Fighters 2003年ベストメンバーは?

2003年よりヒルマン監督となり様々な選手起用が行われた。スタメンの組み合わせに至っては100種類以上あった。「それじゃ2003年の日本ハムのレギュラーは一体誰だったのか?」という疑問がわき上がる。そこでここでは日本ハムの2003年のベストメンバーをスタメン起用数から考察することとする。

【ポジション編】

(捕手)

2002年シーズンの主戦捕手であった野口を阪神に放出し 山田勝彦 を獲得したがこれはあくまで控え要員の補充。レギュラーとして期待されていたのは 実松一成 であった。しかしその実松、キャンプで左手の骨折により離脱。また控え要員だった山田勝も右太もも筋の断裂で出遅れ。ここで一気に日の目を見たのが 高橋信二 であった。高橋信はオープン戦で結果を残し、開幕戦もスタメン出場。その後も打撃で好成績を残し、実松復帰後もポジションを譲らず、結局スタメン出場85試合とレギュラーを獲得した。

(内野手)

まずガチガチのレギュラーと言えるのはサードの 小笠原道大 。片岡のFA後レギュラーの固まらなかったサードに2003年シーズン直前にコンバートされた(本人も希望していたらしい)。開幕当初やはり守備が不安定であり、すぐにファーストに戻ると思われたが、そんな心配をよそに小笠原は1年間サードに定着。スタメン出場127試合のうち115試合がサードでの出場(12試合はDH)。ダイヤモンドグラブ賞、ベストナインも獲得するなどリーグを代表するサードに成長した。

次にスタメン試合が多いのがショートの 金子誠 。彼も100試合以上のスタメン出場ということでレギュラーと言ってよい。ライバルと目されていた 古城茂幸 が右けい骨不全骨折で出遅れたこともあり、金子が継続して起用された。2003年のショートのレギュラーは金子で決まりである。

ファーストでスタメン出場の一番多いのが 木元邦之 の81試合。このポジションは開幕当初 DTクローマー が起用されていたが、2年目の2003年は他球団に弱点を研究されたようで打撃不振に陥りレギュラー落ち。結局木元がレギュラーに落ち着いた。2002年はサードで不安定な守備を見せていただけに、しばらくはファーストとして不動のレギュラーに定着して欲しいものだ。

セカンドのスタメン出場は 奈良原浩 の68試合が最多。まだまだベテランの力が必要と言うことだろうか。ヒルマン監督に抜擢されて出場試合の増えた 阿久根鋼吉 や期待の若手・ 田中賢介 も奈良原の壁を破ることはできなかった。ただこのポジションは 小谷野栄一小田智之 といった若手も試されており、奈良原の後継者探しに懸命な姿がうかがえる。

(外野手)

外野陣で一番スタメン出場が多いのがライトの 坪井智哉 で102試合。守備はイマイチだが100試合以上スタメン出場しているだけにライトのレギュラーは坪井でよいだろう。

激戦区のセンターは 石本努 の80試合が最高。とりあえず2003年のセンターは石本とする。このポジションは2003年一番動きが激しかった。2002年のセンターのレギュラーでゴールデングラブ賞を獲得した 井出竜也 が開幕前にまさかの2軍落ち。代わって開幕当初レギュラーとなったのは 森本稀哲 であった。ヒルマン監督に期待されての抜擢であったが、打撃で結果を残せず石本にスタメンを奪われる。その石本もレギュラーとして定着できず、左投手が先発の際には井出にスタメンを譲った。スタメン試合数としては石本が最多だが、完全なレギュラーを定着できなかったといえる。

レフトで一番スタメン出場が多かったのは エチェバリア の64試合。意外に少なく感じるが、エチェバリアはデットボールによる怪我が多かったためDHとしての出場も多く、このような数字となった。ヒルマン監督としてはエチェバリアをレフトに固定したかったのであろうが、この結果は誤算であったと思われる。

(DH)

DHは最後まで固定できない1年であった。先発出場した選手がなんと9人。その中で先発出場一番多いのが エチェバリア の46試合だが、エチェバリアはレフトとしてのスタメン出場が一番多かった(レフトとしてベストメンバーに選んでしまった)。次にスタメン出場の多いのが 田中幸雄 の32試合。ちょっとスタメン起用数が少なく、とてもレギュラーとは呼べないが、ファーストとしても25試合、サードとして2試合スタメン出場しており、一応50試合以上スタメン出場しているのでDHは田中幸を選出することとする。

これより本HPが選ぶ2003年の日ハムのレギュラーは以下の通りとなった。

次は打順編に続く。

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