ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。
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年代 | 月日 | ||
1778 | 12.19 | 0 | ルイ16世とマリー・アントワネットの待望の第一子として誕生。 |
1789 | 7.14 | 10 | バスティーユ監獄を襲撃 |
10.5 | 女性を中心とするパリ群集と国民衛兵がベルサイユ行進。 | ||
10.6 | 国王一家、パリに到着。 | ||
1791 | 6.20 | 12 | 国王一家、パリから逃亡(ヴァレンヌ事件)。 |
6.21 | ヴァレンヌで逮捕。人民の捕虜としてパリに連れ戻される。 | ||
1792 | 6.20 | 13 | パリの民衆、テュイルリー宮殿に侵入。 |
8.10 | パリ民衆と連盟兵チュイルりー宮殿を攻撃。 夜 議会が国王の権利停止を宣言。国王一家、タンプル塔に幽閉。 | ||
1793 | 1.21 | 14 | ルイ16世処刑される。 |
7. 1 | 弟と引き離される。 | ||
10.14〜16 | 母マリー・アントワネットの裁判。 | ||
10.16 | 昼、国費を浪費した件でマリー・アントワネット処刑。 | ||
1794 | 5.9. | 15 | 叔母エリザベス(その後すぐ処刑)と引き離されタンプル塔でたった一人になる。 |
7.27 | テルミドールの反動によりロベスピエール失脚。 | ||
1795 | 6.20 | 16 | マドレーヌ・ド・ラ・ロシェット夫人、マリー・テレーズの付き添い役になる。 |
12.18 | タンプル塔から釈放され、オーストリアに向かう。 | ||
1799 | 20 | 従弟のアングレーム公と結婚。 | |
1814 | 35 | 王政復古により、夫ともにフランスに帰国。 | |
1824 | 45 | 夫の父アルトワ伯がシャルル10世として王位に付き、フランスの王太子妃となる。 | |
1830 | 51 | 七月革命により再び国外亡命。 | |
1851 | 72 | 生涯を閉じる。 |
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