File18

- 天文少年 -




カノープス(中央付近の明るい星)
1981年11月22日AM2:31〜2:41
ペンタクックスMX 150mm F3.5開放サクラカラー400 固定法10分

  中学生になった私はますます化石に熱中していた。この頃になると私は化石を採集するだけではなく、研究の真似事をするようになっていた。ノートにこれまで行った化石産地のルートマップや地質の柱状図などを作成したり、岩村で採集した貝類化石と現世の貝を比較して、当時の古環境を推測する作業などに取りかかっていた。(どれもとても幼稚なものだが)私は当時、将来古生物学者になることを真剣に考えていた。
 
 その頃、私は高校受験を控える中学3年生になっていた。しかし、なかなか受験勉強を始めない私を見て父はついに行動に出た。

 ある日、父は私に何も告げず化石標本箱を片付け始めた。そして、それらをドラム缶に詰めて蓋を閉めてしまった。そして、「受験が終るまで化石を止めなさい」と告げた。普段はやさしい父であったが、怒らせると怖い存在だったので、私はしぶしぶ化石をやめ受験勉強を始めることにしたのだった。しかし、必ずしも父の思惑通りにならなかった。私の好奇心はすぐに別の対象に向けられることになったからだ。
 
 当時、NASAのボイジャー1号2号が木星に接近し、木星のすばらしい画像を送ってきており、毎日のように報道されていた。妖しいまでに美しい彩りをした木星の表面、活火山が発見された衛星イオ、氷の衛生エウロパ...それらは私をたちまち魅了した。私は天文に関することをもっと知りたくなって、近くの書店に行ってみた。雑誌のコーナーに「天文ガイド」という月刊誌があり、私はそれをさっそく購入した。この雑誌にはアマチュアが撮影した美しい天文写真が掲載されていた。私は天文の世界でもアマチュアが活躍していることを知り、ますますその魅力にとりつかれてしまった。

 そうなってくると、天体望遠鏡が欲しくなってくる。しかし、受験生の身である私が購入できるはずもない。そこで思案のあげく、化石で使っていた大型のルーペを分解し、それを厚紙とビニールテープで巻いて固定し、手製の望遠鏡をこしらえた。倍率はオペラグラス程度だったが、それでも肉眼で見るよりはるかに良く見えた。私はその粗末な望遠鏡で夜中にこっそり家を抜け出し、手製の望遠鏡で夜空を眺めたものだ。それが私の天文観測の始まりだった。

 無事高校に入学すると、さっそく本格的な望遠鏡を購入した。ビクセン社製の反射望遠鏡「ポラリスR−100L」だ。この望遠鏡で最初に見たのは木星だった。それはとても小さくてぼんやりした像だったが、その時の感動は今でも忘れられない。以後、この望遠鏡を使って様々な星を眺めた。木星をはじめとした惑星、星雲星団、彗星など、晴れている日はほとんど毎日望遠鏡を庭に出して眺めていたような気がする。冬の寒い時期には、衣服に霜が降りていても気がつかないほどに私は夢中になっていた。

 私の入学した高校には天文部があった。私の入学した高校は、当時創設してまだ数年の新設校だったが、創部した先輩たちはかなり精力的に活動をしていたようだ。その噂は中学の頃から聞いていたので、私は何の迷いもなく即、入部を決めた。

 天文部では、定期的に観測会を行なっていた。特に流星観測に力を入れており、校舎の屋上などで夜通し夜空を眺め流星の数を計測するのだ。シュラフに包まり、星空を眺めながら部員と語り明かした日々は、私にとって楽しかった青春時代の思い出となっている。

 天文部にはたくさんの思い出がある。遠征に出かけた時、ほとんど毎日雨が降り観測がほとんど出来なかった事。校舎の屋上で観測していた時に、本州ではなかなか観測が出来ないとされる星「カノープス」を見つけ撮影できた事。(上の画像参照)私の家に部員が集まり、朝まで月食の観測をしたこと。など挙げればきりがない。
しかし、そんな私の天文活動もある事件により、突然終わりを告げることになる。

 その事件とは、私が天文部の部長を務めていたときだった。部員の一人が不祥事を起こし、それがきっかけになって天文部が廃部になってしまったのだ。私は何度も学校に掛合ったのだが、ついに聞き入られる事がなかった。私は学校に対して不信感を持つと同時に、自分の管理不行き届きに責任を感じた。

 この事件をきっかけに私は天文から足を洗ってしまう。そして、その後はもう一つ夢中になっていた趣味の方に私はエネルギーを集中していくのだった。



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