―――危ないっ…!
そう叫びながら、彼女はオレの前へ飛び出していった。
次の刹那オレの目に映ったのは、体を半分血の海に沈ませて倒れている彼女の背、
紅に染められた、メシア教聖十字の蒼いケープだった。
…あれから、どれくらい経ったのだろう。
―――どうしてあなたがここにいるの!? ……まさか……………
こんなところで、また彼女に会うなんて夢にも思っていなかった。
ケセド仏殿。命尽きた魂が集まる場所。
唯一神の下僕であるメシア教徒の魂も死後ここに集まるとは驚きだった。
何故ならここは魔界。唯一神の光を拒む、魔王ルシファーの治める世界……。
―――あなたは、死んでここに来たんじゃないのね
嬉しそうに彼女は言う。魂だけの、今にも消えてしまいそうな、虚ろな姿で。
…少しだけ、胸が痛んだ。
そんな姿になりながらも、オレの心配をしてくれていたなんて…
―――でも、私はもう死んでるから、何もあなたの役に立てない………
……いえ、一つだけ、あったわ………―――
彼女の表情を見て、オレは彼女が何をしようとしているのかを、漠然とながらも察知していた。
それが何を意味するかを悟ると同時に、脳裏を一人の男性の言葉が、稲妻のように走り抜けた。
“……彼女は、君の為に創られた……”
「やめてくれ!」
彼女の顔がピクンと跳ね上がる。
「…もういいんだ。センターはもはや存在しない。君がそこまでしてオレに尽くす理由なんかないんだ。
だから……お願いだから、そんなことしないでくれ。君は自由だ。オレなんかに縛られずに、自分の意志で…」
―――でも
彼女の声は強かった。
―――私は、あなたのために生まれたの。肉体も魂も、私はあなたに捧げなければならない。
長年私たちが待ちわびてきた『メシア』である、あなたに……
「違う! 自分をそんなに軽んじないでくれ!!
確かに君は、何か一つの目的のためだけに生み出された命なのかもしれない。
でも、たとえ何かのために創られた命だって、自分の意志で自由に生きていいハズだ!!
他から強制された意志じゃなく、自分で考え、自分で決める自由が……!!」
―――…これは、私が自分で考えて出した結論よ。
「…それに、オレはもう『メシア』でも何でもない、ただの人間だ!!
君に何一つ捧げさせる資格もつもりもこれっぽっちも持ってない、どこにでもいる一人の人間なんだ!!」
―――あなたがセンターの考えた『メシア』かどうかなんて関係ない。
少なくともあなたは、私のたった一人の『メシア』なのだから……
…オレは、彼女を止めることは出来なかった。
ただ、彼女が残った力の全てをオレに託し、幸せそうに消えていくのを黙って見守るしかなかった。
彼女が完全に消滅した後も、オレはただそこに立ち尽くしていた。
ただ、視界に映るのは仏殿の壁ではなく、
昔彼女と共に『メシア』としてミレニアムを巡っていたときの、様々な記憶。
確かに彼女は、最初から献身的だった。
そりゃそうだろう…彼女はセンターの『メシア・プロジェクト』によって生み出された命。
『メシア』に身も心も捧げ尽くすように運命付けられた、意志無きロボットなのだから……。
「こんなの…こんなの、絶対間違ってる…っ!!!!!」
オレは、もはや誰もいなくなった空間に向かって叫んでいた。
他のことには目もくれず、声の続く限り、叫び続けた。
自分の頬を、生ぬるい何かが流れ落ちていくことにさえ気付かないで。
「そんなに自分を責めないで」
ようやく落ち着いたオレに、暖かい言葉が降り注いだ。
「少なくとも、彼女はあなたの力になることを望み、それを果たすことが出来たのよ。
あなたは彼女を幸せにしてあげられた…それに偽りはないはずじゃない?」
そう……それだけが、唯一の救いだった。
「…わかってるよ。だから、オレは闘っているんだ。
彼女の遺志を無駄にしないためにも…もう二度と彼女のような人が生まれないためにも…
……そして、次に彼女が生を受けたときは、普通の人間として幸せに暮らしていけるように………………」