小さな村は、血と炎に包まれていた。
この狂皇子が、ごく普通の村を滅ぼすのは何度目だろうか。
従軍する大部分の者たちは、あくまでも内心でではあるが、嘆息していた。
幾度その場に立ち会おうとも、慣れるはずはなかった。彼らは普通の人間なのだから。遥か昔に壊れてしまった皇子のように振舞うことは、できなかった。
あとは、幼子が数名残るのみであった。
しかも狂皇子は、その子供たちをも、殺そうとしている。
だが腹心の将軍たちでさえ、彼を止める事は許されていない。ただ――待つことしかできない。
「もう逃げないのか?では、そろそろ飽きた事だし……死ねッ!」
狂皇子は、血に染まった剣を振り上げた。
まだ七・八歳の少年が、ふたりの少女の前に立って、震える声で必死に口を開く。
「お願いします。僕はいいから妹達は助けてください」
「おにいちゃーん」
「やだぁ」
少年に、少女達は縋り付いて泣いていた。
しかしそんな光景も、狂皇子には何の感情も呼び起こさないらしい。
「ふんッ、反吐が出る」
彼は吐き捨てると、刀を一気に振り下ろした。
兄弟たちが殺されると、誰もが思った。
だが、肉の斬られる音ではなく――乾いた音が響いた。
狂皇子の剣は、子供たちに届く前に止められていた。
背中を向けたままの少年の棍によって。
「ルーシェ!?」
その背の雰囲気が似ていたので、将軍のひとり――ジョウイは思わず、今は同盟軍のリーダーとなった、親友の名を口にした。
振り返った少年は、どこか似てはいたものの別人だった。
少年――確かにその領域を出ない外見ではあった。が、年相応には思えない、静かな瞳をしていた。
「こんな子供まで殺す必要が、どこにあるのですか? ハイランドの狂皇子殿」
彼は、静かに尋ねた。
かの有名な狂皇子や、多くの兵士に臆する風もなく。
慣れぬ反応に、狂皇子は不興げに片眉を吊り上げた。
「そいつらが目の前にいるからだ。貴様は、何者だ」
少年が口を開く前に、ふたりの重臣がその問いに答えた。
レオン・シルバーバーグと黒騎士ユーバが、同時に呻くようにして呟く。
「「ミツキ・マクドール……」」
その名を聞いて、兵士達がざわめきだす。
ミツキ・マクドール――――それはトラン共和国建国者。
真の紋章の継承者のひとり。
だれもが知っている、伝説とも言える英雄だった。
「フッ、面白い。そんな奴がなぜこんな辺境にいる?」
英雄の名に怯えることなく、ルカ・ブライトは獰猛な笑みを浮かべる。
彼は剣を構え、臨戦体制をとりながら訊ねた。
「旅をしているからですよ。自分が滅ぼした国から逃げて」
一方ミツキは、構えもせずに、目を伏せて答る。
英雄のあまりに昏い口調に、自嘲的な言葉に、皆が虚をつかれた。
その隙を突くように、ミツキは行動に出た。
「グレミオッ」
大きく叫ぶと、子供たちの襟首をつかみ、三人を一気に後方へ投げる。
ひとりの青年が、背後に現われ、引きつった表情で待ち受ける。
「うわッ……良し。無茶しないでくださいよ。坊ちゃん」
何とか無事に受け止め、頬に傷のある青年は大声で叫んだ。
「わかってる。そっちは任せた」
ミツキは、既にバンダナの寸前まで振り下ろされていた狂皇子の剣を受け止めながら、静かに答えた。
鋭い呼気とともに剣を弾き、一度距離を取る。
凄まじい速度での攻防が始まった。
ハイランドの将軍たちは、皇子を援護をしようとは試みた。だが、流石の彼らとて、英雄たちの迅さには対応できなかった。
魔法を掛けようにも、ふたりは上級紋章を複数装備していて、近付く事さえ叶わない。
兵士達は、そもそもそんな非常識な闘いに巻き込まれたくはないらしく、数を頼りに後から現れた青年の方に押し寄せていった。
「最後の炎」
だが、青年の烈火の紋章の最高術により、大部分が一撃で倒される。
「流石に、生きながら伝説の英雄となった者と共に居るだけはある、という事か」
闘いを眺めていたユーバは、そう呟くと青年に切りかかった。
重量のある剣を、軽々と振り回して。
「クッ」
青年は、何とかしのいではいるが、子供をかばいながらの剣戟は、ひどく辛そうだ。
「いいのか? 従者を放っておいて」
切り結びながら、ルカは挑発するように言った。
微塵の動揺も見逃さないように見据えながら。
「大丈夫ですよ。それに、あれは従者ではなく、家族です」
だが、嘲りに答えたのは、絶対の信頼。
「でも大変そうですから、失礼」
ミツキは宣言すると、一挙に飛び退き、距離を取った。
半眼となり、魔法の詠唱を始める。
戦士としての勘か、ルカは避けるよりも懐に入り、斬りつける事を選択した。
「させるかッ!!」
「裁き!!」
だが、彼の速度でさえ間に合わなかった。
高速で編まれた呪が、形を成す。真の紋章による強力な魔法が放たれる。
高密度の闇の中で、光が鮮烈に轟く。
「ぐぁッ」
懐に飛びこんだ為、直撃は避けることができた。だが、それでもかの狂皇子が、膝をついた。
ミツキも腕を裂かれたが、頓着せずに青年の元へ駆け寄った。
「坊ちゃん、傷が」
「いいからッ、いくよ」
途端に集中力を乱しかけた青年を、弟以上に年の離れたミツキが小さく叱る。
それだけで、青年は落ち着きを取り戻した。
「は、はいっ」
心を合わせ、紋章を同時に発動させる。
上級紋章と呼ばれる紋章の、強大な力を行使する。
「「火炎陣」」
彼らを中心として、凄まじい爆発が生じた。
光と爆風と地形と。
それらを最大限に利用して脱出し、振り返ることなく一目散に逃げ続けた。
戦場であった村から相当離れた事を確認してから、青年は抱えていた子供ふたりを下ろした。
一息ついてから、傍らのミツキに安堵して笑いかけた。
「何とか逃げられましたね」
「そうだね。グレミオ怪我はない?」
首を傾げ、相手のことを観察する。
実は心配性な少年を安心させるために、青年は敢えて朗らかに答える。
「ええちっとも。ぼっちゃんこそ、さっきの怪我は?」
「もう治したよ。さてと……」
ミツキも肩に抱えていた少年を下ろして、問いかけた。
「この辺に親戚とかはいるかな?」
「みんな殺されちゃった……」
ぼそりと呟くと、少年の目から大粒の涙が流れた。
守るべき存在の妹たちが居たから、彼は必死だった。
今やっと、素直に泣くことができた。自分たちを庇った両親の死を。優しかった叔父夫婦のことを。仲の良かった従兄弟たちのことを。
本当に一瞬で喪われた、大好きだった村の人たちのことを。
声も無く涙だけを流し続ける少年の目の高さまで屈み、ミツキは優しく尋ねた。
「じゃあもう君しかいない……妹さんたちを護って生きていけるかい?」
「うん、護るよ。絶対に!!」
「でも、どうするんです?」
痛ましそうに少年たちを見ていた青年は、困惑した瞳でミツキに問うた。
まさか共に旅する訳にもいかない。かといってこの戦乱の世は、子供たちだけで生きていくには辛過ぎる。
「この周辺で、今一番安全なのはグレッグミンスターだろう。あそこの孤児院に預けに行く」
「帰るのですか!?」
予想外の言葉に喜色満面となった青年に、ミツキは苦笑で応じた。
「預けたら、また逃げ出すよ。誰かに取り計らってもらう程のことでもないし」
「……そうですか」
グレッグミンスターに近付くにつれて、彼らの口数は減っていた。
しかし、街にいざ着いたとき、青年は呟いていた。
「懐かしいですね。なにも変わっていないのに……」
「そうだね」
頷きながら、ミツキは、様々な思いが胸中に去来していた。
変わらない美しい街並み。通り過ぎる人々の笑顔。
圧制に苦しんでいた民衆は、もういない。
国の制度も変わり、腐敗政治も消えた。
自分の成した事は、誇るべき事なのだろう。実際に称えられた。
けれども忘れられない、失われたものの大きさを。
親友は、腕の中で息絶えた。
軍師は全てを終え、報告に戻ったときには、永遠の眠りについていた。
自分を庇って、崩れ落ちる城に残った仲間ふたりは、ついに現れなかった。
そして……父は己が手で殺めた。
この血塗られた手で、大切な人たちを礎にした新しい国で、幸せに暮らしていくことは、できなかった。
「ごめんね。ここまでしか一緒に行けない。この手紙を持って、あの建物の女の人に渡すんだ。
そうすれば、そこで三人一緒に暮らせるからね」
軽く頭を下げながら話す少年に、子供たちが一斉にお辞儀をする。
「うん、お兄ちゃん。ありがとうございます」
「「ありがとう」」
少年の頭を撫でて、彼は哀しい瞳で笑いかけた。
「ちゃんと護ってあげるんだぞ」
……失わずに済むように。
大切なものと、共に生きれるように。
子供たちが孤児院の女性に話し掛け、中に招き入れられるのを確認してから、彼らはそっと街を出た。
「麓の村で、ゆっくりとしようか」
懐かしい街並みを遠くから眺めながら、ミツキは言った。
その後姿は、ひどく悲しそうだ。
仕える相手である少年が、守らなければならない存在であった彼が、自分より強くなってしまったのはいつだったのだろう。
不意にそんなことを考えてしまって、青年は少し寂しく思った。
少年の大きくも無い背に、大きすぎる力と責任とを背負い苦しんでいたとき、彼は共に居ることができなかった。
だからこそ思う。
「そうですね。あそこは釣りができそうでしたよ」
仮初かもしれないけれど――
隣国では戦乱が続いているけれど――
この一時の平穏を大切にしたかった。
共に多くの時間をすごしたかった。
「ゆっくりしましょう。しても……良い筈です」
「園長、あのルカ・ブライトに村を滅ぼされたそうで、今日子供が三名、やって来たのですが」
今日は宿屋のほうに出ていた園長が戻ってきた為、保母は報告した。
「まぁ……可哀想に。怪我とかはしていないの?」
「はい。それでその子たち、園長あての手紙を持っていまして、お金も一緒にくるんであるんです。それも……結構な大金が」
その困惑した顔が、慣れぬ事態に戸惑っていることを示していた。
確かに賢君で有名なトランを頼ってくる難民も多い。だが、指名してまでする者はいない。
「どれ?」
「こちらです。宛名に、園長のお名前が書いてあるので、まだ読んでおりません」
マリーへ。
勝手なことを言って、申し訳なく思う。
この子たちの村は、ハイランドの白狼軍に滅ぼされていた。
両親も親戚も、目の前で殺されてしまったらしい。
そちらの孤児院で、面倒を見てやって欲しい。
そして、心の傷を癒してあげてくれ。
お兄ちゃんは、かの狂皇子の前にたちはだかって妹たちを護ろうとしていた。
きっと、強く優しく育つだろう。
勝手な話だが、こちらは元気にしているので、あまり心配しないで欲しい。
では、よろしくお願いする。
バサバサと音を立てて、園長 ―― マリーの手から、手紙が落ちる。
「この子供たちは何処!?」
「も、もう眠っています。どうなさったのですか?」
マリーは、ため息をついて保母に手紙を渡した。
いぶかしげに読み進むうち、彼女も表情が変わる。
「あの、ミツキ様?」
「そのミツキよ。考えてみれば、あのルカ・ブライトから子供を助けられるのなんて、ミツキか同盟軍のリーダーくらいよね」
マリーは、もう一度深くため息をつくと呟いた。
「いいわ、あのコが普通に生きていられるなら、それだけで。明日みんなに知らせましょう。ミツキは無事だって……」
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