「真紅の呪縛」

 

 暗い。
 苦しい。
 体が…体が動かない。
何かが自分を縛りつけているかのように。
――何なのだ?
 俺は自分の周りに広がる果てしない闇を凝視した。
もちろん何もない。誰もいない。何も見えないのだから、そう思うしかない。
 しかし、それが信じられず、俺は闇に向かって一歩、足を踏み出そうとした。

   じゃらっ

――?
 いつの間にか、何やら鎖のようなものが自分の足に絡みついている。
いや足だけではない。腕。腰。胸。首。顔…
…それは俺の躰全体を戒めていた。
闇の中、戒めは炎のように、そして血のように紅く不気味に光って見えた。
 ゆっくりと両腕を上に持ち上げてみる。
軽く抵抗はしたが、腕はとりあえず俺の意志に従ってくれたようだ。
――!!!
 腕を見たとき、俺は自分の目を疑った。
その戒めは、俺の腕…いや、躰を突き破って生えていたのだ!

   じゃらり、じゃらり

 不意に風が吹き、鎖を鳴らした。
風の吹いた方へ顔を上げると、そこには背後と同じ闇色をしたローブを纏った一人の人物。
髑髏を型どった仮面でその顔を覆っていて、性別までは分からない。
 人物はゆっくりと俺へ向かって歩き始めた。そして、剣がちょうど一本入りそうなくらいまで近寄ると、
突然ローブの下から、巨大な鎌を取り出して……
――お前は…っ
 野獣のような咆哮が、光なき世界にこだました。俺の上げた悲鳴だった。

「…ですか」
――?
「大丈夫ですか、アルヴィス様!?」
 イシュタル王女の心配そうな声と顔に、はっと俺は現実の世界へ引き戻された。
体中汗でぐったりとしているのがわかった。
「……あぁ大丈夫だ。心配をかけたな」
 幸いにも、心にない笑顔を作ることには慣れていた。
だが、果たしてそれで王女が納得し、安心してくれるかどうか……
「…どうか無理をなさらないで下さい。セリス率いる反乱軍が、すでにミレトス付近まで侵攻してきているのです。
 ここで貴方に何かあったら……」
「イシュタル、お前は私があのような小僧に負けるとでも思っているのか?」
「! …いえ、そんなこと……」
 すみませんと頭を下げるイシュタルに、俺は少し心を痛めた。
「…私の心配をする暇があったら、ユリウスの側にいろ。
 彼の行動を監視…と言ったら聞こえが悪いが、とにかく、なるべく息子に罪を犯させないようにしてくれ。
 ……それと、暗黒神の生贄にされた子供たちのことを頼んだぞ」
「畏まりました…アルヴィス様、では私はこれで」

 イシュタル王女が去った後、俺は仮眠室を出て、城の地下倉庫へと向かった。

(セリス…か)

 俺の妻であり……異父妹でもあったディアドラが、
かつてこのシアルフィ城の城主の息子であった、シグルド公子との間にもうけた子。
俺の甥ということになるのだろうが、この世の中、血の繋がりは本来の暖かい役割など何一つ成すことはない。
いやそれどころか、むしろ自らの内を流れる血ゆえに、人は争い苦しみ、そして罪を犯し、堕ちてゆくのだ。
――この俺のように。

(……父と同じく俺に向かってくるか、セリスよ)

 セリスの父は、俺の放ったファラフレイムの炎の中で息絶えた。
しかし、全身を神の炎に焼かれながらも最後まで俺を殺そうと…あるいは、妻であったディアドラを取り戻そうと…
聖剣ティルフィングをその手にしっかりと握りしめて、不死鳥のごとく俺に向かってきた。

(俺のしたことは正しかった。シグルドには死という運命しか待ち受けていなかったのだ)

 俺はあの時も今も、そう信じて疑わない。いや、信じていることを疑わない。
しかし、正しいと正解がイコールで結ばれていたのかどうかまでは分からない。
 一つだけ分かることは、あの時の俺は若かった。
若さ故に、過ちを犯した。取り返しのつかない、大きく重い罪。
贖うすべはない。いや、たった一つだけ………………―――――――――

(…お前にそれが出来るか?)

 地下倉庫の鍵を開け、中から一振りの剣を取り出した。
立派な剣だった。こんな小さい城の倉庫に押し込められているのが罪に思えるくらいの。

(これが正解だったのかどうかは、お前にかかっているぞ…)

 剣の側に寄り添うように置かれていた一つの小さい包みも共に取り、俺は地下倉庫を後にした。
そして、すぐ側にいた兵に命じ、パルマーク司祭と娘のユリアを呼び出させた。

 パルマーク司祭に剣を渡し、イシュタル王女に命じて集めさせておいた生贄の子供たちの居場所を教えると、
司祭は天と地がひっくり返りでもしたように驚いた……無理もないだろう。
 そして…
「ユリア、お前もパルマーク司祭と共に逃げなさい」
「お父様…」
 ユリア。私とディアドラの間に生まれた子。
本来なら、生まれてはいけない子だったのだ。
しかし希望が彼なら、奇跡を起こし希望を実現させることが出来るのは、この幼い少女しかいない。
 …敵も、それを知っているのはわかっていたはずなのに。

「そうはいかぬ。ユリア皇女にはわしと共にバーハラへ来ていただく」
「マンフロイ…!」
 突然王の間に現れた老魔術師。
かつて俺が罪を犯すように…しかもそれを罪と気づかせないようにして…仕組んだ張本人。
「貴様、私が誰だか分かっているのかっ!?」
このような言葉は、決して奴には通用しない。
「いつまで皇帝のつもりでいるのじゃ。もはやお前はユリウス様の操り人形にすぎぬ」
…奴の言葉が正しい。
「お父様………」
 マンフロイに気付かれぬように気をつけながら、不安そうに俺を見つめるユリアに俺はそっと包みを手渡した。
「これはお前の母さんの形見…そして…………」
「何をしている。さあ、来るのじゃ!」
 マンフロイの薄汚い手によって、俺と娘は引き離された。
しかし、俺の手にあった包みは、もはや俺の手の中にはない。

(希望は託したぞディアドラ。お前の二つの忘れ形見に…)

 ディアドラ…古の言葉で、悲しみと災いを招くものという意味らしい。
そしてその名に違わず、ディアドラは多くの悲しみと災いをこのユグドラルにもたらした。
だが、果たして彼女の残したもの全てが、そのようなものばかりなのだろうか。

(確かめなければな)

それで俺の罪が、少しでも救われるのなら……

 シアルフィ城の守備台に立ち、配下の炎魔道士団ロートリッターを従えて敵を…セリスを待った。
――――――――来た。
 天空から隕石が降り注ぎ、剣が碧色の光を流星のように振りまいた。
両軍の兵士がお互い傷付け合い、紅い色をした命の残骸を野に惜しみなく注ぎながら倒れてゆく。
 いや、違う。
大地に倒れ、二度と起き上がらないのは、こちらの兵だけだ。
 最後のロートリッターが断末魔を上げたのを聞くと同時に、俺はファラフレイムの魔道書を手に取った。

(来たか、セリスよ)

 兵士の中から、一人の少年が一振りの剣を手に、前へ歩み出てきた。
間違いない。彼の持つ剣は、先ほど俺がパルマーク司祭に託したもの…
…聖剣ティルフィング。セリスの父シグルドの使っていた剣だった。
「アルヴィス皇帝!」
少年が大きく俺に向かって呼びかけた。
「セリスか……よく来たな。その勇気は褒めてやろう」
呼びかけに応える俺の声はどことなく自嘲気味だった。少なくとも、自分ではそう感じた。
「だが、お前も父のように、我が炎の中で焼かれ死ぬことになる」
 よくもここまで嘘をさらさらと言えるものだ、と自分で思う。
 確かに、セリスも父のようにファラフレイムの中で焼かれ死ぬことになるかもしれない。
だが、もしも彼が本当に希望なのだとしたら、俺の炎くらいで死んでもらっては困るのだ。
逆に言うと、俺にここで殺されるような希望など、この世界には必要ない。
 …セリスが果たして真の希望なのか。この大陸に光をもたらす存在かどうか。
それを確かめるのが、愚かな俺に考えつける、たった一つの贖罪だ!!
「行くぞ、セリス!」

   じゃらっ

――?
 魔道書を開いた俺の腕に、何かが絡みついている。
 …血の色をした鎖。夢の中で俺を戒めていた、真紅の呪縛。
――なぜ、ここに!?
 しかし、すでにセリスはティルフィングを構え、俺に向かって突撃してきている。

(…確かめるのだ。セリスが真の希望であるかどうか!)

 気力を振り絞り、ファラフレイムの呪文を詠唱した。
鎖を巻きつけた俺の指先から、鎖と同じ色をした炎がほとばしる。

   じゃらり、じゃらり

 炎の巻き上がる勢いで起こった風に、呪縛が揺れる。

(…やったか?)

 前を向いた俺の目に映ったのは、躰に血色の炎を纏い、俺目指してひたすらに駆けてくる一人の少年だった。
気のせいだろうか。闇色のローブを纏った人物が、彼に重なって見えているのは…

   じゃら………

 ローブの人物の振りおろした鎌が、俺の躰を切り裂いた。
 俺の躰から生え、俺を縛り戒めていた、紅い鎖ごと。
 躰を斬られたはずなのに、不思議と痛みはなかった。
 ただ、鎖が音を立てて辺りに飛び散った。
 じゃらじゃらと折り重なるように、俺の周りへ堕ちていった。
――解放
 微かに澄んだ音を聴きながら、俺は自分でも気付かないうちにそう思っていた。

 俺の前には、闇色のローブを纏った人物が、血と間違えそうな色の鎖にまみれた鎌を持って立っていた。
――お前はセリスか? それとも、死神なのか?
 人物は無言で髑髏の仮面を外し、地面に落とした。
その顔はセリスに似ていた。だが、年齢は明らかにセリスよりも上だった。
昔見た顔だ。最後に見たのは20年近く前、バーハラの野が死体で埋め尽くされた、あの忌まわしい戦い…――
――シグルド!?

 シグルドは闇色のローブと鎖まみれの鎌を投げ捨てた。
そして、ゆっくりと俺に向かって歩み寄る。
 俺は反射的にシグルドから離れようと後ずさっていた。
しかし、シグルドの横にもう一人、シグルドよりもはるかに見慣れた、決して忘れられない人物が現れる。
――ディアドラ
 ディアドラは俺を見つめると、にこりと優しく微笑んだ。
(もういいのです。あなたを縛っていた呪縛は、もはやありません)
――呪縛…?
(あなたはずっと縛られていました。血という名の真紅の呪縛に。
 その呪縛故にあなたはたくさんの罪を犯し、呪縛と同じ色にその身を染めてきた…)
(でももういいんだ。あとはセリスとユリア皇女に任せよう。
 大丈夫。彼らならきっと、自分たちで己を戒める鎖を断ち切っていけるだろう)
――俺を恨んでいないのか?
 くだらない問いだと分かっていた。しかし、訊かずにはいられなかった。
…シグルドは何も言わず、ただ微笑んだ。
――俺を…許してくれるのか?
 しかしシグルドはその問いには答えずに、傍らのディアドラの手を取って、俺に背を向けてゆっくりと歩き始めた。
それと同時に、彼らの姿がゆっくりと薄れ、代わりに彼らにとてもよく似た、一人の少年が現れた。
「アルヴィス皇帝を討ち取ったぞ! 我らの勝利だ!!」

 俺は薄れゆく意識の中、俺の鎖に濡れた聖剣ティルフィングを天に掲げているセリスを見た。
…全身に、血の色をした鎖が絡みついていた。
しかし彼を絡める鎖には、誰がつけたのか、ところどころにひびが入っていた………………――――――――

FIN.

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