ここの背景画像はまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

国王裁判の小部屋

La Chambre du proces du Roi

「諸君の審判に歴史がどのような審判を下すか、考えてみるがよい」

国王裁判の小部屋にようこそ。ここでは、国王裁判だけに焦点を絞り狭く深く扱ってみたいと思います。

   はじめに

  「時間は語る」

  「登場人物」

  「演説」

  「投票」

「国王裁判」    「ギャラリー」

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  「概要」




●はじめに

上の言葉は、国王裁判においてルイ16世の弁護人を務めたロマン・ド・セーズが、国王を弁護する演説で述べたものです。ヨーロッパ史において、今までに処刑された国王はチャールズ1世のみであり(三人目はロマノフ王朝最後のニコライ2世)、その歴史的意義は非常に大きいものでした。

国王を処刑すると革命は大きく前進します。ですからこの裁判は、とにかく早く国王を処刑して共和国家にしてしまおう、という山岳派と、これ以上前進せずさっさとブルジョワ国家を作ってしまおうとして引き伸ばし作戦を図るジロンド派の一騎打ちのようなものでした。彼らは互いにせめぎあい、力を尽くして演説をしました。サン・ジュストロベスピエールら歴史に残る名演説も残されています。また、セーズマルゼルブらの弁護演説は、今の私達から見れば本当に涙を誘うものです。

「国王がいなければ太陽は昇らない」と心から信じていた人々が、国王を自ら裁くのです。その緊張白熱は想像を絶するものだったでしょう。弁がたち、強い信念のある山岳派の主張が通り、結局、ルイ16世は断頭台の露と消えます。そして、彼の処刑に一票を投じた議員や反対票を投じた議員の多くも、そして、国王を弁護した人達も国王の後を追って処刑されていきます。もしくは亡命していきます。運良く生き残った議員達(主に平原派)も、残りの生涯「王殺し」と呼ばれ、肩身の狭い思いをしました。

このように、国王裁判に関わった人々はその家族も巻き込んで、大きく人生が変わっていきました。この裁判に直接関わった人がいなくなった今でさえも、果たして本当に正しい判決であったのか、という議論がなされています。

それほどまでに大きな裁判であり、甚大な影響力を持っていたのです。

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