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―Contraries cure contraries― 黒と黒

ここ最近の日常通りに。
縁側にて、ぼんやりとしていた衛宮切嗣は、カランという微かな警鐘に面を上げた。

と同時に白刃の煌きが数条、顔面目掛けて飛んでくる現実にどっと疲れを感じながら、横に避ける。
サクサクと良い音をたてて畳に突き刺さった見覚えのありすぎる凶器をちらりと見てから、投擲元へ顔を向けて話しかける。

「久しぶり」

視線の先では、昼前の明るい日差しにそぐわぬ不吉な男が、苛立ちを隠すことなく身構えていた。
その手に在る刃が生成された黒鍵に、衛宮は呆れ顔を見せる。

「……えらい剣幕だな」

ほんの一年前。
確かに殺し合ったはずの相手に、呑気に首を傾げられ、言峰綺礼は眉を顰めた。

「貴様……昼食の上で、使い魔に弾けられても上機嫌でいろと?」

怒りに任せて突っ走ってきてしまったが、宿敵ともいえる相手との一年ぶりの再会が、こんな腑抜けた空間で良かったのだろうか。
剣呑な雰囲気となるよう演出すべきだったのかもしれないと、あくまで根は真面目な言峰は、少し反省した。


「え、君が殺したのかと思ってた。すまない……本当に長時間の制御が駄目だな」

軽く眼を見張り、ぶつぶつと呟く衛宮は、嘘はついていないようだった。

だが、嫌がらせだと判断した言峰に非はないだろう。

台所によろよろと闖入してきた蝙蝠が、まだよそってもいない中華鍋の上でその身を盛大に破裂させ、かろうじて衛宮という文字が読み取れる紙片を残していったのだ。

ちなみにその場にいた元サーヴァント、現同居人の金髪の青年は、すっかり駄目になった赤い食物に満面の笑みを浮かべ『残念だが、これでは仕方ないな。我は外食してくる』と言い残し、足早というより小走りの速度で出て行った。


「……何か用があるなら、文明の利器を使ったらどうだ。貴様は魔道のホコリガーなどとほざくタマではなかろう」
「ああ、午前中電話したけど、子供が出て神父は席を外してるっていうから、使い魔で伝言しておこうかと思って」

既に電話済みであった。
確かに言峰教会の番号は、電話帳にも載っているのだが。

「……外していたが、昼食を作っていただけだ。呼び出してくれれば――」

呼び出してくれれば――どうだったのだろうと、言峰は自問した。
子どもの姿をした英雄王に、衛宮からだと受話器を手渡されていたのなら、きっと今以上に何とも言えない空気を醸し出していたのではないか。

言葉に詰まった言峰を気にすることもなく、衛宮はあっさりと用件を告げる。

「死徒が冬木に紛れ込んでいた。仕事しろ代行者」
「死徒だと? 確かなのか?」
「資料も全く伝わらなかったのか。……昼食って何作ってたんだい?」

言峰の答えに、衛宮はすっと立ち上がった。

「僕もお昼まだだから、お詫びに奢るよ」



車を出すというので、庭で所在なげに待っていた言峰は、車庫から響いてきた結構なエンジン音に顔を向けた。

案の定、左ハンドルだった。
車種に大して詳しくない言峰でも分かるマークが、フロントに燦然と輝いている――メルセデスベンツのSUVタイプ。

「……この車で、商店街に行く気なのか」
「あそこ、良い駐車スペースが近くにあるんだよ。知人の『組』の前」

普通それは駐車スペースではなく、不可侵領域と呼ばれるのだが。


紅洲宴歳館 泰山。
言峰の数少ないいきつけの店であるのだが、衛宮も常連なのか慣れた様子で、適当な席に着く。
この一年、よく遭遇しなかったものだと、言峰は正直なところ安堵した。

死力を尽くした殺し合いの相手との再会の場が、町の中華料理屋は――ない。あってはならない。


「麻婆豆腐」
「同じく。あとライスも」

まだ若い和服の男と神父という異色の組み合わせに、興味深げな視線をちろちろと送っていた他の客たちは、恐ろしい言葉にバッと眼を逸らした。

同じ室内にいるだけで、目と鼻と喉に痛みを感じるあの悪魔が二皿も来るまえに脱出しなくてはと、己の昼食に集中する。


昼の終わり時だったこともあってか、料理が届く頃にはすっかり空いた店内を見回し、これなら日本語で良いか――と呟いてから、衛宮は書類を取り出した。

「これ資料。魔術師から死徒化した典型的なタイプで、27祖――第十七位 トラフィムの流れらしい」

人に資料を渡し、衛宮はご飯の上にどさーと麻婆豆腐をかけ、麻婆丼状態にしてさっさと食べ始めた。

言峰の付き合いとして来ただけではなく、本当にここの麻婆豆腐を食べられるようであった。

前に言峰が同居人を連れてきた時、彼は一口で動きを止めて、美貌とすらいえる顔を歪め、水を言峰の分まで飲み干し、無言で豆腐をこちらに渡し、スペアリブ豆鼓醤炒めなどを注文し直していた。

注文した際の周囲の反応なども併せて考えるに、この店のものは、激辛にも程があるようなのに、特に苦しむ様子もなく食している。

「胃腸などに問題は出ていないのか」
「ん、アレのせいで少しずつ弱ってるから、2〜3年で受け付けなくなるかもね」

衛宮は、ぱくぱくと食を進めていく。

先に目を通すべきか言峰はしばらく迷ったが、店内には他に客はおらず、衛宮の態度から、彼が礼儀に煩いとも思えない。
行儀がよろしいとは言えないが、食べながら資料を読み出した。

「なるほど……『白翼公』の下か。眷属ひとりひとりに心を配るような奴ではないな」
「手下の数だけならぶっちぎりのトップなんだから、下の方なんて把握さえしてないんじゃないかな」

死徒化した後、最大派閥に所属した、典型的な魔術師あがり。
だからさっさとグチっとやっちゃえと、軽く他人事のように語る外道を、聖職者は睨みつけた。

「満月だというのに、ろくな準備もなしに死徒とグールどもの相手をしろ――と?」
「全ての異端を消し去るのが君んちの教義だろ。Fight!」

妙に良い発音でバチーンとウインクなどしてみせた衛宮に、言峰は結構イラっときた。
基本、他人に対して関心の薄い彼にとって、衛宮は確かに天敵なのだろう。

もう一度資料を読み直し、言峰は首を横に振った。
グールを変則的な使い魔とし、自らの体内に収納している死徒――殺しきることが困難な満月の日では、どれほど上手く強襲したとしても、対多数となってしまう。

強力な武装か人員、最低どちらかがなければ危険すぎる。

「可能な限り早急に対応するが……今日の犠牲者は諦めろ。満月に魔とやりあうなど下策にも程がある」
「『だからこそ』良い方法があるよ。手を貸してやるから、楽できる代償に、流される筈だった血の褒章に――君の血をくれないかい?」

ニヤリと――薄く笑う衛宮の表情は、それこそ夜の一族のようで、言峰は反射的に顔を顰めた。

「いつから吸血種に鞍替えした?」
「欲しいのは魔力だけどね――『それなんてエロゲ』な手段は御免こうむるから、血が一番無難だ」

衛宮の嫌そうな様子に、他の手段とやらに思い当たり、言峰も黙り込んだ。
体液の交換により魔力を云々――という話は、師より薫陶を受けた直後に、脳内の要らない知識領域に放り込んだものだった。


ざっと作戦とやらの説明を受けた言峰は、その悪辣さに口元を歪めた。
『魔術師殺し』は、少なくとも戦術面においては、健在のようだ。

満月の夜に襲われるなど想像したこともないであろう死徒。
その驚愕と恐怖を思うと、自然と言峰の顔に笑みが浮かんだ。

「悪い顔だなー。報酬の話だけど。献血が1回400mlだっけ……じゃ800mlで。まぁ、君デカイから、1リットルくらい気前良くくれてもいいよ」
「殺す気か」

直後に元の弛緩した空気を纏い、ふざけた事を抜かす衛宮に、言峰は額に手を当てて言い返した。

魔術師殺しとその抜け殻と。
態度の落差に、軽い眩暈を感じた。きっと気のせいではない。

「君、80kg超えてるんだから、2リットル過ぎまで致死量にはならないだろう」
「失血のショック症状は、血液量の1/5から始まる。1200ml過ぎからだぞ」

何故に献血の倍以上を与えなければならないのか。
大量出血のショック症状のおそれさえある。




「じゃあ、無傷だったら600、怪我したら状況に応じて――――ということで」
「了解した」

散々値切りあった上で出た結論に、重々しく頷いた言峰は、今更に気付いた。

別に、罪無き人が襲われようと、たとえ人死にが出ようとも、心の痛まない自分にとって、これはただ血を失うだけ損な取引なのではないのか――――と。



「良い月だ――狩りと洒落込むか」

真紅に爛々と輝く瞳で天を仰ぎ、死徒は笑った。

外国人の多い冬木では、彼の赤茶けた髪も浮くことはなかった。
人混みに紛れ込みゆっくりと獲物を選ぼうと――歩き出した彼は、数歩で足を止めた。


原因は上空から降り注ぐ、苛烈すぎる殺気。
見上げた死徒は凍りついた。


風になびく黒のフードにカソック姿。
金のロザリオを下げ、黒鍵を手にした天敵が、隣のビルの屋上に佇んでいた。


演出 衛宮切嗣。
演技指導 英雄王。

『月を背に、衣装は風にバサバサなびかせ、当然黒鍵は刃を生成済みで。表情は倉庫街の時のアーチャーみたいな感じで』
『そうではない、もっと虫けらを見る蔑んだ目で、視線は動かさぬ。周囲の状況など探るな!!』

意外に息の合った阿呆共に散々指南された、根が真面目な長身の代行者の眼差しは凄まじいものがあった。

「……う」

死徒はがくがくと震えながらも、どうにか自分を取り戻した。

相手はたかが人間であり、しかも単身。
己は死徒で、さらには従者たちも共に居るのだ――と。


第十位『混沌』の真似事か。
影から、ざわざわと眷属たる死者たちを呼び出し、己を守るように囲わせた死徒に、代行者は苦笑した。

本当に魔術師というものは――死してもなおつまらない。

あまりにも、あの男の読み通りの行動。
ゆえに衛宮の指示通り、黒鍵数本と英雄王に借り受けた一本の刀剣を、屋上より投げ捨てる。



「い、一撃で、我が眷属が半壊だと!?」

律儀に恐れおののく死徒には申し訳ない話だが、無論、黒鍵にそこまでの威力はない。
英雄王に不死の概念を否定する武器はないかと尋ねたら、いくらでも出してきた中で、形状が黒鍵に似ているものを借り、それを混ぜて投擲しただけだ。

屍肉に触れると聞いた英雄王に、返却不要だと断言されたソレは、彼の所有物としては珍しいことに、D・Eランクが妥当なレベルなのだろう。

だが宝具は宝具。
死徒ならまだしも、思考能力も碌な防御手段もないグール相手ならば、その神秘を存分に発揮する。
死徒は半壊と言ったが、実際は、ほぼ全壊。九割方が、その偽りの生を終えていた。


死徒は、これほどの『黒鍵』を使う代行者の実力にすっかり怯えている。

引き続き衛宮の演出指示に従い、言峰は魔力で身体を強化しつつ、屋上より死徒の近くに飛び降りる。
間髪いれず、死徒の周りのグールたちを黒鍵で無造作に薙ぐ。
既に『致命傷』を受けていた死者たちは、さらさらと、塵に還る。

圧倒的な実力差。超絶な腕利きの演出。
プライドだけは高い死徒が、怯えと動揺を微塵も隠せていない辺り、埋葬機関の一員くらいには勘違いされているかもしれない。

『同じ地にあっても、決して蔑みを忘れてはいかん。もっとだ!』
『ああ、その角度良い。で、目は更に殺して』

そんな演出家たちの言葉を思い出しながら、言峰は、死徒に冷たい一瞥をくれた。


「ひ……ひぁッ」

至近距離から凄まじい腕の代行者に睨まれ、久方ぶりに死を身近に感じた死徒は、悲鳴をあげ逃げ出した。
言峰と衛宮の計画通り、敢えて空けてあった道を、必死に逃げて行く。


「何だ! 何者なんだ!? あの代行者はッ!! こんな辺境の地にいるレベルではないだろう」
「分かる分かる。あれに追われるとか、本当に泣きたくなる恐怖だ」

恐怖から漏れた悲鳴じみた叫びに、笑みを含んだ同意が返ってくる。


揶揄する声に、死徒が咄嗟に周囲に張った防御結界は、一発の弾丸によってガラスのように脆く崩れた。

腹部に生じる灼熱感。
貫通した先――背から、凄まじい量の血が噴出する。

彼は、魔術師上がりの死徒。
銃器のことなど詳しいはずもなく、知る由もなかったが。

銃の名は、トンプソンコンテンダー。

弾倉・装填機構、あげく排莢機能すらなく、一発撃つごとに銃を折り開いて手ずから排莢・装填しなければならない――それほどに面倒な、それほどにカスタムし放題――この場合は威力のみに重きをおいたゲテモノ銃。

「がはぁッ」
「代行者の洗礼済の銀の弾丸。並の死徒相手の時間稼ぎならば十分だろう」

現れた黒いスーツ姿の男は、むせ返るような血の臭いにも、化け物の憎悪の眼差しにも顔色一つ変えず、流れるような動作で新たな弾丸を装填した。


立て続けに人間に愚弄され、死徒の無駄に高い矜持が、恐怖を凌駕した。
――――凌駕してしまった。


「舐めるなよ、人間如きが!!」

化け物のような代行者に追いつかれる前に、この目の前の優男を殺す。

たかだか大型の銃を持っているだけだ。
銀の弾丸であっても、満月の再生力の前では決定打足りえない。

そう判断したのは、死徒としては――間違ってはいなかった。
魔術師としては、大間違いだった。

彼の名は衛宮切嗣。
魔術師殺し、その人なのだから。


「あ……?」

防御壁を全力で築き、獣のような速さで疾走していた死徒は、突如眼前に生じた壁に無様に激突する。
激痛と同時に消失した視界に混乱しながらも、とにかく壁を退けようと、死徒はあらん限りの力でもがいた。


残りのグールを浄化してから追いついた言峰が見たものは、自身の血溜まりの中で地に伏し、腕らしきもので懸命に地面を押す醜悪な肉塊。

「何が起きた?」
「コレだよ。この弾丸に魔術で干渉すれば、使用してた魔力は暴走し術者に還され、術者自身を傷つける。復元呪詛が働こうとも、戻るべき『元の状態』が、既に壊れている」

死徒の再生力が仇となっている――と、冷たく告げる衛宮の姿に、言峰はあの時のことを思い出した。

魔力で強化した黒鍵で魔弾を防いだ際に、冷徹な魔術師殺しが、驚愕の表情で一瞬だが動きを止めた。

使った魔力が術者にフィードバックされる――ならば、令呪分の強大な魔力が言峰を襲う筈だった。
確実に一撃死するであろう相手が、そのまま突進してきたのだから、驚きもするだろう。

むしろすぐに魔術を発動し、倍速で躱した思考の切り替え速度こそが凄まじい。

「あの時も、その弾丸だったのか」
「あれは驚いた。おそらく逆流の対象が令呪になっていて、発動時には消失してるから不発だったんだろうけどな。――さあどうぞ」

今まで肉塊に当てていた照準を外し、衛宮はスッと数歩下がった。
代わりに一歩踏み出した言峰は、黒鍵に魔力を通し、銀の刃を生成する。

「灰は灰に」

肉塊を――――死徒の身体を、横一直線に、黒鍵が隙間なく縫い付ける。

「塵は塵に」

縦に――頭から足までが縫われる。
いたずらに増殖を繰り返していた身体が、やっと動きを止める。

血と肉を踏み分け、十字の交差する点にゆっくりと歩み寄った言峰は、回収した不死殺しの宝具を振りあげた。

「眠らぬ亡者に鎮魂の唄を―― A-men」



「さあ600ml」

いかがわしい用途――拷問とか薬殺とか――に使ってたであろう注射器を手に近付いてくる相手に、言峰は真顔で人差し指に巻いた絆創膏を見せた。

「不死殺しの宝剣の切れ味が良すぎて、指を切った。怪我だ。400mlでどうだ?」
「……ふざけるなと暴れたいところだが、事後処理全て引き受けてくれた礼として、500mlで譲歩しよう」

当然却下されると思っていた提案が、地味に増やされているとはいえ、一応聞き入れられたことに、言峰は安心してしまった。
甘かった。

素直に腕を差し出し、採血されていた言峰は、アンプルがどんどん増えていくのを見咎め唸った。

「……おい、500mlなど超えてるだろう」
「今700mlだな。気付くまで搾り取るつもりだった」

戻しても仕方がないから貰っておくと、笑って済まされた。
交渉の意味などなく、最初から取れるだけ取るつもりだったのだろう。

「……貴様」
「はいはい、黒鍵構えない。君だって存分に愉しんでたろう? その報酬分追加」

衛宮の制止に、言峰は動きを止めた。
彼の言葉は正しい。

無様に生き続ける肉塊を祓う際――――止めの宝剣を揮ったとき、抑えきれない笑いが込み上げていた。

「良識と嗜好が相反してるなら、とりあえずは、死徒だの異端者だのをいたぶれば良いんだよ。死体が残らない奴ならやりたい放題だし、残る相手でも――――教会がある程度までは、もみ消してくれるだろ」


これからも、愉しめるよう時々仕事を手伝うから、その報酬に『献血』を――――と笑う魔術師殺しは、聖職者を堕としにきた魔のようであった。


躊躇いがあった。
悩みもした。

だが結局――――神父は、悪魔の手をとった。