File28

- 遠征 -



アンモナイトを手に満足げな私。
このアンモナイトとの運命的な出会いは、今でも忘れない。


 以前から行ってみたかった来馬層群の化石を採集に出かけることになった。来馬層群はジュラ紀前期の植物や貝類、アンモナイトが豊富に産出することで有名なところだ。Sさんが、セッティングをしてくれ来馬層群に詳しいUさんを誘って3人での巡検が実現した。



 当日AM7時に、一宮IC入り口で待ち合わせし、Uさんの車に乗り換えて出発した。北陸自動車道をひた走り、途中2回の休憩を入れて4時間半で朝日町へ着いた。
そこから、大平川を遡りながら、上流にある化石産地に向かう。

 残念ながら途中土砂崩れで道がふさがれており、地層がある場所まで行けなかった。それでも、行き止まり付近の川原に降りてみると化石が含まれる頁岩が結構落ちており、この付近で採集をすることになった。



 どんな石に化石が含まれているかSさんたちに教わり、さっそく転石を割り始めた。表面が割と赤っぽい石には貝類の化石が、黒っぽい石には植物が出るという。赤い石の表面には貝類の断面が見えるので化石の有無はすぐ分かるが、分離が悪くあまり良い標本は得られなかった。そこで黒い石を割り出した。表面にキラキラとした植物片が見えるものを一枚剥がすと良い標本が採集できるという。ところが、層理面に対して縦に割れてしまうことが多く、破片しか取れない。

 そんな私を見かねてか、Uさんが見つけたカキが入った石をを譲ってくれた。この石にはカキが層状にビッシリと付いていた。カキの場合割ってもきれいに分離しないのだが、一応割ってみる事にした。案の定、あまりきれいに割れなかったが、なんとか表面が観察できるものもあるので持って帰る事にした。 



 その後もあまり成果がなかったが、Uさんが自分の採集したものをせっせとくれるので、かなりの数が集まった。その中には、ニルソニアヤブレガサウラボシなど来馬層群の代表的なものがあり、私の収穫物は充実したものとなっていった。

 そのうち、Uさんは単独で下流へ、私とSさんは上流の方へ別れて採集することになった。
私は相変わらず芳しくなく、ただひたすら石を割り続けた。



そのうち、Sさんが


「アンモナイトも出るから探してみたら」


と声をかけてきた。

「どんな石に出るのですか?」

と聞きながら、あたりを見渡した時だった。


私は目を疑った。




ほんの1メートルも離れていないようなところにある転石の表面に



グルグルっと渦巻いたものが顔を出していたのだ。





「あったぁ〜!」





私は思わずと大声を上げてしまった。

この間、1秒も経っていないだろう。

Sさんは、キョトンとしている。

そう、それは紛れもなくアンモナイトだったのだ。

まるで、

「私はこんな石に入っているんだよ」

と返事をしたように私の前に現れたのだ!



 早速取り上げて観察してみると、住房部付近は実体が残っているが、残念ながらへその付近は失われキャストのみだった。直径55mm、腹の付近で前方に傾く肋がある。これはジュラ紀前期の代表的な種であるヒルドセラス科の特徴だ。

カナバリアだ」

とSさんがすぐさま同定した。

「この辺りではこのカナバリアとアマルチウスという2属が見つかるが、2〜3cm位が普通でこんなに大きくて保存の良いものはめったに出ない」

とSさん。

私は有頂天になった。

Uさんは私の標本を見て
「おおっ!」と声を上げた後

「君はもう帰ってもいいな」

と言った。



 その後、2匹目のドジョウを狙って転石を割り続けたが、ついにアンモナイトは出てこなかった。しかし、貝や植物をいくつか追加しPM4時頃切り上げた。



 その日の宿は「たなべ海望館」という民宿でSさんが常宿にしているところだ。夏休みが始まった事もあり海水浴客でにぎわっていたが、普段はひなびた漁村にある旅館という感じがして、私はとても気に入った。ここの主人と思われる老人はSさんのことを覚えており、我々が化石を採集に来たということを知っているようだ。玄関にヒスイの原石がガラスのショーケースに展示してあるのだが、主人が私の顔を見ると黙ってショーケースの一角を指差した。それまで気が付かなかったが、そこには群馬県産のオウナガイの化石がが展示してあるのだった。



 その日の夜は、私一人だけビールを飲み(Uさんは全く飲まないし、Sさんは飯が食えないからと1杯だけつきあってくれた)上機嫌になった。部屋に戻って、私が子どもの頃に行った産地の話などをした後、夜風に当たりたくなって海岸へ散歩に出かけた。海岸は沢山のオートキャンプをしている人たちがいて、お決まりの花火をやっていた。

 私は芭蕉の詠んだ「佐渡に横たふ天の川」が見えないかと、ひそかに期待していたのだが、とてもそんな雰囲気ではない。そこで、早々と引き上げ頼まれたジュースを買って帰った。宿に戻るとUさんはすでに寝ており、Sさんと雑談をしばらくした後、PM9時すぎには床に就いた。



 翌朝AM5:30には目が覚めてしまった。他の二人はまだ寝ているので、海岸を散歩しながらヒスイでも探そうと思い外に出た。しかし、ヒスイがどんな石に入っているのか分からない。宿に展示してあった石を良く見ておけばよかったと思ったが、簡単に見つかるものではないと聞いていたので、散歩中心のつもりで海岸を歩き出した。

 しかし、どうしても足元の石が気になる。ふと見ると淡いグリーン色の石が目に付いた。よく見ると濃いグリーンの線が所々見える。これがヒスイかもしれないと思い、真剣探すことにした。すると小さいがいくつも見つかりだした。こんなにたくさん見つかるのは変だなぁと思ったが、とりあえず持って帰ることにした。途中Sさんが迎えに来ていて、収穫物を見せると

一言



「違う」



私が見つけたのは実は蛇紋岩で、ヒスイは白い石に出るそうだ。私は恥ずかしくなったが、結構きれいだし素人の家人に「ヒスイだ」といっても分からないだろうと持って帰ることにした。



 宿に戻り朝食を取った後、AM8時に出発した。今日は長野県の小谷村に向かう予定だ。その前に私がわがままを言って青海に寄ってもらうことになった。


 親不知を抜け、しばらく行くとセメント工場の建物が立ち並ぶ街に来た。目の前には大きく削られた山が見える。ここが石炭紀の保存の良い化石がたくさん出る青海町の産地だ。しかし、最近採石場にある産地への出入りが厳しく採集は難しいらしい。それでも産地の写真だけでも撮りたかったので、入り口まで連れていってもらった。入り口は鎖がかけられ「立ち入り禁止」の看板が掛けられている。ところが、道路脇に石灰岩がいくらか置いてあり、そこを探してみることにした。結果は、四放サンゴとフズリナが見つかったのみだった。まあ、当初は採集する予定はなかったので、そこそこで切り上げ小谷村へ向かった。



小谷村は以前に土砂崩れで大変な災害に遭っているが、もともと地盤が弱いところらしくあちらこちらで工事をしている。Sさんたちの話によるとこの付近は来るたびに道が変わっているそうで、いかに土砂崩れが多いか物語っている。なんだか恐い気がしたが、無事最初の目的地、来馬の産地についた。



 小谷村は朝日町と同じジュラ紀前期の化石が産出している。というより来馬層群の模式地である来馬があるのでこちらが本家である。



 最初に訪れたのは、川原の中にある工事用に使う砂利の小山の裏手にある露頭だった。草木に覆われているところなので長袖のシャツに着替え、虫除けのスプレーをして採集に臨んだ。ここからは大きなイシガイの化石が出るというのだが、それらしい化石層が見つからず空振りに終わった。私は辛うじてニルソニアの破片を見つけてこの地でのボウズは免れた。Uさんは転石を割った中からイシガイの破片を見つけ私にくれた。この産地で採集するのは、春先か晩秋の頃で草木のあまり生えていない頃がベストのようだ。その後、あまり収獲がないので次の場所へ向かった。



 次の場所は奥に入った谷間で、ここからは植物の化石が出るらしい。ところが車一台がやっと通れる林道を登っていくと、産地へつながるはずの道がそっくり無くなっている。案内板の矢印があるのだが、矢印の先は空中なのだ。おそらく、土砂崩れでごっそり無くなったのだろう。それくらいこの地域の地盤は緩いのだ。万事休すかと思ったが、川沿いに新しい道ができており、なんとかその道を使って産地までたどり着けることができた。

 化石の出る場所は大きな露頭だが、ここも草木に覆われている上、崖が崩れかかっており危険な状態になっていた。そこで、しかたなく川原の転石を割ることにした。川原には結構化石の出る頁岩が落ちており、ネオカラミテスイチョウなどの植物化石が出てきた。化石は砂岩の中に挟まれている頁岩層を割ると保存のよいものが得られるようだ。



 さて、割れそうな石がなくなったので、もう少し上流へ一人で行ってみた。Sさんが先発で行っていて、黒い頁岩に植物化石のベットがあると言っていたからだ。確かに黒い頁岩の露頭があったが、風化しており石が大きく取れそうもない。そこで、沢に下りて転石を割る事にした。沢の中にナンバーの付いた車がクシャクシャになって落ちていた。ここの沢が荒れると物凄い濁流になることを物語っている。ここではネオカラミテスの化石を追加して戻ることにした。



 戻ってみると、車の脇に頁岩がいくつか置いてある。みると見事なシダの化石が付いている。今回の皆が採集した植物化石の中で、もっとも完全で見ごたえのする標本だ。沢にいたSさんに声を掛けると、ニッコリしている。Sさんが採集したらしい。Sさんはこれで満足だろう。しかし、Uさんはこの二日間これといった収獲はないようだ。なんだか気の毒な気がしたが、ベテランのUさんにとってはこんな経験は何度もしているだろう。あまり、気にしていないようだった。



 PM1:30には切り上げ、休憩を一回入れただけで一気に名古屋に帰ってきた。今回はUさんが一人で運転してくれた。途中何度か運転を変わると言ったのだが、「大丈夫」の一言で片づけられてしまった。少し気の毒になってしまったが、Uさんの言葉に甘えることにした。

 今回はかなりの数の採集品を持って帰ることができ、大変満足した採集旅行だった。



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