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―Contraries cure contraries― 黒と紫

「土産だ」

相手は、腐っていても嘗ては第一線で生きた魔術師で。
通常の魔術は見習い終了レベルである言峰綺礼としては、実になることもそれなりにあり、再会後、相談に、質問に、嫌がらせに――――と、ちょくちょく衛宮邸を訪れるようになっていた。

最初は嫌そうな顔をしていた主も、言峰がきちんと養子の不在の時間に訪れることもあって、次第に態度は軟化し、しまいには軟化しすぎて、手ぶらで来るな――などと要求するようになっていた。


「粗茶ですが」

ドンと置かれたものは、一応は湯飲みに入っているが、全く濁りのない薄緑色。
先程電子レンジの音がしていたので、またペットボトルのお茶を温めたのだろう。

茶が薄い、濃すぎる、ぬるい、あついと、言峰がいちいち文句をつけていたので、面倒になったらしく、最近はこのパターンが多い。

おかげで言峰は、温めたペットボトルの茶が、意外に美味いことを知った。
開発部はとても頑張っている。

少なくとも、全く改善する気のない者によって、適当に淹れられた茶よりは美味い。確実に。


「うわ、この干菓子美味しい。和三盆の優しい甘さは、芸術品だよね」

土産の和菓子に、幸せそうに目を細める元魔術師殺し――衛宮切嗣。

陽だまりでのほほんとお茶を飲みながら、彼はひどく物騒な言葉を口にする。

「で、何か良い事件でもあったのかい?」
「……この前の血は、もう摂取したのか?」

最近冬木を騒がせた傷害事件の解決報酬に、血を渡していた。

――若い女性ばかりが狙われ、被害者はそれなりの血を抜かれてはいるが怪我・暴行の痕跡もなく、気絶していたのか犯人の記憶もないという不可思議な内容に、またも死徒が絡んでいるのかと揃って出向いてみれば、殺すほどの思い切りはない、猟奇趣味を持った薬剤師――通常人が犯人であった。

教会にとっても魔術師的にも、何ら関係のない話であったのだが、犯人が割とイラつくタイプであった為、言峰が説教した後、警察に証拠品持参で出頭させた。

但し説教とは物理的に。
出頭は、衛宮の暗示によるものであったが。

「あれはハンバーグソースにしてみた。士郎にパテを作ってもらって、昼時に焼くのだけ頑張った。片栗粉って便利だよね」
「……人としてどうなんだ」

言峰は引いた。ドン引きだった。
魔術師として血を渡したのだ。飲まれることは覚悟のうえだった。だが食べられた。とろみまでつけられた。

最初は飲んでいたが、まずかったんだから仕方ないだろと抗議する衛宮に、頭痛さえ覚えた。
衛宮邸に来る度に、眩暈・頭痛等の諸症状に襲われている気がする。

「それで結局は、何の用だ?」
「無職の切嗣くんに頼みがあってな。暇なら報告書のチェックをお願いしたい」

暇に決まっているだろうがな――と言外にて告げながら、言峰はぶ厚い英文の書類を投げ渡した。

「何で僕が。自分でやんなよ」
「無論済んでいる。だが以前は父とダブルチェックをしていたので少々不安でね」


社外秘じゃないのかと、文句たらたらで読みすすめた衛宮は苦笑した。
冬木の魔術師に関する報告であった。

若き才能溢れる管理者の、すこぶる順調な成長。
間桐の妖怪による一定数の犠牲者と、魔術師殺しの現状。

「……面倒臭いヤツだな」
「何のことだか」

何が書類の確認なのか。
要は、こういう報告をしていると教えてくれているのだろう。

身体機能・魔術回路の衰え、それにより現在は殆ど活動していない――との報告は、衛宮には正直有難かったが、自身以外の内容が気に掛かった。

「ミスはないようだ。……あの爺さま、結構喰ってるんだな」
「今では一体での維持可能な期間が短くなっているのだろう。……何を考えている? 研究型・戦闘特化・一極集中――魔術師の型は様々あるが、あの御老人は言うなれば『生き続ける』ことに全力を注ぐ存在」

闘い自体は、それほど困難ではない。

間桐臓硯は、魔力の殆どを生存するために使っている。
攻撃的な魔術は、一般人を絶対の多数で嬲り殺す程度のもの。

言峰はもちろん、今の衛宮であっても、そうそう殺されはしないだろう。

衛宮切嗣は二重属性。
非常に似合わないが、火属性の魔術師でもあるのだから、蟲対応はお手の物であろう。
もっとも彼は実際の戦闘なら魔術など使わず、火炎瓶でも投げるだろうが。

問題は、そもそも戦いになどならないこと。
少しでも旗色が悪くなれば、あの老人は蟲で構成された身体を捨て、すぐさま逃走するだろう。

「逃げに徹されれば打つ手はない。殺しきることは事実上不可能だ」
「闘う気も殺す気もないさ。ただ女性とか子供優先とか――食事の嗜好はあるのかなと気になって」

つまりは、何らかのちょっかいは出す気があるのか。
少しばかり考えてから、言峰は知り得たことを隠さず教えてやる。

「嗜好など既にないだろう。元の人物の容姿がどうであろうと、あの吸血虫が肉として纏った瞬間、魂に引きずられ老人の姿となる。延命しすぎたゆえに、魔術的に良質な者も極普通の人間も『耐用期間』に大差なくなっている」

老若男女、回路の有無そんなものはどうでもどうでも良い。
必要なのは一体分の肉だという。

「ふーん。なら交渉の余地は十分だ」



――今日の獲物はあの女にするか。

美人といえる顔立ちで、スラリとした身体を落ち着いた色のスーツで包んでいる。
それなりに若く、かつ社会人であろう二十代中盤の女性に目を付けた男は、下卑た笑みを浮かべた。

最初は、とにかく若い女を狙っていた男だが、行為後、金銭も奪うからには、もう少し年齢が上の方が所持金が多くて望ましいと気付いた。


最近の冬木では、二十代半ばから後半の女性が襲われ暴行され、金銭まで奪われる事件が続いていた。
そのうちの殆どが、この男の犯行であった。

帰りの方向を見定め、手慣れた様子で先回りをする。
理想的な襲撃場所、公園の前で、女性はしばらく迷う素振りを見せたが、まだ夜の9時前という時間帯が後押ししたのだろう。
女性は結局、公園に足を踏み入れた。


男はその選択を笑った。
深夜だけが危険な時間帯だと考える女が多すぎる。

暗さと人通りの少なさが揃えば、多少の無理は通るというのに。

都合のよいことに、公園内に他の人間の姿はない。
男は足音を殺し近づき、最大出力のスタンガンを女の背に押し当てた。

声もなく崩れ落ちた女の身体を、男は暗がりに引きずりこんだ。
悲鳴などあげられないように、女の口をまずガムテープで塞いだ。

意識は混濁したままのようで女の瞳には意思がなかったが、男は構わずに覆いかぶさった。
乱暴に、女の衣服を剥ぎ取ろうとした瞬間、男の身体は、すぶりと沈み込んだ。

「な、何だよ、これ?」

理解できなかった。ほんの少し前までは、確かに女であったものが、まるで泥にでもなったかのように、ずぶずぶと男の身体を飲み込んでいく。

「痒……、い、痛いッ!!」

泥などではなかった。
いつしか女の身体は、無数の蟲に変わっていた。

最初に感じたのはむず痒さ。だが、すぐに激痛が走る。
蟲たちの小さな口に不釣合いな鋭い牙が、男の身体に突き立てられる。

全身を少しずつ――だが、確実に咀嚼されていく痛みに、理性など簡単に掻き消えた。

「た、助けてくれ、だ、誰か」

自分が今まで何をしようとしていたのかなど気にもせず、懸命に声を張り上げるが、人の気配は全くない。

男はやっと違和感を覚えた。
照明がいつもより暗い。人通りが少ないのでなく――ない。雑音がない。蟲が蠢く音しかない。

「誰も通らないよ。ここは結界――閉ざされた空間で、普通の人間は立ち入れない」

黒のスーツの男性が、いつの間にか男を見下ろしていた。

「そもそも人けのないところを、自分で狩場として選んだのだろう?」
「あひ、ひゃ……ひゃす、たす……けて」

言葉の意味などすでに理解できず、ただただ助けを求める。
その無様さに、今までの己の行為との矛盾に、黒衣の男は嘲笑する。

「ははは。面白いことを言うね。お前は、女性の懇願を聞き入れたことがあるのか?」

声はひたすらに冷たかった。
憐憫も嫌悪も――怒りさえも宿さず、彼はただ男がゆっくりと喰われる様を観察していた。

「4人目の重体だった被害者は、亡くなったそうだ。もう罪状は、傷害ではなく殺人。それに罪悪感もなく、まだまだ続けるつもり。――――生きていない方が良いよ」

すっかり蟲に集られた男には、もはや聞こえてさえいないだろうが、黒衣の男――衛宮切嗣は、連続強姦魔、いや殺人犯の男を冷ややかに見捨てた。


五分ほどが経過しただろうか。
蟲たちに体内に潜りこまれ、肉片レベルまで咀嚼された男の痕跡は、全く残っていなかった。

やがて、血液さえも綺麗に舐め取った蟲たちが集合し、小柄な老人の姿をかたどる。

「酷いことをする。スタンガンとやらも、なかなかの威力じゃな」
「一応効いてたんだ。僕としては、あなたが模ったOLさんの見事な美人具合にひいた」

滅多にみかけない――躊躇うほどの『美貌』ではなく。
普通に美人で普通にスタイルの良い、『知人の中で上位にある』程度の綺麗さ――という、非常に手を出しやすい調整がされていた。

暗がりにて襲われ――その襲撃者を喰らうという、基本シナリオを描いたのは衛宮で、老魔術師――間桐臓硯はそれに乗った形なのだが、絶妙なラインの美を演出できるのは、捕食者の本領発揮といったところか。


「襲った女性の金銭で、その日暮らしをしていたような男だ。住所不定。捜索願も出されないと思う」
「カカカカ、はみ出した側の人間を頂く。その発想はなかったわ」

身体のすげ替えを、数ヶ月に一度の頻度で行わなければ延命できない臓硯は、必然的に行方不明者を出す。

彼の食事は、被害者の身体は勿論、血液さえも残さず、きちんと人払いも行うため、事件性は発生しない。
捜査されることもなく、騒ぎにも殆どならないのだが――そもそもの『行方不明者』すら生じない方法があるとは。

「衛宮切嗣。噂に違わぬキレっぷりよのう。しかし――しかしじゃな、ワシがこんな一般人よりも、名高い『魔術師殺し』の身体を狙うことは考えなかったのか」

口元を吊り上げた老人の言葉に呼応するように、ぞわりと周囲の闇が更に濃くなる。
結界内で無数の蟲に囲まれている現状を認識しながらも、衛宮は落ち着きはらった様子で、煙草に火を点ける。

そういえば、自分はそれなりに歴史がある家の魔術師だったなと、衛宮はすっかり他人事のような感想を抱いた。
質問の答えはシンプル極まりない。『微塵も考えなかった』。

「衛宮家五代目継承者状態のままであったなら考えられた。だが、八割方壊れた回路、呪詛に汚染された身体、挙句、聖堂教会の監視付き――そんなモノをあなたが欲しがるとは思えないな」

あっけらかんとした明るさで、衛宮は現状を正直に告げる。

「……その強烈な呪いは、乗換えた次の身体にまで、憑いて来る可能性も否めんしのう」

それが真実であると分かる臓硯は、勿体無さに歯噛みしながらも諦める。
残った魔術回路程度の為に、あの呪いに飛び込む気にはなれなかった。



「証拠隠滅終了ー。……すごいな、ルミノール反応も殆どない」
「血液を残すなど勿体無い」

男の身体が在った辺りに、なんらかの薬品を振り掛けて確認していた衛宮は、現場をある程度均して立ち上がった。
傍らに佇む闇――老魔術師に、屈託なく笑いかける。

「もし良かったら――周期を教えてくれれば、これからも良い候補を斡旋しますよ」
「正直なところ助かるが……おぬしの利はどこにある?」

睨めつける老人に、衛宮は肩を竦めた。

利点は特にない。
殺人を幇助しておきながら、正義をかたるほど図々しくもない。

「あなたの食事を止めきる手段はない。ならばせめて、僕の心の平穏の為、無辜なる市民ではなく屑を餌にしたい。――偽善でさえない自己満足だよ」

心底、本気であった。
犠牲者数は減らせない。ならば生きる価値の低いものから消えてもらいたいだけの話。

「ふむ、偽善を口にするような相手なら、断っていた。だが、そこまで割り切って考えてくれるのならば――お願いしようか」

ここに契約は成立した。
間桐臓硯は生餌の安定供給を得られ、衛宮切嗣は知人が巻き込まれる可能性がほぼなくなり、いざという時のディスポーザ的な存在を手に入れた。


ふたり仲良く並んで歩く帰り道、衛宮は気になっていたことを尋ねた。

「そういえば、使い魔殺しました?」
「おぬしの使い魔なら、用件を伝えたのち、勝手に弾けた」

そういう仕様かと思っていたと続ける臓硯に、そんな筈はないだろうと、衛宮は苦笑した。

「『なおこのテープは自動的に消滅する』って? スパイ大作戦じゃないんだから。困ったな、あんなに近くから跳ばしても、その程度しか保たないのか」
「孫が泣いたぞ」
「それは本気でごめんなさい」

間桐家を視認できるような距離から、『ちょっとした商談がある』と、使い魔を送ったというのに、用件を伝えるまでが精一杯であったとは。
もう使い魔の使役は諦めるべきか――と真剣に悩みだした衛宮を見上げ、臓硯は提案した。

「礼に蟲をやろうか? 伝令用ならば消費魔力量も少ない。今のおぬしでも問題なく使えるであろう」

これから世話になり、なおかつ臓硯からみれば、衛宮の利など無に等しい。

だから臓硯にしては非常に珍しいことに。
本当に善意からの案であった。

戦闘用ではない蟲ならば、利便性が高く、かつ制御も容易い。
なのに――衛宮は歩みを止めた。

「せっかくのありがたい申し出だけど……この年で、今まで守り通してきた大切なものを喪いたくないんだが」
「……何を考えておる」

妙にもじもじとし、顔を赤らめた三十路男に、老魔術師はあきれ返ったようだ。
何を考えているのか――予想はつくが。

衛宮切嗣――――彼は、封印指定さえ狩る戦闘特化型の魔術師でありながら、自身のサーヴァントとアインツベルンの人形を表に立て、最後の最後まで裏に回り、諜報活動を主としていたという。
ならば、間桐雁夜の魔術行使も当然確認したのだろうし、魔道の蟲という特性から色々と想像したのだろう。

「まっとうな魔術師なら、体内に入れずとも使えるわ。おぬしの家では、一々使い魔を中から出しているのか?」

バーサーカーのマスター 間桐雁夜。
彼は魔術回路も乏しく、さらには間桐の家から逃げ出していた為、殆ど魔術に関わっていなかった。

急造のマスターとして、わずか一年で仕上げるために臓硯が選択した手段は変則的なもの。

『魔術を使える蟲』を憑かせ、雁夜の回路と身体に馴染ませる。
雁夜の望む魔術を、その魔力と血肉を代償に、蟲たちが行使するのだから、蟲を体内に潜ませるのが必然であった。

「それは助かる。無意識に尻を押さえてしまった」
「入れるにしても、基本は口からじゃぞ」

あくまでボケ続ける相手に突っ込みつつ、間桐の魔術師は、その成果たる蟲を呼び出した。



前菜として、ピータン豆腐。
少々クセがあるのだが、英雄王の口には合ったらしく、ここ最近のお気に入りである。

中華ベースの卵のスープ。
メインは鶏肉とカシューナッツの炒めもの。

材料価格は控えめながら、だが昼食としては、結構な手間が掛かっているメニューが、食卓に並んだ瞬間だった。

そんな穏やかな空間に混じった違和感に、神父とその使い魔的な存在は同時に、険しい形相で顔を上げた。
凄まじく真剣だった。

意思あるものなら、その眼差しのみで射殺されそうな殺気をものともせず、ぷ〜〜〜〜んと羽音と共に現れたのは、あからさまに魔道の産物であろう羽虫。

「……これが弾けたら、魔術の秘匿だの、教会と協会の軋轢だの、細かいことは考えず、衛宮を殺そうと思う」
「我も同行する。むしろあの屋敷を跡形もなく消してやる」

以前の蝙蝠型使い魔パーーーンッ事件の惨劇を思い出し、彼らは己の皿を手元に引き寄せて庇った。
子を守る親鳥のような必死さだった。

だが予想に反し、蟲は紙をひらりと言峰の前に落とすと華麗に姿を消した。

『特に用はない。新しい使い魔の試運転だ 衛宮切嗣』

それだけが書いてあった。

隠しメッセージがあるのではないか。
何か魔力が込められているのではないか。
せめて呪いでも掛かっていないのか。

何らかの意図が隠されているのではないかと色々と試行錯誤したうえで、本当にただの試しだったと理解した言峰は、奇妙に無表情となった。

「……昼食が済んだら、殴ってくる」
「…………ああ、好きにするといい」

興味深い――面白い話だなと、言峰の表情を見て、英雄王は思った。
愉しみを見出し、この一年あまりで、すっかり薄い笑いが板についた破綻者は、仇敵の前では、昔のままの堅物神父に戻るようであった。