「あ……ちょっと、どこ行くの?! 九龍クンッ!!」
友人の言葉に耳を塞ぎ、走り出した。
けれど、すぐに立ち止る。立ち竦む。
行く当てもない。解決策など思いつかない。
どうしよう、どうしよう。
どうしてこんなことになったんだろう。
考えがまとまらない。どうすればいいかなんて思いつかない。
混乱の余り、傍から見れば呆然と立ち尽くしていた『彼女』に、落ち着いた声が掛けられる。
「廊下の中央で、何をしている? ……転校生」
振り返れば、生徒会長と、目線が完璧に合った。長身の彼と、まるで同じ高さにあるという事実に、焦りが助長される。
「あ、私は……その、えっと」
長身の男が、困惑した弱々しい表情で、口元に両手をやって口篭もる。
怪訝そうに――気味悪そうに眺めていた生徒会長は、しばらく時間が経過してから頷き、目を細めた。
「お前は……図書委員か。中身はどうした」
「わ、分かるんですか!?」
それが生徒会長の力。
遺伝子を情報として視ることが可能な彼には、目の前の相手の、精神と身体の遺伝子に差異があることが見て取れた。
重々しく頷いた男に――分かってくれた男に、図書委員――七瀬は、少しずつ事情を語った。
「……非常識極まりないな。しばらく根城に戻っていたらどうだ?」
生徒会長は額を軽く押さえながら、提案した。
無茶な事態に、頭が比喩でなく痛かった。転校生の墓への侵入が進むにつれ、非日常が日常を侵しだすのは必然ではあるのだが――どうやって信じろというのだ。『ぶつかって入れ代わった』などという話を。
「鍵は私が常に携帯してますから……『私の制服』のポケットに入っています」
七瀬の語尾は消え入りそうに小さかった。
目は既に赤い。泣き出す寸前の兆候に、生徒会長は焦った。
長身のふたりが対峙し、しかも彼らは転校生と生徒会長。
衆目を集めまくったこの状況で、片方に泣き出されては、残る方の立場がない。
根は人の良い彼には見捨てることもできず、ついてくるように告げて歩き出した。
学園の実質的な支配者である彼は、幸い、マスターキーを持っていた。
悄然と俯いている図書室の主を振り返り、訊ねる。
「鍵は内側から掛けられたな?」
「はい」
こくんと素直に頷く、長身の青年に、流石の生徒会長も、苦笑とも微笑ともつかない笑みを漏らした。
「あ……うぅ」
学園の恐怖の象徴たる生徒会長が、笑うと存外優しい印象になると、七瀬は初めて知った。
今は独りではなく、傍に――意外にも――優しい人物が居る。
ひとまずは安全な根城に戻れた。
いくつかのプラス材料があったからこそ、感情が堰を切ったのだろう。
最早現在の姿に躊躇うこともなく、不安と恐怖と安堵と――理由の分からない想いにより、『彼女』は声を上げて泣き出した。
軽く抱きしめてやるのが正しい慰め方なのかもしれないが、流石に自分とほぼ同じ身長の『男』の姿に、それをしてやる気にはなれず、生徒会長は、『転校生』の姿をした図書委員が落ち着くのを待っていた。
嗚咽が段々と収まり、ほろほろと流れていた涙も止まったのを確認して、生徒会長は小さく溜息を吐いてから、助言らしきものを与える。
「話に聞く『転校生』ならば、そのうちに事態を理解し、図書室に思い当たるだろう。それまでは、此処に居るのだな」
戦闘能力と探索能力に限らない。
状況判断力こそが、彼の本当の武器。
「あの……私はどうしたら」
先程まですすり泣いていた為に、目じりに涙を滲ませたまま、長身の転校生は、疲れた声で呟いた。
「お前が気に病むことはないだろう。……きっとすぐに戻れる」
生徒会長は安心させるように言った。
元に戻れる――それは、最強の執行委員の敗北を意味すると知りながらも、確信して。
「あ……ありがとうございます」
おずおずと微笑んで頭を下げた相手に、頷いてつられたように笑み返してから、傍目から――人気の無い図書室で、笑い合う男ふたりという、客観的な光景の凄まじさに思い当たり、生徒会長は足早に、図書室を後にした。
図書委員の狼狽振りを思い出して、本当に平気なのだろうかとつい心配になってしまい、ちらちらと振り返っていた生徒会長は、凄まじい速度で走ってくる女子生徒に気付いた。
眼鏡を掛けた――記憶と、先程の『中身』の反応によれば、相当大人しいはずの『彼女』が、階段最上段を、強く蹴り、トンと軽い音を立てて、踊り場に着地する。
「おや失礼、生徒会長」
くすりと笑いかけただけで、またもや踊り場から一気に飛び降り、先へ進もうとする背中に、生徒会長は、思わず声を掛けていた。
「……『図書委員』」
苦渋に満ちた声音に、ハイスピードで走っていた『彼女』も足を止めた。
「さっさと行ってやるべきであろうから、廊下や階段を走ったことは不問にする。だが……元も人物の人格も考えてやれ」
二〜三段抜かし所ではない跳躍は、当然のようにかなりの勢いを生じる。
要は――ぴらりと、青と白のストライプの下着が、はっきりと見えた。
今現在の人物はともかく、本来の彼女であれば、赤面では済まないであろうに。
「いえっさー」
にっと不敵に笑い、敬礼した『彼女』は勢いを増して走り出した。
生徒会長としては、あまりに間違っているけれども、今回に限り心底、祈った。
転校生の勝利を――事件の早期解決を。
あれほどに中と外に差があれば、違和感を覚える者もいるだろう。異変を察知されることは、避けねばならない。
まあ、そういった理屈だけではなかった。
控えめで大人しい七瀬が、転校生の凄まじい行動原理に巻き込まれ、被害を受ける前に。
アモちー良い人説強化週間。
生徒を巻き込むのを、極力望まなさそうなので。
ま、彼の祈りは空しく、七瀬は、厄介な人物に惚れられるのですが。
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