ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。
平成12年1月10日作成
年代 | 月日 | ||
1767 | 8.25 | 0 | ニヴェルネ州ドシーズに生まれる。 |
1777 | 10 | ブランクールに移住。父、死亡。 | |
1785 | 18 | ソワッソンのオラトール派の学院を卒業。 | |
1786 | 19 | 初恋の女性、ルイズと無理やり別れさせられる。 | |
1787 | 20 | ソワッソンの代訴人の書記となる。ランスの法科大学に入学(翌年法学士)。 | |
1789 | 5月 | 21 | 「オルガン」執筆出版。 |
1790 | 7.14 | 22 | ブレランクールの国民衛兵代表として、パリの連盟祭に参列。 |
1791 | 24 | 「革命の精神」執筆出版。 | |
1792 | 9. 2 | 25 | 国民公会議員となる。 |
10.22 | ジャコバン・クラブで最初の演説をする。 | ||
11.13 | 国民公会での処女演説(国王裁判について)。 | ||
1793 | 2.12 | 軍の再組織についての演説。 | |
5.30 | 公安委員会の補助委員となる。 | ||
7.10 | 公安委員会の委員となる。 | ||
10.10 | 26 | 平和まで革命政府を必要とするとの演説。 | |
10.17 | ライン軍へ派遣。 | ||
1794 | 1.22 | 北方軍へ派遣。 | |
3. 3 | 「風月法」についての演説 | ||
3.31 | ダントン弾劾演説。 | ||
4.29 | 北方軍へ再び派遣。 | ||
6. 6 | 東北戦線へ派遣。 | ||
6.26 | フリュルスの勝利。 | ||
7.27 | 和解のための演説。テルミドール九日のクーデター。 | ||
7.28 | 処刑。 |
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