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レポート2  第2回目の訪問 5月17日18日

おせわすること……

1.

 17日10時30分にO養護施設についた。
 みんなは幼稚園に行っていて、AとHの二人が残っていた。
 今回も(4月もAは緊張していた)、Aの緊張が気になった。

 表情が動いていない、自分でどんどんしようとするが、意志が空回りしているように見える。
 Aの足を触ってみると冷たい。
 私は、Aを仰向けに寝かせ、両足を持ち回転させた。

 えんやらもものき
 ももがなったらだれにやろ
 Aちゃんにあげよか
 せんせにあげよか
 だれにあげよか

 そして、足のマッサージをし、腸骨のフォルム治療をし、頭骨のフォルム治療をしたらAは眠ってしまった。
また、足と手も暖かくなったのである。

 七色の布とライヤーを出して遊んだ。

 Hはあいかわらず、自分のペースで遊んでいた。
 Hには、まだ先生やボランティアの影が見えない。
 彼女は自分の気持ちで遊んでいるが、先生やボランティアの気持ちを味わうことがまだできていない、先生やボランティアに抱っこされても、まだ、棒のような状態である。

 今年に入って、H(2才)とI(4才)が、幼児部に入ってきた。
 彼らが入った後2.3週間後に私がO養護施設にきて彼らと出会っているのであるが、彼らがO養護施設に慣れる早さに驚かされていた。
 彼らの怯えや恐怖が少なかったからである。
 わたしは、はじめ、それが、幼児部の職員の彼らを受け入れる能力が高いためであると解釈していたが、2ヶ月3ヶ月たってみても、彼らのマイペースぷりは変わらなかったのである。
 4月に入り、Iは幼稚園に入園した。幼稚園に入園してもIのマイペースぶりは変わらなかった。分離不安が起こらなかったのである。

 4月に始めて幼稚園に行ったにもかかわらず分離不安をおこさなかった幼児が数人いる。
 G、D、I、である。

 Dは、現在職員に身を預け職員の気持ちを聴き味わうことができているが、リューマチ性の分裂病を深く持っていたために、職員のまねっこはするものの、Dの現在の気持ちとつながっていない、細い目、表情がもうひとつ動かない、……という状態から、Dの心と私たち職員の現在の心を同期させることができるようになるまで長い時間がかかったのである。
 Dの本当の心と幼稚園の生活との同期が起こっていないために幼稚園の他の子どもたちとの関係が起こっていなく、不安がおこらないのではないだろうか?(幼稚園での生活はDにとっては夢の中の出来事となっているのである)

 Gは、職員に身を預けることが少ない子である。独立性が強く、自我が強い。
 職員に身を預けることが少ないために、O養護施設も幼稚園も、彼にとっては、ともに生きぬくための環境にすぎないと意識されているのではなかろうか?
 Gには、彼の二人の兄と同じ障害を持っている可能性がある。てんかんからおこる分裂病性の知恵遅れである。
  Gには外見上の知恵遅れは起こっていないが、彼に向けて心を開いているおとな(職員)の気持ちと同じ水平の時間を持ちにくいという障害が隠されているように思えるのである。

 Iを観察していると、やはり表情に起伏がないことが気になるのである。又、かんたんにひとのせいにする。
 これまで、私の近くまできてくれなかったので、Iの体を直接触っておらずIの体の情報が不足していた。

2.

 昼食後、幼稚園へ行っていた子どもたちが帰ってきた。
 BとAとDが、私に抱っこしてもらいに来る。

 まめっちょ まめっちょ
 いったまめ ぽりぽり
 いんねえまめ なまぐせ
 すずめらが まわっから
 おれらも まわりましょ


 
 よんでいる むねの どこかおくで……

 Fはマイペースで遊びながら私を独占する機会をねらっている。

 とつぜん、Iが「だっこして」と近づいてきた。
 私は喜んで抱き上げた。
 「まめっちょ」「くりすますがやってくる」「すてきなぼうしやさん」「さんびきのくま」「そらをみてたら」「いつもなんどでも」
 おどりながらうたう。
 Iが体をペタッと寄せてくる。だきごごちがとてもよかった。
 Iは、そのまま深い眠りにはいってしまった。

 わたしは、彼をおひるねの部屋に連れて行き、寝せ、フォルム治療をおこなった。
 Iは深く眠っていたので、わたしは、ひとりで寝かせておいてプレイルームへ戻った。

 1時間ほどたって、おひるねの部屋の扉をドンドンたたくおとがする。
 ひとりで暗い部屋に寝ていたIは、おきてびっくりしたのだ。
 「ごめんね、ひとりにしちゃって……こわかったんだね……」
 三瀬さんからIを抱き取り、かれをなぐさめた。
 はじめ暴れてわたしの体を叩いていたが、しばらくして、ペタッと体を寄せてきて穏やかになった。

 「Iが、こわがったことはあったかい?」
 「あんまりみかけませんね……いつもけろっとしているから」
 「今日、怖いという経験をして、こうやって体をペタッと寄せることを覚えたことは、Iにとって大切な経験になるんだと思うよ。
 幼稚園に行っても泣かなかったことが、僕にはずっと気にかかっていてね、
 ケロッとしすぎているもんな、顔の表情がもうひとつ生き生きと動いていなかったもんな。
 こどもは、しんそこおとな(おかあさん)にたよるという経験が起こらないと、おともだちの気持ちを聴く心の通路が開かない。」

 今回は、ゴムまりを持参していた。

 ねずみがね、
 たわらでね、
 こめくってちゅう、
 むぎくってちゅう、
 あわくってちゅう、
 ちゅうちゅうちゅう

 二回まりをついてまりをとる。
 二回まりをついてまりをとる。
 この繰返しを教えると、3才児でもまりをつけるようになる。
 上の写真は、Dがまりをついているところである。
 D、A、B、がかわるがわるゴムまりに触っていた。
 まりつきやなわとびをおぼえると、自分の心臓の鼓動をより深く感覚することができる。
 そして、自分の心臓の鼓動とおともだちの心臓の鼓動を共有することを感覚することができるのである。

 Fは、ひとりでマイペースで遊んでいることが多かった。
 そして、機会を見つけると私を独占しようとした。
 「いつもなんどでも」をオィリュトミーしてもらうと、上の写真のように眠ってしまった。
 Dもまた、私の抱かれてオィリュトミーしてもらうと、眠ってしまうことが多かった。
 「このこたち、ようちえんでせいいぱいがんばっているんですねえ。」
 「うん、ぼくらはおかあさんのかわりだからねえ……
 一対一でおかあさんに甘えて、身を預けて、……からしか始まらない。
 みんなで遊べるようになるのも、幼稚園への緊張が解けてきてからだね。」

3.

 

 ようちえんへの緊張があるものの、こどもたちひとりひとりは確実に成長していた。
 左の写真は、BとEである。
 Eは、時々私の背中に負ぶさってきた。
 しかし、とてもやわらかい、私の気持ちを味わいに来るのがよく分かる。
 一対一のときのBは、実に表情が豊かである。

 GとCは、自我が強く独立しようとしたがるが、職員に体を預ける瞬間はおきている。

 お休みの時間に添い寝をした。

 おやゆびねむれ、
 さしゆびも、
 なかゆび、べにゆび、
 こゆびみな、
 ねんねしな、ねんねしな、ねんねしな。

4.

 男の学童たちと風呂に入った。
 幼児を寝かしつけていて時間が遅かったので、男の子たちの数は少なかった。

 風呂から上がって食堂に行くと、園長室に電気がついており勉強をしている様子。
 幼児の部屋のほうに戻ろうとして、6Mくんにであった。
 「今日は園長室で勉強をしているようだね。」
 「うん」
 「ぼくの両親はマッサージをしているんだよ。」
 「そうか……きみは、おとうさんにマッサージをしてもらったことがあるかい?」
 「うん」
 「きもちよかったかい?」
 「うん」
 「どれどれ、背中をこっちに向けて……」
 食堂の脇の小部屋で6M君のフォルム治療が始まった。
 胸椎、腰椎、仙骨、とひとつずつの脊椎骨を治療した後、肱を開閉しながら脊椎骨に触り、次いで腕を上下に伸ばしながら脊椎骨に触った。
 肱を開閉しながら脊椎骨に触りはじめると、彼は急にくすぐったがりはじめ、私から大量の咳が出た。
 「こりゃすごすぎる!!」6Mくんがさけんだ。
 胸骨と鎖骨と肋骨から、大量のリューマチと知恵遅れ(アルツハイマー・分離)が分離され排出されるのを感じた。
 頭骨からは、頭頂骨から大量の排出があった。
 「学校の勉強がもう少しかんたんに『あっそうだ』ってわかるようになるといいね。」

 6Mくんが終わると、Uが待っていた。
 「おれにもやって」
 Uが終わると、Pがまっていた。

 「Pもマッサージしてほしいの……」
 「うん」
 Pが終わると、3jが待っていた。
 「おれは職員室でやって欲しい。」
 「テレビがみたいのか?」
 「うん」
 男子の職員室で遠慮をしながら3jの体を触った。
 「マッサージするとおれよくなるかな?」
 「そうだな、3jの場合は、もっとすなおになるな。そしてちからづよくなるな。
そしてくよくよしなくなるよ。」

5.

 18日朝6時30分に幼児と女子学童の棟の前へ行く、玄関の鍵が開くまで20分待った。
 幼児の着替えをさせ、体をマッサージする。
 幼児たちがみんな集まっていたので写真を撮った。
 冒頭の写真である。

 Iが私のマッサージの順番を待っていた。

 えんやらもものき
 ももがなったらだれにやろ
 Iくんにあげよか
 せんせにあげよか
 だれにあげよか

 仰向けに寝せて、膝を持って腰を回す。
 足首を持ってブルブルブルと揺する。

 Iの嬉しそうな顔、私から大量の咳が出る。

6.

 アメリカの学生がO養護施設の慰問に来た。
 ヨブ記のお話を学生たちが演じた後、子どもたちみんなで魚の絵を描き、それを形なりに切って学生たちが持参した目玉を貼り付けた。
 Uが私のところに来て「こいをかいて」という。
  Uのてをとり、いっしょに描いた。
 
まさをくんが図鑑を持ってきて「さめを描きたい」という。
 Pも私のところに来て「くじらを描きたい」という。
 3jも私のところに来た。
 そうだ、彼らにとってわたしは絵の先生でもあったのだ。

7.

 昼食後、O養護施設を後にした。

 ひとりひとりの子どもたちと、職員との関係は確実に前進している。
 ひとりひとりのこどもたちにとって、それは、自分と自分の母親との関係である。
 職員(母親)にあまえられるこどもは、職員(母親)から教わり、慰められることができる。

 他の子どもの気持ちを聴くことができるようになるのは、さらにむずかしい。
 しかし、他の子どもの気持ちを聴くことができるようになれば、自分に自分の子どもを甘えさせることができるようになるだろう。
  それは、この子がほんもののお母さんになれるということなのだ。

2002年6月7日

千葉義行

音楽

バッハ 小フーガハ長調 BWV952

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