「ほらよ、あつあつのカレーパンだ」
「本当に熱ーー!!何しやがった!!」
珍しいことに、皆守が大声を出した。
その事実に、笑みを浮かべて、お騒がせ転校生――葉佩 九龍は胸を張った。
「マミーズで限界まで熱くしたパンを最速のダッシュで持ってきて、一瞬で呼吸を整えて、泣きそうに熱いのを我慢して、何食わぬ顔で渡しただけだ!!」
「馬鹿かお前は!!」
あまりの騒がしさに、部屋の主が顔を出し、億劫そうに呟いた。
「……君たち、保健室で騒ぐなら、出て行きたまえ」
保健室で優雅にさぼっている野郎から、真面目に授業に参加している自分に、パシリを命じるメールが届いた。
それゆえに、葉佩は能力と人脈を駆使して、嫌がらせの為だけに、あつあつ過ぎるカレーパンを運んできたのだという。
いやあ、熱かったです――と照れる葉佩に茶を差し出してやりつつ、保健医は凄まじく気になっていたことを訊ねた。
「それよりも聞かせて欲しい。君は……何を背負ってるんだ?」
ん? と首を傾げてから、葉佩は平然と応じる。
「遮光器土偶ですよ?」
「……この上なく真顔で、何で当たり前のことを聞くんだろうってニュアンスで答えるなよ。どうしたんだ」
いくら不可思議な遺跡といえども、土偶のぬいぐるみまでは眠っていないだろう。
こんなもん、何処で手に入れたのだろうと、皆守は純粋に不思議に思った。
「リカちゃんに、女神の真珠のお礼に貰った。……今夜から抱いて寝るから」
女神の真珠――それは、確か取手と皆守と葉佩で遺跡を探検した際に、復活していた『ボス』をボコしていたら手に入れた、大ぶりの真珠の名前だったはず。
表情から察するに、さしもの葉佩も複雑なのだろう。
超一級の芸術品の礼として、よく分からないぬいぐるみを貰ったことは。
「あの馬鹿でかい真珠か……三倍返しの逆だな」
たしかこんぐらいあったよな――と示した皆守の手振りに、保健医は目を丸くした。
「三分の一で済むのか? 百分の一以下な気が……葉佩、君、何故そんな真珠を持っていたんだ?」
「あ、俺、親がアラブの石油王なんで貰ったんですよ。これがパパです、ママは第八夫人で」
どうみてもアラビアンな男性と、喪服の東洋系の女性――依頼人たちの写真を見せ、誤魔化す葉佩を眺めながら、皆守は考えていた。
ものを貰ったら、礼をするべきなのだろうか――と。
「さっきのカレーパンの礼に、これをやるよ」
放課後に、皆守の部屋へ寄らされた葉佩は、首を真横になるほどに傾げた。
それほどに不思議だった。
なぜカレーパンの礼が、コレになるのか。
そもそもコレをどうしろというのか。
「……これは何かね?」
「消しゴムにでも見えたか? 見てのとおりカレー鍋だ」
やたらと本格的。
大きさといい深さといい、一家族どころか小規模程度なら店でも使えそうな、業務用に近いものだった。
「てっきり文鎮だと。机の上に置いて、メモでも下に敷こうかと思った」
自室に戻った葉佩は、あちこちからギッてきたらしき金属片だの木炭だのを袖口から落として、とりまとめていた。
なんとなくついてきた皆守は、こいつは宝探し屋などではなく、実は、ただの腕の良いスリなのではないかと疑念を抱いた。
ついでに言うならば、薬品瓶まで、袖口に収納するのはどうかと思った。
律儀にメモの上に置かれたカレー鍋に触れながら、皆守は四次元ポケットを持っているかもしれないスリもどきに対し、話し掛ける。
「これは文鎮以外の用途で、ちゃんと使えよ。カレーなら味見してやる」
「具材は、遺跡で拾った桜肉と牡丹肉と根菜でいいか?」
あと蝙蝠の羽とか蛇の肝とかが隠し味――などと続ける級友を、皆守は絶対零度の目で睨む。
「実行したら、俺は敵わぬとも一太刀でも浴びせようと、本気で闘いを挑むぞ」
「うわ、強そッ。絶対、化人なんかより怖い」
大袈裟に身震いした葉佩は、今度は土偶を手にとり、あちこち移動させながら首を捻った。
「……けどさ、ルーがないだろ。お前の秘蔵ボックスは、高級店のレトルトばっかだし」
「……既にチェック済みか。作りゃ良いだろうが。ガラムマサラから」
「それこそ、学園にないだろ。……マスターに取り寄せ頼んでみるか」
「やっぱ……ここかな」
「それで……いいんじゃないか」
試行錯誤しまくり、それでも当然だが、どこともマッチするはずもなく。
葉佩は色々と諦めた顔で、土偶のぬいぐるみを、ベッドの上、枕の傍に無造作に置いた。
どよ〜んと沈んでいた葉佩が、不意に顔を上げて、少しばかり引きつっているものの普段の表情に戻した。
不審そうに眺める皆守が、事情を聞く前に、コンコンと可愛らしいノックの音が響く。
「大切なものを忘れてましたの」
沈みの原因が、止めを刺しに来たようだった。
大切そうにベッドの上に置かれたぬいぐるみに、顔を輝かせ、嬉しそうに駆け寄って、ポケットからなにかを取り出す。
「ちょっと待ってて下さいね」
フワフワのやたらとレーシーな黒のリボンを、リカは手馴れた様子で、土偶の首に結んだ。
ピンクとかじゃなくて、黒のレースってあたりが、ゴスロリだよなァと皆守は感心し、葉佩は目の焦点を合わせないようにして、その一角を見ないようにしていた。
己の部屋に、大きなリボンをした土偶のぬいぐるみという、どこから突っ込んだらいいのか分からない物体が存在することを認めたくないのだろう。
「ほら、この方がずっと、可愛いでしょう?」
ソウダネと頷く葉佩の笑みは、穏やかで優しくて――虚ろだった。
こんなときでも女には優しいんだなと感心しつつ、皆守は少しだけ葉佩に同情した。
彼の精神構造上、リカを悲しませるような行動はとれない。
たとえどれほどに、己では納得がいかなくても。
リカが部屋を出てから、痛いほどの沈黙が訪れた。
黒いリボンを首に結んだ土偶を、じ〜っと、じ〜っと凝視する葉佩を、ちらちらと横目で見ながら、皆守は自室に戻るタイミングを計っていた。
「さァて、今日は宿題があるから、そろそろ戻らなくちゃな」
皆守のわざとらしい言葉に、葉佩がゆっくりと振り向いた。
殺気でも込められた目で睨まれるかと身構えた皆守だったが、すぐに脱力した。
殺気どころか――捨てられた子犬のような潤んだ目をしていた。
「……普段はしまっておいて、彼女が来たときだけ急いで出すのはどうだろう」
相談の声も、哀しそうだった。
なんというか――後ろに、俯いた柴の子犬を背負っていた。
「センスの悪いもんを姑から貰っちまった嫁か、お前は」
葉佩の気分としては、正にその通りだった。
送り主の訪れる頻度を考えると、旦那の上司の奥様から、要らんものを貰った社宅妻の方が近いかもしれない。
不意に訪れる皆を上手く捌き、隠したり出したりできるかシミュレーションしていた葉佩は、ゆっくりと深い溜息を吐いた。
そこに込められていたものは――絶望に近いほどの諦めだった。
もういいや――と、彼は虚ろな目で呟く。
「きっとこれからも、こうなんだ。皆さんの独創的な感性のままのモノを貰ったりするんだ。いいよ、統一性とかシンプルとかおっしゃれ〜感は諦める」
後に、彼は初期の段階で諦めた自分の先見性を、誉めてやりたい気持ちでいっぱいになった。
特撮モノのポスターやら、ファラオの胸像やらを貰うにつれて、遠い目をして、せめてもの美しい配置を考えながら、心から思った。
早めに諦めて、喰らうダメージを最小限に食い止めた自分、偉い――と。
学園で新たに囁かれた不思議。
夜毎に消える備品。
各種様々な物を、生徒会室や自宅から盗まれ、青筋を立てまくった生徒会長は知る由もなかったが―――――すべての起点は、このぬいぐるみだったりする。
常識があれば考えないであろう武者鎧までをも持ち去ったのは、葉佩が土偶によって、自棄になったことを発端とするのだから。
最終的な芸術部屋は、一応、葉佩としては不本意だったという話。
色々と諦めないと、あの部屋には住めないと思うので。
鎧だって盗まないよなあ。
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