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蒼の魔王

壬生屋と芝村が休みであったが、ごく普通の一日だった。
普段通り、瀬戸口が遅刻して、普段通り本田が注意する。

「あーそうだ、昨日シャワー室を覗いた奴がいるらしいな。全く、見たいならちゃんと頼めよ」

相変わらず何だか論点のずれた注意を、本田が付け加えるまでは。

次の瞬間走った殺気に、来須・若宮そして何故か瀬戸口が硬直する。

一瞬だけであったが、途方もなく強い殺気であった。
非戦闘員の石津・加藤・東原・善行、そしてヘタレの滝川は気付かなかったが、彼ら三人にはそれがどれほど危険なものか理解できた。

そして、『覗かれた者』が誰であったのかも、よ〜く理解できた。



昼休みに入ると同時に、速水の第一声が、滝川に向けられた。

「ねえ、滝川。昨日○○の番組見た?」
「ん?いや、その頃は丁度……あああ、いや、あっ、そうだ、中村と一緒にいたからな」

その言葉に、速水は微笑んだ。
ひんやりと――静かに。

「……そっか。残念だな」

そして、くるりと振り向いて、遠巻きに見ていた先刻の三人組の傍へと、素晴らしいスピードで駆け寄った。

「念の為に聞くけど、君らは?」

にこにこと。
擬音が聞こえそうなほどの、満面の笑みで。

「はい万翼長。いいえ、来須」
「……はっ。若宮」

「「と仕事をしていたから、絶対に確実に本当に無理」」

「であります」
「だ」

即答するスカウトたち。
途中部分は、見事にハモッていた。

さすがは、たまに深夜の校庭でHな雰囲気に浸り、多くの介入者を泣きたい気分にさせた間柄だけはある。

「そう。瀬戸口くんは?」
「仕事だ。ちなみに司令とくねくね男も近くにいたぞ。本当だ。本当なんだ。信じてくれ」

愛の伝道師、必死。
そっと遣り取りを横目で見ていた司令も、アリバイ成立に安堵の表情を隠さなかった。

「そうか。大体わかったよ。じゃあね」

爽やかな笑みを浮かべて、速水は教室を出て行く。
凍りついた教室の中、ただひとり、雰囲気が読めない男が怪訝そうに呟いた。

「なんだぁ、そんなに○○が見たかったのか?アイツ」

皆が『それはおそらく君が覗きをした時間だよ』と思いながら、黙っていた。

怖かったから。



二組でも同様の聞きこみを行い、とあることを確信した速水は、小隊隊長室へ向かった。

『俺だ』
「私ですが、本日20時までに女性用小隊制服を送ってください。大きめでロングスカートのものを」

良く理解できない陳情に、準竜師は首を傾げた。
目の前の少年の優秀さは知悉しているつもりだったが、これでは流石に何が狙いなのか分からない。

『なにを無茶な事を。大体ソレをどうす』
「送ってくださるか、代りの手段を頂けない場合、準竜師の個室右手側の本棚が引き戸になっている事を、副官殿に伝えますが」

速水は、にこやかに言った。死刑宣告に等しいことを。
準竜師の横長の顔が、驚愕に引きつる。

『な、貴様、どうやってその事を!!』
「私も、芝村ですよ」

その笑顔は、今までの『にこにこ』といった和やかなものではなかった。
口元を小さく吊り上げただけの、冷然とした笑みが、意外にも似合っていた。

『くッ……わかった。だが、こちらでは用意できん。裏マーケットの店主に頼め。
コードネーム オールドギースで用立ててくれるだろう』
「感謝いたします。では、失礼」


くすりと笑って、通信機を切った速水は、凄まじく綺麗だった。
そして呟く。

「舞の肌を見るなんて、死では生ぬるいよ。精神も身体も、相応の目にあわなくちゃ……ね」



「お願いがあります。オールドギース」

既に顔見知りとなった少年が、真剣な表情で入ってきた。
店主は、懐かしい呼び名に、内心で緊張しながらも、いつも通りの無愛想のまま、興味なさそうに尋ねた。

「ふん、誰に聞いた。ジーザス―あの小僧に、か?」

「ご想像にお任せします。
用立てていただきたいのは、小隊の女性用制服。身長は170くらいの」
「下は、ジーンズ、キュロット、タイトスカート、ロングスカートどれだ」

用途も理由も聞かず、ただ『内容』だけを店主は尋ねた。

「ロングスカート。どのくらいかかります?」
「3分だ」
「さすがはオールドギース。日本最高の故買屋兼情報屋」

軽く手を叩き、速水は賞賛する。
だが、店主はつまらなさそうに首を振る。
賞賛には慣れている。そして、事実を言われても嬉しくもない。

「世辞など要らん。報酬はなんだ?金なんぞでは動かんぞ」

じろりと睨んだ店主の眼差しにも動じず、速水は薄く笑って、あるものを取り出した。

「そ、それは!」
「『芝村 舞の靴下』です。確か、私が調べた所、ハンターたちの5121小隊の靴下収集は、彼女の靴下が手に入らず、頓挫したとのこと。
他に知らせる必要はない……貴方だけのチャンスですよ。どうです?」

誰もが望み、果たせなかったレアアイテム。それが己だけのものとなる。
店主は、すぐに堕ちた。

「わかった、待っていろ」

二分後には、一式が揃っていた。

「これは?」
「サービスのカツラだ。ほら、さっさと寄越せ」
「感謝します。はい、どうぞ」

速水は、あっさりと靴下を渡し、踵を返す。
そう、そんな物に用はない。
何故なら、それは意外に足の小さい坂上のモノだったから。

幸せそうな表情の店主を残して、階段を上る。


ふふふ
標的はふたり



「お、中村!誰かシャワー室に入ったぜ」
「へぇー。誰ね?」
「顔は見えなかったけどスタイル良いっぽいぜ。へへっ。二日連続ラッキーだったな」



逢魔が刻か

瀬戸口は、仕事の手を休めた。

昼の恐怖を忘れるために、一心不乱に仕事をしていたから、もう随分な時間になる。

小さなレディはもう随分前に帰ったし、整備士のお嬢さんがたも先程帰ったようだ。

「妖しのものでもいいから、美女はいないもんかね」

そんな軽口を叩きながら、校舎はずれにむかう途中、美女度の高そうな後姿に気付いた。
ほっそりとしたシルエット。
艶やかな黒の髪が、腰まで伸びていた。

だが、誰だ?

壬生屋は制服を着ないし、なにより彼女より背が高い。
170センチ近くあるだろう。
だが、この隊に所属する長身の女性の髪は、ふたりとも黒のストレートではない。

瀬戸口の視線を感じたのか、彼女は振り向いた。

文句無しの美女だった。
ともすれば、冷たく見える整った顔立ちに、やや下がり気味の目じりが優しげな印象を加えていた。

目が合うと、彼女はにっこりと微笑み、そして瀬戸口の横を通り過ぎて、去ろうとした。

その時、瀬戸口の鋭すぎる嗅覚は、気付いてしまった。
彼女から立ち昇る、花の香りに混じった血の芳香に。

まさか、本当に化生の者か?

瀬戸口は、反射的に、彼女の腕を強く掴んでいた。
驚いた様子の彼女の全体の動きを注視しつつ、あくまで優しく微笑み、愛の言葉を語るかのように囁いた。

「おい、綺麗なお嬢さん。この芳醇な血の香りはなんだい?」

困惑した表情の彼女の瞳を間近で見て、瀬戸口は、それが鮮やかな蒼であることに気付いた。


「………………………
まさか、速水……………か?」
「あはは。バレちゃった?」

美少女は、確かに彼の声で、彼の微笑を浮かべた。

最も恐ろしいときの微笑を。

恐怖から、瀬戸口が思わず手を緩めると、彼はもう一度にっこりと微笑う。

「じゃあ、お休み。内緒にしてくれないと、……怒るよ」

人差し指を『めっ』とでも言うように、瀬戸口の唇に軽く当てると、そのまま消えた。
テレポート――かの一族などの、極少数の者にしか使えない方法で。

残された瀬戸口は、見なかったことにしてこのまま即帰るか、彼の『犠牲者』を救助するか、深く悩んだ。
理性は、何もなかったことにするのが一番だと促したが、なんだかんだ言っても、仲間思いの彼に、それは選択出来なかった。

匂いのもとの、シャワールームに厭々歩いていく。
溜息をつきながら重い足取りで。

「……おいおい」

辿り着いた瀬戸口は、倒れそうになる身体を必死で支えた。

倒れたら、きっと痛いから。

天井や壁に恐怖映画も真っ青になるほどに、血が飛び散っているのは、まあ良しとしよう。
ホラーにシャワーシーンは欠かせない要素だから。

問題は、床一面埋め尽された赤い

バラの花。

そして、その上で上半身裸同士で抱き合わされた、気絶した滝川と中村。
上半身だけなのは、速水の乏しい良心のおかげだろうか。
周囲には、デジカメで撮ったらしい、その写真がばら撒いてあった。

そういや速水は、同調技能持っていたな……
だが、こんなに花を出して疲れないのか?


疲れのあまり、なにか違う感想を抱きながら、瀬戸口は、スカウト二名と衛生官を呼びに行った。



運良く、または折悪しく、まだ仕事をしていた三人は、シャワー室でしばし絶句した。
だがどうにか一瞬後には無表情になり、それぞれの仕事につこうとする。

何も、そう何も考えず、だが、できうる事の最善を尽くす。

それは、小隊全員が、速水や原といった人でなしと知り合ってから身に付けた『技能』であった。


とりあえず、中村達を整備員詰所に運ぼうと、屈んだ来須が静かに言った。

「……石津。先に鎮痛剤を打った方がいい」
「え……怪我…そんなに…ひどい…の?」

この血天井を見ても、そう言う彼女の神経もたいしたものだったが、たしかに、中村達の見える部分には、外傷は無いように思えた。

「ああ、顔とか目立つ部分には無いが、中は酷いぞ。ほら」

若宮の方がそう答えて、滝川をひっくり返す。
青・赤・紫と、色とりどりのアザがあちこちにあった。

目立つ所を避けて殴るという、ヤンキーさんの鉄則を完璧に守っている。
田代の教育だろうか。

「ぎゃぁぁああ」

石津の注射で、意識を取り戻した滝川が叫び出す。
いちいち大げさな男である。

「うるさい…わ」

ガスッと殴って、再び眠らせる。
彼女もなかなかの性格をしている。
流石は、新井木と並ぶ喧嘩番長と言うべきか。

「う……くぅ」

滝川の大声で目が覚めたのか、中村がシリアスなうめき声を発する。

「大丈夫か?今痛み止めを」

「いや、いい。
身体の痛みなら耐えられる。……戦いぬける」

シリアス状態が、未だ続いていた。
四人は、そんなことよりも、なぜ標準語なのかを、疑問に思っていた。

ちなみに、正解はハンターモードになってるからである。

「俺は復讐者(リベンジャー)だ―――」

中村は、彼の中での精一杯の決め顔になり、宣言する。
そして、懐に手を入れようとして、やっと上半身が裸なことに気付いて、焦って尋ねる。

「それよりも、くつし、いや、俺の制服は何処だ?」
「それじゃないのか」

瀬戸口の示した先にあった物は、何かの灰を包んできちんと畳んで置いてあった。
皆、その灰が何だかわからなかったが、中村には一目で理解できたらしい。

「く…くく……靴下がぁああああ!!」

中村は、岩田も嫉妬しかねないほどの絶叫を上げて、倒れた。
痛みよりも、靴下のことで気絶するとは稀有な男であった。



「俺の名は、復讐者(リベンジャー)の名!」

翌日、朝から教室で、いまだハンターモードで復讐心に駆られていた中村であった。
彼は非常に燃えていた。声がかけられるまでは。


「中村くん」

それは澄んだ静かな声。

「ななななな……なんね」

だけど、何よりも恐ろしい声。
教室内の温度が、五度ほど下がった。

二組は一組と比べれば、真面目な人間が多いため、結構な人数がその時点で場に居た。

そして、居合わせた級友全員が、早めに登校した自分の行動を責めた。
今後は開始一分前以前に着くのは止めようと、決心した者さえいた。



「クッキー作ったんだ。あげるよ」

この世に善意しかないと思われるほどの笑みで。
綺麗で繊細なラッピングに包まれて。

それは、包装の上からでもはっきりと判るほど、

どす黒く

いびつで

恐ろしい臭気を放っていた。

速水厚志

それは強運3で、いつの間にやら家事3で、そして貰い物の天才3を持つ男。

その場にいた級友たちは、
『そんなお前が地獄クッキー作るわけないやろ』
と、突っ込みたいのを我慢していた。

怖いから。

あとで捨ててやる、そう考えて受け取った中村に、速水は微笑んで言った。

「今、食べて欲しいな。ね、ずっと、見ていてあげるから」


なんとか食べきり、憔悴しきった中村は、机に突っ伏したまま弱々しく尋ねた。

「た…滝川は、どうするばい?」
「彼はね」

その微笑みは、綺麗で優しくて優しくて――
その場にいた誰もが見惚れた。

意味するものがわかっていても。



「滝川、お昼一緒に食べよう。プレハブ屋上で」
「お、おお俺、べ、弁当持ってないから…その、味のれんで」

頑張って理由をひりだした友人に、速水は笑顔で首を振った。
そんな必要は無いよ――と。
大丈夫、一緒に食べられるよ――と。

「サンドイッチ持ってきたから、あげるよ」

特製らしいそのサンドイッチは、動いて……いや、

蠢いていた。


普段は、割り込みが殺到する速水からの昼食の誘いだが

今日は誰もが『電車で同じ車両にアレな人が乗っていた時の態度』で、
彼らに視線をいっさい向けなかった。

ちなみに、割り込んでしまいそうなののみは、いち早く『パパ』が連れ去っていた。



昼休み中、上から滝川の悲鳴が降ってくるのを、みな押し黙って聞いていた。
誰も助ける事はできなかった。

だって、

以下同文。

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