レポート4 第4回目の訪問 7月19日20日
静けさ……呼吸……他者の気持ちを聴く……
1.
19日、10時半ころにO養護施設へ着く。
今日は、夏休み前の最後の日だ。
HとAがあそんでいた。
二人を抱っこして踊る。Hは、まだ自分のペースでしか抱かれに来ないが、前回よりずっと体の力が抜けてきた。
また、Hの表情がずっとしっかりしてきた。
彼女の両親は頻繁に彼女のもとを訪れており、母親が彼女を触れるようになったとのこと。
彼女に激しい脳性麻痺系の意識障害があり、母親を自分の思い通りに動かそうと抗ったり、泣いたり、パニックを起こしたりという状況が続いていたときには、母親はいかに悩み苦しんでいただろうかと思う。ふたりと、まめっちょを踊る。
Hはまめっちょが大好きだ。
2.
11時半幼稚園児たちが帰ってきた。
みんなげんきだ。昼食をみんなで食べる。
「千葉先生、あとでおみせしたいものがあります。」
女子学童担当の藤江先生から声をかけられた。
彼女から渡されたのは、『脳の発達ITが阻害』と題された毎日新聞の記事だった。
「ゲーム漬けになっている子どもたちは前頭葉が働かなくなるんですって、お手玉まりつきなわとびをすると前頭葉が働くようになるってかいてありますよ。」
「ん……、前頭葉はやすめたほうがいいんだけれどな……、
Rや、Nや、Sをみていると、自分の思いを他人にさせようとするところがあるでしょう。
そのとき、小脳で起こった『〜があったらいいのにな』という思いが前頭葉で思考としてグルグル繰り返されているんですよ。
自分の思いを他人や環境にさせようとするけれど、他人や環境は自分とは別の人格だから、させようとさせられれば動かない、すると、させようとした本人は絶望してパニックを起こすのですね。
これが赤ちゃんのときに発熱とともに激しく起こると、ADHD・前頭葉の微細障害となって起こるのです。
幼児の中でもAやBやHやFにはADHDの要素が大きくありますね。
人間はこれまで前頭葉を無理して使ってきたのだと思いますよ。それが思考だったのですね。
思考することに疲れてしまった人間は、思考することを止めようとする。これが、子どもたちがゲームに夢中になる理由だと思うのですよ。
思考を止めようとしているという面では、私はゲームに夢中になろうとする子供たちの意志は積極的な側面を持っていると考えているのです。
お手玉、なわとび、まりつきは、自分の体と心、他者の体と心を聴いて楽しむことに一番の喜びがあります。すると、お手玉、なわとび、まりつきをリラックスしてあそんでいるときには思考は起きてこないのですね。
ADHD・前頭葉の微細障害系の緊張を持つ子どもたちは、自分の思いを他者や環境に在らせようとして、それが実現しないことにいらだちますね。
このコミュニケーション障害を治していくには、自分の心と体を聴く楽しみ、そして、他者の心と体を聴く楽しみを彼らと分かち合っていくほか無いのです。
お手玉、なわとび、まりつきは、そのための大切な方法ではありませんか。」『理系白書』『第5部科学の樹A』『脳の発達ITが阻害』『「理性、思考」の前頭前野働かず』と題字が並んでいた。
人間にとってだいじなものは『理性、思考』ではない。
『自分の体と心が聴こえ、他者の体と心が聴こえていることだ。』
『思考、論理』ではなく、むしろ、自分に聴こえてきた自分と他者の思いを秩序とバランスで再構成する意識の力である。
前頭葉は論理思考を支配している。
他人の思考や自分の思考で考え論理する力を身に付けたところで、他者の気持ちと自分の気持ちが聴こえないのではまったく意味が無い。
この記事を書いた記者は、このことに気付いていない。この記事を私に呼んで欲しいと思った藤江さんは、ゲームに夢中になっている子供たちを心配している。
まりつきお手玉を子どもたちに伝えることが大切であると直感なさっている。
それは、正しい。
しかし、……思考することが、O養護施設にいる殆どの子どもたちの不幸の原因になっているのだということを何パーセント理解されておられるのだろうか。「『聴くこと』が人間の言語の原点である。『思考すること』が『聴く意識』を人間の表の意識から追いやって隠してしまったのだ。」
という私の認識は、現在の社会科学の理論からは『非常識』である。
しかし、私は、この二年半のO養護施設の幼児部の仕事の中で、幼児たちと職員に、『聴く』という内容を伝え続けてきたのだ。
幼児部の職員たちはこのことを意識しているのだろうか? ……しっかりと意識されている。
他の職員たちはこのことを意識できているのだろうか? ……何パーセント意識できているのだろうか。?
私の中で、これらのことが深いわだかまりとなって残った。3.
午後、幼児を中心ににんじんの絵を描いた。
赤と、青と、黄色と、白、の水彩絵の具で描いている。
「にんじんさんのすてきなおれんじいろをつくろう」
「きいろをいっぱいいれて。 あかをトンとつけて、きいろにまぜまぜ、にんじんさんのいろになったかな?
そしたら、あおをほんのすこしだけつけて、まぜまぜ、
こんどはしろをすこしだけつけて、まぜまぜ、 にんじんさんのいろにちかーくなったでしょ。」
「このいろで、ごろん、ごろんって描いてみよう。」
A(3才) たくましいにんじんである。
自立しようとする自分の感情への神経症を感じる。
B(年少) おいしそうでたのしい。
D(年中) 秩序感がある。
赤の分量の多さは、他者の感情へのリューマチを現す。
E(年中) フォルムと色と方向を感じて描いている。
LDは相当解決している。
茎に赤が強く出ているのは、知恵遅れを現している。
G(年中) フォルムをしっかり感じている。
赤の分量の多さは、自分の母的感情が強調されてしまうことを表している。
F(年中) ゆたかでおいしそう。
秩序感もバランス感もすてきである。
I(年長) 絵の指導は2回目である。
フォルムがしっかり描けている。
K(年長) おいしそう。
にんじんの輪切りのフォルムに乱れがあるのは、自分で自分の体を動かそうとするADHD系の問題の残滓を表している。
M(年長) ゆたかでおいしそう。
自分自身への神経症が少し見られる。もっと自分に自信を持っていいよ。
O(一年生) 方向は描けているが、フォルムと色が不十分である。
自分で描こうとするからである。
しかし、いつもの塗りつぶしてしまう行為は起こらなかった。
N(一年生) 方向は描けているが、フォルムと色が不十分である。
自分で描こうとするからである。
Y(一年生) フォルムと方向が描けている。
自分の自我を私にゆだねられるようになってきた。
すばらしい前進を見せている。
U(一年生) おいしそう。
フォルム、方向、色、を自分で感じて描くことができるようになってきた。
4.
4Hくん(小4)が彼の部屋に案内してくれた。
「ぼく、かぶとむしをかっているんだよ。」
「いやあ、おおきいね。」
「おすとめすといるんだ。めすはつちのなかにもぐっているよ。」
「ゼリーとみつをあげるんだよ。」
5.R(小1)が幼児の部屋に遊びにきていた。
久しぶりで彼女を抱いて『いつも何度でも』でオィリュトミーをおこなった。
すると、Rは眠ってしまった。
左は、そのときの寝起きの顔で、右は、しばらくたったあとの表情である。
私と、一対一の関係はできる。
職員と一対一の関係はできる。
おともだちとの一対一の関係は…… まだ、Rのきもちをお友達に押し付けようとしてしまうので、できたりできなかったりする。金曜日の午後なのでボランティアの方々がたくさんきていた。
子供たちは、ほとんど、ボランティアと一対一で遊んでもらっていた。
大人に身を任せて一対一で遊べる時間がしっかりと起きている。
幼児担当の職員の意識がしっかりしてきたので、ボランティアが自分の役割を意識できてきた。
ひとりひとりの幼児たちを観察すると、ひとりひとりが自分の体の喜びを感じて満足し始めたことを感じる。
特に変化の大きいのがIである。
3月4月頃の目が細く表情の無いつるんとした顔が、目がばっちりとしてきて表情が生き生きしてきた。
そして、職員やボランティアに甘えて泣くようになってきた。5.
男子学童の子供たちと風呂に入る。
Uがいない。(いつも裸のUをおんぶして歌っていたのだ)
「クリスマスうたって。」
それでも子供たちはオィリュトミーをせがんできた。
「じゃあうたうか」
Vが、ひょいと私の後ろにまわってくる。
Vをおんぶして、はだかのまま、私は「クリスマスがやってくる」を歌っておどった。子供たちが寝たあと、宿直の刑部さんの整体をした。
6.
20日は、朝から、子供たちとわらべうたで遊んだ。
「いちばちとまった」 を、子供たちは何回でも繰返したがった。
「まあるくなあれ、まあるくなあれ、いち、にっさん」
で、子供たちは手をつないでまあるくなる。「いちばちとまった、 にばちとまった、
さんばちとまった、よんばちとまった、
ごばちとまった、ろくばちとまった、
しちばちとまった、
はちがきて、くまんばちがとんで、ぶんぶんぶんぶんぶん」ここには、手をつなぐことが楽しいと感じている子供たちがいた。
そして、自分の体の律動が楽しいと感じている子供たちがいた。Hの状態も、毎回良くなってきている。
抱っこされている時間が長くなってきた。
自分の体を私に預ける時間が少し長くなった。
Hの障害の主症状は、脳性麻痺系にあるといえよう。
自分の意志で自分の体を動かそうとするために、体がうまく動かない。そのために、よくころぶ。
また、自分の意志で自分の意識を動かそうとするために、意識がうまく動かない。そのために、知恵遅れが起きてくる。
Hは、まだ自分の意志どおりに周囲が動かないとかんしゃくを起こす。
このHとつきあうには、職員やボランティアが、彼女をだきつづけ、彼女の本当にやりたいという意識が起こったときに、自分の意識と体を彼女の体に添わせることである。
すると、彼女の心と体に緊張が起こらずに、体がすうっと動くのだ。
このことが、動作法の極意であり、脳性麻痺の最大の治療法なのだ。
お庭で砂遊びをする。「どろだんご、どろだんご、
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、」6Mくんが、おおきなざりがにをつかまえてきた。
7.
10時のおやつのあとで、絹の布をだしてあそんだ。
こどもに絹の布の一方をもたせて、もう一方を歌いながらゆっくり振る。「たんぽぽ たんぽぽ むこうやまへ とんでけ」
「とんぼのめがねは みずいろめがね
あおいおそらをとんだから とんだから」「おやまにあめがふりました
あとからあとからふってきて
ちょろちょろおがわができました」すると、脳性麻痺系やADHDがあって、自分の意志で自分の体や意識を動かそうとして多動になってしまうこどもたちの子どもたちの緊張した腕が、絹の風をはらむゆっくりとした動きでゆったりと動くようになるのである。
すると、こどもたちには、もっと、他者の気持ちが聴こえてくるようになる。
他者の気持ちを呼吸すること……
他者の気持ちを聴くこと……
こどもたちと職員に、静かな時間が流れていた。2002年8月20日
千葉義行
音楽
バッハ プレリュードとフゲッタニ短調 BWV899