―生き延びなきゃいけない。
何をしてでも、生き延びなきゃいけない。
誇りを捨て、道化となってでも…!
…また、あの夢だ…
オレは悪夢の中、拷問のように繰り返される悲劇を自嘲的に眺めていた。
舞い上がる焔。攻め立てる兵士。恐怖と絶望に満ちた叫びと共に、地にひれ伏していく村人たち。
―生きるんだ。
くだらない憎しみなんて、忘れてしまえ。
ちっぽけな誇りなんて、捨ててしまえ!
…もうたくさんだ!
これ以上このオレに、何を捨てろと言うんだよ!!
森の中を必死に逃げる。
友人を、家族を、あの惨劇の中に残したまま。
…そう、オレは逃げた……大切な人々を見捨てて……!
「うわああああああああああああ!」
薄暗い地下牢に悲鳴がこだました。
「うわああああああああああああ!」
次の瞬間、オレも悲鳴を上げていた…助かった。
「な、な、何なんだよいきなり! いきなり大声出すなよ!
珍しくロマンチックな夢を見てたってのに! ぶっ壊れちまったじゃないか!」
オレはすかさず最初の悲鳴の主、に突っ込んだ。
「……」は憔悴しきった顔で俺を見た。
「おい、一体どんな夢見たんだよ! 夢占いしてやろうか?」
「……じゃあ、頼む…」
「ラビを喰おうとしたのか? それともマイコニドか? ラビもマイコも、案外美味いらしいからな〜!」
口ではそう言いながらも、オレはの見た夢が何なのか、とうに見当付いていた。
…また、件の女の子の夢なんだろう。
ほぼ同時期に剣闘士奴隷にされた仲だが、オレが知る限り、コイツはいつも同じ悪夢にうなされている。
…実は、オレもそうなんだけどな。
多分そのことは誰も…も知らないはずだ。
オレがうなされるときは決まっても悪夢にうなされ、今日と同じ問答が繰り返されるからだ。
…奇妙な間柄だ。
話を聞く限りもオレと同じく、邪教徒狩りで捕まったものの子供まで処刑するのは残酷だという理由で
一応は生きる道の残されている剣闘士奴隷にされたクチだと思われる。
…そう、オレとは、似た者同士だった。
年齢が近かった事もあるだろう。オレたちはすぐに打ち解け、モンスターバウトでもタッグを組んで闘う仲となった。
端から見れば、バカクソ真面目なとこのオレがいつも一緒なのが不思議に思われるのかもしれない。
…誰も、オレがに共感を覚えているなどとは思っていないだろう。そう…相棒のさえも。
「女の子……」
ほら、ビンゴだ。
しかしオレはそんなことおくびにも出さず、もう聞き飽きた、といった調子で応じる。
「オンナぁ? ……ふー。また例の女の子の夢か?」
「守れなかった……俺だけ生き延びて……彼女は……彼女はあの後……」
の苦しげな声に、胸がずきりと痛んだ。
――守れなかった……オレだけ生き延びて……――
「もう、いい加減忘れろって。お前のせいじゃねぇって。
こんな時代なんだ。子供のお前が守れなくてもしょうがないさ」
そう笑っての肩を軽く叩く。
―もう、いい加減忘れろって。お前のせいじゃねぇって。
こんな時代なんだ。子供のお前が守れなくても……――
…いつも、繰り返してきた行動。
お前のせいじゃない。誰かにそうやって肩を軽く叩いてもらいたい。許してもらいたい。
…だからオレは、の肩を軽く叩くんだろう。
「…?」
しかしは、オレの声など聞いていないようだった。
何かを思い出そうとしているように見える。もしかしたらその女の子の名前なのかもしれない。
そういえば、と出会って5年。毎日のように悪夢にうなされるだが、奇妙な事に肝心の少女の名前は聞いた事がなかった。
思い出したくないのなら、それでいいと思っていたが…
「名前は………確か、……」
!?
「!? だって!?」
自分の耳を疑った。今の口から出た名前は…オレの幼馴染の名前だったからだ。
まさか…
「…いや、いや、まさかな……」
自分の脳裏に浮かんだ考えを軽くかぶりを振り忘れ去る。
…いや、これは詳しく話を聞く必要がありそうだ。には辛い話だろうが…
「、上手く脱走出来たら、その話ゆっくり聞かせてもらうからな!
…それより……ちょっと待ってろ」
「!? お前、そのパン……」
「しっ! 余分に貰っといたよ。チョロいもんだぜ。彼女……生きてるといいな……いや、生きてるよ。絶対に生きてる」
―そう、絶対に、生きてる。生きていて欲しい――
「さあ、食えよ! オレたちも、生き延びるぜ! ちゃんに会いてぇだろ? オレもその子にちょっと興味がわいてきたよ!」
―そう、生き延びるんだ。に会いたいから。あのとき、オレが見捨てたに…――
オレたちは難なくモンスターバウトで勝利を収め、何食わぬ顔でモンスター側の控え室へ凱旋。
兵士の教えてくれた抜け道を二人で走り抜けた。
抜け道は城壁へと繋がっていた。逸る気持ちを抑えつつ城壁を下り…
…城門の外の橋まで辿り着いたところで、とうとう我慢が出来なくなった。
「やったぜ! 本当に逃げられるなんて! 女神様、グランス様!! ありがとうございます!
、オレたち、自由だ! どこへでも行けるし! 何だって出来るんだ!
オレは腹いっぱい飯が食いたい! 、お前は!?」
オレはを振り返り、叫ぶように話しかけていた。自分でも顔が綻んでいるのがわかる。
…しかし、はオレとは対照的に、暗い…悲壮な面持ちを浮かべていた。
「俺は……シャドウナイトを倒す……」
その言葉に、混じりけは全く無い。口から放たれた通りの純粋な意味しか含まれていない。
「おおっと……それにはノーコメントだ……」
普通なら「そんなバカなことはやめろ」と言うべきだろう。
しかしオレはの性格はイヤってほど知っている。彼がそのためだけにこの5年間を生き抜いてきたことも。
何かを見据えたら常に一直線。妥協することもせずただひたすら目的だけを追い求める、復讐の剣…
剣闘士奴隷という身分だったからこそ、は今日まで生きてこれたのだ。
もし鉱山奴隷にでもされていたら、とっくに命を落としていたに違いない。
―…もうちょっと斜に構えた方が、世の中渡っていきやすいぜ。
例えば、目の前の戦友に「実はオレもそうなんだ」って言いたいのに、おちゃらけるコトしかしないとか、さ…――
「ところで、……さっき言ってたのことだけど……」
自分の中に浮かんだ言葉をごまかしながら、オレは話題を切り替えた。
「その名前、俺も知ってるんだ」
「知ってる????」
「ああ…俺の知ってるとお前の言ってるが同一人物かどうかはわからないけどな」
まさか、とは思う。しかし聞く限りの状況があまりにも一致しすぎていた。
の両親が匿った、という名の少女。と彼の家族が邪教徒狩りで捕まったのは、そのせいだという。
普通なら、その少女を憎んでもおかしくない。しかしはただ、その少女を守れなかった事だけを悔いている。
そして、憎しみの矛先には彼女と両親の仇…シャドウナイトただ一人。
「…こんなところで暗くなっててもしょうがねぇ!
とりあえず、そうだな……トップル村へ行こう! マナの女神信仰の篤い村だ」
マナの一族とも深い繋がりを持ってきたトップル村。
何回か行ったことがあるが、公国にも比較的近い場所に位置しており、オレたちがひとまず身を隠すには最適の場所だった。
それに…もしが生き延びられたなら、その村に匿ってもらっている可能性が高い。
「そこでゆっくり話そう」
「わかった。トップルを目指そう!」
の返事に、オレは心の中で安堵のため息をついた。
オレが上手くの方へ話を持っていかなかったら、コイツはこのままシャドウナイトの首を狙いに行っちまったかもしれない。
…もしそうなっていたら、オレは一体どうしただろう…
「よくここまで逃げてきたな」
全く予期せぬ声に、オレとは同時に振り返った。
…そこにあったのは、忘れもしない姿。
夢の中と…5年前と全く同じ仮面をつけ、同じように兵を従えた、堂々たる姿。
…グランス公国王子ストラウド…通称、シャドウナイト。
「!! シャ! シャドウナイト様ッ!! あっ! えーとっ! 外の空気を吸いにきましたっ!!」
まさかシャドウナイト自らが脱走奴隷の捕獲に出陣してくるとは思わなかった。
いつにもなくオレは慌てていたに違いない。しかし、それでもシャドウナイトに「様」をつけることは忘れなかった。
…我ながら、悲しい性だ。
「すーッ!! はーッ!! はぁ〜、これで満足、満足……さて、帰ろうかな! 次のバウトはいつだ!?」
またもや脱走は失敗したが、生きてさえいれば機会は必ずある。
ここで殺されることだけは何としても避けなければならない。
オレもも、バウトにおける観客の人気はかなり高い方らしいから、卑屈に従えば殺される事は無いはずだ。
何としても、生き延びるんだ。
また、過酷な奴隷の日々に戻る事になっても。
また、誇りを捨てる事になっても。
また、道化に身をやつしても。
「先ほどの戦いぶりといい、脱走計画を練る知恵といい、奴隷にしておくのは惜しい」
しかし、シャドウナイトの口から出た言葉は、そんなオレの必死さをひっくり返すものだった。
「どうだ、お前たち、公国兵士にならぬか? 邪教徒狩りで人員が足りぬのだ。悪い話ではないだろう?」
…確かに、普通の奴隷なら喜んでその言葉に従うだろう。
しかし、どん底まで身を落としたとはいえ、オレにだって一握りのちっぽけな誇りくらいある。
…そう、あるはずなんだ。
「えぇっと…」
何故、正直に「イヤだ」と言わない?
何故、そうやって真剣だかいい加減だかわからない態度ばっかり取る?
何故、目の前に仇がいるのに、それを討とうとしない…!?
「誰がお前なんかに……」
オレの煮え切らなさをよそに、口を開いたのはだった。
「父さんも……、母さんも……、お前が殺したんだ……、それに、も……」
暗く、低い、呟きにも似た言葉。
バウトのときにモンスターに向けられる剣と全く同じ。
…激しく渦巻く憎悪。己と死者の無念を込めた、復讐の昏い炎。
「殺した? 何のことかな? 法は法だ。
私が定めた法も、今は私の手を離れて、ただ粛々と動かされている。私に不満を言われても困る」
…シャドウナイトは一体何を言っているのだろう?
まるでのことを前から知っていたかのような口ぶりだ。
しかし、コイツのすかした態度もムカつくが、そんなことよりもっとやばいことがある!
「お、おい! まずいよ!」
オレはバカだ。何でこんな単純なことに気付かなかったのか。
シャドウナイトが目の前にいるのに、あのが仇を討とうとしないわけが無いじゃないか!
「お前だけでも公国兵士にしてもらえばいい! 俺はごめんだ!」
叫ぶなり剣を抜き放ち構えをとる。バウトのときよりもさらに強い決意が見て取れる。
「それでも無法者は、法を捨て、剣を選ぶか……。それもよいだろう。かかってこい!」
兵に任せるでもなく、自ら剣を抜く事も無く、シャドウナイトはただそう言った。
そこにあるのは揺るぎない自信。など服に付いた埃を払うようにあしらえるという余裕。
「父さんと母さんの仇! 覚悟しろ!!」
は疾風の如くシャドウナイトに飛びかかり、鋭い一撃を振り下ろした。
見事な動きだった。長年の戦いぶりを見てきたが、恐らくはこの一撃に全てを込めているのであろう。
しかし、シャドウナイトはそれをかわそうとする素振りさえ見せない。
あの一撃を甘んじて受けるというのか? まともに喰らったらただでは…
ガシィッ
一瞬の後、そこにあったのは、の剣を素手で掴み受け止めているシャドウナイトと
対照的に、自信を持って放ったであろう一撃をいとも簡単にいなされ、愕然とした表情を浮かべただった。
「け…剣を素手で弾き返した!?」
「そんな! お前、一体?!」
シャドウナイトはオレたちの問いかけには応えず、代わりに凄みのある笑みを口元に浮かべた。
「残念だよ! 愚かな剣士よ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シャドウナイトは目にも止まらぬ速さで剣を抜き放ち、
そのまま返す刃での身体を袈裟懸けに斬り下ろした!
「うわあああああああああああ!!」
衝撃で橋から足を踏み外し、下の滝壺へとまっ逆さまに落ちていく。
とっさに手を伸ばしたが間に合わなかった。それ以上身を乗り出すことはオレには出来なかった。
「ッ! ーッ!!」
遥か遠くの濁流に呑まれていくを前に、オレは祈る事しか出来なかった。
祈り。絶望のどん底に追い込まれた人間が、最期に取る行動。
今まで何度もマナの女神様に祈ってきた。ただ、今回ほど強く願った事はなかっただろう。
「女神様っ! アイツを…を、助けてやってくれぇ!!!」
「さて…まだ返事を聞いていなかったな」
しばしの沈黙の後、シャドウナイトがゆっくりと口を開いた。
「…公国兵士にならないか…って、ヤツか?」
「そうだ」
「………へへっ…」
自分でも奇妙に思う。しかし、確かにこのときオレは笑っていた。
「…残念ですが、お断りしますよ。オレは兵士なんてガラじゃない。剣闘士奴隷で充分ですから」
「何故だ。少なくとも兵士になれば、今までのように常に死と隣り合わせの暮らしなどしなくてもよいのだぞ」
「…確かに、オレは死にたくない。誰だって死にたかなんかないさ。
でも、オレにだって…オレにだって、プライドってもんはあるんだぜ?」
そう言って、オレはシャドウナイトに向き直った。そして、また笑う。
「マナの一族…ということが、お前に残された最後のプライドのようだな、ウィリーよ」
刹那、驚きと緊張に胸が大きく高鳴った。
「…覚えておいでだった、ってワケか。なら何故今すぐオレを殺さない? みたいに滝壺へ突き落とさない?
マナの一族は、マナの力を独占する邪教徒の一族なんじゃないのかい?」
「未だ過去に囚われ続けているとは…やはり貴様もと同じ、愚か者なのか」
シャドウナイトは剣を鞘に収めながら、言葉を続ける。
「しかし、貴様はとは違う。似て非なるものだ。過去に囚われながらも、しっかりと前を見つめている」
「…それは、褒め言葉かい?」
「そうだ」
「公国の支配者直々にお褒めの言葉を与れるとは…一奴隷としては身に余る光栄っすね」
オレは肩をすくめ、おどけてみせる。
「でも…とどのつまり、オレはと同じ。村を滅ぼしたアンタが憎い。自由になりたい。失った者の無念を晴らしたい。
ただ、それ以上に死にたくないだけ。命を失う事ほど取り返しの付かない事はないって、知ってるだけ。
生きてさえいれば、大抵はつらいことばっかだけど、いいことだってある。それを知ってるだけなんだ…」
普段どおりのおどけた調子。どこまでが真意で、どこまでが冗談なのか…言ってるオレにすらわからない、道化のような口調。
「…そうか」
シャドウナイトはそれだけを言うと、きびすを返した。
「今までのように、奴隷部屋に押し込んでおけ。それと今日はメシ抜きだ」
周囲に待機していた兵が、オレを取り押さえる。しかしオレは何もせずされるがままにした。
どうやら命だけは助かったらしい。それさえわかれば充分だった。
「…そこまで言うのなら、生き延びてみよ」
オレに背を向けたまま、シャドウナイトは独り言のように話し始めた。
「自分の身のことしか考えてないフリをしながら、道化を演じながら、
自由を得、我が首を取るチャンスを虎視眈々とうかがい続けるがいい…ホラ吹きウィリーよ」
そのままシャドウナイトは、城の闇の中へと姿を消した。
―生き延びなきゃいけない。
何をしてでも、生き延びなきゃいけない。
誇りを捨て、道化となってでも。
…そう、オレは生き延びなきゃいけない。
オレが見捨てた村のみんなの分も、の分も、の分も。
別に「前を見つめている」ワケじゃない。
ただ、死にたくない…いや、生き延びたいだけ。
目的の先に何があるのかを、知っているだけ。
…は、目的に囚われすぎて、それに気付いていなかった。たったそれだけ。
連行されながら、オレは大空を見上げ、大きく深呼吸をした。
―過去も未来も、憎しみも悲しみも喜びも、全部背負い込んで生き延びてやるさ。
大丈夫。だって、オレには女神様がついてるんだもんな!――