「僕と付き合ってみないか?」
「…くそ、なんて趣味の悪いやつだ。あとで気が変わったら許さないからな」
顔を赤らめながら、精一杯そっけなく言ったつもりの車椅子の少年の告白に、茶髪の少女は同じく赤面して応えた。
屋上で、ふたりの甘い世界が展開する中、物干しの影にいたふたりが困惑していた。
ポニーテールの凛々しい表情の少女と、優しい表情の小柄な少年は囁きあう。
「しまった……これでは、出られぬな」
「僕は、しばらくここに居ても構わないけど?」
そう少年は無邪気に微笑んだが、そこに邪気がたっぷり含まれている事を少女は熟知していた。
「たわけ!大体、そなたは放っておくと、どこまでする気だ」
「どこまででも♪」
小声で、だが詰と問うた少女に、少年は極上の微笑みを浮かべた。
「あ…厚志?」
だが、少女はその顔が、一番危険だと知っていた。
ずりずりと後退るが、人外のスピードで壁に追いつめられる。
「な〜に?舞」
少年は、少女を軽く壁に押し付けると、楽しそうに言った。
どこまでも優しい笑みで。
「あ…厚志。あ…や、やめ…あ……ああッ、あんッ……いい加減にせんかッ!!」
舞は、上気しながらも、相手を振りほどいた。
大声で叫びながら。
当然、恋愛成就の喜びにひたっていたふたりも、自分たち以外の存在に気付いた。
「もう、舞ったら、邪魔しちゃ悪いじゃないか」
自分の事は棚に上げて、彼は舞の額をこつんと叩いた。
「あ…田代、狩谷、これはその…」
人形のように、硬い動きで振り向いてこちらを凝視する彼らに、舞は何と謝れば良いのか迷った。
実は、自分は悪くない事は念頭になかった。
「は…速水!芝村!?い…いつから聞いてたぁ!?」
真っ赤になった田代が叫ぶ。
「ええと、僕と付き合ってみないかの辺りから」
ちなみに、自分が悪い速水は、平然としていた。
田代は、ぷるぷると震えた後、据わった目をして呟いた。
「最初から…じゃねぇか」
その拳に、青の光が集まっていく。
「記憶を失えぇぇ」
彼女は叫びながら、光った上に唸る拳を速水に向けた。
しかし、悲しいことに、整備士とエースパイロットの運動能力差は、気合では埋まらなかった。
「ははは、甘〜い」
軽く躱すと、速水はそのまま逃げていった。
「待ちやがれッ!!」
激昂した田代は、それを追いかけていく。
後に残された舞と狩谷は、しばらく黙り込んでいた。
気まずい雰囲気の中、舞が意を決して謝る。
「その、本当に覗くつもりは無かったのだ。すまぬ」
「いいよ、もう」
疲れたようにそう答えてから、不意に狩谷は舞に背を向けた。
「狩谷。すま」
「いや、それはもういいから、胸元を直しなよ」
後ろ姿をよく見ると、彼は耳まで朱に染まっていた。
それから、自分の胸元に目を下ろした舞は、いつのまにかボタンが開けられ、下着が見えている事にやっと気がついた。
「あ…ぬぬぬ」
怒りをぶつけようにも、相手は既に逃走していた。
舞は、深呼吸を繰り返し、『芝村は動じぬ』と小声で自分に言い聞かせるように、何度も呟いていた。
「か・狩谷、戻るのなら手伝うが」
やっと落ち着きを取り戻した舞は、そう言った。
「ああ、頼むよ」
こちらのふたりが、それなりに友好的な状態になっている時、校庭の方では破壊音がしていた。
「てめぇ、いい加減に殴らせろッ!!」
「あはは。暴力反〜対」
いうまでもなく、あちらのふたりによって。
「お腹が空いたな。お昼にしないか」
「…ふむ。では、行くとしよう」
「いいね。そうしよう」
「行こうぜ。早く食って昼寝したいし」
速水の昼食の誘いに、その場に居た舞・狩谷・田代が同意する。
「じゃ、いくか」
皆を引率するように、本田が宣言した。
速水の表情が引きつる。どうやら影に居た彼女に気付いていなかったらしい。
しかし、さすがは希代の腹黒。瞬時にぽややんな笑顔に戻り、歩いていく。
「ねえ、それとこれ、交換しようよ」
「好きにせよ」
甘ったれるかのような速水の言葉に、舞がぶっきらぼうに、しかし顔を赤らめて返事をする。
それに触発されたのか、田代が負けず劣らずぶっきらぼうに言う。
「しょーがねーな。
俺のと交換してやるよ。…なんだよ」
不器用とはいえ、他者の前で彼女が甘えたことが嬉しくて、狩谷は柔らかく微笑んで承諾する。
「はい。いいですけど」
辺りに流れる、暖かい空気。
目の前で広げられるイチャイチャおかず交換会に、本田は、自分が二組の恋人たちに紛れ込んだ邪魔者だと気付いた。だが、そこで居辛くなる彼女ではない。カチリと銃の安全装置を外し、立ち上がる。
「てめェら、イチャイチャすんな!俺が結婚するまで禁止だ!!」
呆然と狂官、いや教官を見つめる三人と、微笑む速水。
その表情に気付いた舞が静止するのと、速水が入れてはいけないツッコミを入れたのは、ほぼ同時だった。
「厚志、止めろ!」
「いやだなあ先生、そんなに待てませんよ」
時が停まった。
三人は、視線を下げた。決して、目をあわさないように。
嵐が通り過ぎるのを待った。
奇妙に静かな声が、よく響いた。
「いー度胸だ速水。…公然淫行罪の現行犯で死刑だ!!」
とうとうサブマシンガンを取り出して憤怒の表情で追う本田と、弁当を食べつづけながら高速で逃げる速水。
速水が最近岩田化しているとの噂は、真実であったようだ。
残された三人は、疲れた顔で再び弁当を食べだした。
「それにしても、速水ってああいう奴だったのか」
呆れた口調の田代に、舞はきっぱりと答えた。
「厚志は、ああいう奴だ」
そして、思い出したように小声で続けた。
「そういえば、厚志がそなたたちのことを喜んでいた。珍しく本当に笑っていたな」
「ん?速水はいつも笑ってんじゃねぇーか。って、どうした、おい?」
何気なくそう聞いた田代は、舞の辛そうな表情に狼狽する。
「芝村。言いにくいことなら、いいよ」
「いや、いい。 気遣い感謝する、狩谷。
奴は、私に関することならば、よく笑う。だが、厚志は…本当は、めったに笑わぬのだ。
確かに浮かべている顔の形は、微笑みに近いのだがな。だからこそ、そなたたちに感謝を」
舞はそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
思わず田代と狩谷の動きが停止する。それ程に、舞の笑みは、あまりにも優しくて眩しかった。
「はーー、お前って本当に、速水が好きなんだな」
「なななな、何を」
狼狽する舞は、ごく普通の少女であった。
『芝村』の一族として、嫌悪したままでは知らなかっただろう。かの一族の者が、普通の人間と同じく笑い、悲しみ、そして恋をすることなど。
「なぜ僕らなんだろう」
呟きとも言える狩谷の声に、落ち着きを取り戻した舞が答える。
「理由は知らぬ。だが、こんな世界もいいよねと微笑んでいた」
食事の後、速水を探すと言った舞と別れたふたりは、しばらく中庭にいた。
狩谷の車椅子を押しながら、田代は呟いた。
「なんだか安心した」
見上げてくる狩谷に、小さく続ける。
「少し…ほんの少しだけだからな!
ともかく、あいつらが怖かった。幻獣を踊るように狩りつづけるあいつらが。
だけど、根っこのところでは変わってないんだなって思えてさ」
「そうだね」
「決めたぜ、俺はきっと変わらねえ。これからあいつらが、どれだけ幻獣を倒しても」
本田のマシンガンを躱しつつ、弁当を食べ終わった速水は、適度な所で彼女を撒いて、小隊長室へと向かった。誰も居ないのを確認してから、通信機に手を伸ばす。
「俺だ……また、お前か」
「ご挨拶ですね、えーと異動のお願いがあります」
「誰をスカウトにするんだ」
「失礼な。速水を一号機パイロットに、壬生屋を三号機パイロットに。そして、士翼号を一台お願いいたします」
準竜師は耳を疑った。
彼らはDNAレベルからの最良のパートナーと診断され、そしてそれに相応しい活躍をしてきた。
それなのに、彼は単座型のパイロットになるという。
「厚志、正気か」
「至って正気です。では」
「おい、あつ…」
通信の途中で、切ってしまう。そして、彼は呟いた。
「化け物は、ひとりで十分だから」
慣れたこととはいえ、いつも哀しかったから。
共にエースパイロットを目指そうぜ――そう笑っていた相手に、アンタが怖いんだと目を逸らされることが。
気さくな茶髪の少女に声を掛けたときに、彼女がその身体を恐怖で震わせたことが。
馴れ馴れしいほどに話しかけてきた短髪の少女が、今まで失礼なことを言ってごめんなさいと謝ってきたことが。
速水と壬生屋の異動のニュースは、小隊内を駆け巡った。
不仲説だの速水のセクハラに舞が耐えかねただのゴシップが囁かれた。
狩谷は、そういう噂を聞いて、気になって速水本人に訊ねてみた。
もはや親友といってもいい彼の事を、本心から心配して。
速水はそれらの噂については、笑って否定した。が、真意は明かさなかった。
彼の意図は、数週間後に判明した。
アルガナを同時に受賞し、共に畏怖――いや、恐怖の視線を向けられていた彼らの撃破数は、現在、速水271・舞198。
舞の働きも十分に素晴らしい、だが、速水のそれは異常だった。
今の彼の力ならば、あと一度、悪くとも二度の出撃で手が届く。撃破数300――絢爛舞踏に。
今までの戦果は速水の力が主だったと知らせるような結果によって、等しく向けられていた恐怖の眼差しは、全て彼ひとりに集中した。
特に、撃破数が十程度の滝川と、舞と組みだしてやっと黄金剣に届きそうな壬生屋の脅えようは酷かった。同じ立場だからこそ、より実感として速水の凄みがわかるのだろうが、露骨に速水を避けていた。そこまでしなくとも、と思うほどに。
これが、速水の目的。
大切な恋人に、やっとできた友人や仲間の急変を見せたくなかったから。
自分ひとりだけが、化け物と恐れられることを選んだ。
皆が、速水に対してよそよそしくなる中、狩谷と彼の恋人は話し合って決めていた。
絶対に、速水への態度を変えないことを。
だが、速水の撃破数が増えるたびに、狩谷の中に沸き上がる感情があった。
恐怖ではない――それは歓喜、そして憎悪。
ここ数日、目を覚ますと、気分が晴れている。
そして、見た夢は惨劇。大型の幻獣が、人間を喰い殺す夢。
その場で哄笑する自分が居た。
その夢を見ると、体の奥深くから、無限に憎しみが膨れ上がる。
真紅の瞳をした自分が、笑いながら語りかけてくる。
――憎くはないのか、態度を変えた連中が
――邪魔者扱いをした親戚連中を、殺したくはないのか
――皆同じだ
――僕をあわれみ、あわれみながら、僕から離れようとする
「やめろ……気持ち悪い」
――憎め、呪え、殺
ふと、苛む声が消えた。まるで何かを恐れて逃げたかのように。
「香織?」
「外れ。ちょっといいかな」
応えたのは、恋人ではなく友人。
「やめようよ、今回は」
「何の事だ?」
訳が分からない、そういった風な狩谷の様子に速水は少し考え込んだ。
「本当に分からないみたいだね。君が幸せだから、あれは発生しないかと思ったんだが、どうやらシステムはもう少し複雑みたいだね」
「速水?いったい何の事を」
速水は微笑んだ。本当に優しい方の笑い方で。
「いいんだ、気にしないでくれ。分からないって事は他に何かが在るんだよ。君は、田代さんと幸せでいてくれれば良い」
一週間後、速水は絢爛舞踏となった。
一部を除いて、戦友達は速水を避けていた。授賞式から戻ってきた彼と目を合わせない。彼は、何も変わっていないのに。
狩谷は、それがあまりに辛くて、自分から声をかけた。
「こんなこというべきなのか分からないけど、受賞おめでとう」
速水は、一瞬だけ泣きそうな表情になって、それから笑って答えた。
「ありがとう……良かった、やっぱり平気だったんだ」
一瞬前の表情があまりに哀しげで、そして今は柔らかく笑っているので、やはり速水は変わってなど居ないのではないかとの考えが、皆の頭を掠めた。
教室に入ってきた遠坂たちが、その一言を発するまでは。
「え?狩谷さん?」
「狩谷くん?ついさっき、ハンガーの方に向かっていませんでしたか?」
「それは確か?」
教室の空気が凍える。温度が急激に下がったかのように。
原因はひとりの少年、いや、死を呼んで舞う美しい化け物――絢爛舞踏。
青の瞳が、剣呑に輝き、口調さえも冷える。
「そうきたか」
声も無く肯く田辺と遠坂たちを見て、彼はそう呟きながら多目的結晶を操作する。
探すものは、すぐに見つかった。
テレパスセルの検索の結果は、エラーを示している。
同じ反応が、二つ検出された為だろう。一つは目の前に、そしてもう一つはすぐ外――校舎はずれと表示されている。
急いで外を覗くと、そこには確かに狩谷がいた。
一階分の距離を置いてもはっきりと認識できるほどに、凶々しい空気を纏って。
その狩谷も、速水の青い瞳を認め、にやりと笑う。
「舞、瀬戸口君!皆をその狩谷から遠ざけて!」
その警告と、狩谷の足元から現われた触手が、近くにいた者たちに襲い掛かったのは、ほぼ同時であった。だが、流石はアルガナの勇者と、そして――絢爛舞踏。
周囲の人間を抱えて飛び退るのは、かろうじて間に合った。
真紅の瞳を輝かせながら、その狩谷は笑う。
「くくく……、今躱しても、どうせ死ぬのに。無駄な努力だ」
騒ぎを聞きつけて、小隊全員がその場に集まっていた。
ふたりの狩谷に驚愕する者たちを、悠然と眺めていた赤い眼の狩谷は、ある少女の声を聞きとがめた。
「夏樹がふたり?」
狩谷は、少し優しく、だがどこか狂った笑いを田代に向けた。
「君のせいだよ、田代さん。君が居たせいで彼は、自分の役割を拒んだんだ。幻獣の王となり、人間どもを殺すという役割を」
それが速水の知る狩谷の役割。
幾度も巡る世界の中で、誰かが絢爛舞踏となったときに、彼が行う殺戮劇。
「愛する者を殺したくないから人でいたい。ははは、お笑いだよね。だけど、運命は変えられない。だから僕が生まれたんだ」
巡るたびに少しずつ歯車のずれる世界で、初めて発生した事態。
与えられた役割を拒否する幻獣の王。
だが、絢爛舞踏が生まれたのに、対の存在が生まれないことなど、世界は認めなかった。
ゆえにもうひとりを用意した。
「安心しろ速水、いや絢爛舞踏――強くなりすぎた故に、人でなくなった伝説よ。今竜になってやるから。そして、もうひとりの僕よ。消し去ってやる。世界に二人の狩谷 夏樹は要らないだろう!」
幻獣化していく、もうひとりの狩谷。
膨れ上がり、身体が固定されたところで、ゆっくりと正面グランドへ向かった。
速水が、それを見据えながら、指示を出す。
「総員撤退、正面グランドの範囲内に立ち入るな。周辺に被害が及ばぬよう、避難勧告を出すように。なお、全員ウォードレス着用のこと。
あれは、僕が引き受けます」
「速水くん!?全員であたらなければ危険です。司令として認められません」
「全員であたった方が危険です。はっきり言って、足手まといにしかなりません。
避難して下さい。貴方は司令ですが、僕は準竜師でしたね」
上に立つ者の瞳、凛然とした表情となって、速水は命令を下した。
「善行上級万翼長、これは上官命令だ」
「……はい、了解しました。速水準竜師」
圧倒的な質量を持つ幻獣の王の攻撃を、士翼号は躱し続けた。
相手の攻撃範囲外から、一気に飛び込み、斬りつけ刃を返し、そして、敵の照準が向いた時には、既にその場から飛び退っていた。
速水は、初陣を経験して一週間弱で、敵の攻撃を受ける事が無くなった。
まるで敵の射線、射程範囲を正確に認識できているのかと思えるほどに、無傷でいた。
それが、今も続いている。
少しずつ、速水の振るう刀が、幻獣の外装を剥いでいく。
動きの鈍くなった幻獣を、一気に屠るように、士翼号が背後から襲いかかる。
見守っていた誰もが、勝ったと思った。
だが、速水は刀を一瞬止めた。
その隙に、幻獣から発生した、禍々しい真紅の光が士翼号を吹き飛ばした。
その場に居る誰もが知っている。
士翼号は、その機動力と引き換えに、装甲を犠牲としている。
それが、あれほどの攻撃をまともに喰らった。ダメージは計り知れない。現に、倒れ伏した巨人は、ぴくりとも動かない。
「速水君……なぜ止めたんですか」
信じられなかった。速水は優しいだけの人間では決して無い。戦いに甘さなど持たないはずなのに。
呆然とした善行の呟きに、狩谷が苦しげに答える。
「あそこに、僕が居ます」
皆の視線を浴びながら、彼は続ける。
「もうひとりの僕が、丁度あの位置に、比較的形を保った状態で融合されています。速水は……それで躊躇してしまったのでは」
全員が押し黙る。士翼号は依然として微動だにしない。
最悪の事態が容易に想像できて、痛ましげな視線が士翼号と、そして『芝村舞』とを往復する。
「くくくく……意外に甘いんだな、絢爛舞踏」
狩谷の声が響く。
幻獣は、傷だらけの体をゆっくりと起こし、動かない士翼号へと向かっていく。
舞は、手を固く握り締めていた。爪が肌を破り、血が出るほどに強く。
だが、その瞳は力を失ってはいない。
彼女は叫んだ。
「ふざけるな厚志ッ!
狩谷だけなら、世界だけなら、他にも救える人間は居よう。だが、両方を救えるのは、そなただけなのだ。
救ってみせよ、そなたは人の守護者だろう。そして……私の元に、無事で戻って来い!!」
確かに、速水は彼女にそう言った。
常に貼り付けていた、微笑みの仮面を剥ぎ取って。
『君は僕を笑うかい?
僕はこの瞬間から、この国の守護者を名乗るんだけど』
そう言った速水は、一族の誰よりも『芝村』で。
だから、舞はその言葉を信じた。笑わなかった。
「厚志!!」
人間の声など、届くはずも無い。
だが、士翼号がかすかに動いた。
それに気付いたののみが、その小さな身体を乗り出して叫ぶ。
「もういちどたつのよ。あっちゃんは、たちあがるのよ。のぞみがそう決めたから。
かなしみにめーするの!だれひとりしななくても、おはなしはおわるのよ」
きっと世界は救われると。
きっと誰もが笑いあえると。
そう信じて、少女はもう一度命じる。
「たちなさい!」
皆が、次々と続く。
「この古い血に残る最後の力を……未来に」
「……俺も賭けよう。まだ勝負は終ってない」
「頼む……。僕が生んでしまった、あしきゆめを、消してくれ」
そして、最後に少年が叫ぶ。
速水の自称親友で、そして彼を傷付けてしまった少年が。
「速水ッ!勝って、そして戻ってきてくれ。俺、お前にまだ謝ってねぇよ!!」
人工血液をあちこちから流しながら、士翼号は立ち上がる。
ゆっくりと、それでも着実に。
「馬鹿な……。
だが、その身体で何ができるというんだ。剣も既に無い。死に方が変わるだけさ!!」
嘲笑しながら、正面から迫り来る幻獣に、士翼号は両手を向ける。
速水の声が響いた。
「ありがとう、もう向きを変えることもできないんだ」
魔方陣のようなものが、士翼号の周囲に生じる。
そこから発生した青い光が士翼号の拳に宿り、輝きを増していく。
「あれは…光輝。光輝を背負うもの…。光る手…この世に再び…精霊を使う者が戻ったのか」
「…腕が光ってる?意味のない模様…あれは、このためだったの?」
壬生屋と原の呟きに応えるように、限界まで狙いをつけられた精霊手が幻獣に命中する。
既にボロボロであった幻獣の王――竜には、その一撃で十分だった。
「なんでぇぇぇ、僕だけがぁぁぁぁ」
「…いいんだ、これでいいんだ」
竜が消えると同時に、狩谷の輪郭が薄れてゆく。
彼は、半透明になった自分の右手を見ながら、満足そうに呟いた。
自分そのものではないとはいえ、彼の分身は多くの人間を殺した。
幻獣と化して、下半身を喰い千切って。――これは、その報いだ。
「よくねぇ!お前も俺をおいていくのか。勝手にひとりで納得してるんじゃねェ」
だけど、掴みかからんばかりの恋人に心が痛む。涙が頬にかかる。
沸き上がってくる想いがあった。
納得なんかしていない。自分にだって願いはある。
「消えたくなんかない、君とともに生きたい」
「夏樹!!」
いやだ
香織
そう繰り返しながら、狩谷は泣いていた。
「夏樹…やだ、いっちゃやだ」
子供のように泣きじゃくりながら、田代は懸命に彼を抱きしめる。
どんどん薄れていく彼を止めるように。
だが、消滅は止まらない。
既に下半身は、ほぼ見えなくなった狩谷を抱きしめて、泣き続ける田代に、誰も声をかけられない。
田代の泣き声だけが存在する空間に、良く通る声が響いた。
「認めないよ、そんな結末は」
舞に支えられた、傷だらけの速水が立っていた。
血塗れのウォードレスの破片を捨てながら、彼は言う。
満身創痍でありながら、彼は笑っていた。全てを凍りつかせんばかりの微笑み。
「なぜ君が消えなくちゃいけないんだ。連中の書いたシナリオなんて必要ない。
幸せになろうよ。それが、この話を作った奴らへの一番の復讐となる。
登場人物として設定された僕らが、幸せになることが」
上空を仰ぎ、まるでそこに居る誰かに語りかけるように。
「愛の奇跡でも友情でも、理由はなんでもいい。彼の消滅を取り消せ」
そして、世界は再構築される。
その世界でもっとも強い意志と願いを持つ者の望む姿へと。
『歴史的補講』
■速水厚志
・1999年
史上五人目の絢爛舞踏となり、幻獣の最強の存在である竜を倒し、幻獣との絶望的な戦いを人類の優位へと導く。
・2004年
2月を持って軍を除隊。
・2006年
再建された軍に復帰
竜師にまで 上り詰め、軍事面だけでなく政治・経済にまでその手腕をいかんなく発揮する。
特記事項:準竜師である妻への溺愛は、軍部内では常識であり、正常な人生を送りたければ、最初に熟知しておくべきこととされている。
■芝村舞
・2004年
2月を持って軍を除隊。
・2006年
再建された軍に復帰
六人目の絢爛舞踏となり、準竜師となる。
備考:絢爛の舞と同じ戦場で死んだ人間は存在せず、弱き者の守護の異名を取る。
竜師であり、かつ絢爛舞踏である夫とのおしどり夫婦ぶりは有名である。
■狩谷夏樹
・2002年
戦友であり遺伝子学のエキスパートである人物の協力により、半身不随の障害が回復する。
・2004年
2月を持って軍を除隊。
同年9月、自らも医学博士の資格を取得
備考:貧しい人に奉仕するかのごとく、無償に近い報酬で治療を行う。
2006年メカニックの元戦友と入籍。妻のファンシー小物趣味だけは馴染めないものの、幸せに暮らす。
■田代香織
・2004年
2月を持って軍を除隊。
備考:整備士の経験を生かし、かねてから興味のあったメカニックとなる。
2006年医師の元戦友と入籍。
シックなインテリア好みの夫の反対を押し切り、自分の趣味で自宅を構築して、円満に暮らしている。
HAPPY END
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