「――その生徒会執行委員がいきなり銃みたいので撃ってきたらしいんだよ」
「信じられない!! いくら校則だからって……」
爽やかな朝の教室で――生徒たちの話題は、執行委員の『処罰』について。
ただ泣き寝入りすることなく、声高に文句を口にするようになったのが、最近の異変。
いつからか噂されだした、生徒会から生徒を守る黒い影。
正義の使者だと持ち上げる生徒たちを鼻で笑い、皆守は肩を竦めた。
「猫も杓子もファントムファントム――か」
ファントム同盟なんてものまでできたらしいという八千穂の言葉に、皆守は更に機嫌を悪くする。
「自分から何かをする勇気のない奴に限って、ああいうのを祭り上げたがる」
大衆なんて哀れなものだと吐き捨てるように続けると、余程苛ついたのか、ホームルームが始まる前に教室を出て行った。
「もォ〜、相変わらず、訳の解らない理屈ばかりこねてるんだからッ」
「やっちー、……アロマっくすは、いじめられっ子だったりしたのかな?」
一匹狼ではあったが、そんなことはないはずだと不思議そうに応じる八千穂に、葉佩はなら良いんだけど――と言葉を濁した。
――小さな力をどれほど寄せ集めても、絶対に敵わないものがある。
皮肉に笑みながらの、先ほどの皆守の言葉。
それは、ただ捻くれただけの高校生が口にするには、やたらと厭世的であり、心が篭りまくっていた。
「……そういえば、あれからずっと気になってたんだけど、九チャンって月魅のこと、好――」
「あー、先生来た。はい、着席。着席」
嘘ではないが、かなり強引に質問を断ち切って、葉佩はさっさと席に着いた。
あの『入れ替わり』の後、当然のように七瀬は重度の筋肉痛に悩まされ、気に病んだ葉佩が何度か様子を見に行った為、余計に八千穂の誤解が強まっていた。
ちなみに、九官鳥のごとき呼び名は、最初は慄いたものの、既に幾度か呼ばれ、慣れたので、一々突っ込みはしない。
教壇に立った雛川が、生徒に対し、ここ最近の学園の不審者やら噂やらに注意していると、生徒たちが口々に答えだす。
根も葉もない噂なんかじゃない。
ファントムは正義の味方だ。
生徒会の暴挙から守ってくれるのだ――と。
それこそなんの根拠もなく。
ただ、簡単に流され――利用される。
「本当にそうなのかしら? 例え何が起こっても、みんなの味方でいてくれると信じることができるの?」
「そ、それは……」
「多分……」
もう一度考えて欲しいと。
教師の落ち着いた言葉に、真摯な表情に、生徒たちは、今度も容易く揺すぶられる。
「ヒナ先生、大丈夫かな。この学園ってさ、どこで誰が聞いてるかわかんないし」
生徒たちを守りたい。
笑顔で断言した雛川が心配になったのだろう。
ホームルーム終了後、八千穂がわずかに表情を曇せて、葉佩に耳打ちする。
だが、葉佩が答えるまでもなかった。
「ありがとう……、大丈夫よ。先生、こう見えても運動神経はいいんだから」
「わッ、先生ッ」
二人こそ危ないことはしないように――と、注意してから、雛川はしばし黙った。
「葉佩君、まだ少し早いけど――」
七瀬の姿で目撃された事情についてのお悩みなのだろうなと察した葉佩は、逃げるタイミングを計っていたのだが、その態度が後押ししてしまったのだろう。
「――進路のことで話があるの。今、少し時間をくれないかしら?」
そーっとじりじり下がってはいたのだが、雛川にこう言われてしまっては、逃走は難しい。
葉佩は、隠蔽を諦めて頷いた。
既に彼女は巻き込まれていた。
事情を知らぬままに放置するよりは、説明し、庇護に置く方が安全だと判断した。
屋上で話がしたいと先を進む教師の背を追いながら、葉佩は小さく小さく溜息をついた。
初っ端から躓いたとはいえ、自分は一体何人に正体をばらせば気が済むのだろうと、悲しくなってきた。
「あの……進路の話っていうのは、ただの口実なの。ごめんなさい」
「謝らないでください。あなたはとっくに巻き込まれた。説明しなければ――と思ってはいたんですよ」
軽く頭を下げた葉佩に勇気付けられたのか、雛川は強い風に流れる髪を押さえながら、問いかける。
ただの厳しい規律が定められた学園だと思っていた。
ただの転校生だと思っていた。
けれど、学園内で過ごす内に、それが誤りだと気付いてしまった。
「葉佩君、あなたは――何者なの? この学園に転校してきた目的は何……?」
正体を聞かれたら明かす。
適当に決めたルールとはいえ、こうまでストレートに聞かれると、どこまで答えていいか悩んだ葉佩であったが、教えるのは『ある程度』までに留めた。
「《秘宝》を探す《宝探し屋》。某映画の鞭持った教授をイメージすれば、大体合ってます。まぁ、彼のように個人ではなく、組織の人間ですが」
別に組織名まで明かしたところで、ロゼッタは記憶操作だの口封じだのは行っていないはずではあるが、お互いの為に、ぼかして教える。
「……この現代に、そんな人が存在して、こうして宝を探してるなんて……」
しばらく呆然としていた雛川は、不安が堰を切ったのか、切々と語りだした。
皆が怯えることなく、楽しく充実した毎日が送れる学園にしていきたかったけど、何もできなかったのだと。
いくつもの不思議な事件が起きても、何の力にもなれなかったのだと。
「あなたなら……、何かを変えることができると思うの。特別な転校生のあなたなら」
「……全ては背負えませんが、抱えられる範囲でなら、皆の力になりたいです」
主目的――宝探しのついでで救えるならば、出来る限り救いたい。
葉佩はそう決心して、今までやってきた。
そして、これからもそのつもりであった。
「ありがとう、本当に良かった。あ――」
突然降り出した雨に、ふたりして慌てて屋内に駆け込む。
雛川の濡れた服から、下着が透けて見えていることについて、葉佩は気付かない振りをした。
普段ならば、きっと軽くからかったであろう彼が突っ込まなかったのは、年上の女性に対する武士の情けか。
または、彼女の言葉が突き刺さったからか。
『私は例え何があっても、葉佩君のことを信じてるから』
何の力も持たないのに。
教師は教え子を信じると、笑顔で断言した。
「……打算で動いている人間に対して。……優しすぎる、みんな」
雛川と別れ、ひとり教室に戻りながら、葉佩は呟いた。
完全なる無表情で。
四時間目は、自習であった。
突然の自習は、原因が原因であった為に、やたらと騒がしかった。
何しろ、とうとうと言うべきか――教師が生徒会に処罰されたのだから。
「始業のチャイムが鳴っても下駄箱で女子と話し込んでた……それだけで」
「あたし、もォ、やだよ〜、こんな訳わかんない学園」
「くそッ、俺もファントム同盟に入ろうかな」
生徒会への不満は、すぐに反対勢力への期待に転じる。
先ほど雛川の言葉で不安になったことは、きれいさっぱり忘れるらしい。
憑かれた目で、生徒たちは熱っぽく語る。
生徒会なんて、なくなればいいんだ――と。
「う〜ん、なんだかますますイヤ〜な雰囲気。でもファントムって、ホント何者なんだろ。悪戯? 正義の味方? それとも幻影?」
八千穂の独り言じみた問いに答えたのは、葉佩ではなく、丁度教室に入ってきた皆守であった。
「確かに幽霊くらい出てもおかしくない場所だがな」
段々と小声になりつつも、まだ熱っぽくファントムについて語り合う生徒たちを眺めていた皆守は、苦渋に満ちた声で呟く。
「……最近の《執行委員》の暴走ぶりは目に余るものがあるからな」
「珍しい〜、前だったら、アロマ吹かしながら『関わり合いになるような行動を取る方が悪いのさ……』とか言ってたのに」
「おっ、似てる」
やたらと真似が上手かった。
真似されたことが面白くなかったのか、それとも最近変わった――と、前より話しやすくなった――と、笑顔で語った八千穂の言葉が堪えたのか、皆守はまたも教室を出て行った。
「もォ〜、またあんな事いって」
「何しに来たんだ……ちょっと見てくるよ。どうせ自習なんだし」
いってらっしゃーいと軽く手を振る八千穂を残し、葉佩は皆守の後を追った。
探す対象者の話し声が聞こえた為、すぐに見つけることができたが、その意外な組み合わせに首を捻って話しかけた。
「面白い組み合わせだなぁ」
「やあ。丁度いいところで会ったよ」
意外にも快活に応える影と、ほっと救われたような顔をする皆守。
その表情から判断するに、話が弾んでいた訳ではないらしい。
最近、学園の石たちが騒いでいるんだと熱心に語りだしたのは、いつもの石博士――黒塚だった。
生徒会が腐敗し始めたからファントムが現れたのか、その逆か。
結果的に、学園は混沌の様を呈し、石が囁き始めたと語る彼は、物証などなくとも、異変を確信しているようだった。
「石が、大地がざわめいている。この学園で石がだくさんある場所といったら、あそこしかないよねぇ」
「墓地か……? 何故、生徒会と反目する必要があるんだ?」
独り言のように呟いた皆守に対し、自分は生徒会の人間ではないから、詳しいことまでは分からないけど――と前置きした上で、黒塚は意外にも真面目な顔で続けた。
「葉佩君にも無関係な話じゃなさそうだから、一応伝えておいた方がいいかなと思って。それだけ〜」
立ち去る黒塚の背を眺めながら、ますます訳が分からなくなってきた――と皆守は首を傾げて問いを口にした。
「生徒会に反目するファントムは、転校生の味方となりうるのか」
「あはは、珍しい。常時悲観的なアロマ君らしくもない」
アロマ君言うな――と睨みつけていた皆守は、続いた葉佩の声の冷たさに、言葉を失った。
「――敵の敵は、味方なんかじゃない」
「ちッ、雨か。濡れて行くにはちょっと勢いが強すぎるな」
何となく、口数少ないまま、マミーズへ向かっていたふたりであったが、下足箱の辺りで足を止めた。
教室の傘を取ってくると、皆守は校舎の方に戻っていった。
何となく雨を眺めながら待っていた葉佩は、下足箱の陰の方から、唸り声が聞こえるのに気付いた。
「うゥッ……、み、見るナッ!!」
気付かれたことに気付いたのか、声の主は、悲鳴のような声を上げた。
葉佩としては無理に見るほどのことではなかったので、素直に目を反らした。
「ア、ありがとう、でありマス」
「どういたしまして。……苦しいなら、人を呼びますが?」
葉佩は、ただ単にThank youに対しては、Your welcomeを返すような気分で応じただけであったのだが、その反応が嬉しかったのだろうか。
相手は、ぼそぼそと小声ながら語りだした。
「自分を見る人の視線が……痛くて、苦しくて、恐ろしいのでありマス」
見知らぬ人に何を話しているのかと、続けて自嘲する彼の言葉を、葉佩は首を振って否定した。
「それはただの貴方の性質であり、努力する気があるのなら、これから克服していけることだ。この学園にはカウンセラーも居るのだし、活用した方が良い」
日本人の真面目な『悪い』点。
もっと気軽に利用すべきカウンセラーを非常に重くみたり、心因的な反応にもすべて『たるんでる』で済ませてしまう。
「自分のような者に、そんな言葉を……貴殿の言葉は、何故か自分を安心させてくれるでありマス」
安堵し、それでも自分を奮い立たせるかのように『正義を貫く』云々と口にして走り去った相手の背を、目で追っていた葉佩は、ゆっくりと溜息を吐いた。
おそらく彼が今回のお相手なのだろうが、厄介だな――と。
嗅ぎ慣れた残り香を感じ取りながら。
「――ファントムこそは、この学園の真の守護神であり、我々を生徒会の圧政から解放する、救世主である!!」
「うわ〜、あれが今をときめくファントム同盟!? この雨の中元気だなァ……」
教室から戻ってきた皆守と、たまたま合流した八千穂と、三人でマミーズへ向かう途中、のこと。
中庭で雨にも構わず演説する生徒と集まり気勢をあげる生徒たちの姿に、八千穂が呆れたような声で呟く。
皆守は、呆れなどというレベルではなく、明白に怒りをもって吐き捨てる。
「自分たちじゃ何もできない奴らほど、ああして群れると途端に強気になりやがる。それこそファントムの思う壺なんじゃないのか?」
結構な剣幕に気圧されていた八千穂だったが、でも――と返した。
「でも、みんなホントにこの学園がそんなに嫌いだったのかな」
嫌なことばかりではなかったと小声で続けた彼女は、向いの人影に気付き、一転して顔を輝かせて走り出した。
「白岐サ〜ン、良かったらお昼一緒に食べようよッ」
もう済ませてしまったからと彼女は、やんわりと断った。
だが、食べたのがサラダだけだと聞き、そんなのだけじゃ駄目だと力説する八千穂の迫力に、珍しくも――年相応に可愛らしく困惑する。
「やっちー、世の中には見栄とかダイエットとかではなくて、本気で小食な人もいるんだから。困らせるのは良くない」
「えええええェェェ!?」
まだまだ不満そうな八千穂であったが、助け舟を出されておずおずと小さく頭を下げた白岐に気付き、主張を引っ込める。
そういえば――と前置きし、未だ騒いでいるファントム同盟とやらを指差し、尋ねる。
「白岐サンもやっぱりファントムは正義の味方だと思う?」
先程、白岐がじっと、生徒たちを見つめていたのに、彼女も気付いていたのだろう。
「羊の群れが安全に生きるためには羊飼いの存在が必要なのに……。柵を越え、はぐれた羊を誰が守るというの?」
質問になんの関係もなさそうな答えに、八千穂は首を傾げた。
皆守は――黙り込んだ。
「生徒会は本当に不要な存在だと、あなたにはいいきれる?」
「いや。必要だろう? 彼らは外敵を排除するものであって、中の者たちには味方なのだから」
少々厳しすぎるきらいがあるけれど――との言葉に、白岐は微笑んだ。
敵と味方、正義と悪、見誤ってはいけない。
最初から守られるべき子羊ではないのだから。
先程の、年相応の表情など微塵も見せずに。
厳かに告げ、去っていく白岐を、皆守は意識してかせずか――睨み呟く。
「あいつこそ、この学園の何を知っているというんだ……」
「う〜、わかんないッ、考えてたら余計にお腹空いちゃったよ」
全て振り切るように、明るく笑い食堂へ駆け出した八千穂の後を追いながら、葉佩は内心で肩を竦める。
皆が少しずつ提示する伏線の雨に、疲れを覚えて。
「な、何、今の……」
「銃声――しかも口径が小さくはないな」
放課後、突然響いたのは、銃声だった。
目を細めた葉佩の表情は、遺跡に在るときと同じ状態になっていた。
明るい転校生ではなく、この学園の《転校生》に。冷徹な狩人の瞳に。
銃声のした方、階段へ辿りついた葉佩は、足を止め、八千穂と皆守を背後に庇った。
嗅ぎ慣れた硝煙の匂いに、精神が切り替わる。身体能力すらも――変える。
「目がッ……、くそッ、生徒会だ……。オレはただちょっと、文句をいっただけなのに」
目を押さえ、苦しむ男子生徒は葉佩の記憶が確かなら、昼に中庭で演説していた人物であった。
すっかり青ざめ立ち尽くすだけのもう一人の少年――確か、中庭でも側にいた生徒に、落ち着いた声が掛けられる。
「大丈夫、こめかみを掠ったせいで、血が目に入ってるだけだ。……いつまでもぼうっとしてないで、保健室へ運んでやれ」
「でも、コイツを助けたら俺まで生徒会に――」
いざとなったら何もできないくせに群れる――皆守が語った通りの反応を返そうとした生徒を、第三の人物は叱り付けた。
「そんな事いってる場合か!? 目の前に傷ついた同級生が居る。助けてやるのが人間ってもんだろ」
保健室に向う彼らを見送っていた人物――夕薙 大和は、新たに到着した者たちに気付いていたのか振り返って苦笑した。
「まったく、ここは相変わらず賑やかな学園だな」
「夕薙クン!! ね、あの子……本当に大丈夫なの!?」
大した傷ではなかったと断言した彼は、表情を険しくして、付け加えた。
物騒な匂いが残っていた――と。
全然分からないと、首を捻る八千穂と皆守に、答えたのは葉佩。
「硝煙か」
「ああ、どれだけ腕に自信があるか知らないが、放課後の校内で銃を振り回すような輩が、正常な法の執行者であるとは、俺には思えない」
場に増す緊迫感には気付かないのか、八千穂が暢気に、不思議そうに、問う。
「でもどうしてファントムは来なかったのか? 案外、恥ずかしがり屋さんとか?」
「さァ……目撃者の話から察するに、いつもは影から様子を見ていたのではないかという早さで駆けつけるようなんだがな」
夕薙は、皮肉な笑みを浮かべる。
肥後や真理野から『仮面の男』の話を聞いた葉佩は、既にファントムが執行委員を焚きつけているのだと、大体の結論を出している。
だが、夕薙は、独自に、同様の結論に達してるらしい。
「暴走する法の執行者と幻影の如き謎の救世主……どうやら学園の謎はますます深まってきたようだ。だが、君なら真実に迫ることも不可能ではないと思ってる」
「大和……お前な、あまりこいつを焚き付けるのはよせ」
学園の禁忌に近づけば待っているのは生徒会による処罰だけだ――と、まるで葉佩を庇うかのように前に出た皆守が、夕薙を睨む。
転校生とはいえ、命を賭けるほどのものなどないと断言した皆守に、夕薙は口元を歪めた。
「それは葉佩の決める事であって甲太郎には関係ない事だろう? そもそも甲太郎こそ、どうしてそんなにムキになる?」
「それこそ、お前には関係ないことだろ?」
睨みあう二人の険悪さに、『私のために争わないで!!』とか飛び込むべきか検討していた葉佩だったが、幸い、八千穂が先に間に入ってくれた。
「ちょっとちょっと!! どうしちゃったの二人とも。何だか変だよ……」
取り成しに落ち着いた夕薙は、いつもの快活さを取り戻し、笑顔で去っていった。
だが、その姿を目で追っていた葉佩の表情に気付いた八千穂は、臆しながらも話しかける。
どうしたの――と。
「ああ、まっちょは、何で硝煙しかも残り香が分かるのかな――と疑問に思ってさ。君らだって、俺のせいで知ってはいるけど、それでも分からなかっただろう?」
「えッ? あ……、う、うん」
尤もな疑念に答えられず、八千穂は黙り込んだ。
夕薙は、ただの病弱な転校生のはずだった。
だが、現実に――『普通』ではない転校生がここに居るのだ。
彼もまた、普通ではないのかもしれない。
「転校生……それに、生徒会か。約束事とお仕置き。生徒会って、ホントは……何なの……?」
彼女の呟きに応じたのは、葉佩でも皆守でもなく、下校を知らせるチャイムの音。
部活に遅れるから先に行くと、急ぎ走り出した彼女の姿が消えてから、皆守は八千穂の言葉を繰り返した。
「生徒会は本当は何なのか、か……。ん――?」
同時に、皆守の携帯が鳴った。
メールだったらしく、携帯を開け、内容を確認した皆守の表情が曇る。
用事ができてしまったが、下校の鐘は鳴っているのだから、先に校舎を出ていろと、早口で告げる。
「淋しいといけないから、待ってようか?」
「……くだらない事いってないで、さっさと帰れ」」
気を付けて、だが急いで帰れという彼の言葉に素直に従い、葉佩は階段を下りた。
「校則で定められた下校の時刻はとうに過ぎているぞ、《転校生》――」
下足箱にて、背後から掛けられた威圧的な声に、葉佩は笑いながら振り返った。
「こうして顔を合わせるのは初めてだな、葉佩 九龍」
名乗るほぼ同じ身長の黒いコートの男に、葉佩は笑顔でぺこりと一礼した。
「ああ、アモちー、本当にはじめまして」
その暢気さに、《生徒会長》――阿門 帝等は、常に浮かべる厳つい表情を、更に険しくした。
「……なんだ、それは」
「渾名。愛称ともいう。それとも――坊ちゃまの方が良いかな?」
だが葉佩は、怯む様子もなく。
バーの主人が目を細めて語る『身体が弱かった坊ちゃま』が誰のことかわからない程、葉佩は鈍くはない。
「…………止めろ」
執事からの呼称を改めさせることはとうに諦めたとはいえ、敵から呼ばれたくはなかった。
「じゃあ、わかりやすく『アモちー』で諦めよう。俺とかお前みたいな漢字は、読める方が珍しいんだから」
まるでどこかの光の神様だと軽く笑った相手に、生徒会長は額の血管が増すのを自覚しながら、より苦々しく返す。
「お前の苗字も、どこかの神を思い出すな」
日本神話の闇の神を。
「……生憎と、俺は世間話をしにきた訳ではない。教えてもらおうか……、あの墓の中で何を見たのかを」
「日本神話をベースにした、色々と凝った遺跡。神々を祭り、地へ深く続く『ソレ』は本当に墓なのか?」
あっさりとした返答。更には疑問付き。
落ち着いた――冷静極まりない《転校生》の言葉に、《生徒会長》は首を振り、話題をずらした。
「……もしもこれ以上足を踏み入れるつもりならば、お前を不穏因子と見なし、相対せねばならない」
「忠告ありがとう。だが無理だ」
にこやかに、あっさりと。
《転校生》は悪びれることなく答えた。
「そうか……今後墓に入るような事があれば、お前の身の安全は保障できない」
「……今まで敵と認識されてなかったんだ。……アモちー、良い人なんだな」
どうやら本気らしい葉佩の呟きに、阿門は全力で顔を顰めてから、無言で立ち去っていった。
長身強面な生徒会長が、根本的なところで『良い人』だってのはほほえましいなぁ――などと考えながらグラウンドへ向かう葉佩は、視線に気付き足を止めた。
「遅いッ!! 下校の鐘はとうに鳴り響いたゾ!!」
ゆえに処罰する――というやたらと展開の早い怒声と、何よりも聞き慣れた銃を構える音とに、葉佩の意識は考え事から、一挙に現実に引き戻された。
勘のみを頼りに、走りだす。
と同時に銃声が響く。
「クッ、小賢しい真似をッ」
いや、銃弾は避けないと大変だからな――と突っ込む余裕はないので、葉佩は応じることもなく走り続けた。
「大丈夫か?」
だが、もう一種の声に足を止める。
隙をつくらない程度に振り向くと、校舎から走ってくる皆守の姿があった。
「撃ち返していいか?」
「校舎内で銃撃戦をする気かッ!! 馬鹿、逃げるぞ」
何だか対抗意識がむらむらと燃えだしたらしい。
懐に片手を突っ込む級友を、引きずりながら皆守は走る。
「クソッ、あの銃、一体何発弾が入ってやがるんだ」
立て続けに響く銃声に、皆守は舌打ちする。
「100万発入りの宇宙銃(コスモガン)なんじゃないのか」
「ボケかます余裕があるのかよ……」
絶え間なく襲いくる銃弾の雨。
そんなものを、どうにか避けつつ、寝ぼけたことを抜かす友人を、皆守は呆れた表情で睨む。
「真面目な話、銃声から判断すれば、17発入りのモデルなんだよなあ。どう考えても装填数以上に連続で撃ってきてる。……そういう《力》ってことかな」
誰よりも羨ましいと、葉佩は真顔で呟いた。そういえば、銃弾代も馬鹿にならないとぼやいていたなと、皆守は思い出した。
「やっぱ物陰に入って撃ち返したいなあ」
腕を掠め、僅かに制服が裂けているのを確認した葉佩は、物騒なことを呟く。
言葉の意味に、今更ながら皆守は驚愕した。
「まさか……お前、マジで学校に銃持ってきているのか」
「……ハハハ、ナニヲ仰ルノヤラ」
やたらと棒読みだった。乾いた笑いで誤魔化す葉佩は、決して目線を皆守とは合わせなかった。
行動が答えを物語っていた。
以前の、ある程度は武装しているとの言葉は、ナイフなどを指すのだと思っていた。主として、己の精神安定の為に。
「もう逃げないのカ? いっておくが弾切れを狙おうとしても無駄でアルッ」
自在に弾丸を作り出す《力》だと、誇らしげに語る執行委員の言葉に、葉佩の表情が険を増す。
「こ『ころしてでもうばいとる』」
「物騒なギャグかます余裕もないはずだな?」
ごく普通に殺気立ってる級友を軽くどついてから、皆守はこれぞ正義の鉄槌だと高笑いする相手に語りかけた。
「姿もみせずに、物陰から人を狙うような奴に、正義を語る資格があるのか?」
「ムムッ……自分は、3年D組の墨木 砲介でアル」
意外にも素直に姿を見せた男は、ガスマスクを被っていた。
思わず絶句する皆守とは違い、葉佩は昼に下足箱で会った謎の生徒の声が、やたらくぐもっていた理由を理解する。
名を問われ、素直に応じた葉佩に、今度は墨木が言葉を失う。
「その声……、貴殿は昼間の――」
だが一転し、転校生ならば、違反者どころではない大罪人だ――と、銃を構えたまま演説する彼を眺めていた皆守は、冷ややかに問いかける。
「……お前が近頃評判の暴走執行委員か。本当に、自分のしていることが正しいと思ってるのか?」
「自分は……、法の執行者であるッ!!」
躊躇うからには、彼もまた、自分でも疑問を抱いてはいるのだろう。
「自分は正義の名の下に法を執行するものであり、貴様こそが悪なのダッ!!」
「……どっかの大国の理屈かよ」
思わず突っ込んでしまうほどに。
呆れた表情を出してしまった葉佩に、墨木は苦しげにその身を折った。
「見、ルナ……そんな目で!! そんな目で!! 見るナアアアァァッ!!」
不意に跳ね上がり、銃を構えた墨木は、引き金を引いた。
たが、銃は葉佩たちまで届かなかった。
鋭い剣戟の音が、銃弾を断ち切ったから。
「またつまらぬ物を斬ってしまった……。だが、これも友の身を守らんがため」
「……だから何で木刀でできるんだよ」
助かったという安堵よりも、やはり呆れが先立ってしまった。
クールに笑う剣士の腕は、何かが可笑しい。
「クッ……貴様ッ、裏切り者メッ」
「ふッ、お主の心に混沌が見えるぞ。何を信じ、何を疑うべきなのか――それすら解らずに葉佩が倒せるはずもない」
「信じるべき、モノ……? クッ……」
墨木が苛立たしげに再度銃を構える前に、女生徒の大きな声が響いた。
警備員を誘導しているらしき内容に、墨木が歯噛みする。
「ムムムッ……、葉佩、次に会うことがあれば、容赦なく――撃」
「今だって撃ってただろ」
「基本的に突っ込み体質なのかもしれないが、決め台詞に被せちゃ可哀想だろ」
皆守の突っ込みと葉佩の更なる突っ込み。
暢気の二重奏に、墨木はヒステリー気味に叫んだ。
「五月蝿イッ!! ……自分の銃は、正義の、タメニ……」
警備員がくるなら面倒なことになるからと、真理野は足早に去った。
だが、到着した、元気な声の持ち主は、八千穂であった。
「二人とも、大丈夫?」
「八千穂――てことは、警備員なんてのは嘘だな」
遅刻の罰でランニングさせられていたら、銃声――ひいては、襲われる二人に気付いたらしい。警備員というのは、咄嗟の機転だったようだ。
「ありがとう、やっちー。助かった」
「えへへー、よかった〜。けど、あの子……放っておいて大丈夫かな?」
苦しんでるみたいだったと心配そうに続ける。
「あの子がいってた正義――って、何だろうね」
皆守は知る訳がないと、ぶっきらぼうに応じた。
「あたしね、正義っていうのは何かを傷つける事じゃなくて、守ることなんじゃないかなーって思うんだ」
そう真面目な表情で語ると、八千穂は部活に戻らなくては怒られる――と、大急ぎで去っていった。
「ホントに騒がしい奴だな。まァ、お陰で助かったが……」
安堵空気を打ち破るように、皆守の言葉を否定するように、耳障りな声が響いた。
「やはり生き残ったか、転校生よ――」
声のした方を見上げると、建物の屋上に、白い仮面の男が立っていた。
呪われし学園に裁きを下す者だ―ーと、雰囲気に浸り語る男に、皆守は確認の意味で問う。
「お前が執行委員たちを唆していたという訳か」
「忌々しい墓守共――、我の意のままに働く様は、さながら地の誘惑に負けた天若日子のようではないか」
すっかり『何言ってんだコイツ』という顔になっている葉佩と違い、皆守は律儀にファントムを睨みつけていた。
「我は鍵を探さねばならない。墓守共の相手はお前に任せるとしよう」
あくまでも偉そうに。
探索の足しにしろと、校舎の鍵を投げ捨てていったファントムに、正直、葉佩の好感度は上がった。
もちろん、隣にたつ皆守には、そんなことは言えないが。
「あれがファントムか。あの仮面は、どこかで見たことがある気がするが……。ここで考えても仕方ないか」
寮へ帰る途中に、皆守は聞いた。
ずっと聞いてみたかったことを。
「……なァ、お前は死を恐れたことはないのか?」
「恐れなかったことがない、怖いさ」
あれだけの銃弾にさらされながら、かすり傷ひとつ負わなかった男があっさりと答えた。いつでも、いつも怖いと。
「それでもお前は、今夜も遺跡に行くんだろう? 己の身の危険も省みずに」
恐れる素振など微塵も見せずに。
そんな葉佩に言いようのない苛立ちを感じ、皆守は先に寮へ入った。
後を追おうとした葉佩は、どこからともなく響く鈴の音に足を止めた。
音源が特定できない。
場自体に響く音に目を細める彼の前に、鏡合わせのようにそっくりな二人の少女が現れる。
「行ってはだめ。どうかもうこれ以上、学園の平穏を乱さないで……葉佩 九龍」
彼の名を呼び、口を開くことなく、彼女たちは語る。
「ここは哀しき王の眠る呪われた地。どうかもう、これ以上扉を開かないで」
鈴の音とともに、彼女たちの姿は闇に溶けた。
静かに佇む葉佩の背に、寮の入り口から皆守が声を掛ける。
「何だって、『ひとりで』ずっとそんなとこで突っ立ってんだ? 風邪ひくぜ?」
ああ悪い――と、寮へ歩き出しながら、『怪異』の感覚に鳥肌を立てながら、少女らの言葉を反芻する。
墓の攻略は簡単だった。
銃という、便利な攻撃手段を敵が使うのだから、自力で防げる人間ということで、真理野と椎名リカに声を掛けたのだが、攻撃能力を持つ仲間というのは、予想以上に有用だった。
身体が七瀬になっているわけでもなく、吊天井だの大玉だの大規模な罠もなく。
大仰な扉の前に、それほどの苦労もなく到着した。
「やはり来たカ。葉佩 九龍――。では、最後の警告ダ。命が惜しくば、即刻この場から撤退セヨ」
扉の向こう――最深部で待ち受けていた墨木の言葉に、葉佩は笑顔で肩を竦めてみせた。
「面白い冗談だな。命は常に惜しい。だから――生き残っている。そして、こんな仕事しているんだ。常に命は掛けている。君は覚悟もないのに、この場に――戦場に在るのか?」
「貴様……、おちょくってるのカッ!!」
激昂し、銃を構える墨木を眺め、葉佩は無意識の内に口元を歪めた。
「君は相手にならない――他の誰よりも」
「貴様ッ!!」
挑発ではない。
事実だった。
弾切れがない。
その力は、非常に羨ましい。――経済的な意味で。
戦略的には、何ら必要ない。
リロード時間はある一定以下であれば良い。『0』など無意味。
朱堂の精密過ぎる投擲と同じこと。
そこまでは、実戦では必要とされない。素晴らしい、しかし、ただの芸だ。
相当な腕の精密射撃。そもそもの連射のスピードも高い。
墨木は、戦闘能力としては、確かにかなりのものだろう。
だが、人を殺す為に撃ったことがない。
威嚇射撃ができること、射撃の的に当てること。それだけでは不十分。
素手同士では、人は体格差に大きく影響される。
刃物であっても、リーチの差は埋めがたい。
無論、経験なり、技術なりでカバーすることは可能だが、まず身体がありきになる。
だが銃は別。
照準を定める能力と、引き金を引く覚悟さえあれば、女子供であろうとも、力の差は簡単に覆る。
大口径など必要ない。手のひらに隠れるほどの小さなもので、人は十分に――殺せる。
だからこそ、銃を手にする者は、自覚しなければならない。
自分が人を殺せることを。
自分が誰かに殺されるかもしれないことを。
墨木は、両方の覚悟がない。
銃相手に、至近距離にて、敢えて姿を正面から晒す。
射線上に身を置く恐ろしさを、経験が全力で否定していたが、これこそが大正解なのだと、鳴り響く警鐘を意思でねじ伏せる。
予想通り、突如眼前に現れた人間に、墨木の手は硬直した。
それは、ほんの僅かな躊躇い。
だが、葉佩には充分な隙。
葉佩は容赦なく引き金を引き、墨木の銃が弾き飛ばされる。
それを目で追ってしまったのが、墨木の失敗。
くの字になるほど、鳩尾に膝を叩き込まれ、前のめりになった首に肘を落とされる。
「じゃあ、彼を守ってあげて」
いつものように、黒い砂を吹き上げる身体を足でずりずりと寄せて、葉佩は仲間に告げた。
「戦う意思を持つ者だ。過保護にする必要はあるまい」
「葉佩クンのために来たんですの。リカは自分の守りたいものを守りますわ」
問題は、彼らが皆守や八千穂ほど優しくなかったことか。
確かに正しいのだが、流石は元同僚。厳しかった。
「あー、まぁ、大丈夫……か。じゃあマリっちは雑魚を――全部。リカちゃんは、ありったけあの化人に爆薬を頼む」
「承知」
「はい。承りましたわ〜」
『ボス』に関しても、攻撃能力の物量作戦は有効で。
本来、あまり素人たる級友たちを巻き込みたくはないのだが、この楽さは、クセになってしまいそうだなぁと、葉佩は少し考えこんでしまった。
攻撃能力に優れた者――真理野に椎名、他には朱堂辺り。
仲間になってくれれば、墨木も同様だろう。
暇な時に、墓に潜って、色々な組み合わせを試してみよう――葉佩は、そんな利己的なことを考えながら、地上に戻った。
「葉佩ドノが取り戻してくれたのでありマス。自分の大切な宝を。……今度は自分が葉佩ドノの力になる番でありマスッ!!」
――宝探し屋の心、墓守知らず。幸いなことに。
意識を取り戻した墨木は、手渡された宝物――ペンダントに加工された引き金を握り、悔やんだ。
銃は大切な何かを守るものだったのだ――と。
兄に詫びながら。
「今度こそ、この銃に賭けて自分は自分の大切なものを守るでありマスッ――」
感極まったらしき墨木の誓いに、葉佩は笑顔でありがとうと返した。
彼を銃と戦場とに慣らす成長計画を素早く練りながら。
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