「あ、角倉が女連れてる」
「おー、白百合じゃん。さすが」
友人たちの声につられて、そっちを見ると同級生が歩いていた。
やっぱり美人だな、とか話す奴らの声を聞きながら、ふと疑問に思った。
「いつもと同じ表情だな、照れたりしないのかな?」
それは小さな呟きだったが、みんな聞きとがめたらしい。
総勢で突っ込まれる。
「比嘉ぁ〜、お前ニヤつく角倉を想像できるんか?」
「俺は、最寄駅でイチャついてんのが凄ェと思うけど」
「あれイチャついてるか〜?」
それから心に残っていた。
角倉龍麻の、いつもと全く変わらない穏やかな笑顔が。
「比嘉君、二年生で顔立ちは整ってるんだけど、冷たい感じの人分かる?」
幼馴染に問い掛けられとき、まずふたり頭に浮かんだ。
問題を起こしまくってる転校生と、なぜか角倉龍麻と。
「具体的にはどんなのだよ」
「派手で、髪を脱色しててえらそうな態度の人」
天然だそうだが、角倉も髪の色は薄い。
だが、あからさまに偉そうではないよな。むしろ、優しそうだし。
転校生の方だな。
「ああ、転校生がそんな感じ」
「なんかね、俺の女になれって、言われたの」
あいつが?
「……物好きな」
「なにか?」
「なんにも。で、なんて答えたんだ?」
「よく知らない人だから、ごめんねって」
「玉砕か」
「そしたらね、すごい形相で睨んで、俺から逃げられると思うな、だって」
普通に考えれば異常なこと。だが、転校生――莎草だとすると、納得がいく。
何が気に入らないのか、転校早々問題ばかり起こしている奴だ。
さとみは、相当不安そうにしている。
あんな奴にそこまで言われりゃ、心配にもなるよな。
「話してみるよ」
表情がパッと輝く。余程怖かったんだろう。
少し照れくさくて、茶々を入れる。
「一体、どこが気に入ったのか興味あるし」
「もうッ」
やっと明るくなった彼女に安堵する。
明日にも、莎草と話してみよう。
放課後、莎草はC組の奴らともめていた。
クソッ。なんで莎草はすぐ問題起こすんだ。
あ〜もう。話す余裕なんかない。
ふと気付くと、角倉がその騒ぎを見ていた。ごく稀に見せる冷たい目で。
一瞬で、穏やかな表情に戻ると、何人かに軽く挨拶をしながら、喧燥など存在しないかのように自然に帰っていった。
やっぱり、あいつもどこか普通じゃないな。
莎草を見失い、諦めて帰ることにした。
大船の駅でさとみが、栄香の奴といるのが見えた。
「さとみっっ!!」
後ろから駆け寄ると、それは角倉だった。嘘だろう!?
「おまえなのかッッ!?さとみに言い寄ってる栄香の奴って!!」
血相変えて叫んだ事が、間違いだと知った。
恥ずかしいなんてもんじゃない。
「角倉、悪い。ほんと、すまない」
「いや、こんなナンパみたいな真似してたんだから。彼氏に怒られてもしょうがないよ」
角倉は、いつもと同じ顔で優しく笑った。
誰にでも見せる、いつも同じ微笑。その事が腹立たしくて、叫ぶ。
「「彼氏じゃないよっっ!!幼なじみ!!」」
重なってしまった。
照れくさくて、さとみと言い合っていると、角倉が笑っていた。
初めて、角倉の面白そうに笑う顔を見た。
角倉を呆然と見ていたら、さとみの乗るバスが来たことに気付いた。
たしかあれって、一時間に2〜3本しか無かったよな。
「さとみ、バスきたぞ」
さとみの提案で、明日も会う約束になった。
すげェ。
多分嘘だろうけど、家が厳しいとかで、角倉は滅多に人に付き合わないのに。
つい、じっと見てしまった。
視線に気付いた角倉に、笑いながら言われた。
「盗らないって」
一瞬何の事か分からなかった。
どうやら俺たちが恋人同士だと思ったようだ。
「いや、そうじゃなくて時間あるか?」
その後も茶化す角倉を、半ば引きずるように、近くのマックに連れていった。
そこで開口一番に言われた台詞に、少し傷ついた。
「自己紹介してないけど大丈夫?」
一年間も同じクラスに居たというのに。
それだけ他者に関心がないのか、全く覚えていないようだ。
ここまでくると冷静で良いかもしれんと、莎草のことを話してみる。
「転校生のヤツ?」
この無関心の極致である角倉が、即思い当たるのか、莎草は。
嫌になりかけたところ、角倉が続けた。
「手伝うよ。とりあえず一緒にいて、何かされたら速攻逃げて、警察呼んであげる」
本気のようだった。あの角倉が。
「意外だ」
つい口に出してしまったら、いつもの態度で返された。
柔らかな、だが堅固な障壁を感じる。
だが、さとみといた時の、楽しそうな顔を思い出して、気になっていたことを言ってみる。
「いや、角倉ってさ、誰にでも優しい穏やかなヤツって評判だったじゃん。
だけど、それは裏を返せば誰にでも冷たいってことだと思ってたし」
こいつの新たな表情を、また見られた。
殆ど無表情だが、かすかに驚いた顔をしている。
「驚いた。それ、ほかの人も気付いてる?」
やっぱりそうなのか。誰も気付いていないと思うけど。
中二の五月だかに、女連れの角倉を見て疑問に思った。
それから、よく目で追うようになったが、どんなときもあの穏やかな表情しか見せなかった。
が、同級だった一年間で、たったの二回だけ、莎草に見せた冷たい目の無表情になった事がある。
一度は球技大会でむせび泣く何人かを、二度目は女に振られたとかで騒ぐ奴を見て。
ものすごい蔑みを感じた。
本当にホンの一瞬のことだったけど。
だけど、今は本気で心配してくれているらしい。
話を聞いてくれるので、莎草について話す。
教師に案内を頼まれたクラス委員を、怒鳴りつけるなどのエピソードには事欠かない。
結構な時間がたった事に気付いて、礼を言った。
「ありがとう。本当に。なんか人に話したら、少しラクになった」
嘘じゃない。ひとりで悩んでるよりは随分と軽くなった。
角倉と駅で別れ、家に帰ってからも、まだ悩んではいたが。
翌日、自分で目を潰した生徒の話を聞いた。
不吉な予感で一杯になっていると、目の前に青筋をたてた教師がいた。
課題をすっかり忘れていたこと、授業態度などで、その数学教師に放課後呼び出されてしまった。
昼休みに、角倉に少し遅くなる事を伝えに行くと、空いている席があった。
それが目を潰した生徒かと、薄ら寒いものを感じた。
そこで、その生徒というのが、昨日莎草ともめていた奴だと気付いた。
嫌な考えが湧き上がってきた。
が、頭を軽く振って否定する。そんなのは偶然に決まっている。
放課後、こってりと絞らた後、廊下を歩いていると莎草がいた。
さとみの事を、話さなくては。
ここで言わなきゃ、いつ言えるんだ。
そう決心し、あえて明るく話し掛けた。
何も反応が無いので、不安になりながらも話し続ける。
「――女の子には優しくしなくちゃ」
「うるせェ」
いきなり遮られ、睨まれる。
なッ動けない。なぜ!?
「おい、うすら馬鹿。比嘉を解放しろ」
角倉の声か?
廊下の向こうからやってきたのは、確かに角倉だった。
だが、あまりにも普段と違う。
冷たい目に、馬鹿にしきった口調。
なまじ整った顔をしているだけあって、より愚弄された気がする。
当然、気に障ったにだろう。莎草の表情が更に険しくなる。
奴が角倉の方に向き直ったら、俺は動けるようになった。
駄目だ、このままじゃ角倉も同じ目に。
「おいッ、お前ら。なにをしているんだ」
教師がやって来たおかげで、なんとかなった。けど、この状況をどう説明すればいいんだ?
「彼が宿題を忘れて、職員室に呼ばれていたので、遅くなりました。申し訳ありません」
ごくあっさりと普段の態度に戻り、角倉が誤魔化す。
申し訳なさそうな優等生の姿に、教師はあっさりと納得した。
さっきとのあまりの落差に、教師が行ったらすぐに聞いてしまった。
「お前って、アレが本性なのか?」
さとみと合流し、駅周辺をぶらつきながらも、莎草のことが頭から離れなかった。
翌日も、気が重かった。
学校中が嫌な雰囲気に包まれているようで、校門のすぐ近くまでは行ったが、入れなかった。かといって帰る訳にも行かないので、とりあえず近所の公園へ行った。
そしてまた学校へ向かい、やはり戻ってきてと、繰り返していた。
何度目だか、公園に来たら、角倉とさとみが、三人の栄香の奴らに絡まれていた。
止めに入ろうと思ったら、角倉があっという間に倒していた。
正面のひとりを、二発――鳩尾と顔面を躊躇なく殴る。
慌てて駆け寄ってくる背後のふたりを、振り返って一発ずつ。それで終わりだった。
「角倉、これは」
と声を掛けたときだった。
角倉の表情が、驚愕に強張る。
そちらを見ると、さとみが莎草に捕まっていた。
「ぐッ」
腹を殴られ、一瞬気が遠くなる。
倒れ、朦朧としてながらも、視線を連中に向ける。奴等は、さとみを連れ出そうとしていた。
そうはさせるかッ!!
なんとか起き上がると、奴らは安心しているのか、そう急いでいない。
後ろ姿がまだ見えた。
「角倉、ごめんな」
気を失っている角倉を残し、尾ける。しばらくすると、廃屋に着いた。
警察を呼ぼうにも、その間にさとみが何かされたらと思うと動けなかった。
そのうち、莎草たちが出てきた。
五人てことは全員だな。
今しかないよな。
と、入る覚悟を決めたとき、囁かれた。
「比嘉、大丈夫だったか?」
「うわッッ!!角倉!?」
いつの間にか側にいた角倉は、声を潜めた。
「しっ。奴らはどうした」
「少し前に出て行ったよ。お前こそ大丈夫だったのか?」
「大丈夫じゃないよ、こぶができた」
驚いたけど、これで少し心強くなって中に入れた。
そこにあったのは、異様な光景だった。
「なんだよ、これは。どうして動かないんだ?」
思わず大声を出してしまった。
さとみが何かに吊るされたような格好をして気を失っていた。
角倉には何か見えるのか、目を細めていた。
決心したように彼が一歩踏み出した瞬間に、出入り口で音がした。
「わざわざ、死にに来るとはバカなヤツらだ」
莎草たちが戻ってきてしまった。
角倉が、物凄く嫌そうに溜息をつき、それから、莎草を馬鹿にする。
よっぽど気に食わないのか、普段の無表情が嘘のように、嫌悪の表情を出す。
それからの事は、よく判らなかった。
生徒達は、いずれも角倉に一撃で倒された。
莎草は、化け物に変わった。
そして、角倉に吹き飛ばされ、消えた……
比喩でなく、本当に塵のように。
「莎草は一体どうなったんだ」
訳が分からずに、緋勇に訊ねた。ただ回答がほしくて。
角倉は、哀しそうに小さく答えた。
「俺が殺した」
「彼に、あまり関わらない方が良い。君達にとっても、彼にとっても」
三沢と名乗った人は、病院への車中でそう言った。
「どうしてですか、角倉君は私達を助けてくれたんですよ!?」
さとみが、納得できないらしく叫んだ。
三沢さんは、言い聞かせるように、落着いた声で応える。
「今回は、君が狙われ、偶然彼が近くにいた。
だが、これからは彼が狙われ、君達が巻き込まれる。そうなった時、酷なようだが、君らでは足手纏いにしかならない」
「だけどッ」
「さとみ」
なおも言い募ろうとしたさとみを止めて、訊く。
これだけは知っておきたい。
「これからもあいつはに、こんなことが続くという事ですか」
「ああ、そうだ。しかも頻繁に。だから君たちには忘れてほしい。全てを」
忘れる?全てをあいつに押し付けて?
そんなムシのいいこと、普通はできるはずがない。
だけど、その要求を呑んでも良い。一つだけ教えてくれるのなら。
三沢さんに、その条件をもちかける。
「忘れます」
「比嘉くんッ!」
さとみが非難の声を上げる。
それがあいつのためなら、忘れてもいいんだ。が、ただ一つは譲れない。
「そのかわりに、教えて下さい。どうしてあいつがそんな目に遭うのかを」
「知ってどうする?」
どうもしない。
ただ一つだけできる事がある。
「理解ができます。あいつの事を。
誰にも言いません。あいつ自身にも。決して」
それを聞いて、さとみも言った。
「私も、教えて下さい」
三沢さんは、ずいぶんと長い間黙り込んだ。
そして、悩んだすえに教えてくれた。
「こんな事を教えたと知れたら、私が館長に殺されるな。
私も、そう詳しい事は知らないが……」
角倉は、簡単に言ってしまえば、東京を救うべく運命づけられた救世主――だそうだ。
信じられないような話だが、本当の事なのだろう。
莎草のことは、夢ではないのだから。
「全てが終わるまで、諦めてくれ」
最後に、三沢さんはそう締めた。
全てが終わるまで、か。
「終われば、良いんですね」
「それは、君達の絆次第だ」
それから三ヶ月
さとみと、駅前で会っていたときだった。
一度会ったきりの、がっしりした男性がいた。
「三沢さん!?」
「お揃いか。ちょうど良かった」
それは、角倉の事を教えてくれた、あの三沢さんだった。
「独り言だがね、"彼"の転校が決まった。
だから、今日は栄香に挨拶に行っているそうだ」
それが、とりあえずは、角倉と話せる最後のチャンスだと言外に告げていた。
三沢さんは、それだけを告げて去っていった。
「行ってくる」
「私も行く。急ごッ」
校門に着くと、ちょうど角倉が校舎の方を眺めていた。
その哀しそうな背に、思わず声を掛ける。
振り返った角倉は、困ったような顔をしていた。
転校するという事も、あっさり肯定する。
「角倉くん……。ごめんね」
角倉は、謝ろうとしたさとみを遮って言った。
「俺も助けたいから助けただけ。
一目惚れしてたから。振られるとわかってても」
微笑んでいた。
いつも皆に見せていた表情ではなく、心から優しく。
「一緒にいるふたりが好きだった。だから勝手に助けに行った。
それだけだよ。初めての本当の友達と惚れた子だったから」
そして、自分の口から教えてくれる。引越し先も連絡先も。
そこには、微笑みの仮面を被り続けていた"角倉龍麻"は居なかった。
こいつには、これからも闘いが待っている。
だから、足手まといにならないために、今は我慢する。
だけど
「俺ずっと忘れないからな。絶対連絡くれよ」
そして続ける。
「龍麻!!」
本当に笑い、悲しみ、怒り、俺達を助けてくれた"緋勇龍麻"は、少し淋しそうに、でも笑って答えてくれた。
「俺も忘れない、またね炊実、さとみ」
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