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絵画を教える意味

 歌うこと・音楽は、聴くこと・聴覚を開き育てますが、絵画は、視ること・視覚を開き育てるのです。

 聴くこと・聴覚は、すべての感覚を意識できることでありましたが、視ること・視覚は、意識された感覚を秩序とバランスを持ってまとめることであるのです。

 神経症、鬱病を持っている子ども達や大人は、ある程度聴覚が開いているのですが、聴覚から流れ込んでくる情報の量に対して、視覚の発達の度合いが遅れているために、聴覚の情報を一部強調したり、聴覚の概念の量を減らしたりし、現実を悲観したり支えきれなくなるのです。

 コンピューターでは、少ない情報を処理するのはとても早いのですが、膨大な量の情報を処理しようとすると遅くなってしまいます。
 このように、それぞれの人間は、それぞれの器に応じて、聴覚を持ち、視覚を持っているのですが、聴覚の大きさに比べて聴覚の発達が遅れていれば、神経症や鬱病さらに知恵遅れの障害が表にでてきてしまうのです。
 ですから、知恵遅れを持って生まれた子どもは、大変な能力を持っている場合の方が多いのです。

 視覚においては、自分の意識に起こる像を、生命現象(これは、人間同士の言葉そのものなのです)が生成するままに再構成できなければなりません。
 他者の心に起こる意識を聴覚が自分に伝えたとしても、自分に起こった思考で他者の意識を決め付けてしまえば、自分は他者を誤解してしまうのです。
 同様に、自分の心に起こる意識を聴覚が自分に伝えたとしても、自分に起こった思考で自分の意識を決め付けてしまえば、自分は自分を誤解してしまうのです。

 

 「色造り」が、キミ子方式絵画の最初の課題となっている理由は、「意味」への決めつけを治そうとしているからです。

 「赤」は、母親としての感情を表す色ですが、思考では、危険や怒りを表してしまいます。
 「青」は、地球を造り言葉で他者を支える色ですが、思考では、憂鬱を表してしまいます。
 「黄色」は、他者の感覚と感情をじっと聴き支える色ですが、思考では、あこがれや危険への予兆を表してしまいます。
 「緑」は、意識が秩序とバランスを持ってまとまる・認識を表す色ですが、思考では、思考や思考の苦しみを表してしまいます。
「白」は、すべて・存在を表す色ですが、思考では、緊張や苦しみを表してしまうのです。

 水彩で「色造り」をすることによって、どの色も、赤、青、黄色、白の基本的感情のバランスから成り立っていることを経験し、それによって、色・意味へのこだわりがとれてくるのです。 グラデーションを描かせているのもそのためです。

 二番目に「にんじん」を取り上げるのは、「内容」への決めつけを治そうとしているからです。

 松本キミ子さんは、「なぜ形をかこうとしてしまうのか」、このことが、子どもたちの97%が絵を描けない原因ではないか、と、おっしゃっています。
 子どもたちもおとなたちも、外側の形で絵を画こうとしてしまいます。
 しかし、私たちの外側の植物にも,動物にも、鉱物にさえ、輪郭はないのです。
 私たちの外側の植物に,動物に、鉱物に、あるのは、「生命の流れ」です。
 「生命のながれ」を描けば、簡単に絵は描けてしまうのです。

 「生命の流れ」とは、「内容」です。
 「内容」を自分の思考の「概念」・形で決め付けていたために、それを苦しく思い始めた、97%の人間達は自分が絵が描けない・自分は頭が良くないと思いこんでいたのです。

 残りの3%の人間達は、それを苦しく思うほどは、聴覚が発達していなかったのです。

 

 「色造り」を教えますと、のみこみの早い子で、赤を描くことを教えたら、もう白まで自分で塗ってしまい、白と赤を混ぜることを教えると、もう10色を塗り終わって、「もうお終い!」と叫んで教室を飛び出すような子ども達が多数います。

 このような子どもたちは、色を左上隅から右へ順番に並べたり、左上、左下、右上、右下、というように、シンメトリーに、規則正しく並べようとしがちです。
 また、筆の持ち方や、丸の描き方を手を取って教えようとすると、いやがったり、体を固くしたりしがちです。

 このような子ども達には、私たちの方が無理をしないでゆっくりと長い時間をかけてつきあうことが、効果を上げるコツです。
 この子ども達は、自分の頭の中に自分だけの秩序と順番を造って、それに現実をのて方を適応させようとしているのです。
 また、このことが、この子ども達の頭の良さの原因となっているのです。

 逆に、ゆっくりとした動作を持ち、教えられることをゆっくり待っているタイプの子ども達かたちがいます。

 このような子どもたちの中には、赤を中央からすこし離れたところに描き、次の青も少し離れたところに描き、というように、常に画用紙の上でバランスのよい場所に色を描いて行くことのできる子ども達がいるのです。
 また、この子どもたちの体を私たちが触りますと、私たちに体を預けてくれることが多く、教えることがスムーズに子ども達の体に入っていきます。
 この子どもたちには、秩序感とバランス感覚が発達しているのです。
 ただしこの子どもたちは、絶えず最初の公理から秩序付けとバランスをとるために、結論を出すのに時間がかかっているのです。