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レポート9  第9回目の訪問 12月25日26日


治療すること…… 他者を愛するものは他者を維持する

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ミディで音楽が流れます。

音楽

バルトーク

バグパイプ弾き

1.
25日10時半にO養護施設に着いた。
朝クリスマスプレゼントをあけた後で、子どもたちは少し興奮していた。
しかし、昨年の12月25日の朝とはずいぶん違っていた。……静かだったのである。
ただひとり、Cだけが・・レンジャーの服を着てしかめっ面をし緊張していた。
興奮し、感情がわだかまり、ひとりでぐずり、……
担当の鈴木君は、
「どうしたの、おはなししてごらんよ、おはなししてくれなきゃせんせいにはわからないでしょ」
と、Cを何度も抱っこしてなだめていた。
最初、そっくり返ってぐずっていた彼は、そのうち、鈴木君の胸に顔をうずめた。
Cの意識にとっては、「わけのわからないいらだち」しか意識できないのである。
その彼に、「いらだつ理由」を問いただしても、彼にも問いただす側にも分からない。
ただ、そのいらだちを受け止めてくれる鈴木君がそこにいるから、その胸に自分の顔をうずめることができたのである。
怒り、悲しみ、苦しみ、さびしさ、わびしさ、わだかまり、絶望、等の、すべての負の情動は個人のものである。
そしてそれは、自分自身のものとして解決されねばならぬのだ。それは、他者に起因するものでも、環境に起因するものでもない。
ひたすら待つことができる自分を発見しよりどころとすることによって、他者の変化を喜ぶ自分を発見しよりどころとすることによって、はじめて、負の情動が解決されていく。

これが、人間的成長の中身なのである。

2.

友の会のボランティアの方々がきていた。
「ことしのクリスマスのこどもたちはとても静かですね。
去年は、プレゼント自体に興奮してしまって大変だったのですが、今年は物としての玩具への興味は薄れているようですね。
たくさん、職員やボランティアのみなさんから一対一で愛されてきたからだと思いますよ。
物ではなく、人間関係がすべてです。
ことしは、ボランティアのかたがたの数も増え、こどもたちひとりひとりがていねいに向き合ってもらえているのを感じますよ。
O養護施設自身も外部の方々に素直に頼れるようになりましたね。」
「わたしたちも、去年まではここの建物のなかにはいることができませんでした。」

3.

6Mくん(6年生)がD、Fを幼児の庭でサッカーをして遊ばせていた。
O(1年生)は、G、I、Cと、Gのベーブレードでいっしょに遊んでいた。

OやU(2年生)はただひたすらに幼児と同じレベルで遊んでいるのだが、6M君とV(2年生)は幼児たちを遊ばせている。
6M君とVには、人間関係に対する強い意志を感じる。
 
4.
私は最初の出会いから、Dのめじりがつりあがっているのが気になっていた。(右の写真)
彼女のリューマチから起こる意識障害を表していると感じていたからである。
この日、Dの釣り目の表情がなくなっている瞬間を何回か目撃した。(左の写真)
ぼうっとしている表情に見えるが、意識障害による視床網様体への憑依が無くなり、彼女の本体の意識が視床網様体をコントロールしている状態なのである。
この日、Hの意識障害の改善も実感した。
私の膝になかなか座らなかったHが、長く座っていられるようになったのである。
Fは、Dとけんかした後、わたしにおんぶしてもらい、「いつもなんどでも」をオィリュトミーして歌ってもらっているうちに深く眠り込んでしまった。
5.
夜、外部の方々を招いてクリスマス会があった。
男の幼児たちの組み体操がじつにすばらしかった。
体を動かすことがじつに楽しいことを彼らの大脳は意識している。
そのとき、彼らの大脳は、どのように体の一部を動かそうとか、どのような感情を表現しようとか、一切の余分な働きをしていない。
ただ、体を感覚しそれが楽しいのだ。
女の幼児たちもミニモニの歌に合わせておどった。
これも、体がはじけて楽しいものであった。
クリスマス会の前に、THくん(中1)、TYくん(中1)とであった時に、ふたりから「千葉先生、クリスマスがやってくるを踊って」といわれた。
とくにTYくんからこういわれたことは、私にとって望外の喜びであった。
風呂の中で裸でうたって踊っていたこのうたを、一部の子どもたちは嫌がっているのではないかと思うこともあった。一部の職員が嫌がっているのではないかと思うこともあったのである。
わたしは、こう思うたびに『自分の行動を慎重に』と思い続けていた。
私が会場に入ったとき、外部の方々がすでにだいぶ座っておられた。
私がどこに座ろうかと場所を探していると、Vが、「ちばせんせい、ここに座って」ととなりのせきをゆびさした。
『ああ、わたしは、O養護施設の外部の人間ではなくて、内部の人間なのだ』

O養護施設に通い始めて3年目にしてはじめての感情であった。

6.

26日、7時過ぎに幼児の部屋に行った。

えんやらもものき
ももがなったらだれにやろ
Hちゃんにあげよか Aちゃんにあげよか
だれにあげよか

いつもの毎日が始まった。
「ちばせんせい、おえかきしよう」
いまは、私とおえかきが一致している周期なのだ。
食堂にシクラメンの鉢が置いてあった。
農業高校からクリスマスに寄贈されたシクラメンの鉢……
まず、鉢から描き始める。
「あかをドン、黄色をドン、青をちょっと、白をちょっと、まぜまぜまぜ」
「真横に描いて、真ん中からお外までまっすぐに引っ張って、となりとなりと描くと、鉢が描けたよ。」
葉っぱを描く。
「黄色をいっぱい入れて、青もいっぱい入れて、赤をほんのちょっと入れて、しろもちょっといれて、まぜまぜまぜ」
「まんなかドン、ひだりをドン、みーぎをドン、」(まんなかの葉脈を力強く描いた後に、右と左の葉肉を描く)
花を描く。
「赤をいっぱい入れて、黄色も入れて、青はほんのちょっと入れて、白もちょっと入れて、まぜまぜまぜ」

「ドン、のびろのびろのびろ、ドン、のびろのびろのびろ、ドン、のびろのびろのびろ、」

H(3才)

力強い。

お花をのびろのびろと描いたことが彼女の感情をいきいきと表現している。

A(4才)

やさしい。

葉っぱがすばらしい。お友達の感情をじっと聴ける様になった事を現わしている。

D(年中)

力強い。

環境を形作っていく静かな意志を感じる。

まわりの紫の飾りは、意識障害を現わす。

E(年中)

やさしい。

自分の感情を形作っていく静かな意志を感じる。

F(年中)

やさしい。

お花はそれでいいという認識を、葉っぱは周囲のみんなへの感情を現わしている。まわりの紫の飾りは、意識障害を現わす。

G(年中)

やさしい。

葉っぱがすばらしい。お友達の感情をじっと聴ける様になった事を現わしている。お花はそれでいいという認識を現わしている。

I(年長)

力強い。

お花は、先生やボランティアの方々に支えられているIの感情を現わしている。

K(年長)

やさしい。

お花は、先生やボランティアの方々に支えられているというKの認識を現わしている。まわりの紫の飾りは、意識障害を現わす。

M(年長)

やさしい。

お花は、先生やボランティアの方々に支えられているという彼の認識を現わしている。まわりの紫の飾りは、意識障害を現わす。

P(1年生)

お花は、彼のお友達の感情への感覚を現わしている。

葉っぱと鉢には意識障害が現れている。

O(1年生)

力強くやさしい。

お花はお友達への感情を現わし、葉っぱはお友達の感情をじっと聴ける様になった事を現わしている。

Y(2年生)

ちからづよい。

お花は彼女のお友達への感情を現わし、葉っぱはお友達の気持ちを聞いている彼女を現わしている。

7.

26日1時過ぎにO養護施設を後にした。

さよなら
あんころもち

またきなこ

2003年1月15日

千葉義行

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