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偶然通りがかった新宿中央公園で、慣れ親しんだものを感じた。
濃厚な血の香り。淀んだ瘴気。


これもまた、東京の護りを崩すための小細工なのだろう。
ご苦労な事だとつくづく感心する。あの柳生の若様のマメな努力に。

― 東京魔人学園剣風帖 第参話 犬神杜人 ―


昼休みに一服しようと、屋上へ行くと、先客がいた。
そいつは気配もないままに、校庭の桜を静かに眺めていた。

「ひとりで花見か?」

こちらも、気配を消したまま話しかけてみる。
転校生――緋勇は、わずかに驚いたようだが、一瞬で持ちなおして、平然と答えを返してきた。


このねじくれた性格は、どこで形成されたのだろう?
今朝の登校風景を、思い出す。

佐久間が、登校したらしく、奴の粘っこい視線が、美里葵に張りついていた。
彼女自身はわかっていないようだったが、その妄執のこもった視線は、強烈だった。

彼女のすぐ後を歩いていた緋勇も、気付いたのだろう。
小さく……冷たく笑ってから、表情を切替えて美里に話しかける。

「おはよう、葵」

穏やかに、優しい微笑み。
美里の表情が、パッと輝く。

その嬉しそうな明るい笑顔、それに刺激されたか、佐久間のどす黒い気が強くなった。
緋勇にも感じられたのだろう。
彼の面に浮かんだのは、氷の如く冷たく鋭利な微笑み。
先を行く美里からは、見えなかっただろうが。


人としてどうなんだ。あの善良な両親から生まれたとは信じがたい。

正直、あまり関与したくない所だが、これでも一応は教師だ。
佐久間の事を、忠告をしてみる。

が、とぼけられる。
それだけでなく、旧校舎での礼を述べられる。

あの時、意識があったのか。

「なんの事だ」

こちらとしても、とぼけておくことにした。

「分からないなら構いません。ただ、しんせいはあまりない銘柄ですよ」

くすくすと小さく笑いながら、緋勇は答える。
全てを見透かしたような瞳。揶揄の似合いすぎる笑み。

こいつは危険だ。本能がそう忠告する。
右腕が、緋勇の首へ向かう。いっそこのまま……


「たつまぁー、買ってきたぜ」

蓬莱寺の脳天気な声で、我に返った。

「げッ!! 犬神」

蓬莱寺の登場に、救われたような気分になる。
今、半ば無意識に、緋勇を切り裂こうとしていた。
尤も、こいつが素直に、切り裂かれたかは判らんが。



放課後、職員室に戻ると、連中が来ていた。
目立つ奴らだ。自覚が無いのだろうか。



花見か。
この連中が、中央公園。柳生の張った罠。
待っているのは、楽しいイベントではないだろう。



「桜は好きになれない」

美里に尋ねられ、つい本音を漏らした。

その答えについて、蓬莱寺が憎まれ口を叩いてくる。

ふッ、振られたのなら、どんなにいいことか。
実際は、約束をした。流れ去る時を生きた、あの女(ひと)と。
満開の櫻の元で、命続く限りこの地を護ることを。



「桜って奴は、人に似ている。美しく咲き誇る桜も、一瞬の命(せい)を生きる人も。
だが、どんなに美しかろうが、やがては散ってしまうのだ。
俺には……俺には、無駄に咲き急いでいるように思えてならない」

そう、人はあっという間に消えてしまう。
どれほどに心を通わせても。どれほどに慈しんでも。

「でも、先生。だからこそ、桜は美しいのだと思います。はかない命だからこそ……。
人だって、そうだと思います。死があるからこそ、人は強く、激しく、そして優しく、一生懸命生きてゆけるのだと、私は……思います」

人は、それでいいだろう。精一杯、必死で生きて、そして、死んで。
だが、残された者は、永遠を生きる者はどうなる?一瞬だけの輝きを心に抱いて、生きていけというのか。

「それは、死というものを知らない人間の詭弁だよ。君は――」

そこまで、言ってしまったとき、緋勇の哀しい眼に気付いた。
そうか、こいつらも同じことだ。
同じ宿星を背負い、同じ仲間と共に、同じ敵と闘う――無限に循環するプログラム

生き続けることと、何度も生まれ、死に、同じことを繰り返すのは、どちらが辛いのだろうか。



新宿中央公園午後六時。

どうしても不安が消えず、結局は来てしまった。
ストーカーのようだが、相当離れた場所から、奴らを観察する。
今は、お約束の宴会で済んでいるが、おそらくなにかがあるだろう。



やはり、ハプニングは起きた。

日本刀を持った、正気を失った男が暴れ出した。

辺りに、悲鳴と怒号が響き渡る。
花見客は大部分が逃げていったので、目撃される可能性は減った。

更に、緋勇がなにか指示をしたのか、遠野とマリアが怪我人を連れ出していく。
これで、周辺にはあいつらと、敵だけだ。



こうやって見ていると、わりと秩序だった闘いをしているな。
戦に不慣れなはずだが、効果的に動いている。
おそらくは、緋勇の指示なんだろうが。

遊撃の醍醐と蓬莱寺。
補佐の桜井と美里。
そして、そのふたりのガードとして緋勇。
緋勇が、一番楽な気もするが、野犬は結構スピードがある。
醍醐では中に入られる可能性があるし、重心の低い相手に蓬莱寺では厳しい。
正しい選択といえるだろう。



最後斬りかかってきた男を、緋勇が一撃で倒した。

それにしても、随分強く殴ったな。
突然斬りかかられて、咄嗟だったのかもしれんが。
とりあえずは、あの操られた男の無事を祈っておこう。



片がついても、連中はその場を離れない。

なんだ?遠野がゴネているのか。
業を煮やしたのか、醍醐が遠野を抱えあげた。

きゃあきゃあ騒ぐ少女を抱えて、逃げていく大男。
目立ちすぎだ。

まったく……あいつらは、考えなしだな。
警察が出てくると、厄介なことになる。
しかも、ある程度は花見客にも、目撃されただろう。



その辺の処理は、心当たりに頼むしかないな。



心当たりのいる場所を訪ねたのだが、苦笑が浮かんでしまう。
九時すぎに、晧晧と明かりのともる高校か。対外的にはどう言い訳をしているのやら。

空を見上げれば、浮かぶのは立待月。
忍び込むには、充分だろう。



館長室に辿り着いてから、十五分ほど経過した。
なんとなしに部屋を観察していたが、微かな気配を感じて顔を上げる。


「名前を言って、入ってきたらどうなんだ? お前は、通しても構わないと伝えてあるというのに」

入ってきた男は言った。
月明かりだけでも、全く動揺していないのが見て取れる。

侵入不可能なはずの館長室に、男が待っていたというのに。
その度胸には、感心してしまう。

「面倒ごとは、遠慮願いたいんでな」

背後にいた青年の方が身構えたが、鳴瀧が制止した。

「構わない、知人だ。すまないが、紅葉。報告は明朝にしてくれるかな」
「はい、承知しました」

青年はこちらを一瞥もせず、静かに去っていく。
相当な腕だ。それに、体格から雰囲気まで緋勇に似ている。
と、いうことはアレか?


「新しい紫龍か?」
「……ああ……まあな」

どうした?
珍しく、歯切れの悪い態度だな。
俺の疑問を感じたのか、鳴瀧は、ため息をつきながら言った。


「凄まじく仲が悪いんだ」
「表裏の龍が……か? お前ら、互いが半身じゃないのか」

よく理解できずに、聞き返してしまう。
俺の記憶違いでなければ、表裏の龍とは、互いの為に存在する絶対の一対だったと思うんだが。

「幼い頃のことだから、今は直っているかもしれないが。お互いにあれから、性格に磨きがかかっているからな。
まったく……近親憎悪としか考えられないのだが」


近親憎悪? ちょっと待て、その言葉から察するに――

「おい、まさか、緋勇と同じ性格なのか?」

アレと同じ性格の、同等の強さを持つ者が存在するだと?
思わず厭そうに訊いてしまった俺に、鳴瀧は疲れたように答えた。

「ああ、本当に似ているんだ。紅葉のほうは、穏やかさで表面を取り繕ってはいないがな」


その言葉に、想像してみる。
外面を装わずに、思う侭に振舞う緋勇を。

「それは、更に酷くないか?」
「どっちもどっちだ。完全に隠してしまう龍が、良いとも言いきれないだろう。
そういえば、どうしたんだ?」


それで、やっと本来の用件を思い出した。
紫龍という存在のインパクトのあまりに、忘れる所だった。



「揉み消して欲しい事件があるんだ」

中央公園で起きた事件のあらましを伝える。

「目撃者がいるのか。
珍しいな。りゅうならば、殺しかねんのに」

鳴瀧は、首を傾げていた。
お前、弟子に対してそれは――そう言いかけてから、思いとどまった。
確かに……やりかねんか、あいつなら。



そこにタイミングよく、電話が鳴った。
拳武館の館長室直通の電話番号――何人が知っているのだろう。

ワンコールで出た鳴瀧の笑みが、話すうちに更に深くなった。
やりとりの断片からでも、相手とその内容が推察できる。

「と、いう事だ」

電話を切った鳴瀧が薄く笑う。


緋勇は、考えなしではなかったようだ。

「事件の揉み消し依頼とはな。たいした奴だ」
「全くだ。どこから来たのだろうな? あの性格は」

実感がこもっていた。よほど修行時代は苦労したのだろう。
師の方が苦労する修行というのも珍しい。

煙草に点火し、何気なく訊ねて見た。

「本当にな。吸うか?」
「私が吸わないのは、知っているだろう?」
「弟子は吸うようだから、宗旨変えしたのかと思ってな」

鳴瀧の表情が翳る。
おい、知らなかったのか?

「身体に良くないと、言ったのだが」
「ふたりとも、そんな頻度ではないが、喫煙歴は長そうだ」
「紅葉もか。本当に悪いところまでそっくりだ。なあ、犬神……龍は勝てると思うか?」

唐突に、訊かれた。
その眼差しは、本気で緋勇を案じていた。

弟子が――親友の息子が、心配なのはわかるが……不要じゃないか?


親から受け継いだ才能、最高の指導者、徐々に強くなっていく敵――最適の鍛練と実戦の場。
これ以上ない環境にあり、そして何よりも、あの性格。
おそらく、際限なく強くなっていくだろう。

「あいつを殺せる奴が存在すると思うのか? それが凶星の者だったとしても無理だろう」

それは本心だった。そして、同時に心よりの願いでもある。

善良な人間が早死にしやすいのならば、緋勇はさぞかし長生きする事だろう。
短かった父母の分までも、長く生きればいい。

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