「皐月に咲くバラ」


 城の船着き場にベアトリクスは一人、リラックスするように佇んでいた。
普段は優しく、時折強く吹く風が、彼女のブロンドの髪を踊るように靡かせている。

 「霧の魔獣」の突然の襲撃から数週間。
アレクサンドリアの街は変わり果てた姿をさらけ出しながらも、少しずつ元に戻ろうとしつつあった。
 先代女王ブラネによるリンドブルム侵略、そのブラネの死、そして新女王ガーネット即位間もなくの魔獣の襲撃。
立て続けに災厄に見舞われてきたアレクサンドリアの復興を、ベアトリクスは先頭に立って行ってきた。
先日までの栄華を誇ったこの国を支えてきたベアトリクスは、本日の荒れ果てたこの国をも支えているのだった。

 「ベアトリクス!」
名を呼ばれ、ベアトリクスは振り返り川岸を見た。
 立っていたのは、ここアレクサンドリアの女王ガーネットだった。
しかし、その姿にはどこか違和感がある。整った美しい面立ちも、自分を呼ぶ声も、自分の知っている女王なのに。
 その理由に、ベアトリクスは気付いた。
「ガーネット様……その御髪は」
「何と説明すれば良いのでしょう…えぇと…庶民で言う、気合入れ…でしょうか?」
 肩の長さに揃えられた黒髪に軽く手を触れ、ガーネットははにかんだ。
「似合わないかしら? どう思う、ベアトリクス?」
「…いいえ、とても良く似合っておられますよ、ガーネット様」
「お世辞じゃないわよね?」
「まさか」
 釣られるようにベアトリクスも笑顔を作る。
「それより、無事で良かったわベアトリクス。生死不明だと聞いていたものだから、心配してたのよ」
「ガーネット様こそ、すっかりお元気になられて。ジタンには会えましたか? 貴女を捜しておりましたよ」
「えぇ」
 ジタンの名を聞いたせいか、ガーネットが一段と嬉しそうに笑った。

 (本当に元気に戻られたようですね。やはり、ジタンのおかげなのでしょうか?)

 あの尻尾の生えた少年が、ガーネットに特別な感情を抱いているらしいことはベアトリクスも知っていた。
やや軟派だという彼だが、ガーネットに対するそれは、決して遊びや一時の気の迷いなどではないようだ。
 そう考えたとき、にわかに胸が締めつけられるような感触に襲われた。
「彼…ジタン、汗まみれになって私を迎えに来てくれたの。迷惑かけちゃったなって申し訳なく感じるくらい」
 直接伺うことなどとても出来ないが、様子だけ見ると、ガーネットもジタンを憎からず想っているようだ。
もしガーネットが自分の想いに気付き、それに従えば、二人は間違いなく幸せになれるだろう。
もっとも、王家というとてつもなく閉ざされた環境で育ったきたガーネットのことだ。
自分の気持ちに気付くのにさえかなりの時間、あるいはかなりの出来事が必要だろうが…。

 (…私は、貴女を羨ましく思います)

「ところで、スタイナーには会ったの? 彼も貴女を心配してたわ。無事だったのなら、どうして?」
 ベアトリクスは、またもや胸が締めつけられるのを意識した。原因はわかっていた。
スタイナー。彼の名が出たからだ。
「…………いいえ、会っておりません」
 すぐには返答出来なかった。やっと出せた声も、か細く掠れていた。
「どうして?」
「………………」
 ベアトリクスは無言のまま、ガーネットに背を向けうなだれた。
「ベアトリクス?」
「…会いたいのは山々です。しかし、スタイナーは貴女の護衛、私はアレクサンドリアの復興に忙しい。
 今は互いの役目のみに力を注ぐべきです。とても私用に時間を浪費出来ませんから」
「少しくらい休んでもいいと思うわ、ベアトリクス。それに、私もスタイナーに守ってもらわなくても大丈夫よ。
 ジタンや他のみんながいるし、私だって少しは闘えるもの」
「しかし……」

 (言えない。本当のことなんて)

「……私、もう行かなくちゃ。またジタンが心配するから。
 ベアトリクス、本当に無事で良かった。みんなにも伝えておくわ」
「あっ…」
 一瞬船へ戻ろうとしたガーネットを呼び止めようとしたが、ベアトリクスは思いとどまった。
とてもこのようなこと言えない。自分のことをスタイナーには言わないでくれ、なんて。

 ガーネットが完全に見えなくなった後、ベアトリクスは柱の陰へしゃがみ込んだ。
何故スタイナーに会わないのか。それはいつも考えていたことだった。
 ガーネットに語った事も嘘ではないだろう。しかし、本当の理由は全く違っていた。
自分は、スタイナーに会いたくない。会うのが、怖いのだ。
 スタイナーが嫌いなわけではない。それどころか、ジタンのガーネットに対する気持ちに負けないくらい……
……スタイナーを、愛している。
 だからこそ、会いたくない。だからこそ、自分はスタイナーに自分の生存を知らせなかった。
自分が生死不明のままなら、スタイナーは自分のことを考えてくれる。
しかし、もし自分の生存が判明したなら。
 スタイナーは自分の無事を喜んでくれるだろう。しかし、それも一時的なものだ。
いつも任務のことしか頭にないスタイナーのことだ。
すぐに頭の中は任務のことでいっぱいになり、自分のことなど意識しなくなってしまうだろう。
 それが怖かった。
 「霧の魔獣」からアレクサンドリアを守るため絶望的な戦いに挑んだとき、
スタイナーは自分を必ず守ってみせると言ってくれた。そして、力を尽くして守ってくれた。
 それよりも少し前、差出人のないラブレターを拾ったとき、
それに書かれていた時間に、書かれていた場所に、スタイナーはやってきた。
もっとも、その場に来ていたのはスタイナーだけではなかったのだが。

 (スタイナーは、本当に私のことを愛してくれているのだろうか?)

客観的な視線から見れば、愛してくれていると充分に取っていいだろう。
しかし、自分が対象となると…まして、自分も相手を愛しているとなると…言い表し様のない不安に襲われる。
 もし、スタイナーの行為が一時的な気の迷いだとしたら。
 また昔のように、任務のことしか頭になくなってしまったら。
…考えれば考えるほど、悪い方向へ話は進んでゆく。
 考えないようにしよう。そうするには、何か別のことで頭をいっぱいにするのが一番だ。
 ベアトリクスは立ち上がり、再び復興作業に戻ろうと船へ歩き始めた。
「…?」
 足元に紙が落ちている。文字らしきものが書かれているのを見ると、どうやら手紙らしい。
一瞬、先日のラブレターが頭をよぎった。
「まさか」
 呟きながらも、ベアトリクスは手紙を拾い上げ、文章に目を走らせた。

  “満天の星空の下、お城の中庭で、いつまでもあなたを待っています”

「……まさか」

 その日の終わりは、星の散りばめられた綺麗な夜だった。
ちょうど、前の時と同じように。
 ベアトリクスは中庭へやって来ていた。手紙を信じたわけではないが、どうしても来ずにはいられなかったのだ。
柱に背をもたせ、夜空を見上げて大きく息を吐いた。
視界の隅には、垣根に植えられたバラが映っている。ちょうど今が季節だ。ほのかに薫っている。
 恋人同士のデートには絶好の夜だ、と思った。

 (もっとも、この手紙の差出人が本当にスタイナーで、相手が本当に私だったのなら…)

 そのままベアトリクスは夜空を見上げ続けた。まだ冷たさを含んだ夜風をその身に受けて。
…東の空が白み始めた頃、人の足音と、金属鎧の軋む音が聞こえた。

 駆け寄りたい衝動を抑えながら、ベアトリクスはスタイナーを見つめた。
「無事…だったのだな……」
「あなたのおかげですよ、スタイナー」
 ベアトリクスが笑うと、スタイナーは視線を伏せて体を震わせ始めた。
そのまましばらく震えた後、突然面を上げ、
「馬鹿者っ!! 無事なら、何故すぐに無事と伝えなかったのかっ!!?」
その顔は、涙でぐしょぐしょに濡れていた。
「すみません…アレクサンドリアの復興作業に忙殺されて…」
「言い訳などいらんっ!!」
 叫ぶなりスタイナーは、ベアトリクスに走り寄り固く抱きしめた。
「スタイナー…」
「どれだけ…どれだけ心配したことか………」
 それを最後に、スタイナーは何も話さなかった。ただ、ベアトリクスを強く抱きしめ、嗚咽するだけだった。

「では、この手紙はスタイナーが書いたのではないのですね…」
 スタイナーが落ち着くのを待って、ベアトリクスは手紙の話をスタイナーに切り出した。
「実は、自分の元にも全く同じ文面の手紙が届いたのだ。お前からかと思い、慌ててやって来たわけだが…」
スタイナーは顔を伏せ、やや申し訳なさそうにに話したが、
「…そのようなことは、もうどうでもよいではないか」
「そうですね。こうして、あなたと逢えたのですから…」
 鎧越しにスタイナーの体温を感じながら、ベアトリクスは、今自分は幸せなのだと思った。
  スタイナーは、こんなにも私を愛してくれている。
  そして、私も………………………―――――――――――――――――――――――――――

 同じ頃、3つの人影が、固い抱擁を続けるスタイナーとベアトリクスを柱の陰から覗いていた。
「アツアツねぇ」
「全く、ニクいくらいだぜ」
 小声でコソコソと会話を交わしたのはジタンとエーコだ。
「でも、スタイナーもベアトリクスも本当に幸せそう…」
 どこか憧憬を滲ませた呟きを漏らしたのはガーネット。
「ん〜、羨ましいのかダガー?」
「ぃ、いえ、そんなことないわ!」
「羨ましがることないぜ。いつでもあんな風にアツアツになれる相手がこんな近くにいるじゃないか!」
「ふざけないで!」
 ガーネットは肩をいからせると、ジタンに背を向けとっとと歩き出してしまった。
「ま、待ってくれよ、オレは本気だよぉ!」
 慌ててガーネットの後を追うジタンを見ながら、一人残されたエーコは深いため息をついた。
「スタイナーたちよりもっとわからないわ、あの二人…………」

FIN.

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