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― 外法小ネタ  女の敵 ――

「わあああッ」

上空からの慌てた声に、緋勇は、正直一瞬、いや相当、悩んだ。

逡巡の末に、かなりの加速と共に落ちてきた塊――桜井 小鈴を受け止めたが。


「うわわわッ……あ、龍斗クン。どうしてこんなとこに?」
「それは俺の台詞だ。……何をしていると、あんな上から転がり落ちてくるのだ? 真剣に危ないぞ」

男であれば、迷わず避けていた。
何しろ桜井の手には、矢を番えたままの弓まであるのだから。

「あ……ちょっと鍛錬してたら、集中しすぎちゃって……崖からごろごろと」
「崖から……ごろごろ?どう熱中していたら陥る状況なのだ」

威力はいいけど、もう少し連射性を高めたかったと、言い難そうに答えた桜井に、緋勇は考え自体は感心なことだがと、難しい顔で口を開く。

「熱心なのは良いが……。対象が俺ではなかったか?」

先程、矢が追う軌跡を眺めていた緋勇は、非常に複雑な気分となった。
確かに自分の動きを幻視した。
あれは錯覚ではないはず。桜井は、先刻確かに、緋勇を脳裏に浮かべ射っていた。

なんとなしに気になって見上げていた。だからこそ、悲鳴と共に桜井が降って来るという非常事態に対応できたのだ。

「あ……ほら、だって龍斗クン相手が、一番役に立つかなって」
「いつか……俺を射るのか?」

言いたいことは分かるが、桜井はかなり言葉が足りないと、緋勇は思った。
おそらくは技量の観点からなのだろうが、この言い方では、闘う日が訪れるからという感じを受ける。

「ち、ちがうってば。……ボクの知る中で、龍斗クンが一番強いからだよ」

慌てて説明する桜井に、緋勇は笑みを零した。

「ならば犬神を勧める。俺は針鼠になりたくはない」

怒っているのではないと分かり、落ち着いた桜井は、まだ、言うべきことを告げていないのに気付いた。
きちんと頭を下げる。

「助けてくれてありがと」
「構わん。そのうち風呂で背中でも流してくれれば……うおっ、いきなり射るか?!」

表情を消し、無言で射った桜井の矢を、どうにか避けた緋勇は、不服そうに抗議する。
無論、桜井としては、聞く耳持たず、連射したが。



「――ということがあって、結局ちゃんとお礼をしてないんだ」
「龍斗さんは、礼を言われることと謝られることが、苦手のようですから……」

呆れながらも、なんとも彼らしいと、涼浬は溜息を吐いた。
誉められるといった類に慣れていないらしく、緋勇は即座に茶化しに入る傾向があった。

「あ、お花ちゃんのお店が、改装したんだって。寄ってこうよ」
「あまり時間に余裕は……あ、こ、小鈴殿!?」



ぐいぐいと手を引かれ、強引に連れ込まれた涼浬は、落ち着かない顔で店内を見回していた。
対照的に、とてもとても慣れた様子で腰掛けた桜井から、何が好きか――と問われ、しばらく言葉に詰まる。

「好き嫌いを論ずるなど、忍失格です…………けれど、栗鹿の子は美味しいと思います」
「うんッ、ほんと栗って美味しいよねッ」

力強く頷き、それから桜井はしばし考え込んだ。
独り言のように呟く。

「……龍斗クンは、何が好物なんだろ」
「龍斗さんは、あんみつですよ」

さらりと答える涼浬を、桜井はじとーっと見詰めた。

「な、なんでしょう」
「やっぱり涼浬サン、龍斗クンと……怪しい」

桜井の言葉に、涼浬はゆっくりと首を振った。照れることもない。

なにも怪しくなどない。
誰よりも理解しているのは、彼女自身だった。

「あんな意地悪で厄介な方……私の手には、負えません」

大好きですけれど――と、微笑んだ涼浬に、桜井はごめんと頭を下げた。

からかえるような想いではないのだ。

涼浬は悟ってしまっている。
自分は緋勇に大切にされていて、でも、そういう対象ではないことを。

「あの人の心の中に、誰かが居ることは知っておりましたし、私を妹のように想って下さっているのも分かっていました。だから――平気です」

穏やかに、とても綺麗に笑える彼女に、桜井は目を伏せた。

「……もったいないね、涼浬サンみたいな素敵な人を」

桜井の小さな呟きに、涼浬は悪戯っぽく微笑んだ。

「ええ、もったいないですね。小鈴殿のような素敵な人のことも」
「え。……やっぱりそうなのかなぁ。……気付いてもいないのに、とっくに失恋してるなんて酷いよね」

自覚してさえいない。まだよく分からない。
なのに、実らないということだけは完全に決定している。

「酷いですね。あの方……きっとこれからも、無自覚なまま、女性を惑わしますよ」

軽いならいい。いい加減なら心は動かない。美辞麗句など簡単には信じない。

だが緋勇は、ぶっきらぼうなまま、真摯に優しい。
危機からも救ってくれる。

とても――――性質が悪いのだ。

共感で結ばれた彼女たちは、自棄になったように、かなりの勢いで、甘味をかっこみだした。
おしとやかという言葉からは程遠いが、そんな気分になっていた。



「お花ちゃん、あと、あんみつ『ていくあうと』でお願い」

お持ち帰り仕様にしてもらい、桜井は緋勇への礼にするんだと、勢いよく立ち上がった。

「わわわッ! 気を付けないと危ないだよ」

包みも、椀自体も、こぼれ難くしてはあるが、こぼれないわけではないのだから。

そんな花音の忠告を、桜井は龍泉寺に戻るまでに――すっかり忘れていた。


「龍斗ク〜ン、お花ちゃんのとこの新しいあんみつだよッ。さっそく……うわッ!!」
「桜ッ……ぶ」

満面の笑みで、買い物から戻ってきた桜井は、派手に躓いた。
彼女を助け、支えるのに、注意がいっていた緋勇は不幸だった。

「あ、ありが……」
「新作か……確かに美味いな」

桜井の礼の言葉は、途中で消えた。
緋勇にしては、もごもごとくぐもった声が、応じる。

当然であろう。
緋勇は、顔面に引っくり返った椀を乗せたままで話しているのだから。

「桜井、最近、俺に恨みを持ってはいまいか?」

多分先日の礼なのだろうなと察しながらも、緋勇は意地の悪いことを聞いてみた。
絶妙な平衡感覚により、乗せたまま落ちる兆候もない辺りが嫌味だった。姿勢もまた、美しかった。

「う〜」
「とりあえず、椀を取ってくれぬか?」

涼浬の気配の方を向き、緋勇は首を傾げた。
背伸びをしながら手伝ってくれた涼浬に礼を言い、緋勇はべたべたする顔からあんみつを落としていた。

拭くのを手伝ってやる涼浬を見た桜井は、下を向いて呟く。

「……本当にごめん。この前助けてもらったお礼に買ってきたんだけど、ボク……また迷惑ばかり」

流石にしょげてしまった桜井に、緋勇はからかいすぎたかと反省し、彼女の髪をくしゃくしゃと撫でる。

「ははは、気にするな。無論分かっていたのだから」

その笑顔に、桜井は無性に腹が立った。
こんなにも優しくて。こんなにも暖かくて。

けれど、彼には絶対の存在が居る。

「な、何を。……いひゃいぞ、ほほがにょびる」
「……伸びちゃえ」

緋勇の右頬を、むに〜と引っ張りながら、桜井は口を尖らせた。


「龍斗さん……何だか嬉しそうなのですが」

被虐趣味でもあるのかと、冷たい眼差しの涼浬に、緋勇は違う違うと首を振った。

少し懐かしかっただけだ――と。


「……知人がな、拗ねると、俺の頬を抓る癖があってな。よくこうやって……いひゃい、いひゃい。りょうがわはひどいふぁろ」

『知人』と言いよどんだこと。
浮かんだ――懐かしげな、優しい優しい笑み。

それらから、『知人』がただの知人などではないと、乙女たちは当然、気付いた。

優しくて――だが、こうやって現実を突きつける。

本当に性質が悪い。
ゆえに、容赦しなかった。

忍びと弓使い。双方、乙女としてはかなり力が強めなのだが、片頬ずつ、ぎゅううううっと引っ張り、睨みつけた。

「龍斗クンが悪いんだ……鈍感」
「天罰ですよ……極悪人」


八章と九章の間の話。
何気に小鈴とフラグが立ってないかという意見を頂いたので、正式に立ててから消してみました。
いやあ……龍斗さん、無自覚な分、性質悪いなあ。

龍麻だったら、全員に優しいから、逆に、期待しないのですが、龍斗さんは……。

この乙女連合、拾章が終わったら、ほのかも加わりますね、きっと。