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―Contraries cure contraries― 黒のメランコリー

「宿敵欲しいなぁ」

ある日の昼下がり。
読書中の衛宮切嗣は、縁側にてのほほんと、そんな独り言を呟いた。
誰も居ない空間での聞き逃される筈の言葉は、しかし、そうはならなかった。

「んなぁッ!!」

変な声が出た。
発信源は言峰綺礼。

衛宮邸を訪れる際、玄関からかきちんと訪れるか、庭から直接入ってくるかは、大体半々の確率なのだが、その日は庭からの気分だったようだ。

「…………急用を思い出した」
「ちょ、言峰」

土産の茶菓子をぶん投げた言峰は、踵を返した。
慌ててどうにかキャッチした衛宮が顔を上げたときには、凄まじい勢いで遠ざかっていく言峰の背中だけが見えた。

「……まずったかな」

言峰は、無表情ではあった。
だが、あれは通常の完全無表情ではなく、割と動揺している状態だと分かる程度には、彼らの腐れ縁は深まっていた。




「――という訳で、殺したい相手だと――宿敵だと思っていたのは、私だけなのだろうかと」
「…………僕にそんなこと言われても」

ウェイバー・ベルベットが、突然バイト終了時に現れた神父より拉致され、聞かされた長々とした愚痴は、集約するなら『アタシ、アンタのなんなのさ』。

内容がひたすら物騒なだけで、要はそういう話だった。


「しかし、美味とは言いがたい味だな。何がミラノなのだ、これの」
「安いんだよ!!」

苦悩しながらも文句だけはしっかりと垂れる神父に、ウェイバーは端的に言い切った。
確か彼はイタリアに長く居たとの話だったから、ここをイタリアンとは認められないのかもしれない。

だがとにかく安いのだ。メインとドリンクバーとデザートつけてもこのお値段だ。
そしてまずくはない。
ならば十分ではないのか。

「無論奢るつもりだったのだが」
「だったら、もっと良いとこ行くべきだった!!」

育ち盛りの本音が迸った。
自腹ならばコストパフォーマンスを考慮するが、他人の金ならば美味いに越したことはない。

「……店員に睨まれるぞ」

相変わらず日本語が苦手なウェイバーは、基本英語を使っているが、冬木の出来る店員さんは、そこそこ英語を理解可能なのである。
確かに視線が集まってきたのを感じて、ウェイバーは声を落として相手の不安に答えてやる。

「Mr.衛宮がなんでまたそんなことを言っていたのかは不明だけど、あんた達は宿敵だと思う」
「本当にそうだろうか」

妙に自信なさげな表情に、ウェイバーはバイトあがりの疲労が増大するのを感じた。

殺し合ってるんだろう
奥さん殺してるんだろう

――とは、英語であってもこんな場で口にするわけにもいかないが、どう考えても十分すぎるほどの因縁があるだろうに。


メニューからアルコールを見つけた言峰は、大して種類のないそれらを真剣に吟味していた。
早く帰してくれる気は欠片もないんだなと諦めたウェイバーが、自分の分も――と頼むと、眉を顰められた。

「飲んでよいのか?」

殺人すら躊躇しない破戒神父は、妙なところは生真面目なままだった。

「イギリスはbeerなら16歳から飲めるんだ」

この人の倫理観念、本当におかしいよなと溜息を吐きながら、ウェイバーは答えた。

「それに僕はもう21歳。日本でもOKな年齢だ」

世界水準では童顔とされる日本においてさえ、年より下に見られる自分とはなんなのだろうと哀しくなった。
申し訳なさそうな顔で近寄ってくる店員に、慣れた動作でパスポートの生年月日を突きつけたウェイバーは、荒々しく杯をあおる。

「意外に美味しいけど……」

安めのファミレスでさえ、きちんと冷えたグラスに注いでくるサービスは素晴らしいとは思いながらも、不満を口にする。

「なんで日本って、ピルスナースタイルばかりなんだろ」

まずいわけではない――むしろ安定した高品質ではあるが、飽きないのだろうか。

「前に衛宮もそんなことを言っていたな。奴はヴァイツェンが好きなのだそうだが、日本では大手が全てピルスナー系だから地ビール辺りでしか見かけないとか」
「そういや、ドイツに長く居たんだっけ……ヴァイツェンもエールも美味しいのに、なんだか勿体ないな」



支払いの時点までは、言峰はどうにか保ってくれた。
だが店を出る足取りは非常に覚束なく、あげくふらりと壁に凭れ掛かった。

「……んん」
「うそ……だろ」

こう見えてウェイバーはアルコール耐性の強い西欧人であり、言峰は耐性の低いアジア人である。
しかも飲んでいたのは、ウェイバーは主にビールで、言峰は殆どワイン。

ぐだぐだ、がばがばと飲み続けていれば、こういう結果になるのは、確かに道理ではあった。

「無理言うなや!!」

何故か関西弁にて、ウェイバーは悲鳴をあげた。
最近やっと背が伸びてきたとはいえ166cm58kgの彼に、何故か同じく伸び続け、そろそろ190cmの大台に乗る80kg超の神父を抱えていけというのか。


「綺礼? それに――」

途方に暮れ、タクシーに押し込むしかないのか――それにしても、どうやって大通りまで行こうか、と真剣に考え込んでいたウェイバーの背に、声が掛けられた。

「――征服王の臣ではないか」
「うげ、アーチャー……いや、助かったって思うべきなのか」

振り返れば眩しかった。
現世を満喫しているらしく、髪を下ろしすっかり現代人に見える金ぴかの元サーヴァントがそこにいた。

「神父持って帰ってくれよ。僕には無理だ」

戦争であったとはいえ王を倒され、自身も殺されかかった――というよりも見逃してくれたというべき間柄の為、未だに苦手意識が非常に強いのだが、この場合に限っては救いと言えるだろう。

「貴様、王の手を煩わせると……確かに貴様には無理か」
「うるさいなぁッ」

どうにか神父を押しやると、さすがは細身に見えても英霊、ヒョイと軽く肩に巨躯を担ぎ上げる。
おまけにウェイバーの襟首をつまみあげ、猫のように運んでいく。

「な、何すんだよ。離せってば」
「折角中々の酒を手に入れたのだが、綺礼がこの有様ではな。代わりに付き合え小僧」




ウェイバーに抵抗手段があるはずもなく、結局教会まで連行され、新たな飲みに付き合う羽目になった。

金銭面では、ごくごく一般人であるウェイバーにとっては、極上ともいえる酒なのだが、彼もプロテスタントとはいえキリスト教圏の人間――教会でこんな酒宴をして構わないのか不安になった。

だが古代メソポタミアの王にとってはどうでも良い観念らしく次々と酒を注がれた。


「――って話らしいよ」

酒の肴となったのは泥酔状態の神父であった。
何故にそれなりには酒に強い彼があんな状態になったのか、洗いざらい白状させられたウェイバーは、ふと気になって訊ねてみた。

「やっぱりあんたくらいになると、宿敵っていないのか?」
「……我に並ぶ者などおらぬ。征服王とて、奴の器に、本気を出しても良いと認めただけだ」

ひとり友人だか宿敵だかよく分からぬ奴もいたがな――と呟いたアーチャーに、ギルガメシュ叙事詩の内容をぼんやりと思い出しながら、それも寂しい話だなと、若き魔術師は思った。

神の血が混じった超越者。ウルクの伝説的な王。
確かにそんなものに並ぶのは、絢爛豪華な英雄たちの中でも、そうそう居ないのかもしれない。

勿論、ごく普通の武器を手にとって、向かい合って一対一で至近距離から闘えという話ならば、彼や征服王は、あの騎士王や二槍の英雄や狂戦士に技量としては及ばないのだろうが、英霊としての本領――宝具のぶつけ合いとなれば、英雄王に敵う者はいない。

「……僕はアーチボルト先生を憎んでいなかった。多分、嫉妬のレベルだ」
「そうであろうな。そもそも貴様は殺されるかもしれないと思っていても、殺す覚悟はあったのか?」

少し考えて、ウェイバーは首を横に振った。

命を落としても構わないとは思っていた。
けれど、自分の手で、他者の命を消せたかというと答えは否だった。

「そうか、……覚悟なんてなかったんだな。先生は魔術師だから人を殺せただろうけど――僕は敵でさえなく、あくまで教え子の問題児で、そんな目障りな存在が自分の晴れ舞台を邪魔をしたから『誅する』つもりだった」
「ふん、あの男も詰まらなさそうだったな。時臣といい、真っ当な魔術師というのは、退屈な人種だな」

鼻で笑う英雄王の心底見下した表情に、遠坂家の当主も大変だったんだろうな――と、ウェイバーは思いを馳せた。

まあ、穴熊を決め込んでいた慎重派の魔術師とは、顔を合わせることもなかったのだが。

「でもFather言峰とMr.衛宮は、どう考えても宿敵だよなぁ。だって殺し合ったんだろう?」
「ふむ、我がセイバーと遊んでいたときの話だから、仔細は知らん――見てみるか」

アーチャーがパチンと指を鳴らすと、彼の背面が金に煌き、あからさまに魔力が篭ってそうな豪奢な鏡が現れた。

鏡面が揺らぎ、見覚えのある景色が矢継ぎばやに映される。

「東洋の地獄にある、全ての行動を映すっていう浄波璃の鏡?」
「その原型だ。『全て』ゆえに、時と場を事細かに指定しなければならぬ面倒なものだが――」

日時も場所も判明しているのならば、特定も容易いのだろう。
何もないだだっ広いホールにて、対峙する二人の男の姿が映る。

「何でもありだな。……顔、怖ッ」

『仕事』中は冷徹さを見せるものの、基本はのほほんとした人が、射抜くような目で眼前の敵を見据えていた。
言い争い程度はよくあることとはいえ、今はそれなりには仲良くやっている聖職者が、来訪する怨敵に感極まったように嗤う。

闘いは、会話もなしに唐突に始まった。



「うわ……あの人たち、こんなに凄いんだ」

衛宮の弾丸が言峰の身体を撃ち抜くまで、思わず息を詰めて見入っていたウェイバーが嘆息した。
キャスターの拠点にて襲い掛かってきた分裂後アサシンたちくらいなら、対応できるのではないだろうか。

「なるほど。欠陥品の横槍で、厳密には決着がついてないのか」

道理で綺礼は拗らせているわけだ――と呟くアーチャーは当然流れを把握しているのだろうが、衛宮の魔術――加速により、ウェイバーにとっては、到底理解できる状態ではなかった。

「泥降る辺りなんて、全然見えなかった。スロー再生的な機能ってあるのか」
「一時停止もコマ送りも可能だ」
「……あんた本当に現代に慣れたな」

繊細な飾りがついてはいるが、結局はリモコンなのだろう。
リモコン(仮)の操作に従い、鏡の画像がキュルキュル巻き戻る。

銃と投擲剣、ナイフと素手の鬩ぎあい。
頭蓋を砕かんばかりの拳を躱しながらナイフを投じ距離をとる衛宮に、特殊な歩法で神速にて間合いを詰める言峰。

そのやりとりを何とか理解したウェイバーは、正直な感想を述べた。

「すごいし、まさに最終決戦の風格だと思うけど、魔術師の戦いじゃないよなぁ」

反射速度や身体能力の引き上げやら等に、魔術を使ってはいるのだろうが、傍から見ていると凄まじいアクション映画のようであった。

「こやつらは魔術を補助にしてはいるが、リアル『レベルを上げて物理で殴る』だからな」
「確かに」

ゲーマー仲間でもあるアーチャーとウェイバーは、呆れた様子で頷きあった。
高難易度ゲームの解決策としてよく冗談交じりで上げられる案だが、魔術師たちの殺し合い――という聖杯戦争のキャッチコピーは何処に行ったのだろう。

その後、話題を新作ゲームへと移しつつ飲み続けた魔術師と英霊は、気付いていなかった。
酔いより醒めた聖職者が、優れた聴覚で、隣室より漏れ聞こえた音を聞いていたことを。

彼は決戦時を高揚を思い出し、その反動で、更に深く深く沈みこんだ。



「お土産です」
「あ、バターどら焼きだ。ありがとう」

『貴様こそ愚かすぎて理解できないよ』

冷たく告げたスーツの男と同じ人物とは思えない柔和な笑みで、和装の衛宮切嗣はウェイバーを迎え入れた。


「あいつ、君にまで愚痴ったのか」

訪問理由を聞いた衛宮は、ペットボトルのアフタヌーンな紅茶を注いだグラスをウェイバーに差し出しながら苦笑する。

「バイト終わったときに、有無を言わさず捕獲されましたよ」

挙句アーチャーにまで遭遇し、家飲みに移行し、教会に泊る羽目になった。
翌朝も、とにかくどんよりしていたという神父の落ち込みっぷりを聞かされ、衛宮は素直すぎる感想を述べた。

「なんだろうな。このグラビア見ながら巨乳っていいなぁと呟いたら、並乳の恋人に聞かれてた感は」
「……もの凄く即物的な喩えだけど、そんな感じなんじゃないかな」

『本当は私なんかじゃ不満なのかな』というやつだ。
問題は悩み悲しむのは可憐な少女ではなく、188cmの男だというところだろう。


「ハァ……近所の子に、少年漫画借りて読んでいただけなんだよ」

幾度となく闘う伯仲した実力。
武器が似ていたり、師匠が同じだったりすると望ましく。

ベタな『勘違いするな。お前を殺すのはこの俺だ』と助けてくれたりする関係。

そんな設定の宿敵を脳裏に浮かべていたので、現実にいるアレのことは考えてもいなかったのだという。

「あの人、助けなさそうだなぁ……」
「『お前を殺すのは俺だ』と言いながら、その時の敵を押しのけてラッキーとばかりに止めを刺してくれそうで――なあ」

笑いを含んだ問いの対象は、ウェイバーではなかった。
現れた影は、昏い瞳で静かに否定した。

「ちがう……確かに貴様を殺したいが、それは殺し合いの末だ」
「……やだこの子、ヤンデレ入ってきた」

基本的に暇な為、色々と要らん知識が身についた衛宮は溜息を吐いた。
前からストーカー的なところがあるとは思っていたが、更に悪化していないか。

「君とだと、間合いの取り合いに終始するんだよね」
「仕方なかろう。互いの最適距離が違い過ぎるのだから」

相手の距離で長く交戦するなど愚策。
当然のことながら同門でもなく、戦闘技術も全く異なる彼らは、間合いの取り合いこそが戦い。

「それとも今更私に銃を扱えるようになれというのか。貴様が譲歩しろ。ガン=カタを学べ」
「いや、馬鹿か。アレ、格好良いけど、ありえないから。至近距離入ったら撃つべきだから」

平常運転通りの口喧嘩。
ぎゃんぎゃん言い争う彼らの様子に安心しているという事実に、自分も毒されてきたな――とウェイバーは少し呆れた。


ひとしきり険悪にやりあった後。
落ち着いたところで、衛宮は口を開いた。

「もしも――急に身体が治ったりしたら、きっと殺しあうからさ」

何で僕は、こんな弁解じみたことを言ってるのだろうと衛宮切嗣は思った。

「本当だな、衛宮……」

何故私は、こんな言い訳じみた、おそらく叶わない約束に安堵しているのだろうと言峰綺礼は思った。

「……帰っていいかな」

どうして僕が、こんな痴話喧嘩からの仲直りじみた現場に居合わせなきゃならないのだろうとウェイバー・ベルベットは思った。