「皆守クンも一緒に図書室に行こうよッ」
「はぁ? 何で俺が」
学校にて。
声高に取手の事件概要を語っていた八千穂に、持ち前の心配性にて忠告しにきた皆守は、反撃を喰らった。
勿論、彼女に悪意などないのだろうが、危うきに近寄りたくもない皆守を、更に巻き込むように、いっしょに図書館に行って、色々と七瀬に聞こうなどと、明るく誘う。
これ以上、厄介ごとに巻き込むなという皆守の抗議も聞こえないのか聞く気もないのか、とにかくひとり先に進んだ彼女は、大声で名を連呼する。
「葉佩クン、皆守クン、早く早く〜ッ!! ねェ、葉佩クン、皆守クン、まだ〜ッ?」
何事かと、生徒たち皆が振り返る環境で、葉佩は笑いながら肩を竦めた。
「諦めることを勧める」
「……確かにこのままだと、学園中に俺たちの名前が無駄に広まるな」
大袈裟ではなかった。
体育会系特有の、よく通る大声で、何度も何度も呼ばれているのだ。
いらん注目を浴びることに耐え切れず、皆守は結局折れた。
「黒い砂……ですか?」
「そうなのッ、取手クン――――は関係なくて、えっと、そのー……」
七瀬に聞こうという方針を立てたは良いが、質問内容の整理・検討などは一切行っていなかったらしい。
何で俺が――と、喉元まで出かかりながらも、結局皆守が口を開く。
「人体に異常な影響を及ぼす黒い砂状の物について、何か聞いたことはないか?」
カビ、または蹉跌、呪術的なものを含めれば範囲は広がるという七瀬のなが〜〜い説明を眠そうに聞いていた皆守は、さて教室に戻ろうというときにひとりだけ違う方向を向いていた。
「皆守クン……まさかサボるつもり〜?」
「七瀬のウンチク話のおかげで俺の脳にはそろそろ休息が必要なんだよ」
言い争うふたりは、同時にくるりと葉佩の方へ向き直った。
どちらの味方だ? と言わんばかりの圧力付きの眼差しに、二股でも掛けているような気分にさせられる。
「解決策として、いっしょに……」
皆守の制服の裾を掴んだ葉佩の行動に、八千穂は眉を吊り上げ、皆守は笑みを見せた。
だが、続いた言葉は、彼らの予想と違っていた。
「授業に出よう」
八千穂と授業に出る――ではなく、皆守とサボる――でもなく。
「……お前もしつこい奴だな。大体俺が授業に出ようと出まいと、関係ないだろうが」
しっかりと後をついてきた葉佩を、皆守は邪険に睨みつけた。
だが、欠片も堪えないらしく、彼はにこにこしたまま応じる。
「ああ、関係ない。けど、学校は、行けるうちに行っといた方が良い」
「……年寄りみたいなこと言いやがって。……そういやお前、今何歳だ?」
この男の経歴のどこまでが真か。高校生である保証などないのではないか。
「いや〜ん、ジェントルマンの年を聞くなんて」
「誤魔化すな」
ぐいっと襟首を掴んで問う皆守から、にゅるんという擬音がしそうな動きで、葉佩は逃げ出した。
「はっはっは、ひみつ〜。スリーサイズもナイショだぞ〜〜〜」
「……それは聞いてない」
サイドステップだというのに凄まじい速度で遠ざかっていく葉佩に億劫そうに返しながら、皆守は本当に何歳なんだと首を傾げた。
東洋系は幼く見えると、よく聞くのだし、それ以前に、彼は本当に日本人なのだろうか。
全てが偽りであっても不思議ではないのだ。名前も経歴も年齢も国籍も――笑顔も。
「ぶッ、なんだよ。危ないだろうが」
とっくに先へ進んだと思っていた葉佩が、曲がり角で、何だか首を傾げ佇んでいた。
危うくぶつかりそうになった皆守は、持ち前の反射神経で、どうにか避けつつ、抗議の声を上げる。
なんか落ちてたと、掌を見せる葉佩に、皆守は答えた。
「美術室の鍵か……。多分、白岐のだな」
「白……ああ、ラプンツェル」
ポンと手を打った葉佩の言葉に、今度は皆守が首を傾げたが、しばし後に、高い塔に閉じ込められた髪長姫の名前を思い出し、納得はできた。
普通に名前で覚えた方がずっと楽だろうにとは思ったが。
「お届け物で〜す」
「白岐にそのノリは辛いんじゃないか?」
闖入者たちを訝しげに見詰めていた白岐は、葉佩から手渡された物に、驚いた表情をわずかに見せる。
どうしてわざわざ届けに――という彼女の問いに、葉佩は落し物は持ち主に――と笑顔で答えた。
「夜な夜な備品を漁ってる、こそ泥の台詞じゃないな」
「お黙れ、ねぐせ」
言い合う同級生たちを黙って見つめていた白岐は、少し――本当に少しだけだが微笑んで、届けてくれてありがとうと言った。
「それはあなたに預けるわ。好きに使えばいい」
「おい、後悔しないのか? 部室から、何が消えるか分からないぞ。筆記用具とかじゃない。イーゼルとかも消えかねないんだ。胸像だってやばい」
「キミは人をなんだと思ってるのカネ? ……胸像なんて面白みの無いもんはいらん」
今度こそ、白岐は、くすりと笑った。
失礼なことに、皆守は驚愕の表情を見せたりしたが、ちょうど会話を断ち切るように、始業の鐘が鳴り響く。
「何かもう屋上まで登るのも面倒になってきたな。どうせ寝るなら教室でも同じ……か」
先に美術室を出て行った白岐の背を眺めながら、皆守は、自分を納得させるように呟く。
屋上の方が、格段に快適なのだが、何だか諦めの境地に達していた。
さっきは付き合って授業に出てやったのだから、今度はサボりに付き合え。
午後イチに、皆守が口にしたのは、そんな誘いであった。
八千穂あたりが聞いたら、怒りでオーラでも纏えそうな皆守の理屈になっていない理屈に、葉佩は仕方ないなあと口では渋りながらも、即座に歩き出した。
サボり先がマミーズというのが気に入ったのだろう。
「何名様ですか?」
「ひとりです。独りきりの食事は寂しいので、美人のウェイトレスさんが席に着いてくれたら嬉しいです」
儚げに寂しそうにそっと微笑む葉佩には、突っ込む暇もなかった。
舞草はかなりのお気に入りなのか、攻勢に出るのが早すぎる。
「えっと、ここはそういうサービスは……って、あの……おひとりって……お隣にいる方は赤の他人さんですか?」
「赤の他人です。だから席に、いやむしろ膝の上でも……イテててて。おい、知らない人、痛い」
抗議は当然のようにシカトし、葉佩の耳をぎゅううっと引っ張ったまま、皆守は呆れの視線をウェイトレスの方へ遣る。
「見れば分かるだろ」
「え〜、でも〜。一応、マニュアルなんで」
不服そうに口を尖らす舞草に、ふたりだと告げてから、皆守は葉佩を引き摺って席へついた。
「この辺りがオススメだな」
「……ちょっと待て、選択肢の根本から欠陥があるような気がするんだが」
どこがだ――と真顔で首を傾げる皆守に、葉佩はアツアツのカレーを頭からかけてやろうかと思った。
オススメだと彼が指したページにあるのは、カレー三昧。
カレーライス、カツカレー、カレーラーメン、カレー定食。
なおかつぎゅっとメニューを押さえ、ページを捲らせる気はないらしい。
「…………カレーライス」
やっぱりデフォルトだよな。
さてはお前もカレー通だろ。
嬉しそうに長々と語りだした皆守に、やはり頭にカレーをかけるべきかと葉佩は真剣に検討した。
その上で、これがホントのカレーそばだと高笑いしたくなったのだが、この相手には洒落にならないような気がした。カレーを粗末にすることは、他のどのようなことよりも、真剣な喧嘩の元になるような予感がする。
命を賭けて、カレーを議題に喧嘩するよりも重要なことに、葉佩は意識を向けた。
隣のテーブルから聞こえてきた、とても物騒な話題。
好奇心からか、墓に興味を持っているらしき男子生徒たちの会話であった。
同じく気付いたらしく、途端に渋い顔となった皆守に、小声で問う。
「執行委員――この前の手長くんの時も聞いた単語だな、結局、詳しく説明してもらってない」
「お前が聞かなかったんだろ。執行委員ってのは、生徒会所属の手先みたいなもんだ。一般生徒の中に紛れ込み監視し、いざとなれば処罰するという訳さ。あと、手長はあんまりだろ……なァ、あいつの名字言ってみろ」
そういや、こいつに名で呼ばれた記憶がないと気付き、皆守の視線は鋭くなった。
もしや――ふざけているのではなく、純粋に名前を覚えてないだけなのではないか。
「細かいこと気にしてばかりいると、髪が捻じ曲がるぞ」
「……生まれつきなんだよ、こんちくしょう。おい、俺の名を言ってみろ」
「やだなあ、そんなどっかの世紀末の人みたいなこと言って」
はははと笑いながら、逃げ出そうとする葉佩に、皆守はかなり険しい顔で立ち上がった。
だが、さらなる糾弾の前に、騒ぎが起こった。
墓に入ってみようと興奮気味に話していた生徒たちの側に、ちょこんと置かれた可愛らしい箱。
意味ありげに彼らを見て笑っていたゴスロリの少女に、良く似合うようなラッピング。
忘れ物じゃないかと言われ、何でしょうかと手に取った舞草が、すぐに取り落とし叫んだ。
「は……はこはここの箱ッ、何かものすごく熱いんですけどッ!! 煙とか出ちゃって、これこれ、まさか……ばくばく爆弾――ッ!?」
店内の客も、彼女の慌てぶりと、確かに煙を発している箱とに、途端にパニックに陥る。
「奈々子さんッ」
こうも一気に気分を切り替えられるのだなと、皆守は極限に近い状況の中で、葉佩の順応性に感心した。
すっかり遺跡に在るときと同じ顔になった葉佩は、舞草を抱き寄せ、皆守の頭を押さえて屈ませ、そして手近の生徒たちの足を払い―――伏せさせた。
「これはいけませんね」
緊迫した場面には、場違いなほど穏やかな声。
なのに、葉佩は背筋が冷えるのを感じた。
経験が悟らせる。
『彼』はまともな腕ではないと。
初老というより、既に老人の域であろう人物が、風のように動き、不審物を窓の外へ投げ捨てる。
自身はきちんと身を低くして。
窓の外で起きた小爆発に、葉佩は微かに目を細めた。
それほどの殺傷能力ではない。だが、あのまま生徒たちの傍にあったならば、鼓膜程度は破れる。――悪戯ではすまされない。
「さて、みなさん、大丈夫ですかな?」
バーのマスターで、昼はよくこの食堂を手伝っている。
そんな紹介を頷いて聞きながら、葉佩は内心では呆れていた。
爆弾をあれほど的確に処理し、その危険性まで正確に分析できているからには、そもそも隠す気さえも無いのだろうが、彼は醸し出す雰囲気から、只者ではなさすぎた。
全身で、腕利きですと主張していた。
葉佩を『例の』転校生と知り、老人は、若造相手に、丁寧に名乗った。
「私は学園内のバー・九龍の店主で、千貫 厳十郎と申します」
もしかして彼が監視者なのかなと思案する葉佩を邪魔するかのように、今度は全く違うトーンの老人の声が響いた。
「これは何とした事じゃああァッ!!」
あまりにタイプが違いすぎるせいか。
騒ぎを聞きつけてきた校務員とマスターは仲が悪いらしく、互いにちくちくと言い合っていた。
「で……わしの仕事を増やしたのは、どこのどいつじゃ!?」
ギロリと周囲を睨む老人に、人を売るようで言いにくいんですがと、神妙な声で前置きして、葉佩は顔を伏せた。
幾度か悩むような素振りを見せた後、ちらちらと皆守に視線を遣りながら、告げ口をする。
「そこのカレーレンジャーが、今日のカレーが辛すぎると叫んで暴れだしました」
「おいコラ」
カレーレンジャーと呼ぶなとか。
それじゃあ、ただの馬鹿だろとか。
暴れただけで、こんなに出来るかとか。
皆守がツッコミどころを突く前に、校務員の老人は、鼻で笑った。
「ほう、ならば納得――――と言ってやりたいところが……甘いのう、小僧」
「な、何を。一体どこに矛盾があるというんです?」
僅かに狼狽しながらも、毅然と言い返す葉佩に、矛盾だらけだボケと突っ込もうかと思った皆守だが、なんだか面倒くさくなってきたので、黙っていた。
ふっふっふと、勝ち誇った笑みで、境は散らばった皿をビシッと指した。
「そやつはカレーを粗末にしないからこそカレーレンジャーなのじゃ。それが、『あいでんてぃてぃ』。甘かろうが辛かろうが不味かろうが――憤り、周囲を破壊することはあっても、カレーはこぼさんわい」
「し、しまったぁあああ」
引っくり返ったカレーを見た葉佩は、悔しげに叫んだ。
「……そろそろ突っ込んでも良いか?」
放っておくと、いつまでも続けられそうな茶番劇に、皆守は疲れた顔で間に入った。
あ〜、はいはいと頷いた葉佩は、普通に戻る。
「何故だか爆発物がありましてね、マスターのおかげで、皆、無事だったんですけど」
事情はいいから、片付けを手伝えという境の言葉に、皆守は風よりも早く消えた。
あ、この野郎と顔に書き、じゃあ聞くなよと思いながらも、葉佩は境より手渡された掃除道具を持ち、深々と溜息を吐く。
「え〜、なんか貰えます? 奈々子さんの着替え写真とか」
「そんなレアものを持っとったら、人にやらんわい。さっさとせんかい」
ぶぅぶぅと文句を言いながらも、葉佩はとりあえず言われた通り掃除をこなした。
褒美だと、境から貰ったやたらと使い込まれたモップの処遇を考えつつ歩いていた葉佩は、律儀に待っていてくれたらしき人影に向かい、ぶすっとした顔でぶーたれた。
「薄情ー、人でなしー、鬼ー、悪魔ー、天然パーマー」
「最後のはお前の中では悪口なんだな? つまり俺にピンポイントで喧嘩を売ってるんだな?」
ソンナコトナイデスヨと棒読みで首を振る葉佩を睨んでから、悪いと思ったから待っててやったんだろと、皆守はあまり謝っていない声音で謝った。
「ありがとう。俺は感激した。お礼にこのモップを……」
「いらん」
差し出されたモップを冷たく払いのけ、先を歩き出した皆守は顔を僅かに顰めた。
職員室から、聞き覚えのある声が洩れている。
好奇心旺盛な転校生は、止める間もなく、既にぴったりと扉に張り付いている。
食堂で爆発があったというのに、なんの対処もしないのか。
生徒を守るのも教師の務めではないのか。
懸命に言い募る雛川の声に、応じたのは他の教師たちの卑屈だという自覚さえ失った卑屈な声。
生徒会に報告はした。生徒会の処罰かもしれない。
――だから放っておけ。
職員室から離れた葉佩は、皮肉な笑みと共に問いかける。
「あれが職員の大意?」
生徒会には逆らうな。
いい大人たちが、高校生を腫れ物のように扱い、問題からは目を逸らし。
葉佩の意地の悪い表情に、皆守は肩を竦めた。
転校生や新任教師にはまだ分からないかもしれないが、この学園内においては、非常識こそが掟。情けなかろうが真実。
「大意つうより、既に常識だな。雛川は新任だから、まだその辺に慣れてないんだろ」
「世知辛くて嫌ねェ、おほほほほ」
よくわからないテンションで高笑いする葉佩に、皆守は声を掛けた。
「一つ聞いていいか?」
「何なりと、君の望むま……」
テンション高いまま、くるりと振り向いた葉佩の戯言を遮り、皆守は問う。
「さっきなんで、バーのじいさんをすげェ目付きで見てた?」
一瞬だったが――遺跡にいるときの顔だった。観察する為だけにあるような、冷たい目。
虚を突かれた様子で黙り込んだ葉佩は、しばらくしてから表情を取り戻し、肩を軽く竦める。
「……怖かったから」
「何だそりゃ」
訳が分からんといった皆守の表情に、葉佩は苦笑しながら補足する。
ごく普通に一流のプロがその辺にいたら怖いだろ――と。
「プロ?」
「護衛か破壊か暗殺か――どの業種までかは分からんけどさ、一流の戦闘者だよ。感覚としては、レストラン行ったら、ゴルゴがギャルソン服着て出てきたようなもんだ。そりゃビックリして――真面目にもなる」
それは確かに怖い――と納得できなくもなかったが、皆守は更なる疑問を持つ。
「プロとか、見りゃ分かるもんなのか?」
「隠されたら分からん。あの人は、特に隠す気もないみたいだから分かっただけだ」
そんなものかと、今度こそ納得した皆守は、レアな人物が現れたのを見て、目を丸くした。
「よう、甲太郎じゃないか」
校舎内で顔を合わせるのは久しぶりだな――という、彼の妙な台詞の意味を、皆守は葉佩に解説してやった。
「あァ……葉佩はこの先輩に会うのは初めてだったな」
逞しい外見に反し、海外のあちこちを回っているうちに、身体を壊したという青年――夕薙 大和は、二年長く高校生をやっている。
皆守よりも更に出席率の低い、特殊な生徒なのだと。
葉佩のことを転校生と強調して呼び、意味ありげに笑った夕薙は、やはり体調が優れないから寮へ戻ると言って、去っていった。
彼の姿が確かに消えてから、皆守は、忠告めいたものを口にする。
「ふん……、何を考えてるかわからないって点じゃ、あいつも白岐並に謎な奴さ」
すっかり黙っていた葉佩は、ポツリと呟いた。
「ああ……甲太郎ってお前のことか」
「……お前、今の話を聞いてたか? やっぱり、俺のフルネームを言ってみろ」
何やらずっと考え込んでいると思ったら、『甲太郎』が誰だか分からなかったのだ。
険悪な表情で、問いただす皆守から目を逸らし、逃げ道を探していた葉佩は、ある意味での救い主に気付いた。
「こらッ、そこの二人ッ!!」
教室の前で仁王立ちする救い主が怒鳴った。
ぷんぷんと擬音がしそうなほど、彼女の目は憤っていた。
「もぉ〜ッ!!五時限目はドコ行ってたの?」
どんどんサボり癖がつくよと怒っている八千穂に、葉佩は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ゴメン……。それが聞いてくれたまえ、やっちー。授業を受けたいと泣いて嫌がる俺を、イエローってば無理矢理引き摺って……」
「イエロー言うな。……足取り軽く歩いていた気がするんだが」
いやあ、仕方ないなとか言いながら、足早に先に進んだ奴は、どこのどいつだと皆守は思った。
それはともかく、このままここで説教を喰らい続ける趣味はなかった。
八千穂が葉佩に気を取られている隙に、皆守は、そろそろと離脱の準備をする。
「皆守クンも――あれ? ……いない。もォ〜あんなダルダルなのに、逃げ足だけは早いんだからッ」
せめて葉佩だけは逃がしはしないと、しっかりその襟首を掴んで、八千穂は理科室まで連行した。
器具が可愛いから、実験は結構好きだなどと笑う八千穂の話を、そんなものかなと聞いていた葉佩は、不意に怖気を感じた。
根拠などなく振り向いた先は、先程食堂にて危うく難を逃れた、墓の話をしていた男子生徒たちと――――同じく可愛らしいギフトボックス。
距離は遠かった。
咄嗟にできたことは、八千穂をしっかり庇い伏せること。
先程の爆発の規模から考えるに、殺傷能力はたいしたものではない。ゆえに、同級生らは、内心で謝るだけで――葉佩は、あっさりと見捨てた。
「耳ッ……、俺の耳がッ……。う……」
轟音が響き、悲鳴が交錯していたが、葉佩はこのくらいなら、片耳の鼓膜が破れかけくらいかなと、冷静に判断を下した。
実は鼓膜は、破れても治るものなので、どうにでもなるだろうと、考えながら、箱が投げ込まれた窓に視線を遣る。
そこから覗いていた少女は、惨状にくすくすと笑みを零し、去っていった。
「あの子……A組の椎名サン? 何でウチのクラスをのぞいていたんだろう」
八千穂の呟きに、考えるまでもないだろうと葉佩は少し脱力した。
彼女は先程、マミーズにも居た。
答えは――ただ一つ。
「ちょっと待って!!椎名サン、だよね?」
八千穂の言葉に頷いた少女は、そちらの方が噂の転校生さんですねと、妙に浮ついた笑みを浮かべた。
悪い人が罰せられるのを見ていた。
爆発も自分がやった。
なんでも爆発させることができる。
拍子抜けするほどあっさりと、彼女は全て語った。
「ダ、ダメだよ、そんな事ッ……、もし死んじゃったらどうするつもりなのッ!?」
八千穂の言葉に、椎名は不思議そうに首を傾げる。
死んだら代わりを用意してもらえばいい。
死なんて、全然大した事ではない。
どうやら本気らしき彼女の言葉に、八千穂が青ざめる。
葉佩は、頭痛がしてきた。
悪びれることなく、全て語るわけだ。これでは善悪の観念も生じない。
黙ってしまったふたりに、心底キョトンとしていた椎名に、静かな――疲れた声が掛けられる。
「死んだ奴とは二度と会えない。誰もそいつの代わりになんてなれない」
「皆守クンッ!!」
哀れみすら含んだ眼差しに、椎名はそんなのは嘘だと首を激しく振った。
「死んだ人が戻る? だったら、どんなにいいんだか」
葉佩までもが、冷ややかに告げる。
理解できない。したくない。
だから、彼女は叫んでいた。
「死んだ人を向かいに行くことができるって、あの遺跡に書いてあったんですものッ!! 伊邪那岐の神様は……」
「黄泉へ死した妻を迎えに行った」
続きを引き取った葉佩に、椎名は勇気付けられたように大きく頷いた。
死んだ人は連れ戻せるのだ。
お母様とも、また会えるのだ。
「そうですわッ」
「出会ったものは蛆がわき、蛇が絡みついた、美しかった妻の残骸」
なのに意気込んだ彼女に返されたものは、冷水を浴びせるかのような内容。
己の勝手で、安らかに眠るはずの伊邪那美を迎えにきたというのに、伊邪那岐は妻の醜い姿を恐れ、必死に現世まで逃げ続けた――と、嘲弄すら浮かべ、葉佩は冷たく言い放った。
「そんな姿を見られ、さらには逃げられた伊邪那美は、夫を憎むようになったというのが、続きだろう? 黄泉から妻を連れて帰った旦那の話など、聞いたことないな」
死者の復活は、いつも失敗する。
遠く離れたギリシャの神話でも、妻を冥府へ迎え行った夫は、最後の最後で掟を破り、彼女との別れを余儀なくされた。
神話の時代においてさえ、神格の魂でさえ。
生死の境は、超えるには険しすぎる。
「死んだ人とは――二度と会えない」
しばらく黙っていた椎名は、もう一度大きく首を振った。
認めない。いずれお父様が、何もかも全部、連れて帰ってきてくれると、壊れたように呟いて。
「あなたたちなんて、リカ、大ッ嫌いですわ。失礼します」
彼女の異質さに、呆気に取られていた八千穂は、今になって彼女が語った内容に憤った。
「もォ、訳わかんないッ、どうしてあの子はあんな事をするの? どうしてあんな爆発――」
口にしているうちに、自分でも気付いたのだろう。
言葉を切って、しばらくしてから、驚き叫んだ。
「――ッ、まさかあの子も取手クンと同じ……?」
「それしかないだろうな。遺跡で見たとまで口にしてたんだし」
夜中に部屋を抜け出した葉佩は、墓で待っていたふたりに苦笑した。
何を言っても聞きそうもない八千穂と皆守を連れて、遺跡に潜ったところ、やはり物々しい扉の先で待ち構えていたのは、椎名 リカ。
「ようこそ、葉佩クン。……やっぱり『死』なんて恐れていないってことですよね?」
「いつでも死から戻れると妄想を信じ込むのは、君の自由。それを拠り所に、死を軽んずるのも同様」
死なんて大したことではない。
だから己が死んでも良い――これは信じる当人の自由。真上から飛び降りない限り、勝手にすれば良い。
だから他を殺しても良い――それは迷惑以外のなにものでもない。
「君の罪は――他者にも当てはめたこと」
彼女には、転校生たちが何を言っているのか分からなかった。――理解したくなかった。
お父様は、死んでも戻ってこられると教えてくれた。死んだべロックだって、お父様が連れ戻してくれた。
だから――彼らの言うことなんて認めない。
「あなたなんて、死んじゃえば良いんですわ」
ぷぅっと頬を膨らませ、幼子が癇癪を起こして、物を放り投げるように。
彼女は、他者へ、危険物を投げる。
人を傷付ける罪を知らず。
良心の呵責もなく。
「……誰かが尻を叩いてやるべきだったんだよな、もっと早くに」
呟き、葉佩は銃を手に取る。
マスターは火薬の匂いはしない、発熱していたと言った。
化学の実験中に爆発したというのに、引火することもなかった。
本人は分子を振動させ摩擦熱により、蒸気爆発を起こすといった内容を口にした。
ならば誘爆の恐れはない。ただ撃ち落せばいい。
「きゃあッ!!」
信じられなかった。
あれだけの爆弾をものともせずに。葉佩は距離を数歩で無くした。
「簡単に戻れるのだろう? なら――死んでみればいい」
静かな声が、間近から死を告げる。
「おいッ、葉佩!!」
「葉佩クン!?」
級友たちの驚愕の声にも、葉佩は振り向かない。
冷徹なまま、銃を持ち上げた。
彼女は分かっていない。
一瞬の境目が、永遠の断絶となる境界を。
ほんの一歩踏み出せば、二度と戻れない昏い世界を。
「戻ってこれるかどうか試してみろ。そして――死の冷たさを理解するんだな」
知らないからこそ、死を軽んずる。
絶対の距離を、見ない振りをする。
なのに他者を、そこに送り込もうとする。
「あ……ああ」
声が出なかった。
涙も悲鳴も、恐怖が極限を過ぎれば出ないのだと、初めて知った。
額に銃口が押し当てられる。
先程全ての爆弾を撃ち抜いたばかりで、まだ熱い。
髪が焦げる。額が熱い。それでも何もできない。
すぐ傍に死が待ち受けている。
昏い銃口と。
その先に続く《転校生》の昏い瞳と。
昼とは別の顔。
学園での笑顔など欠片もなく。
「すぐにでも帰ってくるのだろう? Bye for now」
理解していたことを。
忘れたふりをしていたことを、強制的に掘り出される。
こんなにも強烈な死の具現に、抗えるはずもない。
死の概念を理解していない幼子だって、必ず悟る。
死の恐怖を。
「いや……死にたくないですの」
死の虚ろさを。
「生きたい……ですゥ」
生の暖かさを。
ほろほろと泣き出す。
少女の嗚咽だけが響く中で、カチという微かな音が鳴った。
「ごめん、髪焦がしちゃったね」
死の恐怖に身を竦める少女の髪を、安心させるように優しく撫で、葉佩は銃をしまい、言った。
「思い出したなら、帰ろう。上へ――陽のあたる生の世界へ」
今はまた、昼と同じ。
いや、どこか少し違った。
優しさと悲しみを同時に宿し、葉佩は微笑んだ。
「こんな暗い世界に、君は居ちゃいけない」
安堵から頷いた少女は、途端に感じた別種の寒気に、己が身体を掻き抱いた。
それでも、温まらない。
身体の内側から冷え、中で何かが蠢いていた。
「な、何ですの、これは……あ、あァーッ」
取手という前例から、展開を予想していた葉佩は、既に銃を手にして身構える。
実体化する黒い砂から、半ば無理矢理少女を引き剥がし、皆守たちの方へ、押しやった。
「やっちー、あの飛び出た人型と、人面ツボの真中の辺り、さくっとスマッシュ打ってみて」
「うん、行っくよー」
本当にさくっと。いや、むしろグサッと。
猛烈な勢いで、的確に激突した珠の効果を測定し、顔の中心が弱点らしいと葉佩は判断した。
それにしても彼女のテニスボールは、魔法か祝福でも掛かってるのだろうかと、葉佩は戦闘中らしくもなく、疑問を持った。
八千穂の――文字通り弾丸スマッシュは、ライフル並の威力を誇っている。
通常人が強力な力を揮う場合は、何らかの力を、武器に付与しているパターンが多いのだが、テニスボールに付与魔術。それは、地雷に祝福施さなければならない、どこぞの王立国教騎士団所属の牧師並に哀しくて切ないだろう。
某騎士団ほどの権力がなければ、そんな切ない行動を強制できない。
だが、常人にはあれほどの力は発揮できないはず。
無意識なままに、氣だかを使える類の人間なのだろうか。
「今はそんなこと考えてる場合じゃないか」
自分に特殊な能力がないことなど、よく知っている。
術だの氣だの、不可思議な事象など起こせはしない。神の奇跡も降りてこない。
だからこそ――技術を研鑚したのだ。
そうやって生きてきたのだ。
今もまた、すべきことはただ一つ。敵を殲滅することのみ。それ以外は、全て振り落とす。
光となって崩れていく化人。
後に残ったものは、古いオルゴールだった。
「このオルゴールは……」
蓋を開け、流れる音色に、少女の封じられていた記憶が蘇る。
死を忘れた理由。
母を失ったとき、父に頼んだ。
笑顔で、何でもないようことのに。
新しいお母様を連れ戻して――と。
あのとき、父は、化け物でも見るような目で、自分を見た。
でも、それから、辛抱強く真摯に教えてくれた。
今まで、嘘で塗り固めていてすまなかったと。
「死んだ人は二度と戻らない……」
高く低く鳴るオルゴールを手に、リカは呟いた。
本当は全て思い出していた。
お母様が亡くなったときに、お父様は連れ戻せなかった。
死を無かったことになどできないのだと。
人の『代わり』など居ないのだと。
悲しみを味合わせたくなくて歪めてしまってすなまいと、お父様は謝ったのだ。
「わかっていたはずなのに、どうしても寂しくて……その寂しさごと失っていたんですの」
「でも思い出せたんだろ。失った人の温かさも優しさも。もう二度と忘れなければいい」
今度は優しく頭を撫でる手に、リカは頷いた。
まだ硝煙の香りがしていた。
さっきの彼は、本当に怖かった。
だけど――今の彼は、違う。
「葉佩クンの傍は、なんだか安心できそうですの。ありがとう、リカの呪縛を解き放ってくれて」
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