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― 魔人 小ネタ 天邪鬼 ――

「人の部屋で煙草吸うなよ。身体に悪いだろ」

村雨は己の耳を疑った。耳が拗ねて鼻になるのではないかと思う程に、強く強く疑った。
どの面下げてそんな言葉を口にできるのだろうか。

「おまけに煙草くさくなる」

彼は平然と続ける。
ぷはーと煙を吐き、自身は煙草を咥えながら。

「先生……何食って生きてると、そこまでてめェのことを棚に上げられるんだ? それは何だよ」
「シガレットチョコだ」
「煙が出るシガレットチョコはねェよ」

確かにここは緋勇龍麻の部屋なのだから、本来煙草を吸うなと言われたら、従うべきであろう。
だが、相手も吸っている場合は、普通は許される気がした。

「真面目な話、俺のは1ミリタールだ。お前の一本で、俺の約一箱。文句も言いたくなる」

濃さの話をされると、確かにぐうの音も出なかった。

大体、一時帰国は良いけど、何で浜離宮に帰らないんだよと続いた非難には、肩を竦めてみせる。

「女関係をある程度清算するまで入ってくんなって、御門に言われたんだよ」
「爛れた性生活を送ってるなら、女の部屋に泊まればいいだろ?」

真顔で首を傾げる相手に、少々情けない説明をする。

「今メインの女はちょっとな。この前、旦那に殴りこまれた」
「眠らせろ。術でも永眠でも。……御門はともかく、かおるんに会わなくても良いのか?」

色々知っている相手は、軽口に乗りつつも、本題を切り出した。
一瞬言葉に詰まってから、村雨は渋々と答える。

「……かおるん言うんじゃねェ。まだ……足りねェんだよ」

金ならば、腐るほどに手にしてきたというのに。
ラスベガスで強運を最大に発揮した村雨は、ひと財産築いて、帰国した。

それでも、浜離宮には近寄ることはなく、如月だの緋勇だの、一人暮らしの知人やら、女性宅を渡り歩いて、『家』には近づかなかった。

「正直ちょっと分かるけどな。自分の汚れた手で、好きな娘抱きたくないってのは」

俺もそう思ってたからと苦笑する青年を、村雨は疑わしげに眺めた。
なら、あの、いちゃいちゃバカップルぶりは、何なんだとしか言えない。

「心の隙を突かれたんだよ」

少しだが、確かにばつが悪そうに呟く。

それは真実だった。真剣に好きだから、手を出さないんじゃないかと、緋勇龍麻は、昔は思っていたのだ。
それでも、酷く傷ついた心を抱え、ひとり耐えていた緋勇にとって、探しにきてくれた美里葵は、いとしすぎた。

本気なのだと察し、村雨はつられたように、本心を口にした。

「完璧になんなくちゃ、自分も、それに周りの連中も許さない気がしちまってな」
「兄貴なんか手ごわいもんな」

ははは頑張れーなどと笑う相手を、村雨は呆れた目で睨む。
確かに、あの最強の陰陽師たる『兄貴』は手ごわい。だが、手強いなんて言葉を超越した、更に極悪な兄貴は誰なのだろう。

最近の成長した恋人ならば、ロリとの罵詈雑言を喰らうほどではなくなったのに、彼女の『兄』と『姉』の目が怖くて、未だに手を出せていないと嘆いていたのは、彼ら共通の友人であった。

「……如月がぼやいてたぜ」
「当たり前だろ? マリィはまだ中三だぞ?」

中三なんてまだ子供じゃないかと言わんばかりの、とてもとても真面目な顔、少し怒った口調。
村雨は呆れ顔で訊ねる。

「先生、『初めて』は何時だよ?」
「え〜、そんな幼稚園で済ませてそうな村雨先生には、恥ずかしくて言えないですよ」

幼稚園じゃ生き物として無理だと思った。

「いくらなんでも、できるわけねェだろ。俺は中一だ」
「ほら。俺、中二だ。お前よりマシ。兄貴の彼女に襲われた不可抗力だったし」

彼は、肩を竦めたあと、完璧になったら、準備が整ったなら、ちゃんと彼女を迎えに行くんだな――と、確認を取るかのように訊ねた。

「ああ……なあ、先生、何でこんな色々聞くんだよ。まさか御門や……薫が覗いてたりすんじゃねェだろうな」

不意に不安になったのか、口ごもった村雨に、彼はゆっくりと微笑みかける。

「いいえ、晴明さまや秋月さまが覗いているわけではありません」

口調が変わっていた。猫を被った時とも、怒ったときとも違う口調。
まるで別人のもの。

そして、友人を様呼びする存在には心当たりがあった。

「私が式神黄龍で、晴明さまに、全て直結しているだけです」

掴みかかる暇もなく。
符に座標を設定し、空間の跳躍が可能な式神は、姿を消した。

どろんという擬音通りに、煙となって消えた相手を、村雨は呆けて見ていた。
その背に、声が掛けられる。

「終わったんか?」
「せ……先生!? いつからそこに……いや、どうなってんだよ!?」

今まで誰も居なかったベッドに寝転びながら本を読んでいるのは、確かにこの部屋の主。
彼は手にしていた符を――隠行符を畳んで、大きく伸びをする。

「お前出迎えたのが、既に黄龍だ。御門から、黄龍がお前騙す間、邪魔しないでくれって頼まれた」

立ち上がり、近付いてきた緋勇は、黄龍が吸っていた箱から一本取り出し、火をつけながら笑った。

「しかし、黄龍、演技巧いよなあ。眺めてて感心したよ」

確かに必要だからと、いくつか過去の出来事について前もって質問されたのだが、葵のことを思い出したかのように、照れくさそうに笑む様は、凄いと、素直に思った。
ついでに、自分は煙草を吸いながら、他者の喫煙を責めるという行動は、とてもとても自分らしいと思った。

なんというか、至れり尽せりで、完璧な演技だった。

だからこそ村雨でさえ騙された。

「御門の野郎……薫に言う気か?」
「言うわけないだろ」

歯軋りの混じった呟きに、緋勇は肩を竦める。
自分などより、村雨の方が、遥かに御門の素直な捻くれ具合を知っているだろうに、何を言っているのかと思った。

「かおるんは普通にお前を待ってるんだろ。御門の場合は、信じてはいるんだろうが、言葉がなきゃ不安だったんだろ?」

御門の方が乙女なんだなと笑う相手に、苦笑しか出てこなかった。
『信じてる――だけど、あなたの言葉が欲しい』それは確かに少女漫画の世界だった。


「おや、お帰りなさい。村雨。一体いつから帰国していたのですか?」


白々しい言葉。

下々の者を眺める全盛期の藤原氏の如く。
思い切り見下した微笑みで、御門が出迎えた。

なんというか、眉間に拳叩き込んでやりたい気持ちで一杯の村雨だったが、きっとそれは近くに控えた――なんでだか、執事の服を纏った、茶髪の長髪の式神が許さぬだろう。

「お帰りなさいませ、村雨様。お久しぶりで」
「……ああ、久しぶりだよなあ? 十時間ぶりくらいか?」

なんのことやらと微笑む式神は、凶悪顔の睨みなど気にしないようであった。

「ちきしょう、てめェ、モデルの影響受けすぎだ……」

ぼやきにも答えることなく、式神はてきぱきと招き入れた。

「祇孔!! 帰ってたんですか?」

松葉杖を離しそうになりよろめいた栗色の髪の少女に、村雨は慌てて駆け寄った。
支えて気付く。髪は少し伸び、華奢な少年のようだった身体は、少し丸みを帯びた。

あれから二年。

彼女は、段々と女性らしくなっていた。

にやにやと、物珍しそうに眺める友人と式神には腹が立ったが――薫を抱き上げ、村雨は告げた。

「ああ。帰ったぜ」


恋愛とするにはちょっと未満すぎるので、小ネタに書いてみました。

村雨さんは、女には手を出しまくった上で、薫には純情でいてもらいたいのです。
ちなみに、あんまり耳を疑ったので、拗ねて鼻になっちゃったというのは、熊のプー太郎のネタです。懐かしい。

騙しがある場合は、地の文に気をつけなきゃならないので、
(前半の黄龍に対して、『緋勇は』とか地の文で書いてはいけない)
短い話なのに、割と面倒でした。