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―― 6th.Discovery 時をかける少女 ――

校内で、ツチノコが出たらしい。
捕まえれば賞金も出るし、この学園には、『三番目のツチノコ』というものがあり、捕まえた人は、何でも願いが叶うという怪談があるらしく、大した騒ぎになっている。

そこまでは、葉佩は理解した。
だが、このツチノコについて描かれている『らしい』二つの絵は何だ。

皆守は特に酷い。
全く知らないのに、言葉の響きだけで頑張ったらしく、どうみても小鬼だった。土の子とでも脳内で変換したらしい。

ならば知っている八千穂は正しいか?
ぎりぎりで蛇だ。どちらかというと尻尾と舌の生えたピノだ。顔がでか過ぎる。

「……ものすごく悩んだ末に、やっちーの方が『まだ』近い」

苦渋の末に。
悩み苦しみ、それでも答えを見出した葉佩に、八千穂は一瞬喜びかけて、気になる言葉に気付いた。

「だよね〜ッ、もう九龍クン、だ〜い好……『まだ』?」

皆守は無言のまま。
不満そうな二対の眼差しに、葉佩の忍耐は飛んでいった。

「むちゃ言うなッ!! この二択、三角巾は西陣織とピラフ、どっちに似てる? って聞かれるようなもんだッ! そうしたら、まだ西陣織だろ?!」

爆発した葉佩に、ふたりが怯んだところで、新たな人物が現れた。

「古人曰く――『我々は、みな真理の為に闘っている』」

溜息を吐き、ツチノコ『らしき』絵を眺めているのは七瀬であった。
ツチノコなど得意分野であろう彼女には、嘆かわしいどころではないのだろう。


いつもの調子でツチノコについて、七瀬は語りだした。
すでにげんなりしている皆守には気付かず、八千穂という反応の良い生徒を得た彼女は、ハイスピードで得々と続ける。

ツチノコがこんな場所に現れるとは、文明の進歩と共に自然が失われ、棲むべき野を追われた結果かもしれない。
だから、ツチノコを捕まえるなんてとんでもないと主張する七瀬に、すっかり疲れた表情をしていた皆守が、皮肉な目を向ける。

「文明の進歩がもたらしたのは迫害と破壊だけじゃないさ」
「あ……」

豊かな暮らしの上で生きている自分たちに、文明を非難する資格は無いと語る皆守に、七瀬は口を噤んだ。

「皆守クンッ!! そこまでいわなくてもいいじゃない」

七瀬も文明を否定しているわけじゃないと反論する八千穂の言葉を、皆守は笑い飛ばした。

「ふんッ、俺も一般論をいったまでだ」

朝から妙に険悪になった空気を救ったのは、チャイムの音。
一時間目が移動教室である、音楽であったことも、プラスに働いた。

先に行くと言い残して、遠ざかるふたりの――おそらくは皆守の方の背中を複雑そうに見つめていた七瀬は、表情を切り替えた。

「……それじゃ、葉佩さん。私も行きますね」

授業に向かおうと、教室を出ようとした七瀬は、誰かとぶつかりかけた。

「どけ、女――」
「あッ、ごめんなさい」

どこの高圧的な馬鹿かと思って、目を向けた葉佩は、誇張でなく、口をぽかんと開けた。

「お初にお目にかかる。拙者、参之『びい』に世話になっておる真理野 剣介と申す」

そこに居たのは時代錯誤という言葉を具現化したような人物。石川五右衛門。
和服は、42.195キロくらい譲って認めたとしても、眼帯と木刀はどうかと思った。あと拙者もどうかと思った。

一応、名前を聞かれたからには、答えた葉佩だが、どうにも呆然としたまま、彼の自己紹介を聞いていた。

名を聞き、納得したように頷いた彼は、語りだした。
腕に敬意を表し、正々堂々と素性を明かすのだと。

「剣道部主将というのは、世を忍ぶ仮の姿――。拙者の真の姿は生徒会執行委員」
「あ、ああ、それは……わざわざどうも」

主将この人にやらせてるんだ……と、見知らぬ剣道部の皆さんの精神構造を、葉佩は不思議に思ってしまった。
そりゃ腕に問題は無い、いや、むしろ過分な程だろうが、部長会議とかに出席している様が想像し難すぎる。

――驚くところは、執行委員の方なのであろうが。

「同胞が斃されていくのを見て、お主と手合わせをしたく参った次第だ。拙者とひと勝負しては貰えぬか?」
「今までだって皆バレバレだったんだから、名乗ってもらっても同じことか。……夜に『墓』の奥へ進めば良いのか?」

葉佩の言葉に、真理野が爽やかな――だが、獰猛な笑みを浮かべたとき、新たな人物が現れた。

「どうしたの、葉佩くん? おはよう、あなたはB組の子ね? 真理野くんだったかしら」
「……続きは後でだ。このことは他言せぬよう。それでは御免――」

一応、他言無用という考えを持っているのか、それとも教師は特別なのか。
C組担任である雛川に聞かれながら、話すつもりはないらしく、真理野は教師相手とは思えぬ偉そうな態度のまま、教室を後にした。

「あッ、ごめんなさい。話の邪魔をしてしまったかしら?」
「いえ、どうせ、どうでもいい世間話でしたし。先生、おはようございます」

平然と白をきる葉佩に、雛川は安心した様子で微笑んだ。
それからしばらく迷った後に、とんでもない誘いを口にする。

相談したいことがあるので、夜、家のほうに、来て欲しいのだと。

「ありがとう……それじゃ夜の七時に。またね」


女教師からの、ふたりきりでの相談事。
エロい方向の想像しか浮かばず、妙に上機嫌で歩いていた葉佩は、やたらでかい人影に気付き、足を止めた。

「おい、葉佩」
「あ、遅かったな、まっちょ」

午前の授業は終わったところであった。
尤も、病弱である彼には、珍しくはないことだが。

「丁度今来たところでな。ところで……この騒ぎは何だ?」

小学生でもあるまいに、虫取り網だの籠だのを抱えた生徒たちが溢れている様子に、夕薙は首を捻る。
懸賞金や怪談も併せて、ツチノコの説明をした葉佩に、彼は呆れたというには過剰なほどに、眉を顰めた。

「おいおい……ここはどこだ? 新宿だぞ? 現代社会の象徴ともいえる場所で、ツチノコとはな」

以前の異星人騒ぎといい、この学園はどうなっているんだと冗談めかして溢す彼の目には、隠しきれない嫌悪の色があった。
苦手というレベルを軽く超えているなと再認識する葉佩よりも先に、夕薙はある人物に気付いた。

彼女の進路をさり気なく遮り、真剣な顔で尋ねる。

「今、窓の外を見ていただろう? 何を見ていたんだ?」
「別に……ただ外を眺めていただけ」

普通、夕薙ほどの大男に詰め寄られればかなりのプレッシャーであろうに、白岐は全く変わらないまま、何でもないと繰り返す。
だが、夕薙は退かなかった。

「嘘をいうな。あの温室に何かあるのか? それとも温室の方角に?」
「……あなたも転校生だったわね。転校生というのは、みんな好奇心が旺盛なのかしら」

薄く微笑んだ白岐の視線は、葉佩へと向いていた。
それゆえ、葉佩は笑顔で応じる。

「転校生は――異端だから。早く馴染みたくて、色々と知りたがるのかもしれない」

その通りだと頷いた夕薙は、まだ質問に答えてもらってないと、白岐から視線を外さない。冗談っぽく言い寄るいつもの彼とは、明らかに違った。

「ただ景色を――と答えたはずよ。話がそれだけなら、私は行くわ」

すっと、通り過ぎようとした白岐の行く手を、夕薙は明確に塞いだ。
今度こそ、煩わしげに見上げてくる白岐の眼差しに、夕薙は、やっといつもの笑みと共に話しかける。

「今度、晩飯でも一緒にどうだい?」
「おおナンパだ」

茶化す葉佩を夕薙は軽く睨んだが、白岐は微笑んで頷いた。

「葉佩さんが一緒なら考えてあげてもいいわ」

それ以上の邪魔を、彼女は許さなかった。

すたすたと、振り返ることなく進んで行く彼女の後ろ姿を、夕薙は神妙な面持ちで見つめていた。
やはり、言い寄り言い寄られる同級生という、ありきたりな関係ではないようであった。

この学園には謎が多いと思わないか――白岐から目を離さずに、夕薙は呟いた。

「実しやかに囁かれる怪談。墓地や廃屋などの不似合いな場所。俺には、どれも一つの真実に繋がっているような気がしてならないのさ」
「――かもな。転校は多かったが、ここまで不思議な学園は初めてだ」

応じる葉佩に、夕薙は勇気付けられたように頷き、続けた。

「白岐は何かを知っている。この学園に隠された何かをな……」



午後になっても、ツチノコの目撃談が飛び交い、生徒たちが、あちこちで右往左往していた。
そんな中、近付いてきた静かな気配に、葉佩は話し掛ける。

「いらっしゃい」

用件は簡単至極だと切り出す彼に、葉佩は吹き出しそうになるのを懸命に耐えた。まったく、一体いつの時代の人間なのだ。

「先刻お主の言葉の通り――今宵、墓の奥にて手合わせを願いたいのだ。噂を聞くにつけ、是非とも腕前が見てみたくなってな」

申し出を受けて貰えぬかと、あくまで真顔な彼に、葉佩はほんの少しだけ考えてから、頷いた。

「承知した。まあ、どちらにしろ来るなと言われても潜るのだから、こんなのも手っ取り早くて良いかもな」
「では今宵暮六ツ半――夜の七時に待っておる。別に仲間を連れてきても構わぬぞ?」

揶揄するような真理野の言葉に、葉佩は、では遠慮なくそうしようと、思っていた。

一対一とか正々堂々とか。
そんなものは、生き残るという最大の目的の前には、小さいものだった。



夜のことをつらつらと考えていた葉佩は、元気の良い声に名を呼ばれて、顔を上げた。

「どうしたの? 真剣な顔しちゃって。あッ、わかった。ツチノコの事でしょ?」
「あ……ま、まあね」

既に葉佩の中で、興味は真理野や夕薙、白岐へと移っていた。
だが、説明するのも面倒であった為、曖昧に頷く。

「泥棒だァァァッ!! 誰かそいつを捕まえてくれッ!!」

男子生徒の叫びが響いた。
それでこそ宝探し屋だと感心していた八千穂に軽くぶつかり、誰かが駆け抜ける。

「ちょっとゴメンよ。お嬢ちゃん」

葉佩は頭を抱えたくなった。
軽い調子の声といい、ツンツン頭の後ろ姿といい、例の『探偵』に間違いない。

噂の不審者と遭遇したと知り、八千穂は妙に張り切って叫ぶ。

「追いかけようッ!! そうだ、これ持ってて」
「何で?! そしてどっから出した?!」

葉佩は思わず突っ込んでいた。先程までの真剣な気分も飛んだ。

それも無理はない。
なにしろ、八千穂が差し出してきたものは、金属バット。

「不審者が襲い掛かってきたら、それを使うといいよ。行こッ!!」

返答せずに、八千穂は走り出した。
四次元ポケットでも持っているのかと首を捻りながら、葉佩も走り出した。


どこかで適当に鴉室を逃がしてやり、恩を売ろうなどと考えていたことが悪かったのか、悲劇が起きた。

この学園の不審な点――もれなく気配が薄い――は、当人の性質も影響する。
夜に向けて、段々と薄くなっていくのだが、大人しい人物は、昼から既に薄いのだ。

「きゃァァァッ!!」

今――激突する瞬間まで、彼女の存在に気付かなかった。



「大丈夫? あ〜ッ、逃げられちゃうッ!! 月魅はあたしが見てるから、あいつを追いかけてッ!!」

一瞬だが、意識が飛んでいた。
騒ぐ八千穂の声で、我に返った葉佩は、八千穂がここに残ってくれるのは寧ろ好都合と判断し、頷いて走りだす。途中、落ちていたH.A.N.Tを拾い上げながら。


「だ〜れだッ? なんつってな」

廊下の行き止まりで、目隠しをしてきた人物が居た。
動くなだの、騒がれると面倒だの続ける彼を、それこそ面倒なことに巻き込んでくれた礼として、葉佩は加減こそはしてはいたものの、すこんと蹴りあげた。

何するんだ馬鹿力――と騒ぎだす鴉室に、さっさと逃げろと告げようと思っていると、横手から声が掛けられた。

「そいつが校内で目撃されたっていう不審者か? 後は、俺が引き受ける」
「お〜、君はあのときの無気力高校生君」

きちんと皆守のことを覚えていたらしく、鴉室は、明るく挨拶をする。

このツチノコ騒動自体、鴉室が広めたものだったのだという。
生徒が別のことに気を取られている間に、自分の調べたい場所に忍ぶことが目的だったのだと。
ただし、予想以上に騒ぎが広まり、却ってやりにくくなったらしい。

「そんなことより、早く逃げた方がいいんじゃないか? じきに教師や生徒が来るぜ?」
「見逃してくれんのか?」

事情聴取されるのもかったるい。
だから逃がしてやっても良いだろうと皆守に尋ねられ、葉佩は頷いた。

「意外と話が分かるじゃないか。俺はてっきり反対するもんだと思っていたがな」

本当に意外そうに。
首を捻る皆守を、葉佩こそが不思議に思った。

今までの己の言動から考えれば、逃がす方が自然だろうに。

違和感に気付いたのは、その後だった。

ダルいから帰ると言った皆守に、じゃあなーと手を振って応じたら――妙に声が高かった。

「お前は、俺のことを嫌っているものだと思ってたぜ」

皆守は目を丸くしていた。
今更の反応に、葉佩の方も首を捻る。

皆守の言葉は、先程から、どうにも葉佩 九龍に対してのものとは思えなかった。

「気になってたんだが、教室に戻る前に、そこの鏡で髪や服を直したほうがいいぞ」

転んだみたいにボサボサになっていると続ける皆守の言葉は、既にあまり頭に入ってこなかった。

まさか、そんなベタなことが――と、乾いた笑いを浮かべる。
だがその笑い声さえ高いことが、状況を裏付ける。

「どうしたんだよ。変な顔をして」

不思議そうに、皆守は聞いてきた。

本当にベタだった。鏡の中の人物は、ぽけーと間抜けた顔をしていた。
肩までの髪、丸い眼鏡で――七瀬 月魅の容姿で。

「おッ、おいッ。何やってんだよッ!!」

ぐわしッと。
実は豊満な胸を掴んでみたところ、どうにも本物の感覚で。

「……Eカップくらいか。古人曰く、巨乳は馬鹿だというが、そんなことはないらしい」
「な、何だよ、突然。さっきのおっさんに、どこか怪我でもさせられたのか? 『七瀬』?」

どうやら、自分の目だけがおかしいのではないらしい。
転校してから親しくしている目の前の級友に、一応説明してみたが、欠片も信じていない目で見返された。

「お前が七瀬じゃない? ノイローゼだのストレスだのって話なら、瑞麗にでも相談するんだな」

結構冷たく言い捨てて去っていく皆守の背を眺め、葉佩は、この状況で優しく接することができないこいつは、基本的に女にもてないなと、失礼な感想を抱いた。

その感想は、割と正しかった。
葉佩は知る由もないが、同時刻、本質的に女にもてる生徒会長は、七瀬が『中』に入った葉佩に優しくしていたのだから。


皆守が女にもてるか否かは今は重要ではなかった。
確かに瑞麗先生は、こんな非常事態には頼りになるであろうからと、葉佩は皆守の忠告に従い、保健室へ向かった。


「入りたまえ、葉佩だろ?」

扉を開けると、瑞麗は意外そうな顔をした。
確かに葉佩の氣を感じたのだがと、首を傾げる彼女にならば、事情を話せると判断した。

「信じていただけるか……葉佩です」

信じがたい説明を受けた瑞麗は、ふむ――と呟いたあと、考えをまとめるように黙り込んだ。


霊と肉との結びつきは、永久不変ではない。
憑依、霊媒、転生、色々な概念が、霊が肉体を離れる現象を現している。

ゆえに、このような突拍子もない出来事も、有り得ないとは言い切れないのだと、慰めるかのように、瑞麗は語った。

「……なるほど。けれど、とりあえずは、理由よりも対処法ですな」
「まずは君の身体と入れ替わった七瀬に逢ってみることだ」

入れ替わったときと同じ方法を試せば、戻れるかもしれない。
そう語る瑞麗に頭を下げ、葉佩は保健室を後にした。

七瀬の居る――こんな非常事態において、篭るであろう場所は、ひとつしか浮かばなかった。
彼女の城である図書室へと、急ぎ向かう。


図書室は、しんとしていた。
誰もいなそうな空間に、葉佩は声を掛けた。

「七瀬さん」
「……葉佩さん? こっちです。今、司書室の中にいます」

意気込んだ声が返ってくる。
聞き覚えのある――葉佩自身の声音で。

「うわ、俺の声が、そっちから聞こえるって、すごい事態だなぁ」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃありませんよッ! ……はァ、何でこんなことになったのでしょう?」

ひたすら、しょんぼりと。
今にも泣きそうな自分の声というのも新鮮だなどと、更に呑気なことを考えながら、七瀬を安心させようと言葉を紡ぐ。

「瑞麗先生だけには、事情を話しといた。先生も協力してくれるというし、俺も調べてみるから、とりあえずは他言無用で――俺として過ごして欲しい」
「……そうですね、悩んでいても、解決方法は見つからない」

自分も色々と調べてみるから、お互い戻れるように頑張ろう――と、七瀬のテンションがある程度回復したのを確認して、葉佩は彼女と別れた。


下校時刻となり、葉佩は七瀬の姿のまま、校舎を後にした。

女子寮に向かう途中、メールを受信し、中をみて苦笑した。
それは、女子寮の自分の部屋に戻ったという七瀬からの報告。

今の姿に従った部屋に戻った方が、無難であっただろうにとは思う。
が、同級生に自分の部屋に入られるなど、女性にとっては発想の内にないのかもしれない。

打ち合わせをしておくべきだったなと、少し反省する。


仕方なしに、本来の己の部屋へと足を向ける。

人目を避けながら、部屋へ滑り込み、ふと不安に思った。
七瀬は、あのでかい図体で、本当に誰にもバレずに、部屋へ戻れたのだろうかと。

明日以降も戻れなかった場合は、部屋を交換しようと思い、物騒な銃器類を片付けながら、葉佩は約束があったことを思い出した。

先生と真里野と。
まったくもって用件は異なるものの、彼らに、断わりの連絡を入れなければならないと思い、葉佩はH.A.N.Tを手元に引き寄せた。

と、同時に新たなメールが届いた。


文面を読み進めるうちに、葉佩の目が細められる。

ある意味では、問題は一挙に解決した。
担任教師に断りを入れる必要はなくなり、執行委員に対し、断る権限は失った。

「……ふざけろ、くされサムライ」

舌打ちし、一度片付けた武器等をひっくり返し、急ぎ装備を整える。


「あなたが、その……葉佩 九龍くんと付き合ってるって、ホントなんですか〜?」

部屋に直行し、こもりきりであろう七瀬の為に、墓へ出かける前に、何かテイクアウトして土産にしようと葉佩はマミーズへと寄った。

本来の自分へはいつも笑顔の店員さんが、声を潜め、複雑そうな姿に、葉佩は少し嬉しくなった。

事情を説明するわけにもいかないので、ただ『葉佩さんとは良いお友達です』と、タレントのような文言で答えると、奈々子はまだ不安そうであった。

本当に違うんですか〜と、念を押すように重ねて尋ねる彼女に、葉佩は正直に答えた。

「私には今好きな人がいます。その人は、葉佩 九龍ではありません」

ほんの一瞬の本気。
自分の目を見て言い切った『七瀬』の言葉に、奈々子は頷いた。

その笑顔は、きっと本当のことを言ってるんですね――と。

「良かった〜。実はあたし、彼のことちょっと気になってて」

内緒ですよと、満面の笑みを見せた彼女に、胸が痛んだ。


七瀬の部屋へと向かう途中、冴えきった月を見上げていた葉佩は、微かな足音に気付いた。

「こんばんは、葉佩さん」
「え?」

愕然として、葉佩は振り向いた。
長い黒髪を持つ少女は、当たり前のように、彼の名を呼んだ。

「どうしたの?」
「なぜ君は、俺だと分かった?」

声が知らぬうちに低くなる。
きっと、顔つきも、七瀬のものとは思えぬほどに、鋭くなっているのだろう。

だが、聞かぬ訳にはいかない。誰もが七瀬の身体を見ているのに、彼女――白岐は、確かに葉佩を見抜いたのだ。

「え? 一体どうしたの? あなたの名前は葉佩 九龍。それ以外の何者でもないでしょう?」

事態を説明された彼女は、不審がることもなく、ただ事実を受け入れた。

「そう、他のみんなには、あなたの姿が七瀬さんに見えるのね」

何故、そんなことになったのか訊くこともなく。
何故、己には、葉佩がそのまま見えるかを説明するでもなく。

「ずっとこのままだったら、あなたはどうするの? 突然他人になってしまった自分の悲運を嘆いて生きるのかしら」

いつものように、声に抑揚はなく。
だが、いつもと違って、白岐は食い入るような瞳で、葉佩をみつめていた。

「組織の力とかを頼ってでも、方法を探すさ。七瀬さんに悪いから。……戻れなかったとしても、ただ嘆いて暮らすのは合わない」

答えに、白岐は眩しそうに目を細め、僅かに笑った。

「あなたは強い人ね。私にも、あなたのような強さがあったなら……」

意味深な言葉を残し、去っていく白岐の背を、葉佩はしばらく眺めていた。
きっと重要なことを口にしたのだと判断し、記憶に叩き込む。

ただ、今は、謎を追及している時間はない。
目的地へと急ぐ。


トントンと、窓からの軽いノックの音に飛び上がった七瀬は、外の人物に気付いて、急いで部屋へ引き入れた。

己の顔をして、大荷物を抱えてきた葉佩を。

「……どうしたんですか?」

七瀬さんは薄々気付いていたよな――と、質問ではなく確認するような調子で、葉佩は首を傾げた。

おずおずと頷き、不安そうな表情の自分が、軽く握った手を口元に当てる大層女の子らしい様に、葉佩は苦笑を洩らした。

微苦笑のまま、H.A.N.Tを起動し、七瀬へ見せる。

「タイミングが悪すぎることに、雛川先生が巻き込まれた。一応、あのサムライには、事情を説明して、やり合うのは後日にしてもらうよう頼んでみるけれど、納得してくれる望みは薄い」

執行委員と名乗った真理野 剣介から届いたメール。
雛川を拉致し、もし葉佩が現れなければ、彼女の命を奪うとの、脅しの文言。

「……葉佩さん、これおかしいですよ?」

七瀬は首を傾げた。

真理野は、当たり前の話だが、かなり有名人らしい。

その噂によれば、彼はふざけているのではなくて、極端に機械に弱いのだという。
こんな長文を平然と送れるとは思いがたく、そして――こんな行為に出るような人間とも思えないのだと。

「誰か、他に介入者がいるのか。……面倒事の上塗りだな」

深々と、葉佩は溜息を吐いた。
なんでこう、厄介な事が目白押しでやってくるのか。

だが、愚痴を溢していても、事態は進展しない。むしろ雛川の身に危険が迫っていくだけなので、気持ちを切り替える。

「目瞑ってるから、服を着せてくれないかな」

葉佩がドサドサと差し出したものは、黒系の衣服。
黒のハイネックに、同じく黒のレザーらしきパンツを、七瀬は苦労して履かせた。

「次は、ベストを着けて……胸が苦しい。七瀬さんってスタイル良いんだな。サイズ調節できるものを持ってきたんだが、胸がきつくて腹は余ってる」
「え……、そんなことないですよ」

目を閉じたままの葉佩の指示に従い、ハイネックの上から、分厚いベストを着せる。
後ろが紐で調節できるようになっているので、男物でもどうにかなると考えたのだろうが、確かに胸がきつそうではあった。

「よし、ありがと。で、七瀬さんの運動頻度ってどのくらい?」

着替えが終わり、目を開いた葉佩は、大降りなナイフをベストに装着しながら尋ねた。

「あ……体育くらいです」

悄然とした七瀬の答えに、沈黙が降りる。

魂が身体を支配しているとか、その逆だとかの理屈は分からないが、葉佩は、今普段とそれほどの違和感はなしに動ける。

「悪いけど……、多分戻ったら筋肉痛が酷いと思う」
「……仕方ありません。普段の自分の運動不足を反省します」

どう好意的に解釈しても、七瀬の運動神経が良好とは考えがたい。
七瀬も、通常と大差ない程度にしか動けないだろう。

「もしかして私もついていった方が良いのでしょうか」
「……この拳銃を片手ずつ構えて。そう、水平の位置に」

恐る恐る銃を手にした七瀬は、持ち上げようとして顔を顰めた。

「お……重」
「う〜ん、ちょっと苦しいな。俺は基本は二丁拳銃を主とするから、構えからグラつくようじゃ、身体の記憶に頼るのも不安だ」

少しだけ考えた葉佩は、心配せずに、ここで待っててくれと笑顔で言った。

「怪我なんか負わないで……無傷で帰ってくるから安心して。時間さえ掛ければ、難しくはないんだよ」
「すみません……私だけが安全な場所で、迷惑を掛けて」

またもしょぼんとする己の顔に、葉佩は少し苦笑してから、その高い頭に苦労して手を乗せ、優しく撫でる。

「迷惑掛けるのは俺。本当は戻るまで、動かないのが正しいけど、先生も死なせたくないから――俺の我侭で動く。悪いね」


最早慣れた道のり。
墓へと歩みを進めながら、葉佩は溜息を吐く。

なぜによりによって、こんな怪異が、彼を相手とするときに限って起きるのか。

真理野は執行委員の中でも明らかに異質。
闘う術を与えられただけの素人である取手たちとは、戦闘力の基本から異なる。

それでも――通常であれば、勝てる自信はある。
だが今は、自分の身体ではない。どの程度のマイナスがあるが、実戦にて模索しながら、感覚の修正を行わなくてはならない。


「あばば……くそぅ、身長差20センチ以上はきつい」

ぎりぎりで罠を解除した葉佩は、肺に新鮮な空気を取り込みながら悪態をついた。
本来の身体であれば、時間的に余裕があった。いつのものとも知れぬ地下の水を、口に入れずに済んだ。

だが、どうしても、速度がわずかに落ちる。
どうしても、力が少し足りない。

何より、背が低い。

今クリアした仕掛け――水攻めという罠に対しては、最悪の状態であった。


慎重に慎重に。
呪文のように繰り返し、葉佩はいつもの大扉の前まで、無傷で到達できた。

受けたダメージは、罠による、古い水を口にしたことくらいであった。

装備をもう一度確認し、扉に手を掛ける。


「む……お主は、確か葉佩と共におった」
「まずは、雛川先生を解放してもらおうか?」

怪訝な表情となる真理野を睨み、葉佩はシンプルに告げた。
だが、かなり厳しい口調にも、真理野は、ますます不思議そうに首を傾げるのみであった。

「何故拙者が、斯様な場所に連れて来なければならぬのだ? 拙者は、正々堂々と葉佩と死合いをするためにここにいる」

雛川など知らないと。
そもそもメールなど送っていないという真理野の言葉に、葉佩は小さく舌打ちする。

確かに、寮内に、雛川がいないことを確認した。
そして真理野には、嘘を吐いている様子はない。

――誰か、第三者に踊らされているということだ。

「そのようなことよりも、何故、お主がここに?」
「俺が葉佩 九龍だ。道で七瀬とぶつかって、中身が入れ替わった」

ものすごく素直に説明してみた。
だが、魂そのものを見る力でもあるらしい白岐とは違い、真理野にそんなものはないのだろう。

今、彼の表情は、一言で表すと『……はい?』であった。

「……ふ、そうか。さては、色仕掛けで拙者を懐柔するつもりだな?」
「本当に、俺なんだよッ!」

信じないだろうなとは思いつつも、葉佩は一応まだ主張してみた。

「葉佩 九龍――――女子を使ってくるとは卑怯千万也」
「聞けよ!!」

残念ながら、主張は聞き入れられないらしい。

「男子の風上にも置けぬ輩よ。お主に恨みはないが、この墓に入り込む者は、斬らねばならぬ」
「そんな……私はただ、アナタを解放したいだけなの!!」

説明は諦め、懐柔を選択してみた。

熱い瞳で見つめ、葉佩はよろよろと、へたり込んでやった。
さりげなく巨乳を強調しながら、媚びるように見上げる。

「やッ、止めぬかッ。斯様な目で拙者を見るな。葉佩め、この様な策を女子に強要するとは……」

うろたえる執行委員を、内心で舌を出しながら観察していた葉佩であったが、楽しめたのは途中までであった。

「……お主には、ここで死んで貰う」

顔を真っ赤にして、それでも宣言した真理野に、葉佩は笑みを消した。

「……む」

『七瀬』の身を包む空気が変わったのを感じ、真里野は反射的に身構えた。
怒気、いや、むしろ殺気の域。
平穏な生活を営む者には縁遠い気を『彼女』は纏い、静かに呟いた。

「本当に俺が七瀬だったとしても……斬るのか?」
「それが墓守の務めだ。許せ……」

命を奪われることを許せる筈がないだろうと呟き、葉佩はゆっくりと立ち上がる。
もはや弱者の偽装は意味がない。

だが真剣に構えた葉佩の顔色が変わる。
ただでさえ油断できない相手であり、かつこちらは単身だというのに、わさわさと、蜘蛛型の異形が現れる。

「ちょっと待て!! サシじゃないのか、蜘蛛は何だ蜘蛛は」
「雑魚など気にするな」

相手の平然としたものいいに、葉佩は舌打ちする。

混乱して同士討ちするようなアイテムはないのかと、本気で思った。プリンカレー辺りイケるんじゃないかなどと、ややマジで考えたが、プリンは結構貴重な為に、阿呆な考えを捨てる。

「気にするに決まってるだろう! 全部、こっちに来てるじゃないか!!」

二丁の拳銃が、その華奢な手に、魔法のように現われる。

銃は二丁。照準は一箇所。
銃声はたったの五回。両手の銃からの音が綺麗に重なる。

二発ずつ頭部の付け根に喰らった蜘蛛が五匹弾ける。


仕上げに、流れるように、弾丸を充填する。

真里野は『彼女』を美しいと思った。女性だからではない。
闘いの動きとは完成されればされるほど、優美に舞に近付く。『彼女』の動きは、演舞の域であった。

「……やるな」
「Shit」

声は間近から。
剣閃から咄嗟に飛びのき、舌打ちしながら距離を取る。

信じられないと、葉佩はうんざりした気持ちで、認識を改めた。

少々面倒だなどというレベルではなかった。
こんな素人が存在することがおかしい。

元も身体であってさえ、無傷での勝利はきつかっただろう。

僅かな痛みに、ちらりと目を遣って、心底申し訳なく思った。
この場に到着するまでは、細心の注意をもって無傷でいたというのに――――そう大きくないとはいえ、腕に裂傷ができていた。


執行委員である彼との勝負よりも、巻き込まれただけの七瀬の身の安全を優先する。
それゆえ、今までの執行委員たちへは、牽制として用いていた銃への気持ちを切り替えた。

手足の傷程度は諦めてくれ――と、内心で謝り、葉佩は照準を真里野へ向ける。
躊躇いはなく、初めて執行委員本人の身体へと向けて放たれた銃弾は、効力を発揮――しなかった。

「……ありえない。どこの五右衛門だ」

真里野の周りに落ちたのは、断たれた銃弾。

確かに、刀は銃弾を断てる。だが、それは、固定された刀を狙って銃を撃った場合。
刀の側を動かし、銃弾を落とすなど、人間の反射速度は不可能なはずだ。

そもそも、真里野が有するのは、木刀だというのに。


避けるだけならば、葉佩にも、可能ではある。
ただし、射手の兆候を読んだ上でのこと。射線や引き金を引くタイミングから、予測して避ける。

葉佩は、そんなものを読ませるほど甘い腕をしていない。

それを、避け、落とす真里野は、見えているから避け、間に合うから落としているということ。

「拙者の剣は原子刀という。右目は見えねど、この左目は万物を流れる脈を視ることができる」

見えないからこそ、視えるものもある。
次元を引き裂き、斬る――この世に斬れぬものなどないと語る真理野に、葉佩は顔を顰める。

「……撲殺天使月魅ちゃんにでもなってやろうか」

もうこのレベルまでくると、相手の土俵では勝負したくなかった。
爆弾を投げまくり、時折鈍器で吹っ飛ばそうかとも本気で考える。だが、終わったあとの真理野クンがミンチになってそうなので、どうにか他の手法を模索する。


「本当に効くかなぁ……」

脳内で弾き出された解答に対し、葉佩は不安そうに突っ込んだ。
だが確かに、先程の反応を見る限り、真理野は女に不慣れなようであるし、実行してマイナスがあるわけではないと割り切る。


「ゃんッ」
「す、すまんッ!!」

無論、わざとなのだが。
葉佩が『そうなるように』位置取りした為、真理野の肘が、ぽにょんと胸に当たった。

「えい」
「く……」

真っ赤になった真理野が謝ろうとした瞬間に、葉佩は満面の笑みでもって、急所を――股間をつま先で蹴り上げようとした。
だが、流石の反射神経。蹴りは、内腿でブロックされた。

「甘い……がッ」
「フェイントでした〜。……甘いのはそちらだったな」

急所蹴りも誘い。
意識を下に集中させておいて、死角からの裏拳が、後頭部のカタいところに見事にガツンと当たる。

「くぅ、まだまだッ」

距離を更に詰め、よろめいた真理野に、ぴととくっつく。

「な……何をッ」

顔を真っ赤にして狼狽する真理野には悪いが、単なる投げ技である。
所謂、河津落とし。または河津掛け。

「がッ」

正面から抱きつくように組み付きつつ、足を払い、そのまま後頭部を打ち付けるように、押し倒す。

「……なんか君には色々悪かったから、少しでもいい思いできるように、密着戦にしてみました」

流石に気を失った真理野が、いつものように黒い砂に覆われるのを確認し、葉佩は構えた。

今回、バディがいないから避難させてやることもできないのだなぁと、再度内心で真理野に謝りながら、爆弾を取り出す。



爆弾の波状攻撃によりある程度のダメージを負わせ。
あとは一定距離を保ち続け、どうにか傷を負うことなく、倒し終えた。

結局、七瀬の身体に負わせてしまった傷は、真理野から食らったもののみ。
『ボス』の化人の方が楽だったなと思いながら、一回爆風に巻き込まれて飛ばされてしまった執行委員へと視線を向けた。

ちょっとズタボロになっていたので、慌てて応急手当を施す。
ざっと探索してみたが、やはり雛川がいる様子もないので、まだ意識を取り戻さない真理野の身体を引きずって、『上』へと戻った。


「結局、先生を捕らえたのは誰だ?」

墓地に真理野の身体を下ろし、葉佩は考え込んだ。
H.A.N.Tもチェックしてみたものの、新たなメッセージも届いていない。

「む……無念でござる」

目を覚ましたらしい真理野の声に、葉佩は意識と視線を向けた。

幸い、爆風もそれほどの問題にならなかったのか、元気そうではあった。

ただ、なんだか嘆いていた。

剣の道に生き、修行に明け暮れていたのに、こんなところで潰えるとは――などと騒いでいたが、面倒なので放っておいたまま、葉佩は考え込んでいた。

「不甲斐なきは、この腕よ。真理野家のご先祖様に合わす顔がないわ。かくなる上は、腹を捌いて自決するのみ」
「ちょ……ストップッ!」

だが、真面目な顔で切腹しようとした所で、流石に止めに入る。

「とッ、止めて下さるなッ!! 拙者は、拙者はァ!!」
「恥も汚名も、生きていればそそげます。生きてさえいれば」

入れ替わりを納得してもらうことは、とうに諦めたので、七瀬の顔で、七瀬の声で、優しく優しく諭す。

「拙者を止めたそなたの温かい手。……そなたは生きよというのか」
「ええ。生きてください」

なんかフラグが立ったような気がしたが、葉佩は面倒ごとから目を背けた。
あくまでも優しい笑顔のまま頷く。

すっかり感化されたらしい真理野の言葉を、葉佩は半分程度の意識を向けて聞いていた。

残り半分は周囲を探っていた。
妙な気配を感じ取っていた。

真理野が立ち去るのと同時に、プレッシャーが強まる。


「クククッ、まさか他人の身体でありながらあの剣に打ち勝つとはな」

『中身』が葉佩であることを理解した言葉。
僅かに構えた葉佩の前に、姿を現したのは、仮面をつけた黒い影。

「先生をさらったのはお前か。さっさと返せ」
「我の正体を知りたくないのか?」

まず雛川について問われたことが不服なのか、黒い影はわずかに口元を歪めた。

「まァいい。今日は預かっていたものを返しにきただけだ」

目隠しをされ、ロープで縛られた雛川の姿に、葉佩は表情を消した。
銃の照準を仮面の中心へピタリと当て、冷えた声で告げる。

「すぐに離せ。それとも今死ぬか?」
「安心するがいい、どこも傷つけてはいない」

耳障りな笑い声をあげ、影は雛川のロープを解いた。
一瞬で銃を仕舞った葉佩だが、その姿は銃がなくとも、充分に特異であった。

「七瀬さん? その格好は一体……」

黙り込む葉佩を、黒い影は可笑しそうに笑った。
不審な人影に気付いた雛川は、震えながらも、睨みつける。

「あなたが生徒たちが噂しているファントムとかいう人ね? 天香学園を狙って、何を……」
「葉佩 九龍。お前の身体に起きた異変は、この学園を覆いつつある混沌がもたらした結果だ」

雛川の問いを遮り、黒い影は、勝手なことを語りだした。
生徒会を倒せと、同じ目的を持つ仲間だと、偉そうに笑う黒い影に対し、葉佩は肩を竦めた。

「こんな半端な段階で姿を現すお前は、利用するだけの立場に居られる器じゃない。俺も利用されるほど素直でもない」
「……フン、見るがいい、墓を彷徨い苦悶の叫びを上げる魂たちを」

不気味なうめき声が辺りに響き、悪霊が、一斉に墓から姿を現した。

「チッ、先生!!」
「七瀬さん、これは一体!!」

雛川を抱き寄せて、葉佩は銃を抜いた。
目くらましが主目的であったらしく、撃ち抜かれるとあっさりと姿を消したが、全て片付けたときには、黒い影も消えていた。

「……先生、怪我は?」
「大丈夫……だけど、七瀬さん、その銃は……七瀬さんッ、しっかりして!!」

葉佩の意識は、急速に薄れた。
驚き慌てる雛川が心配ではあったが、もはや意識を保てなかった。


「ここは……七瀬さんの部屋か」

朝の光に目を覚ました葉佩は、周囲の景色に目を顰めてから、納得した。

「戻れたのか」

目線も普段通り。
確かな男の身体に安堵してから、疲れた溜息を吐く。

気を失ったタイミングが最悪すぎた。
銃もナイフも暗視スコープも防弾ベストも。

全て七瀬の身体に身に着けたまま、戻ってしまった。
七瀬にも雛川にも、きちんとした説明をしなければならないだろう。

「ちょっと、開けてくださ〜い?」

そして、今七瀬の部屋の外に居るであろう人物にも、ある程度の説明――というより言い訳をしなければならないだろう。

「開けますよ!! 女子生徒たちも一緒ですし」

ガチャと無慈悲な音と共に、管理人のおっさんと、女子生徒たちが部屋に踏み入ってくる。
部屋に居る葉佩の姿に、当然騒ぎが巻き起こる。

「月魅の部屋に学生服の人が入っていったっていう子がいたから、例の不審者かと」
「何で葉佩くんが、月魅の部屋に!!」
「いや〜ん、もしかして!!」

勝手な推測が為されていく様に、葉佩は諦めた。
さっさと逃走するに限るので、逃走経路を見て取り、走り出した。

おそらく狙いは悪くなかった。
あ、逃げた――などという声も聞こえてきたが、葉佩の脚力の前には、無意味なはずであった。

「九龍クン〜」

彼女の存在さえなければ。

元から資質があったのか。
それとも、ことある毎に、墓に繰り出される経験が彼女を磨いたのか。

「九龍クンのバカァァァ!!」

彼女の光って唸ってしまっている拳は、信じられないことに、葉佩に確かにヒットした。
冗談の如く吹き飛ばされながら、葉佩は薄れていく意識の中で思った。

多分、厄日というやつだったのだろうと。