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「おはよっっっ、角倉!!」

名前もロクに思い出せないクラスメートのどなたかが、朝っぱらから元気にがなりたてる。

だが、イラつく気分を、完璧に押さえ込む。家族に逆ポーカーフェースとまで言われた、いつもの柔らかな微笑みとともに返事をする。

「おはよう」

これが日常。
いつもと変わらぬ、このくだらない日々が続くと思っていた。
その刻までは……

―― 東京魔人学園剣風帖 第零話 ――



もはや、習慣となった優等生の態度で、授業を終えた時だった。
騒音が聞こえる。
どうやらどこかのクラスにきた転校生が、喧嘩寸前の騒ぎを起こしているらしい。

男子校でそんなに気張るとは、欲求不満なんじゃねえの――などと思いながら、なんとなく目を向けると、その転校生と一瞬目が合った。



ある意味尊敬してしまう。ご苦労な事だな。

莎草とかいうその転校生の目は、全てを憎み、恨んでいた。
全てがどうでも良い自分には、信じられないほどの感情の発露だった。



呑気に傍観しているうちに、教師の介入によって騒ぎは止められていた。

このお坊ちゃま校では、珍しい騒ぎだったため、いろいろ莎草の噂が流れてきた。
こんな時期に、東京から神奈川県にワザワザ転校してきたのだから、余程の事情があるというのは、阿呆でもわかるだろうに。

帰りに、また誰かと騒ぎを起こしている彼を見て、心から感心した。
本当に馬鹿なんだな。



つらつらと、考え事をしていたせいか、大船駅の曲がり角で、大荷物を抱えた女の子とぶつかった。

相手は、すいぶんとダイナミックに転んだ。
結構キレイな娘だった。制服は、うちのすぐ裏にある名門女子校のものだった。
お嬢様か、髪型もストレートロングで好みだ。

一瞬で見定めながら、顔では心配そうに手を差し出す。

「すみません。大丈夫でしたか?」
「うん。大丈夫。私こそゴメンね、よく見てなくて」

彼女は照れたように笑いながら、よろよろと立ち上がった。
無理だろう、その荷物。

「荷物少し持ちますよ。どこまで持っていけば楽?」

これじゃ下手なナンパだな、と思いつつも、珍しくちゃんと助け舟を出す。

どうしてだろう。
彼女に、懐かしいものを感じたからかもしれない。

「悪いよ、そんなの」
「またすぐにコケられたら、と思うと心臓に悪い。こんなナンパ男みたいなのは、いやだと思うならしょうがないけど」

わざと卑下してみる。
彼女は少し考えたあと、言った。

「じゃあ、すぐそこのバス停までお願いできる?」
「もちろん」
「ありがとう。私、青葉さとみ。えーと」
「あ、俺は、角倉龍麻」



彼女も高校二年生とのことだった。
タメなので、言葉遣いは適当にする。

「その制服ってことは、角倉くんは栄香学園の2年だよね?A組の比嘉くんって知ってる?比嘉炊実」

ちらっと考えてみたが、俺の記憶力では、同級生でさえ怪しいのに、判るわけがなかった。

「う〜ん、わかんないな。ごめん」

と、答えたとき、駅構内に大音量が響いた。

「さとみっっ!!」

だだだだッと、なんとなく見たような顔が駆け寄ってきた。
そして彼は、血相を変えて問いただしてきた。

「おまえなのかッッ!?さとみに言い寄ってる栄香の奴って!!」

とりあえず落ち着け、と言いたくなるな。
今日は、感情豊かな奴が多い。


俺が答える前に、青葉さんがフォーローをいれた。

「違うってば。彼は荷物がスゴイからって持ってくれたの!!大体、角倉君は今日はじめて会ったんだから」
「え」

今度は硬直してるよ。面白いな。


「角倉、悪い。ほんッとすまない」

と思ったら、一転して謝りだした。素直な人だな。
彼女と共謀した浮気だったら、どうするんだ?

「いや、こんなナンパみたいな真似してたんだから。彼氏に怒られてもしょうがないよ」
「「彼氏じゃないよっっ!!幼なじみ!!」」

すげー。ハモってるよ、まさにボーイズビってる。
あまりに典型的な幼なじみで、こっちが恥ずかしくなってしまう。

言い争いを続けるふたりを、感心して眺めていた。
その際、なんだか微笑ましくて、珍しい事に笑ってしまった。

「「あ、ばかにしてるな!!」」


だから、ハモるなって。


「いや、そうじゃなくて、見てて面白かったから」
「それをバカにしてるとか言わない?」
「そんなことはございません」

などと話していると、本数の少ない団地方面へのバスがきた。

栄香少年も、気付いたらしくて、彼女に教える。

「さとみ、バスきたぞ」
「ホントだ。角倉くん明日ヒマ?」

逆ナンですか?
そこそこ暇なので、素直にそう答える。

「比嘉くんはヒマだよね?」

彼女は嬉しそうに頷いてから、少年にも尋ねる。

「なんで断定なんだよ」
「でもヒマでしょ?」
「そうだけど」
「じゃ、お礼を兼ねてみんなでお茶しよ」

少年の顔が曇った。俺はお邪魔ですか?

「それはいいけど、お前。アイツは?」

違ったようだ。別に何か問題があるようだな。
俺にはよく分からん話だが。

「気をつけて逃げる!!じゃ、また明日ね」

突風のように、去っていったな。
どうやらまた微笑んでいたらしく、彼が真面目な顔をして、こっちを見ていた。

誤解は、解いておいた方がいいよな。

「盗らないって」
「いや、そうじゃなくて時間あるか?」

あまりに真剣な顔なので、茶化したくなる。

「デートか?いくら男子校だからって、それは」
「違うっつうに。ちょっと来い!」

と、そのままずるずるとマックに引張って行かれた。
とりあえず座ったところで、聞いてみる。


「自己紹介してないけど大丈夫?」
「知ってるよ。角倉龍麻だろ。中2の時いっしょだったじゃんか。
俺は、比嘉炊実だよ。忘れてるな、お前」

そうだっけ?
よく覚えてないな。

「記憶が消えてる」
「このやろう。お前ってヤツは、本当に……。それで、真面目な話していいか?」
「よろこんで」
「本気だっつ−の。それでお前、莎草はわかるか?」

莎草?あぁ、あのバカか。

「転校生のヤツ?」
「お前が知ってるんだから、スゴイよな」

なぜに君は、そんなにボクの事をしっかりと理解していますか?
が、こっちの疑念には気付かないらしく、彼はそのまま続けた。

「そう、そいつがさとみに付きまとってんだよ。しかも、お前は俺のもんだ、みたいな言い方をして」
「じゃあ君は、さとみに手を出すなとか言って、土手で喧嘩しなきゃ」
「おい」

茶化しながらも、彼が真剣な理由は気付いていた。
同じ組だけに、莎草の異常さがわかるのだろう。
それに、やっはり幼馴染。王道として、口には出していないが好きなんだろう。

「手伝うよ。とりあえず一緒にいて、何かされたら速攻逃げて、警察呼んであげる」

今度は心底驚いた顔で、こっちを見ている。
本当に感情が顔に出るな。心の中で”見てわかるクン”と呼んだろか。

「意外だ」

比嘉は、無意識になのだろうが、そう呟きやがった。失礼な。

「ナニをいう。この愛の使者にたいして」
「いや、角倉ってさ、誰にでも優しい穏やかなヤツって評判だったじゃん。
だけど、それは裏を返せば誰にでも冷たいってことだと思ってたし。
クラスがいっしょだった時に、そう思ったから。ごめんな」



実際その通りだ。全てがどうでもいいから、誰も嫌わないし、みなに平等に優しい。
だが、本気で驚いたよ。

「驚いた。それ、ほかの人も気付いてる?」

だれかにそれがバレるとは、考えた事もなかった。
よく気が付いたな。

「う〜ん、知らないんじゃないかな。俺も気付いたのずいぶん後だったし。
ふと、お前って、優しげに笑った顔だけしか知らないなと思って。じゃあ、やっぱそうなんだ」
「ま、そう。でも今心配しているのは本当だよ、珍しく。他のヤツらだったら、こんな顔して」

ここで思いきり善良そうで、真剣に心配している表情をつくった。
そして、真摯な声で言った。

「"何かあったら力になるよ。いつでも言ってくれ”って言うから」



それから、比嘉は堰をきったように、莎草の話をしだした。

俺にとっては、ある意味感動話だ。よくそこまでイチイチ人に噛み付けるもんだ。
あいつ、本当に無意味に、反抗的な奴なんだな。

「ありがとう。本当に。なんか人に話したら、少し楽になった」

気休め程度なのだろう。
そう言いながらも、相変わらず辛そうな表情をしていた。

比嘉と駅で別れた後も、ふたりの事が気にかかっていた。
だが力になるとは言ったもののどうすればいいのか。
せいぜいガキの頃に空手のようなことを習っていたくらいで、この性格上、面倒事は避けていた為、実践経験などは無きに等しい。
久しぶりに、鍛錬とやらをしてみようかと考えた時だった。

「角倉――いや、緋勇龍麻君だね」

背後から、いきなり問い掛けられた。
しかも使っていない本名で、だ。


振り向くと、そこには逃げたくなるほど怪しいオッサンがいた。
顔立ちは整っているんだろう。
しかし、ひげ、ソバージュ、ロンゲ茶髪。
マジ逃げ出していただろう。記憶に無ければ。

「鳴瀧先生」

昔していた、空手もどきの先生だった。
いや、師匠とかいうのか?

「ほぅ、よく覚えているね。最後に会ったのは、もう十年近く前だというのに」

彼は、昔を懐かしむような目をしていたが、その救世主のようなナリを、そう簡単に忘れるものか。いくら、俺の記憶容量に欠陥があるからって。

心の中でツッコミつつ、そつなく挨拶をする。

「お久しぶりです」
「あまり変わっていないね。ところで、少し時間をもらえるかな。
君の実の父親、緋勇 弦麻のことで、話がある」



今日は色々ある日だなと思いながらついていくと、古武道について語られた。
それは、父親の話じゃねぇだろうと思いながらも、とりあえずは、おとなしく聞いていた。

それにしても、あれ古武道だったのか。
なんか空手にしては変だと思った。

などと、特技--真面目に聞くフリをしながら考え事--をしていると、鳴瀧さんは、なんだか思わせぶりな事を言い、去っていった。



考える事が多かったため、翌朝は、寝不足気味で登校した。
なにかがあったらしく、学園全体が妙に騒がしい。
寝不足だというのに、鬱陶しいな。



市村が、自分で自分の目を潰したってよ
受験ノイローゼか?それにしたってヒデェな

眠いまま、ぼうっとしていると、
そんな会話が聞こえてきた。

市村って、確か昨日の帰りに莎草と揉めていたな。
しかし、自分で目を?そんなことありうるのか?



最近、君の周りで奇妙な事は起きていないかね

鳴瀧さんの言葉が、まず浮かんだ。

さてはあのオヤジなんか知ってやがるな。
帰りにでも、と考えた瞬間に声を掛けられた。

「ごめん角倉。課題忘れて山崎に呼び出しくらったんで、帰り少し待っててくれるか?」

比嘉達と約束してたな
忘れかけてたよ。

「構わないけど、山崎のなんか忘れるなよ。恐ろしい」
「まぁまぁ、悪かったってば」

明るく答えながらも、顔色が良くない。
多分、莎草のことを考えていたのだろう。


放課後、ボーっと待っていると、比嘉が廊下を歩いてくる姿が見えた。
帰る用意をして、教室から出て行くと、いつの間にか莎草と話をしていた。

比嘉が精一杯、明るくやんわりと、青葉の事を話しているが、莎草タイプにそれは、思いっきり逆効果だろう。わざと挑発してるんだろうか?

案の定、莎草がキレだした。
止めるのも大変そうなので、教師の姿を探したが、必要な時に限っていないな、あいつらは。

しょうがないので、ちゃんと止めようと、視線をふたりに戻すと、比嘉が苦しんでいた。
莎草がなにかしたのか?

何だ?あの紅い光は

妙に禍禍しい光が、莎草を包んでいる。

自分で目を潰した市村、苦しむ比嘉、……なるほど。
理屈は判らんが、奴は人の動きを操れるってことか。



「おい、うすら馬鹿。比嘉を解放しろ」

できる限り、挑発的に言ってみる。
ま、ただ単に、地を出すともいうが。

「何だと、俺をナメてんのかよ」

速攻冷静さを無くしたらしく、比嘉が呪縛を解かれた。

「お前のどこに敬う要素があるんだ。
30字以内で、簡潔に述べてみろ、阿呆」

莎草の目つきが、一気に剣呑になった。
わかりやすい奴だな。

と、観察している場合ではない。さすがに構える。

これほど逆上した相手ならば、動きが止められる前に、気絶させられるかもしれない。


「おいッ、お前ら。なにをしているんだ」

ナーイス、先生。さっき来てほしかったけどな。

莎草は、俺たちを凄い目つきで睨んで去っていった。
ちっ、教師がいたなら、待っていれば良かった。これで、俺も完全に目をつけられたな。


その教師には、適当な事をいって、誤魔化した。

「お前って、アレが本性なのか?」

教師が去っていったあと、比嘉が最初にいった台詞はそれだった。
失礼な。アレが演技だ。俺は良い人。

「なんで、呆れた目で、俺を見る?とりあえずアイツにびびろうぜ。
やっぱり莎草が光ったら、身体が動かなかったわけか?」
「あんまりビックリしたんで、そんな些細なことは忘れかけてたよ。
そう、動けなかったんだけど、光ったって何が?」

嘘をついている様子ではない。
つまりは俺の目がおかしいか、普通はアレは見えないものなのか。

「莎草紅く光ってたじゃんか、オーラって感じで。見えなかった?」
「なんにも見えなかったぜ」

念の為に聞いてみたが、そういうことらしい。
普通は見えないんだ。

「じゃ、なに?俺ってエスパー?」
「どっちかってゆーと霊能者だろう。見えないはずのモノが見えんだから」

軽口を叩いてみると、そう返された。

比嘉には見えず、俺には見える。俺も、あいつと同類ってことか?



それは嫌だ。考え込むと、暗くなってしまう。
さっさとここを離れたくて、話題を変えた。

「ともかく、悩むのは後にして急がないと、青葉さん待ってんじゃないか?」
「あ、あぁ、そうだな。とりあえず急ごう」



そのあと三人で駅周辺をうろうろしたが、……比嘉。
その悩み事ありますって顔で、辛そうに笑うのはやめてくれ。

青葉さん明らかに気付いたな。
それにしても、このふたりうらやましい。
明らかにお互いを気遣ってて。大切にしていて。
俺は、ちゃんと女を好きになったことがないからな。

この優しいふたりには、傷つかないでいてほしい。
損得考えずに、彼らだけは守りたい。

要は、莎草に自由を奪われる前に、ぶちのめせばいいんだろう。
だからふたりと別れたあと、教えられた拳武館の道場へ来た。


なのに、このヒゲ親父!!



「災厄が、通り過ぎるのを待つ事だ」

普段ならそうするさ。

何もしなくとも、災厄が通りすぎるのなら。
そして、災厄を受ける者が、大部分のどうでもいい人間ならば。

だけど、今は両方違う。だから答えた、にこやかに。

「いやです」

しばしにらみ合う。

目をそらさずに、続けてみる。

「もう既に、友人二名が巻き込まれています。だから、何もしないのは却下です。
それに、俺には莎草が、あの力を使う時に、光をまとうのが見えます。その前に、奴をどうにかすれば良いんでしょう。別に不意打ちでも構わないですし、そこまで難しいとは思いません」

鳴瀧は、諦めたように俺から目をそらして、『遅いから泊まっていくように』とだけ言って、去った。



すぐには寝つけず、考えていた。
他の同級生とその恋人が、この厄介事に巻き込まれていたら、と仮定する。

考えるまでもない、
そもそも最初っから、介入さえしないだろう。

なぜこんなに、あのふたりを守りたいのだろう。

青葉が誰かに似ていたから?
素直なふたりがうらやましかったから?

考えるほどに、目が冴えていき、しょうがないので起きあがる。
昔よくやらされた瞑想でもすれば、考えもまとまるかもしれない。
幸いここは、道場だし。

どれくらい時が過ぎたのか、不意に背後から声をかけられた。

「どうした。眠れないのかね」

この状況だったら、普通は叫ぶぞ。
どうやらこの人には気配ってモンがないらしい。

「ええ、師匠にあたる方が、何も教えてくれないため、自力でどうすればいいか、必死に考えていたので」

おかしいな、どうもこの人には皮肉がすらすらと出てきてしまう。
そういや、昔に習っていた時は、本性を出していたような気がする。


「君は、強くなりたいという願望はあるかね?」

そりゃあるさ。他人に虐げられるのが大っ嫌いだからな。
だけど、今は他にも理由がある。

「ええ、守りたい人を守れますから」



その言葉に、鳴瀧さんが相当怒った。
意外だ。感情の起伏が、あんまりなさそうな人なのにな。

なぜに、ここまで怒るのか――そうか、多分これは、俺に言ってるんじゃないな。

「馬鹿げているッ! 後に残された者の気持ちを考えてみろ」

親父はそうやって死んだようだな。
今でも大切に思ってくれる人がいるわけだ。

「残しません」

後に残される者が、そんなにも辛いというのなら、解決方法はひとつある。

人も、そして自分も護れるほどに強くなればいい。

意外にも、考え事の結論がすっぱりと出た。眠るために立ちあがる。
鳴瀧さんに、感謝の念を込めて言った。

「ありがとうございます、結論が出ました。
では、おやすみなさい」


翌日、すっきりとした気分で道場から登校した。

校門に辿り着くと、なんとそこに青葉さんがいた。
いくら栄香と聖泉が背中合わせとはいえ、別に兄弟校ってワケでもない。まずいだろう、それは。
美人なせいもあって、視線を結構集めている。


俺に気付いた彼女は、思い詰めた表情で、駆け寄ってきた。

「角倉君。比嘉くんが変なの。なにかあったの?」

やっぱり気付くよな。……比嘉。
当り障りが無いところだけいうか。マジ心配しているし。

「莎草とね、ちょっとモメた。喧嘩になりかけ。
比嘉は、ああいう性格だから、人と争うのヤなんじゃないかな」

彼女は、息を呑んだ。それから哀しげに呟く。

「私のせいかな」

相談してしまったことを悔いているのか、辛そうでさえある。
だけど違うと思う。原因は、彼女ではない。あくまでも莎草だ。

「それはないよ。青葉さんに嫌な思いをして欲しくないのは、比嘉の意思だから。
心配するのは構わないけど、自分のせいにしちゃいけない」

彼女は少し驚いていた。
そんなに君らの中じゃ極悪人か?俺は。

「ありがとう…。
あ!あれ、比嘉くんじゃない?」

彼女が指した方に、公園の方へ歩いていく比嘉の姿があった。
こんな時間に?しかも、あんな思い詰めた顔で?

「ちょっと、見に行くね。青葉さんは、もう自分の学校行ったほうがいいよ」
「気になるからついてく」

しょうがないので連れていった。

公園の方まで来ても、比嘉の姿は見えなかった。
それどころか、やな予感がする。

「その女を渡してもらおう。角倉」

大正解。
いきなり現われた連中は、俺にはわからんが、知り合いらしい。

「なんだ、もう莎草の犬になったのか?たしか数日前までは勇ましく、奴に絡んでいなかったか?将来政治家になれるぞ」

三人か。でも、この程度の腕なら何とかなりそうだな。



「くッ、こいつ強ェ…」

おまえらが弱いんだよ。
俺以上に実戦経験がないらしく、結構あっさりすんだ。

「角倉、これは」

現われた比嘉が、困惑していた。というか、何処にいた?
でも良かった、無事だったんか――という前に、背後に不穏な空気が流れた。

「こいつは丁度いい」

嫌な声に振り向くと、居たよ莎草が。しかも青葉さんのすぐそばに。

「人質か?素晴らしいまでの三流悪役ぶりだな」
「ふんッ、ふたりとも動くんじゃねェ。動けば……わかってるよな、くくくッ」

素敵に最低ぇー、こいつ。

「やれ」

後頭部に衝撃がきた



「目が覚めたかね」

鳴瀧さんの声で、意識が戻った。

頭いてー。ガンガンする。
あの野郎、
力加減を知らないお坊ちゃんに、後頭部を殴らせるなよ。

「ここは?そうか、誰かに見張らせていたんですね。
ふたりが――青葉と比嘉が、どこへ連れてかれたかは、ご存知ですか」
「青葉君のほうは、な。君の友人はいなかった。この件には関わるなと言ったはずだが?」
「言われましたね、だけど聞くとは申しておりません。青葉は、どこにいるんですか?」


碌に説教を聞かずに、再度尋ねる。
鳴瀧さんは、厳しい顔になって言った。

「なぜ、彼らにそこまで肩入れする?
報告では、君は誰とでも親しく、そして誰とも親しくないとの事だった。
青葉君が迦代さんに似ているからかね」

母親――そうか、懐かしかったのはそのせいか。
顔も覚えていないけれど、おそらく似ているのだろう。父の親友が、半身がそういうのだから。
だけど、護りたい理由は違う。先刻理解できた。

「初恋だからでしょう」

たとえ、出逢った時には、もう失恋が決定してたとしても

そう、共にいるあのふたりが好きだから。
はじめてだろう、こんな事を思ったのは。
付合った女もいた。勝手に人の事を親友とか、ほざく奴らもいた。
だけど、どうでも良かった。
拒むのも面倒だったから、耐えられぬほどに鬱陶しくなるまでは、側に置いていたに過ぎない。


「助けに行きます。場所を教えて下さい」
「では、私の部下と闘ってもらおう。君がもし、大切な者を護りたいのなら、その想いの強さを私に見せてくれ」



なんとか全員のして、場所を教えてもらう。
鳴瀧さんも、本気で止める気ではなかったのだろう。
彼自身が相手となるなら、十秒持つかもわからないのだから。

門下生を倒す能力もないなら、助けに行く資格もないということなのだろう。


手加減された危険――演習としては最適ってことか。
その考え方は好きだけどな。



教えてもらった廃屋のそばには、様子を窺う比嘉がいた。

彼は少し前から廃屋を見張っていて、出入りを把握していた。
今は青葉だけがいるそうだが、彼女は気を失っているのか、全く気配がしなかった。

用心して中に入ってみると、吊るされたような格好の青葉がいた。
何もない空間で、十字に縛られた状態の彼女はぐったりとしていた。
やはり意識がないらしい。

「なんだよ、これは。どうして動かないんだ?」

比嘉が焦った声をあげた。
目を細めると、紅い糸に吊られているのが見える。これを切ればいいのか。



「比嘉ちょっと下がって」
「わざわざ、死にに来るとはバカなヤツらだ」

意識を集中してみようと思ったら、不愉快な声がした。
また、来たか。

「馬鹿にバカと言われる筋合いはない。
それに、死にに来たつもりも毛頭ない。去れ、存在が邪魔だから」
「てめぇ…」

お、紅くなりかけ。今のうちに、と思ったら。おいおい。
なんで先に比嘉を操るんだ?

「次は角倉――お前を始末してやる」

意識を比嘉から逸らさせなければまずい。心から鼻で嘲笑う。

「無理だな、大体なんで俺を後にするんだ?怖いのか?能無し、臆病者、考え無し、単細胞生物、ゾウリムシ」
「……お前から先に殺してやるよ」


挑発にあっさりと乗った莎草の目が、こちらを向く直前――視界が歪んだ。

    ――目醒めよ。

ぼやけた景色が浮かんだ。よりによって、こんな時にッ!

現実感が無い。なんだろう?声が聞こてくる。誰かが、語りかけてる?
懐かしい、だが知らないはずの声。

    『強くなれ、龍麻』


なんだったんだ、一体。

意識が現実に戻ってくる。莎草が何だか焦っていた。
呪縛も解けているし、異様な高揚感がある。


そして、助ける方法を理解していた。
青葉の方を向き、集中する。糸が先程より、はっきりと見える。
それを断ち切った。

解放された青葉を比嘉に任せ、振り返ると、莎草がエライ事になっていた。

身体が変わっていく。
力も強く、そしてわずかに残っていた理性が、その目から消えた。
操られた何人かの生徒と共に、こちらへ向かってくる。

洒落にならん。

「比嘉!!青葉を連れて外へ出ろ」
「お前は!?」
「いいから。お前達まで護る余裕がない」

手近な奴を、ふっ飛ばしながら叫ぶと、やっと出ていった。
さっきので強くなっているらしく、ザコは一撃で動かなくなる。
殺してないか少し不安になったが、それはそれで仕方ない。不幸な事故だ。悪いのは莎草だし。



元・莎草が、遠距離から絲を振りかぶる。

すんでのところで躱すと、絲は廃材に巻き付き、それを引き裂いた。不細工な秋せ○らだな、と呑気に思った瞬間に、肩を浅くそがれた。

怒りが湧き上がる。
俺は人の痛みには鈍感だが、自分のには敏感なんだよ。

あんまり腹が立ったので、首に巻かれた絲をそのままに、奴が引く前に飛びこんだ。
そして至近距離で、溢れる力を全部解放する。



莎草の身体は溶けていった。
鳴瀧さんが言っていた、人ならざる力に溺れた者の最期なんだろう。

背後に現われた気配に振り向くと、呆然とした比嘉たちが立っていた。

「莎草は、一体どうなったんだ」

見てたらしいな。

「早く青葉さんを病院に連れていった方がいい。大丈夫?」
「ええ、だけど彼は」

顔色が悪いふたりに、自嘲気味に、――紛れも無い真実を告げる。

「俺が殺した……んだろうな。人ならざる力を制御できなくなったモノの最期らしい。異形に堕ちて、戻る術はないらしいよ」
「角倉」

それ以上の質問は、答えるのが辛いんでな。

「いるんでしょう?ふたりを病院までお願いします」

僅かに気配のする方に、声を掛けてみる。 拳武館の人間らしいのが、三人出てきた。

「お願いします。あと、中の生徒のことも」
「承知した」

二名が中に入り、ひとりが比嘉たちを連れていく。
彼らはまだ聞きたそうだったが、手を振るだけで済ます。
廃屋に入った人たちが、気絶した生徒たちを持って出てきた。

ピクリとも動かないそれらに、流石に少し不安に思った。
気絶ですんでいるか、訊ねてみた。

「死んでませんか?」
「いや、気絶しているだけだ。
一撃で意識を奪われているので、後遺症も出ないだろう。見事な腕だ」
「どうも」

良かった。殺人数は1で済んだな。
尤も、これからガンガン増えるんだろうけど。

その拳武の人たちも、去っていったところで誰もいない空間に尋ねる。
気配なんか感じないが、どーせ、いるんだろうから。

「一つだけ、お伺いしたいのですが、本当にアレしか、方法はなかったんですか?」
「ああ、彼は欲望のままに力を使役する事に、なんの忌憚もなかった。自滅するか暴走かの違いはあったにせよ、滅びる事は免れなかった。
黄泉路の果てで悔いるべきだな、自分の悪行を」

やはり、見ていたらしい鳴瀧さんが、現われて答えた。
一応抗議をしてみる。

「手伝って下さればよいものを」
「心にもない事は、言わないものだ。
彼が変生したのは予想外だったが、それでも冷静だったのといい、満点に近い。最後だけは無謀だったがね」

苦笑するしかない。
確かに、相当むかついていたからな。

「痛かったので、早く終わらせようと思いまして。ところで、疲れたので気絶してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」



本当に気絶して、目が覚めたら道場だった。




それから三ヶ月、古武道をみっちりと習わされた。
何度か殺意を覚えたが、まだまだ敵わないのが悔しい。

それでも、昨日などは結構いいところまでいけたので、今日こそは数発入れると意気込んで道場へ行った。
が、転校先の決定が告げられ、今の学校に挨拶へ行くようにと追い出された。



担任への挨拶も済ませ、ほんの少しだが感慨をもって校門をぼんやり眺めていた。

「角倉」

そこには、比嘉と青葉がいた。

あれから俺が、さりげなく避けていたので、久しぶりだった。

「三沢さんに聞いたんだけど、転校するって本当か!?」

三沢さんってのは、鳴瀧の腹心でふたりを病院に送ってくれた人だ。
挨拶に行けって、こういう訳か、鳴瀧さん。ため息がでるよ。

「ああ、またああいう事が起きるらしい。
どうせ来るなら、自分から行ったほうが俺の性格上あってる」
「角倉くん……。ごめんね」
「前に言ったよね。比嘉と一緒。俺も、助けたいから助けただけ」

今回の事は、初めてずくめだった。他人を大切に思ったのも、人を殺したのも。
どうせだから、はじめての告白をしてみる。

「一目惚れしてたから。振られるとわかってても」
「「えっ」」

お、ハモリだ。懐かしい気がする。

「一緒にいるふたりが好きだった。だから勝手に助けに行った。それだけだよ。初めての本当の友達と惚れた子だったから」

そこまで言ったら、彼らの顔が同時に崩れた。
ちょっと待ってくれ。なんでふたりして泣く?

「角倉くん、本当に行っちゃうの……?」

頼む、肩を震わせて言わないでくれ。
こういう時、どう反応するのかわからん。

「引越すって言っても新宿だから。そんなに泣かないで。
俺、今まで大切な人いなかったから、どういえば良いかわからないし」

ハンカチでもと思ってカバンをあさると、メモが入っていた。

あのおっさん、……ホント人間か?

そのメモを、ふたりに渡す。


「これ新宿の住所と転校先。終わったら連絡するからまた遊ぼう。
あと、苗字が”緋勇”になるから。実の親の苗字らしい。
今までは、俺、叔父夫婦に引き取られていたんだ」

あ、比嘉まで半泣きになってる。本当に、どう反応すれば良いのかわからない。
比嘉は、涙を乱暴に拭って言った。

「俺ずっと忘れないからな。絶対連絡くれよ、龍麻!!」


ありがとう、ふたりとも。
本当に。

「俺も、忘れない。またね炊実、さとみ」

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