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―Contraries cure contraries― 黒のパニッシュメント

「切嗣さん、お邪魔しまーす」
「……失礼」

先に入ってきたのは太陽のような隣人。
弾けるような笑顔に、高く結い上げたポニーテールがとても似合っている快活な少女。

後に続いたのは陰鬱な黒い塊。
神父としてなんらおかしくない黒衣。だがそれが厳粛なだけではなく、不吉な印象が拭えない――仇敵。

「いらっしゃい。……これはまた珍しい組み合わせだね」

組み合わせの時点で既に笑えるのだが、言峰綺礼の仏頂面に磨きが掛かっていることも、藤村大河がそれを全く気にしていないことも面白さに拍車を掛ける。

微妙な半笑いといった表情の衛宮切嗣に迎えられ、言峰のこめかみに青筋が走った。
だが耐えた。どう見ても日常側の少女の眼前で、掴みかかる訳にもいかなかった。

「神父さんが門の辺りで迷ってたので、お連れしちゃいました」

少女の言葉に、言峰は黙り込んだ。無論彼は、迷っていたわけではない。
門を越えようかと考えていたところを見られたので『忘れて』もらおうとその大きな瞳を覗き込んだというのに。

では私はこれで〜〜と明るく立ち去る少女の背を見送った言峰は、苦渋に満ちた表情で問いを口にした。

「暗示が効かなかったのだが――彼女は一般人なのだろう?」

何かミスをしたのかと、数度繰り返しても、魔力を感じない通常人相手に、暗示は効果を発揮しなかった。
真剣な顔で無言で立ち尽くしていた神父に、少女は何か困っているのかと、凄まじい勢いで親切心とお節介とを発揮した。

「あの子、多少の魔術なら結構レジストするよ。抗魔力があるんじゃなくて幸運判定で、抵抗成功するみたいだ」

災難だったねと招き入れる衛宮の笑みに、記憶に染み付いた黒衣の男の冷徹な表情が霞み消えそうになる。
己の同類ではないかと思えたほどに闇に在った男は、今は陽の光の下で穏やかに笑っていた。


洋館やら教会やらに縁が深い人生であった為、どうにも慣れぬ和室。
手持ち無沙汰で、ちゃぶ台などと呼ばれるテーブルのようなものを何となしになでていると、目の前に、湯のみを差し出す和装の男がどさりと座った。

「ほらよ。そういえば何か用か?」
「ああ……ぶ」

問いに頷き、受け取った茶に口をつけた言峰は、思わず噴いた。
凄まじく不味かった。
とてもぬるい。そして濃い。更にやたらと茶葉が出てしまっている。

なるほど、嫌がらせとはやるな衛宮――と感心し、顔を上げた言峰は、対面の相手も顔を顰めていることに気付いた。

「うわ何だこれ、マズ……」
「…………淹れたことさえ無いのならば、客に茶を出すな」
「笑わせるなよ、言峰」

は――と短く低い笑いを洩らした衛宮は、対峙したときのような冷たい表情で、戯けたことを口にした。

「手ぶらで来るような奴は、お客さまじゃない」
「手土産があれば客扱いなのか。淹れなおしてくる、邪魔するぞ」

そっちだよと指された先に向かうと、流し台のスレンレスにぽつんと置かれた急須があった。

蓋を開けると、濁った緑がタプタプしていた。
藻が大量に発生した池の水、もしくは冬の屋外プールのようだった。

茶こしが入っていない。しかも二人分だというのに湯をなみなみと入れたらしく、かなりの量が残っている。
非常にうろ覚えの知識しかない状態で、適当にチャレンジしてみたようであった。

「お湯も入れっぱなしではないかッ!」
「まだ飲むだろ!!」

ドンと、淹れ直したまともな茶を荒々しく突きつけた言峰は、受け取った相手が、特に躊躇うこともなく口にし、あコレは美味しい――などと呟いたことに何故か苛立ちを覚えた。

「繰り返し呑む場合であっても、お湯はその都度切るものだ。茶が出すぎて渋くなるだろう」
「あ〜もう、うるさいなー。姑かお前は」

嘗ての冷たい殺意とは違う、純粋に煩がる声音に、衛宮切嗣に関しては沸点の低い言峰の忍耐力は、容易く限界を迎えた。

「貴様のような嫁が居たら、即刻叩き出してくれるわ」
「何だと。僕はお義母様に熱湯を掛ける程度、微塵も躊躇わない鬼嫁だぞ」
「それは虐待のレベルだ。私とて必殺 妊娠期に階段から突き落とし攻撃がある」
「それは傷害事件だ」

下らない言い争いに切れ、抜いたのはどちらが先だったか。

銀の刃が衛宮の首元に、殺意の銃口が言峰の額に突きつけられる。
よく似た虚ろな瞳が、間近で睨み合う。
頚動脈を斬り裂ける、脳髄を吹き飛ばせる――そんな殺気に満ちた空間にて、日の明るさにふと我に返ったのはどちらが先だったか。

「何の話を……していたんだったか」
「……何だったかな」

互いに少し疲れた声になりながら、刃を消し、銃をしまう。
衛宮は相変わらず銃を取り出す動作を殆ど見せないのだが、和服を着ている現在、どこに収納しているのだろうと、言峰は首を小さく傾げた。まさか和服の下にホルスターをしているのだろうか。

「ん? ああ袂」

殆ど表面に出ていないはずだが、衛宮は言峰の不思議そうな表情に気付いたらしく、袖の下の部分をピラピラさせながら回答する。

「……暴発してしまえ」

確かに男性の着物の場合、袂をポケット代わりに使える構造になっていたはずだが、そもそもポケットというものに拳銃は入れない。

「残念だな。僕の銃は僕を傷付けない。実弾入れた銃を抱えたまま、何度寝落ちしたと思ってる?」
「残念なのは貴様の頭だ。聖杯戦争中の貴様は外殻のみか。あの時も中身はこんなズボラだったのか!」


突きつけあいから我に返るまでを、再度繰り返した。


「で? 用件って、なんなんだよ」

仕切りなおし。もう一度座りなおして、ふたりとも今の一連のやりとりを脳内から綺麗に消去した。
己に都合の悪いことは、豪快に無かったことにする。その辺り、彼らはとても似ていた。

「この事件について、どの程度知っている?」

あー例の吸血鬼事件――と呟きながら、衛宮は渡された資料に目を通しだした。
既に一般人の間でも噂されている。当然彼の耳には、とうに入っていたのだろう。

若い女性が、極度の貧血状態で発見される事件が相次いだ。
被害者たちに性的暴行等の痕跡はなく、普通に道を歩いていた段階で記憶が途切れている。
血液を奪われている為、傷害事件という扱いになってはいるが、実際は怪我などの『暴行』という言葉からイメージされるような外傷もない。

死者こそ出ていないものの現代に甦った吸血鬼事件だと、結構な騒ぎになっている。

「特に調べてはいないから、噂話の域を出てないよ」
「なるほど。……記憶障害を起こさせ、血液を奪い、だが怪我もさせない」

底冷えのする声で、被害症状を列挙する言峰に、衛宮は怪訝そうに資料から顔を上げた。

「……ああ、そういうこと」

口元を弧に吊り上げた眼前の男の表情からその思考を理解してしまい、嫌そうに眉を顰める。

「暗示が使用可能で、血を必要とし、だが命を奪う覚悟もない半端者という犯人像が浮かび上がる」
「僕を疑ってたって訳か」

冬木の管理者の後見人として。
聖堂教会の神父として。

問題を起こす魔術師には対応しなければならないと嗤う聖職者に、はぐれ魔術師は肩を竦めて鼻で笑ってみせた。

「ふ〜ん、知っている者の悪い癖だな。不思議なことは、なんでも魔術関連だと思いこむ」
「どういう意味だ?」

関係者一同を前にした名探偵のように。
衛宮は非常に得意げな表情で、オカルトなんて大概が説明がつくものだと、魔術師の風上におけないこと抜かした。

「期待に沿えず申し訳ないが、この辺りの医療従事者で特殊性癖持ちを洗ってみろ。記憶消去なんて技術、そもそも必要ないんだよ。連れ去ってから置き去りにするまで、薬品で意識奪いっぱなしなんだろ。血液だって普通に採血すれば良い話だ」



衛宮の推測は正しかった。
条件に当てはまる人物はすぐに発見され、監視体制がとられた。

度重なる犯行の成功に自制心を失っていた犯人は、性質の悪い狩人たちが待ち構える狩猟場へ、のこのこと獲物を連れて現れた。

「犯人は薬剤の知識を持つ一般人だと言ったな」
「言ったよ」

厳かに。至極静かに問う神父に、黒のスーツに同色のコートを纏った男は、自信をもって真顔で頷いてみせた。

言峰綺礼の手には銀の刃。衛宮切嗣の手には大型の銃。
彼らを護るように敷かれた簡易的な結界の外には、一面の死霊。

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闇夜にて、鴉が鳴いた。
気絶した女性を抱えた男を先刻からじっと見ていた鴉は、バサバサと飛び立ち、暗闇より現れた神父姿の長身の男の肩にとまり―― 一片の宝石 オニキスへと姿を変えた。

不思議な現象に目を見開き、神父を凝視していた男は、神父の隣に佇む、妙に暗闇に馴染んだ男に、錆びた低い声で己の名を口にされ、がたがたと震えだした。

死神のような黒衣の男たちに犯行現場を完全に目撃されたと理解し、狼狽し錯乱し奇声を発しながら、何とも恐ろしいことに元代行者と元殺し屋とに飛び掛かろうとした男は、突如意識を失ったのか白目をむきガクンと頭をたれた。

僅かにゆらゆらとトランス状態のように揺れ続ける男に、無造作に近付こうとした言峰の腕を衛宮が強く引いたのと、男の周りに霊体が大量に現れたのは、ほぼ同時であった。

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「大概の不思議は自然現象科学薬学化学で説明がつくと抜かしていたな。さあ納得のいく解説してもらおうか」
「いやいやいやいや、僕の落ち度じゃない。これはさすがに予想できないだろ。死霊術師的な力持ちの超能力者が、薬品も併用して連続犯罪中だなんてオチは」

大病院勤務の薬剤師で、どこか気持ち悪いところがあると評判の暗い男。
事件としては残っていないが、子供の頃、他者に血が出るほどに噛み付いて怪我をさせたという過去があった。

血に対する異常な執着。
だが、日常に潜んだ吸血種でも、魔術師でも、はぐれ混血でもないとの裏付けも取れていた。
職場から持ち出していた薬品の種類から量まで掴んでいた。
非日常の匂いは確かになかった。

だというのに、まさかの超能力者。
近親婚を繰り返し、意図的に輩出する退魔の一族なども居るが、基本的には突然変異によるもの。
魔術回路持ちなどよりも、よほど稀少な特殊体質者。

「なんでそんなものに、見事にぶち当たるかなぁ」

衛宮の愚痴に、日頃の行いが悪いからだろうなどと応じた言峰は、ポンと手を打ち納得したように小さく頷いた。

「 ああ。これだけの死霊、何処から召んだのか疑問だったが、確かキャスターの工房跡が近いのだな」
「……洒落にならない苦痛と屈辱を受け、更には英霊の魔力に加工された魂」

言峰の呟きに、衛宮はハァと深い深い溜息を吐いて、がっくりと肩をおとした。

「並の霊体すっとばして、怨霊クラスに到達してるんじゃないのか」

大量殺人鬼 雨生 龍之介。
聖杯に選ばれた理由すら不明な『一般人』が、いかなる手段によってか召喚したのは、反英霊 ジル・ド・レェ。

彼らは聖杯戦争のルールなど完膚なきまでに無視し、己が目的・趣味にのみ邁進した。
生きたまま解体され、挙句死が訪れるべき状態で感覚だけ残され延命されていたという犠牲者たちが、安らかに眠れたとは思えない。

敵は怨霊レベル。そしてそれを操る稀少能力者。

それでも術者を殺していいのならば、こんな能力を暴走させるだけのド素人。彼らにとっては何ら障害にならない。
だが、世間を安心させるためには、事件は立ち消えではなく、犯人逮捕という判り易い解決策の方が望ましい。

「あーあ。ほんと、君と関わるとろくなことがない」
「私の記憶が確かならば、そもそもお前の方から持ちかけてきた契約だったと思うのだが」
「はいはいそうでした。全て僕が悪いです。申し訳ありませんでしたー」

ぶちぶちと文句を溢しながらも、解決方法を模索していたのだろう。
顔を上げた衛宮の表情は、一変していた。

「結界抜けてきたのは滅していい。但し基本は防御壁として、空気乱さないように、静かにぬりかべのごとく突っ立っててくれ」
「何をする気だ? 結界の維持を頼めるのならば、少々時間は掛かるが霊団全てを消滅させられるが」

内面がどうであれ言峰は、霊体に絶大な攻撃力を発揮する聖堂教会の腕利き代行者である。
その確かな保障に対して衛宮は、僕が死んでしまうと端的に応じる。

「あのクソ長い洗礼詠唱を塊の数だけ繰り返すんだろう? 今そんなに長い間結界張ってたら、僕が血を噴く。スプラッシュだよ」

熱感知スコープ持ってくれば良かったなどと溢しながら、言峰の背後に縮こまり、探索の術を展開していく。

「この霊団の核になってるのは、少し素質があった魔術回路持ちの子供だ。探し出してそれを起源弾で撃てば、とりあえず無害化できる」

それからゆっくり浄化させてくれと続けて、衛宮はその眼を閉じた。

近付く霊体に、手首の返しのみで黒鍵を投擲し、指示通りに殆ど動かずに居た言峰は裾を引かれ、振り返った。

「あの見た目が一際凄い子だな。中身出てて頭はあれ……潰されたのか」

他の子供たちは組み合わさった椅子やら机やら、とにかく何らかのものを模ったと思われる状態であるのに対し、その子だけは途中で失敗したのか腹部は切り開かれ、頭部があったであろう部分は無残にも弾けていた。

「大元を特定したのならば、黒鍵で縫って詠唱を仕掛けられるが」
「んー、でもこっちの方が早いよ」

ガチャリと例の凶悪な銃を、固定するかのように、言峰の肩――左耳のすぐ横にて構える。

「聴覚を遮断できるか?」
「それほど器用ではないな」

そうかと軽く頷いた衛宮は、顔色も変えずに平然と冷酷な指示をだす。

「なら我慢しろ」
「……承知した」

言峰が頷くと同時に、あっさりと引き金が引かれた。
耳元での凄まじい銃声に、聴覚が一時的に麻痺する。

核となるモノ――恨みと憎しみを湛えた、腹の中身を曝け出した年端も行かない少女であったと思われる霊体。
弾丸に本能的な防衛反応を刺激されたらしく、他の霊体で壁を築いて防ごうとしたソレは、起源弾の効果により周囲諸共呆気なく崩れていく。

「これで攻撃的な力は使えないだろうから、除霊頼むよ」

結界を解くと、それでも蠢く死霊たちはゆらゆらと『一応は』生者である衛宮と言峰に近付いてくるのだが、悪神に呪われた男には、力なき死霊の纏わりつきなどは、今更気にもならないのだろう。
未だ意識の戻らぬ犯人にツカツカと近寄り、その鳩尾に爪先を捻じ込んだ。

傘のように開かれた少年の霊をしっしと追い払いつつ、貧弱な男に常識レベルではあるが酷い暴力を振るう様子を羨ましそうに眺めていた言峰は、感情が薄い筈の白と黒の女たちが、あんなにも衛宮切嗣に尽くしていた理由を、何となくではあるが理解した。

ひとりは物扱いされてきた。もうひとりは真の意味で造られた物であった。

衛宮切嗣は物は物として、大切に丁寧に――そして何より、的確に扱う。

物として、ぞんざいな扱いを受けてきた女たちは、物のまま大事にされ、最大限に効率的に『使って』貰えたことが嬉しくて慕った。
おそらく彼女たちは、心優しき熱血漢あたりに、人間として扱われたならば、今までの境遇との落差に戸惑ってしまっただろう。

「なんだよ、非難がましい目をして。もう聴覚戻っただろ?」

男の意識を奪い、漠然とした命令すら失ってすっかり漂うだけに戻った死霊たちを観察していた衛宮は、振り返って文句をつけた。

さりげない筈の言峰の視線にすぐに気付く辺り、割と外道なことを強いた自覚があるのだろう。

「いや、大したことではない。もし私が己が本質を自覚する前にお前と会えていたならば、さぞかし上手く道具として使ってもらえたろうに――と思ってな」
「ああ、なるほどね」

確かに聖杯戦争前の言峰は、どこか拾った頃の舞弥に似ていた。
深い深い奥底に秘めた歪みにさえ勘付かなければ、真面目で自己の薄い人物だと認識してしまうだろう。――彼の師のように、父のように。

「だけど『もしも』なんてないよ」
「そうだな」

仮定なぞ虚しいだけの話だと、彼らが一番よく理解していた。

もしもまともな感性を持ち得ていたら。
逆に、あれほど高潔な聖職者の子として生まれてこなければ。
妻を子を、普通に愛せていたのなら。
今まで通り常識と良識に従って、踏みとどまっていたなら。

堕ちかけた初恋の少女をすぐに殺していれば。
父を、師であり母代わりの女性を殺さずに済んでいたのなら。
戦場で拾った少女を、己の部品になんてしなければ。
妻子を連れて逃げ出していれば。

大火災の共犯者となる前に、歩みを止められるポイントはあったはずだった。

だが彼らは、対極でありながら同類でもある、認め難い己の鏡写しの存在と、聖杯の下で対峙した。

「まあ少しばかり展開が変わっても、無理だろ。僕、君のこと怖かったし」
「は、冷酷無残な魔術師殺しが何を」

笑い飛ばそうとした言峰を、まっすぐ見つめ返して衛宮は言い募った。

「誰よりも激しい生き方ばかりを選んできたくせに、君の人生には、ただの一度も“情熱”がなかった。――そんな君の在り方が恐ろしかった」

魔術協会だけではなく教会にまで悪名を轟かせた魔術師殺しの飾りのない言葉に、言峰は表情をなくした。

誰も本当の言峰綺礼を見なかった。
普通に振舞う為に、懸命に作り上げた外側だけを見て、高く評価した。
神の家を訪れる善良なる者たちも、代行者であった頃の周囲も、神を只管に求める息子を誇る父も、真摯な弟子を信頼する師も。

彼の異形に気付いた『人間』は、この宿敵だけだった。

「お前に利己という思考はなかった。行動は実利とリスクが完全に破綻していた。師が語ったような金銭目当てのフリーランサーである筈がなかった」

言峰は戦闘狂ではない。
正義感も使命感もない。
衛宮切嗣がただの外道な強敵であったなら、執着心など抱かなかった。

「そんなお前が数年前に戦いを止めた。何を求めて何を得たのか。お前に私の求める答えがあるのだと――くだらない夢を見た」

そんなものは幻想であり、彼らはどうしようもなく違っていた。

だから貴様には最早価値などないのだと暗く呟く言峰に対して、諦めるのかい? ――と衛宮切嗣は笑って問うた。

「『あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない』――申命記だっけ」
「……申命記 31章6節だ」

衛宮が本職の神父ように朗々と読み上げた聖書の言葉に、言峰は苦々しく応じた。
よりによって、本質を自覚するまで最後の拠り所としていた一節を的確に口にされるとは。

「神様か英霊か、それとも僕じゃない誰か他の人間が――君の探し物に答えをくれるかもよ」
「……そう願いたいものだな」

呻き声がした。
忘れてたな――などと身も蓋もない衛宮の呟きに内心で同意しながら、言峰は男の近くに屈み込み状態をざっと観察する。
両者から存在を忘れられていた犯人の意識が、戻りつつある様子であった。

「随分痛めつけたのだな。出頭させるのならば、怪我があっては厄介な事になるのではないか」
「『過去』の怪我は何の問題もない。そして君の得意魔術は?」

ああ――と、納得した言峰は薄らとした笑みを浮かべて答えた。治癒だ、と。


「彼の能力『声』が媒体のようだ。セイレーンとかバンシー系」

その簡単かつ確実な封印方法は、喉を完全に潰すこと。
だが流石に今日まで普通に勤務していた人物が声を失っていたら、ただの犯人出頭で流されはしないだろう。

「だから超能力使うと――死者を操ると死者の記憶と苦しみが流れ込むという恐怖を、暗示で無意識下に刷り込もう」

霊体達の死の記憶を流し込むから、同時に適当にいたぶってくれ。
そんな指示通り、言峰はタイミングを合わせてペキパキポキと色々とやった。

「あ、出頭させる暗示分の魔力残すの忘れてた。しまった」
「何だと、暗示までも私にやらせる気か」

二人で負わせた怪我を癒していた言峰は、衛宮の間抜けた言葉に勢いよく振り返った。
霊体の大部分は、他者に苦しみを味合わせることで半ば自主的に消えたのだが、少々残ったものには、浄化が必要であり、現状でも魔力キャパシティの限界に近い。

「手はあるんだけど、嫌だなと……地獄に救いだ、この人回路持ってる」

意識がないままの女性を抱き起こした衛宮は、少しの逡巡もみせずに、唇を重ねた。
何をしているのだこの男は――という聖職者の冷たい視線にもたじろがず続けていた衛宮は、結構な時間が経過してから立ち上がり犯人に暗示を掛けた。

「魔力供給だったのか」
「……でないと、僕変態じゃないか。証拠持参させたいから、こいつの根城に寄るぞ」



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男の部屋は、またホラーやスプラッタもの業界が糾弾されそうな有様であった。
業界に配慮する義理もなく、作り物のソレらに対して、今更怯えるような経験をしてきていない黒の男たちは、各自持参していた薄い手袋をはめてズカズカと上がり込んだ。

「本能的に魔力を摂取してたのかな。これとこれなんてかなり上質だ。もらっておこう」
「……火事場泥棒かお前は」

迷わず冷蔵庫を開け、丁寧に保管されていた血液を取り出した衛宮に言峰は力なくツッコミを入れたが、何か悪いのかと真顔で返されただけであった。

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「という訳で無事に犯人と認められたようだ……尤もお前に説明など不要かもしれんがな」

報告も兼ねて、今度は手土産も携えて訪れた言峰に、衛宮は前回よりは少しマシになった茶を差し出しながら否定した。

「冬木全てに常に網を張ってる訳でもない。後で君に聞けば良いと思ってたし」

ところで手伝いと冤罪の補償として、血を寄越せと。
君から持ちかけてきた話だったよなと。

一瞬でたかる方向に持って行き、注射器を出してきた衛宮を、言峰はゴミを見るような目で睨んでみたのだが、それに怯えるような繊細な神経など持ち合わせていないようであった。

「良質な血をガメていた筈だな」
「うん。けど君の血も貰っておいてもマイナスはない」

図々しさ極まりない男の言動に、言峰は、仇敵ではなく、蚊かタガメと付き合っているのだと認識すべきかもしれないと、少量の血を吸われ続けることを諦めと共に受け入れた。

その覚悟の通り、数年に渡り、吸われ続けるのであった。