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燃え盛る焔
崩れていく廃屋

「さようなら……」

「さようなら、・・・さん
あなたに会・・良かった」

今のって、いつものアレだよな。
この鬱陶しい季節に火事に遭うんか?熱暑じゃないか、やだなあ。

……さっきの女の声、何処かで聞いたことがあるような気がするんだが。

―― 東京魔人学園剣風帖 第七話 ――

「龍麻クン、後で職員室に来て。話があるの」

HRが終わり、マリア先生に間近で囁かれた。普通ならば妄想に溢れながら飛ぶ足取りで走っていくくらいの誘いだろうが、嫌な想像しか浮かばん。

人が表には出さずに沈んでいたというのに、どこで聞いていたのか不思議なんだが、京一がにやけたつらで寄ってきやがった。
冷やかしに来たようだが、いつの間にか、話は流れに流れて、小蒔とじゃれあっていた。



様子をぼーっと見ていたら、恐ろしい言葉が聞こえた。

「その証拠に胸が無え」

その一言は、ちとヤバいんじゃないか。
あははと笑う小蒔から、達人級の殺気が立ち昇っているぞ。

あ、笑いが止まった。……元々目は笑ってなかったけどな。

京一は、弓まで取り出した小蒔から逃げだし、彼女も更に追っていく。
なにやってんだか。

ふたりはそんな状態で出ていったし、醍醐はまたもや、さぼりトレーニング。
葵まで生徒会の用事があるというので、ひとり寂しく帰るのもなんなので、職員室へ向かった。

「失礼します」

職員室には、マリア先生しかいなかった。ていうか結界とか張られてる?ヤバし?
彼女は婉然と微笑んで、手招きをした。


「アナタを呼んだのは、他でもないわ」

私を好きにして、とかじゃないよな。

「力の源はなんだと思う?」

う……。キターー。

「アナタのたちの――いいえ、アナタの力は、何かのカギなんじゃないかしら」

なぜ複数形から、俺の単数に言い直す?
ただそちら系の人だっていうのではなく、他にも知ってるんだな。


なんとなく黙ってしまったら、彼女はとんでもない事を言い出した。

「ちょっと服を脱いでくれるかしら」

え、いきなり吸うの?
俺なら、そう簡単に虜化されないよな。……多分。

「はい」
「アリガト」

そう思ってとりあえず承諾したら、先生は満面の笑みを浮かべた。
ギャー、く、喰われる。

ガラッ。
荒々しい音をたてて、救いの主が入ってくる。

「よォ、緋勇じゃないか」

犬神先生だった。
先生ふたりは白々しく、お昼済んだのですか、ああ、早いんですよとか、受け答えしている。
多分わざわざ結界を破ってまで、助けてくれたんだ。

「あッ、僕の事なら気にせず、話を続けてください」

白々と。
『ボク』などと口にしながら、自分の席に腰を下ろす。
そのどかねェぞと主張する動作に、マリア先生の周囲の空気が、ぎゅんぎゅん冷える。

「龍麻クン、ありがとう。この続きは、また今度……ね」

言外に諦めんと主張する眼差しで、優雅に微笑む。
先生たちは黙り込んで、視線を交し合った。

こ、怖ぇ。
聖母とアルカードの名を、同時に持つ存在。
俺は、ひとりしか知らない。たしか――神祖の娘だった。
そして、犬神を名乗る者。

こんなレベルに喧嘩されたら、今の俺なんてダッシュで逃げるしかないんだけど

幸いに、戦いはなんとか回避されたらしい。
だが逃げよう。

「では、失礼します」
「そういや緋勇、お前、旧校舎には入ってないだろうな」

だが、陰気な声が追ってきた。
ま、陰気だろうが根暗だろうが、今日は助けてくれたのだから、きちんと応じる。

「ええ、もちろん」

にこっと答える。……ひとりではね

「ならいい……。あそこは――、良くない」

おや、含みがありそうですな。

今度こそ、出てくぞ。
逃げるようにドアを開けると、アン子ちゃんとぶつかりそうになった。

「あら?龍麻じゃない。元気?」

……君も、呼出し喰らったんかい。

職員室に入りかけた彼女が、戻ってくる。

「そうそう忘れてたわ。校門のところに、女の子が待ってたわよ」

女の子?
誰だろう。彼女が知らないってことは、亜里沙か舞子かな。




校門のところにいるのは、比良坂?
どうしたんだ、一体。

「あの時は、本当に助かりました。ありがとう」

そういえば、助けたな。
でもアレは完全に成り行きだったから、気にしなくて構わんのに。


「今から、わたしと……デートしてくれませんか?」

デート?とうとうくるのか?
彼女とは『偶然』が続き過ぎたもんなあ。

「ああ、構わないよ」


品川の水族館か。
ここ中学の時、校外実習で来たなぁ。
やな思い出だよな。男子校――男が約二百人で水族館。絵的にどうだよ。

無邪気っぽくはしゃぐ彼女の姿は、可愛い。真意を探ろうとか考えなければの話だが。

その後は、公園に寄って、少し話した。
王道だな。噴水で水のかけっことか、やった方がイイのか?

ベンチに腰掛けると、比良坂が訊いてきた。

「緋勇さん……緋勇さんは、奇跡って信じますか?」

奇跡?

「普通に信じているよ。盲信するでもなく――あったらいいな位の気持ちで」
「わたしは、奇跡なんてないと思う。あるなら、大切な人を失う事なんてないじゃないですか」

呟きは沈んでいて、理由があるのだと察せられた。
確かに正しい。
俺は両親を失った事は不幸だった。だが虐待されるでもなく、優しい家で育てられた。
それは、結構な奇跡だと思う。

なんとなくふたりして、少しの間、黙り込んだ。

先に、比良坂が口を開いた。

「わたしね……、夢があるんです。それはね、看護婦さんになること──」

舞子〜、いい看護婦さんになれるかなぁ〜

あ、今ある人物が頭に浮かんだ。

「ふーん。結構向いてるんじゃないかな」

あの彼女が、こなしてるんだし。
まあ、舞子は、テンポがずれてるだけで、基本的には有能なんだが。

「良かった。……私、両親をなくしてるんです。飛行機事故で。だからかもしれない。看護婦さんになって、人を助けたいのは」

エライな、そういう哀しみをプラスに持ってける発想は。
不幸を他者にも振りまこうとするタイプではない。少なくとも彼女自身は。

「ごめんなさい。こんな話して……。でも龍麻さんには、聞いてほしかったんです」

そこで、彼女は言葉を切った。
しばらく葛藤するかのように、沈黙が降りた。

「だって、わたしッ――」

泣きそうな顔をしなくても……。
泣くほど辛いことならば、止めてしまえばいい。誰に強制されようとも。


結局、彼女はそれ以上は何も言わなかった。
口を閉ざしたまま、急に立ち上がる。

「本当にありがとう。ごめんなさい……」

最後に投げ捨てるかのように頭を下げると踵を返して走り出す。

後を追ったが、既に彼女の姿はなかった。
……ただ写真が一枚落ちていた。

まだ十に満たない少女と、それより十歳ほど上の少年が戯れる、楽しそうな写真が。


普通通りに、次の日がきて、ごく普通に授業が終わった。

今日は、醍醐も京一も、用があると早めに帰った。
小蒔は友人と約束。葵はマリア先生とお出かけ。

少し待ってみたが、誰も戻ってきそうもない。今日はさみしく帰るか。

「じゃーね、緋勇くん」
「ああ、また明日」

何人か級友らしき人たちに、挨拶されながらとっとと帰る。

そんな中のひとりが、こっちを見て駆け寄ってきた。
冷やかすように、ニヤニヤしながら言う。

「緋勇、校門の所で、女の子が待ってたぜ」
「女の子?」

まさかさすがに今日は比良坂じゃないだろうし、誰だろう。
そもそも君も誰だ。クラスメートでいいのだろうか?いい加減覚えろと言われそうだが、本当に人の顔に関しては、記憶力が足りないんだよ。


「ねェ、にいちゃん。にいちゃんが、緋勇龍麻?」

校門前には、ガキがいた。
ガキは嫌いなんで、無視しようかと思ったが、周囲に何人か知った顔がいたので、それは止めておく。

「いや、如月というんだけど」

とりあえず、平然と澄んだ瞳で嘘をついておく。
名を知られると困る呪いとかだったら、頑張ってくれ翡翠。

「じゃ、これ、緋勇っていう人に渡しといて」

まったく微笑ましい口の利き方。

「さっきも思ったんだがな。ガキが他人の名を、呼び捨てにするな」

にこやかなまま、静かに諭してやったら、ガキは引き攣った顔で逃げていった。
親の教育がなってないな。



渡された手紙とやらは、見事にサイコさんだった。
切り抜きとワープロ打ちの組み合わせ。
ところどころレタリングまでしてやがる。……ヒマ人だな。

『君が転校してからの噂を聞いています。』

是非とも誰からだか、教えて欲しいな。

『彼女は僕の手中にあります。』

誰のことだ?同級生らしいヤツが言っていた【女の子】か?
心当たりを確認しようと電話してみたが、謀られたように誰もつながらない。
……行ってみるしかないのか。


やっと着いた。地図が分かりにくい。ただでさえ方向音痴の気があるってのに。

それにしても、品川にこんな廃屋があるんだな。一応都心だろうに。

手紙の指示は、中に入って、カギを閉めてください――か。

どの角度から考えても罠としか思えない中に入るのって嫌だな。ああ帰りたい。


中に入っても、広めのがらんとした空間があるだけで、誰もいない。
招待しておいて、礼儀知らずな。

ん?また、封筒が挟まっている。



ほうほう……ふん。
君の力を見せてください――か。
下らない。
この場所は戦闘用に開けてるんだな。さて、何がでてくるんだか。

暗い気配が、ずるずると近付いてくる。

ん?ずるずる?
妙な声が、辺りに響く。

ヴ〜〜ア゙〜〜

この……バイオでよく耳にしたこの声は……ま…さ…か……

強い腐臭が漂う。

ガチャンッと音を立て

ガラスを破って、次々と入ってきた者たちの姿は

ゾンビィーーーーッ!!

信じらんねェ、徒手空拳の人間に、なんて辛いものを!!
触るのはイヤだ、ていうか近寄りたくもない。全部氣で終わらせよう。


「巫炎ッ!!」

最後のゾンビを遠間から、燃やし終わった。
くそー、遠隔攻撃を多用したから、無駄に疲れた。でも、こいつらに掌打したくないしな。



パチパチパチ――と拍手の音が響いた。

人が肩で息をしてるってのに。

背後には、白衣の男がいた。
長髪の端正な顔立ちの奴だが、表情に険がある。甘いな。


「はじめまして。手紙はお気に召してくれたかい?」
「あいにくと。オリジナリティが足りませんな。で、さっさと女の子を返して頂けますか?
こちらは、狂人の戯言に付合ってやるほどヒマではないので」

比較的丁寧よりの人間のようなので、こちらも丁寧に返す。
ただし、言葉遣いだけだが。

「それは失礼したね。女の子を預かっているというのは嘘さ」

得意げに笑む男に、一つ決心する。半殺しどころか、3/4殺し。
こっちの心境の変化にも気付かずに、男は得々と語りだす。

「ブードゥーというのは知っているかい?」
「基本的なことでしたら。ネクロマンシー ――死者蘇生の一種でしたっけ」

ほかにも呪術一般があったか。確か呪いの人形とかがあったところだと思うが。

「ククク……。いいよ、君……。凄くいいよ……。僕の名は、死蝋影司。品川にある高校の教師をしている」

こっちは厭だ。
ていうか、あんたのことなど、聞いていない。

「御丁寧にどうも。
では、他に用が無いのならば、貴方をぶっ殺して失礼させていただきますが?」


本物の殺気を乗せてみたが、術者系で鈍感なのか、意外に肝が据わっているのか、それともとうに狂っているのか。
奴は動じずに薄く笑ってから、どうでもいい話を続けた。

「用と言うのは、将来の事さ」
「貴方に、私の将来を心配してもらう義理も必要もありません」

大抵の事ができる程度の能力は、持っている。
見知らぬ狂人に心配してもらうことではない。

「クク……かわいいよ、君って……。君のその強靱な肉体と揺ぎない精神力、そして超人的な【力】があれば、人は超人──いや、魔人ともいうべき存在に進化できるのさ」

ホモか、お前は。
それにしても、また世界平和のために――かい。
最近の悪役ってのは、おめでたいな。

「他人のために、世界のために、私が力を使う義理など、全くありません。御一人で、尽力なさったら如何ですか」

この程度の奴なら、背後を見せても問題ないので、言い捨てて踵を返そうとした。

「龍麻さん、私――」

目の前にいたのは、思い詰めた表情の比良坂。
……ここで繋がったか。よりによってこんな奴に利用されなくても。

鈍い音が聞こえた。

後頭部に痛みが走った。何で殴ったんだ……素人が。
気絶させるのに……、こんなに、力は必要ない……んだよ…。


目が覚めると、何かに縛り付けられていた。
おいおい、犯されてないだろうな。
まあ……特に激痛とか疲労感ないから、大丈夫だろう。……多分。……きっと。……平気だよなぁ。


それにしても困った。
仲間に俺タイプがもうひとりいれば、状況に気付くんだが。
みんな良いヤツらなんだが、単純なのが多いからなあ。割に鈍いし。

早く冷静で、頭が切れるタイプが仲間にならないかな。

「おはよう。お目覚めかい?」」

気配に気付いたのか、奴に声をかけられた。
勝ち誇った薄ら笑いが、凄くうざい。

「おはようございます。さっさと帰りたいのですが」
「まあまあ、紗夜も、君に居て欲しいってさ。ねえ緋勇くん……紗夜はねェ、僕の命令で君を観察してきたのさ」

その辺は、ある程度は、予想していた。
そんなに嬉しそうに言うなよ。情けないぞ。


「だから?あれはあれで比良坂の選択だったんだから、構わない」
「龍麻さん。わたし……ごめんなさい」

俯いて震える比良坂に、死蝋は背後から覆い被さった。
抱きしめるように彼女に張り付き、妙なことを言い出す。

「何を謝る事があるんだい、紗夜。彼の身体は、人類の未来のために役立つんだよ?感謝されこそすれ、恨まれる覚えはない」

はぁ?

「阿呆」

思わず、言い返してしまう。
つい、現在の不利な状況さえも忘れて。

「何だって」
「では、お伺いしますがね。貴方は、ジェンナーが牛痘を植え付けた少年の名を覚えてますか?私は覚えていません。確かに、ジェンナーは天然痘を防ぎ、英雄となった」

だが少年は、そんな事されたくなかったと思う。説明だって碌になされたのかも怪しい。

「名前も残らず、ただ怖かったと思いますよ」
「……」


皆が黙っている中で、カタンと微かな音がした。

これはもしかしたら……京一たちか?

「ん……何か音が聞こえた気がしたが」

タイミングが悪かった。この鈍感そうな男も気付きやがった。
しかも、あいつらにゾンビを差し向ける――だと?

「――止めろ」

心優しいあいつらは、傷ついてしまう。
嘗て、人間であった者たちの崩れた姿を目の当たりにしたら。

俺の焦りを見て、勝ち誇った笑いを浮かべた死蝋を、比良坂が突き飛ばした。

「もう……止めて」

比良坂?そいつ正気も怪しいのに、反抗なんかして平気なのか?



「人は、復讐の心だけじゃ生きられない……、一生をそのためだけに捧げる事は、できない。わたし、間違っているでしょうか?」
「何が正しいかなんて、本人にしかわからない。比良坂が、その答えを出したなら、それが君の真実だよ」

思い詰めた顔だったから、真面目に答えたんだが、話している間に、ゆっくりと起きあがった死蝋の顔が、すごい事になっていた。
まずいだろ。本当に狂人って感じになってきた。

「許さないぞ。紗夜、お前は僕のものだ――心も……身体も」

あ、やっぱりお手つきか?比良坂可愛いのに、こんなのが相手じゃ勿体無いな。
ああ、でもこんなに彼女に執着してるのならば、ボクのカラダはきっと綺麗なままだ。助かった。

「止めて、兄さん」

兄さんて……。ただの恋人かと思ってたよ。
身体もって……おい、いいのか?妹に手を出すのは……まずいだろ。

「わたしは、兄さんのものじゃないわッ。わたしは、生きてるのッ」
「紗夜」

多分、本当に初めて反抗したんだろうな。
死蝋は茫然自失って状態で、硬直している。

しかし、お取り込み中申し訳ないんだが、早く外してくれないだろうか。
嫌な予感がする。

「もう、こんな事は終わりにしましょう。兄さんはあいつらに騙されているのよッ」

比良坂の切々とした台詞に、溜息がでる。また――鬼道衆か。

「お前も、僕を裏切るのか……」

囁きレベル。死蝋が、呆けた様子で、呟いた。
虚ろな目と声、これは――本気でやばい。

「比良坂、早くッ!!」
「は、はいッ」

慌ててこちらに走り寄ってきた比良坂の背を、死蝋が狂った熱い目でみつめる。
段々と音量を増す。奇妙な笑い声が。

「緋勇龍麻。お前さえいなければ……、お前が死ねばいいんだ」

ほら、そうきた〜〜。
絶対こっちにとばっちりが来ると思ってたんだよ。

「腐童、こいつを殺せ」

命令に従って、どう考えても、肩幅の辺りがおかしいだろうっていうマッチョすぎるゾンビが現れる。
ったく、なんで正気じゃなくても命令が効くんだよ。
ああ、死霊術を身に付けたころから、既に狂ってたのかもな。


一生懸命、比良坂が手枷を外そうとしてくれているけど、このままじゃ、あの筋肉ダルマの到達の方が少し早い。
……まだ死にたくはなかったんだけどな。

ドガッと鈍い音が響くのを、他人事のように聞いていた。
って今の音、致命傷級だ。俺は――痛くないのに。

「紗……夜……?」

死蝋が、呆然とした様子で、比良坂の名を呼ぶ。
血の臭いが漂ってきた。

比良坂?

そいつにまともに殴られたのは、比良坂だった。
俺をかばって、よりによって頭部を……。

「待っ……て……もう少し……だから」

枷を外したとたんに、比良坂は倒れこんだ。限界だったんだろう。
慌てて支えながら、傷を見る。

……完全なまでに致命傷だ。
どうしようもない。

「なッ、なんだこりゃッ」
「龍麻、大丈夫かッ!!」
「龍麻くん!!」

今まで待っていたかのようなタイミングで、皆が、わやわやと入ってくる。
腕の中の比良坂が、安堵のためか微かに微笑んだ。

知らせてくれていたのか。
紫暮と雨紋と藤咲までいる。ちょうど良い編成だ。

「無事だ……俺はな」

凄ェむかついたよ、死蝋影司。
世界を浄化したいなら、ひとりでやれ。
妹を巻き添えにしたりせずに、己の意思のまま勝手に遊べ。

「葵、彼女を頼む。デカイのは、紫暮と醍醐一緒にかかってくれ。
ゾンビ連中は、京一・小蒔・雨紋・藤咲それぞれで、離れ過ぎないように気をつけて、倒してくれ」
「龍麻、まさかその身体で」

反論されかけたが、みなまで言わせない。
勝手に走り出す。こんなレベルの馬鹿、どんな体調だろうと――問題ない。

「頼んだぞ」

一直線に死蝋へと向かう。

「紗夜は、紗夜は僕のものだ。渡すものか!!」

奴の端正だった顔は、歪んでいた。
妄執に、完璧なまでに狂ったんだろう。

「人は、……誰のものでもない。八雲ッ」

勢いに任せて放った技と、死蝋の技とが、真っ向からぶつかった。
だが、押されるはずもない。現時点の最高の技だ。


吹き飛ばされる死蝋は、目がまともじゃなかった。さようなら――だな。


今回は、戦闘そのものは、ラクだった。
ゾンビはそもそも外見が醜悪なだけで、大した強さではない。
デカイやつは、そこそこの強さだったが、紫暮と醍醐の【方陣技】と鳴瀧さんが言っていたヤツ――氣が似ている者、反対の者などが稀に使える氣を増幅させる技で、さっさと倒された。

そうか、人も増えてきたことだし、チェックした方がいいかもな。


敵が居なくなったので、葵に預けていた比良坂へ向き直る。死の影が――更に濃くなっていた。
出血は減っていたけど、止まったんじゃない。もうあんまり、流れるだけの血液がないんだ。
軽く抱き起こすと、うっすらと目を開ける。弱々しく微笑み、あなたが無事でよかったなんて口する。

彼女はぽつぽつと語りだした。 事故で両親をなくした事。
親戚にたらい回しにされ、冷たく扱われたこと。
たったふたりの兄妹で、世界に対して復讐すると決心したこと。

あいつだって最初は、純粋に妹を想うお兄ちゃんだったんだろう。――あの写真に写っていたころは。

「俺も、事故で両親を失ったよ」

弱々しく、それでも比良坂は目を見張った。
境遇が似ていたって、イコールじゃない。だから説教するつもりもない。だが――きっと選択肢は、他にもあったと思う。

「俺の場合は、養父母は、良い人だったけどね。やっぱり近所の人なんかには、色々言われた事もあった」
「そっか……気にしなければ、……よかったんですね……なんだ」

もう、総てが遅い。

「そうだ……今度、どこか行きませんか」

不意に彼女は、そんなことを口にした。
勿論、彼女も己の状態は分かっている。錯乱したわけでもない。

「そうだね、何処がいい?」
「今度は……八景島の水族館が……見てみたいな」
「わかった、神奈川県には強いからね、案内するよ」

わかりきった白々しい嘘をつく。

「えへへ……。楽しみだなァ……」

今にも命を喪いそうだというのに、なおも微笑む彼女に――他に何もできないから。

葵は懸命に祈ってくれている。だが彼女の力は、癒しの力を促進させるもの。
致命傷を治すことはできない。

静かに――ゆっくりと、目を閉じる比良坂。

どうして復讐なんて考えてしまうんだろう。
己が何を言っているのかも理解していない、聞いたことのある言葉で、他者を傷付けるのが好きな馬鹿共。どうでもいいじゃないか、そんな奴らの為に、傷付く必要すらないのに。

「ちッ、使えねェ」

そこに響く、下卑た声。
現れるんじゃないかと、予想はしていた。操った先から、ただ眺めていれば良いものを、この類の馬鹿は、わざわざ姿を見せる。

「うわッ!!火が――」
「きゃッ」

焔と共に、赤で全身を統一した忍び装束を纏った鬼面の男が現れる。

「我が名は、炎角」

赤で炎。こいつらはなんだってわざわざ、色で属性を主張するんだろう。
隠しておいた方が、良いんじゃないのか?

「鬼道衆。なぜ彼等を選んだ?」

饒舌そうなそいつに、訊ねた。
こういった輩は、自分が有利な立場だと、余計な事まで語り出す傾向がある。

「力に目覚め、世の中全てを呪う兄妹……ケッ、もっと利用価値があると思ったけどよ。この程度だったとはな」

思ったとおりにベラベラ語り出したそいつに、沸々と腹が立ってくる。こいつが死蝋の前に現れずとも、奴は世間を憎み恨んだだろう。だがその場合は――手段がなかったはず。

調子に乗るな――雑魚が。

そう呟くと雑音が止んだ。息を呑んだ馬鹿に、質問を投げる。

「凶津や彼ら『贄』を選択しているのは、貴様らか?それとも……天童か?」

世を恨み、だが手段を有していない彼らの背を、最後に一押ししているのは誰なんだ?
あいつは――天童は、そういった陰気さは有していないように見えたが、気のせいなのか?

「てめェ、なぜその名を」
「質問しているのは、こちらだ。答えねば――今この場で殺す」



死蝋に対したものとはレベルの違う殺気とともに問う。
殺気を乗せるとかではなく、本気だった。今の精神状況で、はぐらかされたり、ふざけたことを口にされたのならば、躊躇いなどなく、殺す。


明らかに狼狽しながらも、炎角は自分達の判断だと認めた。それだけは救われる要素だった。手段さえ与えられなければという思いは、天童こそに抱いてしまう。酒宴の際の陽気さは、演技ではなかったと思う。


と、人が色々考えている間に、赤馬鹿は、焔を更に撒き散らし、皆が怯んだ隙に、逃げていった。
ビビッてんのかと思っていたが。
頑張りやさんだな――小物の分際で。


炎角が悔し紛れに放った焔が、全てを燃やしていく。
狂気の研究成果も、狂ったままの死蝋も、比良坂の体をも。

救いたい、けれど皆の危険が大き過ぎる。脱出するしか……ない。


燃え、そして崩れていく廃屋……夢の通りだった。

救うこともできず繰り返し見るだけ。なんの意味があるというのだろう。

……せめて、遺骸くらいは、運び出したかった。
こんなところが彼女の墓標だなんて。



ゴメンな、比良坂。
俺は逡巡もせずに決めた。君と仲間達の命を秤にかけ、……仲間達を選んだ。
本当に、済まない。君は俺を命を懸けてまで助けてくれたのに。

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