「迷える月」

 

 私は、いつも独りだった。
 珠魅として生を受けてから、たった独りで長い間闘い続けてきた。
 やがて珠魅の仲間を見つけ、守るべき姫を見つけ、珠魅の騎士となった。
皆私の強さを認め、私を頼るようになり、私の周りは珠魅で溢れかえるようになった。
 …それなのに、私は独りだった。

 自ら守ることを誓った玉石姫を失い、不死皇帝の軍に追いつめられた私は、
仲間を率いて、珠魅の集落に中でも最大の規模を誇る、「煌めきの都市」へ助けを求めた。
 指導者ディアナは氷のような印象を私に抱かせたが、指導者としては称賛に値する人物で、
私たちの後をつけてきた不死皇帝軍に都市が発見されてしまったとき、
私を責めるどころか、逆に共に不死皇帝と戦うことを誓ってくれた。
 私は彼女の指導者としての能力に敬意を抱くと同時に……

「また戦いになるのか」
「はい」
 ディアナに戦局の様子の報告するために、玉石の座へ向かっていた私は、
部屋の入り口で思わず足を止めた。何を話しているのだろう? 相手は騎士長のルーベンスか?
「ごめんなさいルーベンス。また貴方を戦わせることになってしまって」
「俺のことは大丈夫だ。レディパール殿も、他の騎士達も皆強い。
 いかに相手が不死皇帝軍だろうと、そう易々やられたりはしない」
「……違うのです」
 刹那、会話が途切れた。
「もし…もし貴方の核が砕かれて…そこまでではなくとも、傷付けられてしまうのが恐いのです。
 今私たちの中には涙を流せる者はいない。核が傷付いても、癒すすべがない…」
「ディアナ…」
「…こうしていると、今にも涙が溢れてきそうなほど核が軋むのに、私の瞳からは何も出てこない。
 皆、私のことを優れた指導者だと讃えてくれるけど、結局のところ、私も他の珠魅達と何も変わらない。
 愛する騎士の傷一つ癒せない、名ばかりの姫にすぎないのです……」
 再び、辺りを沈黙が包んだ。
「…私に涙が流せたら。貴方の傷を癒すことが出来たなら………………」
 気がついたとき、私は玉石の座の扉に背を向け、歩き出していた。
ディアナの意外な一面に驚いていた。
彼女の冷たいダイアモンドの核の内側の、本当の煌めきに私は気付かなかった。
 おそらく、彼女の冷徹だが優れた手腕を支えているのは、ルーベンスなのだ。
ルーベンスがいなかったなら、この「煌めきの都市」は、ここまで繁栄しなかったろう。
そうなる前に、ディアナが砕けていた。そうならずに済んできたのは、ルーベンスがいたから…。
 ……彼女を、羨ましいと思った。

 波のように押し寄せる不死皇帝の軍を前に、私たちは奮戦した。
しかし、やはり少しずつだが戦局は悪化していった。元々敵に比べてこちらの数は圧倒的に少ない。
それを補ってきた涙石ももうない。やがては…新しい玉石姫が現れない限り、全滅する。
 (しかし、負けるわけにはいかぬ!)
私は前線に立ち、鉄槌を振るっては、何人もの敵兵を打ち砕き続けた。
 (私は珠魅の騎士だ。騎士は他のものを守らねばならぬ。たとえ……)
はっとした。不意に全身から熱が引いた。たとえ、の後が続かない。いや、続けられない。
 (たとえ………)
 突然胸に激しい痛みが走った。硬いものが割れるような、乾いた鋭い音。
私の核が割れた音だった…戦いから気をそらしてしまった隙を突かれてしまったのだ。
 (たとえ……………)
鉄槌を支える腕の力が抜けていく。視界はぐるぐる回りながら、少しずつ色を逃がしていく。
 (たとえ………………………)
味方の珠魅の悲鳴を遠く聞きながら、私は闇の中へ落ちていった。
 (たとえ……………………………………――――――――――――――――――――
――――――心から愛する者が、心から愛してくれる者がいなくとも。

 深い闇だった。一片の光もない、何も見えない闇。
何も見えないはずなのに、何かが蠢いているのがわかる闇。
辺りに静かな音が響いている。波の音だ。……ここは、海なのだろうか。
 私は、自分が生を受けたときのことを思い出していた。
ずっと漆黒の闇の波に揺られ続けていた。それを、天から降り注いだ柔らかい白い光が打ち破った。

  ぴちゃん

 雫のたれる音。そして、辺りに淡い白い光が満ちた。
少しずつ、私は浮かび上がっていった。漁師の手に捕まれた貝が、海から引き上げられるように。
 うっすらと色が加わっていく。

「レディパールさま……」
 か細い、擦れた声がした。
目の前にいたのは、美しい榛色の瞳から淡い青緑色に煌めく涙を流している、美しい少女だった。

 こうして、私は救われた。
この知らせを聞くなり、ディアナはすぐに少女…蛍姫を玉石の座へつけ、
戦いで傷付いた珠魅たちを、涙石によって癒していった。
「煌めきの都市」の珠魅にとって、蛍姫は希望の象徴となったのだ。
 姫のいなかった私は、騎士のいなかった蛍姫の騎士に志願した。
もちろん、ディアナは認めてくれた。蛍姫の生み出す涙石の存在は、敵にとって驚異となる。
それは、蛍姫がこれから何度も命を狙われるであろうことをも意味していた。
 しかし、私が蛍姫の騎士に志願した理由は、それだけではなかった。
――あなたは、あなたの騎士でもなかった私のために涙を流してくれた。
  一度自分の姫を失った無様な私のことを、命を削ってまで想ってくれた………――
 以前の私の姫さえも、ここまで私のことを想ってはくれていなかっただろう。
だから、蛍姫が涙を流してくれたことが、とても嬉しかった。

 しかし、蛍姫の登場は、事態を思わぬ方向へ向かわせもした。
ディアナは、蛍姫の涙石を保険にして、こちらから不死皇帝へ戦いを挑んだのだ。
 戦闘の度に沢山の珠魅が傷付き、蛍姫は毎日沢山の涙を流さねばならなくなった。
涙石。それは慈愛の象徴だと、以前耳にしたことがある。
 (これは慈愛ではない。ただの人柱だ!!)
私の憤りをよそに、蛍姫は日に日にやつれていった。
美しい蛍石の核は、目に見えてぼろぼろになった。
そして、そんな蛍姫をさらに追いつめるかのように続く、不死皇帝軍との戦争。
…とうとう、私は再び戦場に戻らねばならなくなってしまった。
 (前と同じだ)
以前、玉石姫が殺されたときもそうだった。戦局が悪化し、私が前線に赴いている隙を突かれた。
「レディパール様!!」
 突然走り込んできた珠魅が叫んだ。伝令の者だった。
「どうした!」
「玉石の座が…蛍姫様が、不死皇帝軍に襲撃されました!!」
 一瞬、目の前が真っ暗になった。

「パール!」
 慌てて煌めきの都市へ戻った私を、蛍姫は出迎えてくれた。
「ご無事か、姫!」
「えぇ、私は大丈夫。彼が助けてくれたから…」
 蛍姫は後ろを振り返った。そこには一人、見慣れない石の珠魅がいた。
緑色と紫色。二つの色を交互に放つ核を持った、中性的な面持ちの青年だった。
「君は…?」
「アレクサンドルといいます。アレクと呼んでください」

 それからというもの、私がいないときの蛍姫の護衛はアレクが担うようになった。
彼に蛍姫を任せるようになってから、私は安心して戦場へ赴けるようになった。
 そして、私が蛍姫のお側にいるときも、アレクは度々同行した。
蛍姫はアレクを心から信頼しているようだった。彼と会話を交わす姫の姿は本当に楽しそうだ。
 (どっちが騎士だかわからぬな、これでは)
何気なく思ったその言葉が、私の核を強く軋ませた。
 (蛍姫を守るのは騎士である私の役目だ。しかし、不死皇帝との戦に私は赴かねばならぬ。
 本来なら、ずっと姫のお側について、姫をお守りせねばならぬのに。
 姫を守れない騎士。姫の守りを他者に委ねなければならない騎士。
 …そんな私が蛍姫の騎士でいていいのか? アレクの方が、姫の騎士にふさわしいのではないか?)

 そんな私の心を嘲笑うかのように、戦はますます激しくなっていった。
劣勢もさらにひどくなり、それにつられ私はほとんど戦場へ縛られ、蛍姫の核はますます衰えていった。
…これ以上涙を流せば、蛍姫自身の命が危ういくらいに。
 そして、反比例するかのように、蛍姫とアレクの仲はますます親しいものへとなっていった。
まるで、騎士と姫の間柄のように…いや、それ以上に。
 私は強い孤独感を感じるようになっていた。
蛍姫のお側に付いているときも。蛍姫と会話を交わしているときさえも。
 原因はわかっていた。しかし、それをアレクに対する嫉妬だと認められなかった。

 そんなある日、私はマナストーンという物の話を耳にした。
伝説の「マナの聖域」にあるという、マナの力の結晶体。秘められた魔力は死者をも生き返らせるほど。
しかし、聖域に行くためには「聖剣」が必要らしい。どのような剣かは全くもって不明だ。
 いつもの私なら、単なる伝説だと笑っただろう。しかし、私はその話を信じた。
ワラをもすがる、という状況だったのだ。蛍姫の核は今にも砕け散りそうになっていた。
 このままでは蛍姫は死んでしまう。なら、万に一つの可能性にも賭ける価値はあるのではないか。
いや、蛍姫は絶対に死なせてはならない。今の煌めきの都市は蛍姫一人で保っているようなものだ。
蛍姫を失えば、煌めきの都市はなすすべもなく崩れるだろう。それを許しては……
 (…いや、そうではない)
 自分で練りかけた建前を、私は軽くかぶりを振って追い払った。
 (私自身が蛍姫を死なせたくないのだ。蛍姫をお守りする騎士として……)
いや、それも違う。
 (…一人の珠魅として。蛍姫をお慕いする、一個人として)

「パール…何故です?」
 思いもよらぬ話だったに違いない。蛍姫は目に見えて動揺していた。
ショックのせいか、榛色の…以前と全く変わらない美しい瞳から淡青緑色の輝きが溢れ出す。
「蛍姫、涙をお流しになられるな!」
「でも、でも……パール………」
 うろたえる蛍姫を見て、私のどこかが安堵の息をついたのがわかった。
蛍姫は私のことを想ってくださっている。私は決して独りではない。アレクなどに負けていない。
「…蛍姫、あなたの命をお救いするためには、もはや他に手段はないのだ」
 蛍姫の瞳が大きく見開かれた。
「このままではあなたは死んでしまう。私は、また姫を失うことになる…この手で守ると、誓った姫を」
 いつしか、私は過去の話をしていた。守ると誓った玉石姫を一度死なせてしまったことを。
「パール…あなたは……」
 再び瞳を潤ませる蛍姫。何故、優しさとはこんなにも残酷なのだろう。
「…許して、くださるな?」
 蛍姫は長い間、俯いたまま声を発しなかった。ただ、体を小刻みに震わせ続けた。
…永劫に続くかと思えた時間は、蛍姫の言葉によって終わりを告げられた。
「わかりました…気をつけて、行ってください。そして…必ず戻ってきて、パール……」

 玉石の座を出た後、私は強い核の軋みに襲われていた。私はつらい選択を蛍姫にさせてしまったのだ。
今まで、泣きたいと思ったことは何度もある。しかし、今ほど強く切実に願った事はなかっただろう。
「話をつけてきたようだな、パール」
「…アレクか」
 アレクには前もって全てを話してあった。私が去った後、蛍姫の騎士を継いでもらうことになっている。
「後のことは頼んだぞ」
「安心してくれパール。絶対に蛍姫は死なせない」
 アレクは笑って頷いた。そして、どこか強い決意を秘めた視線をちらりと私に向けた。
「…絶対に」
 再び、黒真珠の核が軋んだ。アレクに対する、かすかな嫉妬だった。

 私の聖剣探しの旅は、決して楽なものではなかった。
聖剣の伝説だけではなく、聖域に関する話も、マナストーンのことも、世界各地に残されてはいたが、
どれも信憑性に欠け、単なる言い伝えの域を出ないものばかりだった。
一番可能性が高いと踏んでいた、レイリスの「運命の剣」も、聖域へ繋がる聖剣ではなかった。
 焦る私を嘲笑うかのように、時間だけが過ぎていった。そして、信じられない虫の知らせ。
――煌めきの都市の玉石姫が、何者かにさらわれた。
 (アレク、お前は何をしていたのだ!?)
まず頭に浮かんだのは罵倒だった。しかし、しばらくするとこれとは異なる、もっと悪い予感が突き抜けた。
 (まさか…アレク、お前が蛍姫を……?)
蛍姫がいなくなれば、煌めきの都市は滅びの時を待つしかない。
しかし、蛍姫自身は玉石の座から解放され、涙を流す…命を他者に分け与える必要がなくなる。
 アレクは、蛍姫一人を救うために、他の珠魅達を裏切ったのだ。

 冷風が荒ぶ夜のデュマ砂漠で、私は再びアレクと相まみえた。
アレクは、私の知っているアレクではなかった。いや、今まで誰にも見せていなかった情熱…
私を含めた珠魅全てに対する憎しみを、もはや抑える必要はないとばかりに溢れ出させていた。
 しかし、私はアレクに負けるわけにはいかない。蛍姫は、私の帰りを待っているのだ。
……待ってくれているはずなのだ。
「蛍姫から全てを聞いた。貴女の核は輝きを持たない。
 漆黒の核を持つ珠魅レディパールは、心を持たない戦闘人形だと!」
 だから、アレクがこう宣告したとき、私は言葉の内容よりも、
その言葉を蛍姫が発したという、アレクの言葉に大きな衝撃を受けた。
「私は人形ではない!」
 嘘だ。蛍姫がこのようなことを言うはずがない! あの心優しい姫が、私のために泣いてくれた姫が!
「貴女だけではない! 涙を失くした、全ての珠魅が人形だ!!」
 それとも、本当に蛍姫は、私のことを心を持たない人形だと!? 
違う! 私は蛍姫、あなたのことを想ってこそ非情に闘い続けたのだ!
全てはあなたのために、私のために涙を流してくれた、蛍姫、あなたのためなのだ!!
「死んでくれ、パール!!」

 硬いものが割れるような鋭い音が響いた。同時に、ゆっくりと世界がうつろいはじめる。
肌を撃つ風の冷たさも、砂漠の砂の感触も、全てが歪み、薄れてゆく。
漆黒の海のような空には、大きな月が水面に映るように揺らめいている。
 (……月、か…)
 私に似ているな、と思った。何故なら、暗い夜に、月はたった独り。
闇夜に飛び交う蛍は、すぐに寿命を終えてしまう。ずっと月に付き添ってはくれない。
 (…いや、違うな)
 夜空には、無数の星が煌めいている。毎日少しずつ場所を変えながら、月と共に輝いてくれる。
しかし、私には星はいなかった。少し頼りなげな…それでも、決して月から離れない星。
 月は独りじゃない。しかし、私は………

 深く深く私は沈んでいった。岩にしがみついていた貝が力尽き、海の底へ沈むように。
打ち寄せる波のような音が聞こえる。穏やかで、優しく、どこか懐かしい…

――……君は真珠姫。心配はいらない。俺が君を守る騎士だから……―――――

FIN.

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