用は、自分の体の喜びを意識することで、癒され、慰められ、治療される。わらべうたの観点からすれば、鼓動を意識すること、自分の感情から発するメロディ(ペンタトン音階)を意識すること、が重要だ。まりつき、お手玉、縄跳びも重要だね。絵画治療の観点からすれば、たくさんのいろづくり(特定の色へのこだわりが無くなること)、生命の方向を感覚し描くことを教えること(にんじんを描く、いかを描く)、が重要だ。フォルム治療・マッサージの観点からすれば、手首・手指、足首・足指のマッサージ、腰を回転させること、仙骨・腸骨のフォルム治療、が重要だ。オィリュトミーの観点からは、立ち上がる・沈むの縦の空間形成とAの音声とUの音声が重要だ。赤ちゃんが発する最初の喃語は、『うごー』だったり『うまうま』だったりするね。
大脳・視床→脳幹→体、の過程でのフィルター作用は、自分の身を他者に預けることで、癒され、慰められ、治療される。呼吸が楽にできるようになることだ。自我が無くなることでもある。わらべうた遊びでいえば、鬼が交代する遊びを自分の番まで待ってみんなと仲良く遊べることだ。みんなと呼吸を合わせること、縄跳びや、合唱も重要だね。絵画治療からすると、たくさんのクレヨンの色を重ねてさくらの枝を描けることや、背景とお花の関係を描けること、画面分割を楽しくできること、が重要だね。フォルム治療・マッサージの観点からすれば、胸椎、肋骨、頭骨のフォルム治療。子どもたちが先生に甘えて抱っこしてくるようになってから行うマッサージだね。オィリュトミーの観点からは、前後に動くこと、左右に動くこと、前後の空間形成、左右の空間形成、Oの音声、Iの音声、Eの音声、が重要だ。Oはお母さんとしての言葉が自分自身から発声されていることを表している。Iの音声に緊張があると自我意識で自分の意識が歪んでしまう。Eの音声が弱いと十分に呼吸ができないために、アレルギーや喘息を起こしがちになる。」
4.子どもたちと遊んだ。Aをおんぶして、『空を見てたら』を踊って歌った。すると、FがKをおんぶし、IがMをおんぶし、私のまねをしておどった。「ちばせんせい、もういっかいうたって」他者の喜びを感覚する喜び。なんと深い感情を、子どもたちは表してくれたのだろうか……。
5.子どもたちと、チューリップを描いた。花瓶の色を作り、半円の積み重ねで花瓶を表現する。葉っぱの色を作り、シュッシュッと花瓶からお外に向けて葉っぱを描く。茎を花瓶から『のびろのびろ』と描く。お花の色を作り、茎から押し上げるようにぐいぐいと大胆にチューリップの花弁を描く。Pが遊びにきていた。3年目になる彼は、じつに立派な姿勢で描いている。
H(3才)
はじめて私に身を任せてくれた。
のびろのびろと描いたはっぱが美しい。
A(4才)
美しい。
花瓶がしっかりしている。職員への信頼を表している。
C(4才)
力強い。
花瓶がしっかりしている。職員への信頼を表している。
D(5才)
力強い。
垂直に伸びる力を感じる。
赤に力強さを感じる。
E(5才)
ピンクのお花に彼の喜びを感じる。
F(5才)
力強い。
花瓶がしっかりしている。
職員への信頼を表している。
G(5才)
赤に力強さを感じる。
自分への信頼の気持ちが現れている。
I(5才)
美しい。
ピンクのお花が彼の楽しさを表している。
M(6才)
美しい。
優雅な花瓶、生命力のある葉っぱ、美しいお花。
小脳の感情が安定してきたことを表している。
K(6才)
美しい。
生命力のある葉っぱ。美しいお花。
右下の訂正した線が、大脳基底核の不安定さを現している。
P(1年生)
なんと美しい絵であろうか。
力強い花瓶、生命力のある葉っぱ、美しく力強いお花。
知恵遅れが相当解決してきている。
Y(2年生)
美しい。
力強い葉っぱ、しなやかな花瓶。
彼女の体は少しずつきれいになってきている。
6.
夕食後、三瀬先生から子どもたちとの入浴をすすめられた。「今日で最後ですから、こどもたちといっしょにおふろにはいっていただけませんか?」こどもたちの半分は風邪で具合が悪い。MとIとCとK、4人の子どもたちといっしょにお風呂に入る。ひとりひとりのこどもたちの体のすみずみまであらった。子どもたちはいつもと違った状況なので興奮してしまい、なかなか風呂を出ようとしない。
「ちばせんせいといっしょにねるってやくそくしたじゃん。」Iが体をすりよせてくる。「ここは てっくび てのひら ありゃりゃに こりゃやせいたかぼうずに いしゃぼうず おさけわかしのかんたろうさん」左手首と手のひらと指をマッサージすると、右手がでてき、それをマッサージすると、左足がでてき、右足が出でくる。「おやゆびねむれ さしゆびも なかゆび べにゆび こゆびみなねんねしな ねんねしな ねんねしな」
Iがねむりかけたころに、隣の布団で二人で寝ていたFとCの会話が聞こえてきた。「ねえ、ぼくのおちんちんなめてみて……」私は、Iが眠ったのを確認して隣の布団を直してやると、Cのパンツは下げられてあった。「なにやっているんだい。おねんねしよう。」二人の姿勢を直し、隣を見ると、Dがこちらを見ている。Dを先に寝せようとDに添い寝した。しばらくするとまた、二人の会話が聞こえてきた。「おちんちんをね、おまたのあなにいれるんだよ。」隣の部屋から三瀬さんがきて、Fを抱いて連れて行った。Fがいなくなると、DもCもすぐにぐっすり眠ってしまった。
7.
「叱らないようにね。禁止しないようにね。まず、職員が驚いたりさわいだりしないようにしないとね。だれから、性的なことが伝わってきているんだろう。」「Kが、『一年生がトイレでおちんちんをみせていた』と話してくれました。養護施設ではよくある話だと聞いたことがありますが。」「文化として先輩から伝わっているということだね……。でも、隠れてやってくれなくてよかったね。僕が空気みたいな存在でよかったんだな。FもCも頭の中の思考だけでこのことをしているね、感情や体のわだかまりからはこのことは起こっていない。すると、叱らない禁止しないさわがないことを職員が励行すれば、彼らの記憶からこのことをぬぐうことはできるね。」
8.
22日朝、「実習生です」と、幼稚園20年のベテランのKさんがお見えになった。Kさんは胸から子どもたちに直接届く声を出される方で、感心した。
朝から、Fはパジャマも取り替えずごろごろしていた。「おなかがいたいのかい?」「ううう」FはKさんのまわりで、ごろごろしたり、ひざまくらをしたり、Kさんをけとばしたり、していた。「おなまえは」KさんにきかれたFはこたえた。「おまたのあな」
Kさんが私に聞いてきた。「養護施設の子どもたちは情緒に問題がある子が多いと聞いてきましたが……、私が幼稚園にいる時には叱ることで子どもたちが私についてくることもありますが、ここでは叱らない方がよいのでしょうか?」「Kさんの今朝からの子どもたちへの接し方を見て感心していましたよ。子どもが叱って欲しいとおもっている時には、思い切って正面から叱る方がよいでしょうね。
しかし、こどもが訳がわからずわだかまっている時には、いっしょにいてやることしかできませんよね。
おそらく、幼稚園でも、1割が自分を叱って欲しいとおもっている時で、9割は自分でも訳が分からない時でしょう。こどもがあなたの周りをうろうろしていたり、抱きついてきたり、けとばしたりしているのは、子どもがあなたに心を開いているからで、あなたに頼っているからで、あなたがそうやって子どもを受け入れていれば、やがて、こどもは自分で納得し離れていきますよね。粘り強く、これを繰り返すことがそのこの本当の成長を促すことになりますね。今日は風邪のこが多く体調不良のこが多いということもありますが、3年前のO養護施設の状態では、子どもたちが先生方に命令している状態で、子どもたちが先生方を頼るということじたいが起こっていなかったのですよ。」
9.学童の子どもたちが遊びにきていた。U、V、6Mの三人に最後のフォルム治療をした。三人ともに、大脳基底核、小脳、脳幹、に大きな緊張があった。しかし、この三人は、最初から自我を私に預けてくれた。
幼児部の職員とともに、私の大切な友人であったのである。子どもたちと最後の遊びをした。
ピアノを弾いて『さよならのうた』新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲をうたう。
さよならのときがきたんだねきょうでみんなともおわかれながかったけどみじかかっただっていろんなことがあったからいちにちもおんなじひはなかったねどんなひもたいせつなひだったねさよならさよならまたあうときもきっとげんきなかおで
「まあるくなあれ まあるくなあれいちにっさん ちいさくなあれまあるくなあれ まあるくなあれいちにっさん おおきくなあれ」
全員が手をつないだ。めずらしいことだ。
「いちばちとまった にばちとまった さんばちとまった よんばちとまったごばちとまった ろくばちとまった しちばちとまったはちがきて くまんばちがとんで ぶんぶんぶんぶんぶん」
子どもたちは何度も何度も求めてきた。
最後にみんなで集合写真をとろうとしたら、「いい」GもCもいなくなってしまった。
『そうか、最後のまとめなどいらないのだ、私との出会いはこの子達の大切な人生の一部、先生方にとってもその大切な人生の中の一部なんだから。私との出会いが、今後のみなさんの人生の中で煮詰まっていけますように。』
2003年4月20日
千葉 義行